16、標的と加害
※過激な表現あり、食事中の閲覧注意。
「君はそこで、そんな恰好で何をしている!?」
セオドリックは石膏像が立ち並ぶ廊下で、ひときわ小さな像に気づいた。
違和感を覚えて見た次の瞬間、思わず息を呑む。
白金の髪で裸身を覆い、無垢な顔で像と同じ姿勢で佇む――それはアニエスその人。
「…………」
しかし、セオドリックの問いにアニエスは応えない。
「アニエス嬢、聞こえているだろう。その格好は何だ」
「人違いです」
「……通ると思うのか?」
必死に白を切ろうとする本人には悪いが、これを見てほっとくわけにはいかない。
セオドリックは自分の上着を脱ぎ、アニエスの肩にかけた。
「向こうを向いているから、服のボタンをきちんと全てかけなさい」
セオドリックは背を向けた。しばらくしてアニエスからOKの合図が出る。
「セオドリック様、こちらを向いて頂いて結構です」
呼ばれて振り返った瞬間、セオドリックの思考が停止した。
自分の軍服に長い髪まですっぽりと、サイズ感を完全に見失ったアニエスが、裾から覗く形でちょこんと立っている。
「……なにこれ。反則級にかわいいんだけど」
「へ……?」
セオドリックはハッとして、ご、ごほん! と咳払いで強引に誤魔化した。
「……それより、なぜ廊下で裸なんだ?」
「湯殿で湯浴みをしておりましたら、気付けばこの状態でして」
「ほほう、……湯殿からだいぶ距離があるが?」
「ええ……ここは西塔のようですね」
妙に冷静な自己分析のあと、アニエスはぺこりと頭を下げる。
「大切なお洋服は、洗ってお返しします! 助けていただき感謝します! それでは!」
「いや、待て!?」
「申し訳ございません。急いでおりますので!!」
言うが早いか、アニエスの逃げ足は一流だった。
「……ノートンはいるか」
「はい、こちらに」
「……どうやら、噂は本当のようだ」
実はセオドリックがアニエスを発見したのは偶然ではない。
セオドリックが得意とする魔法の『探索』をかけ、アニエスを探していたのだ。
まさか、それでその現場を早々に押さえることになるとは、思いもよらなかったが……。
そう事の起こりは数日前。
「王太子殿下。こちらロナ公爵家から書状が届いております」
「公爵家から?」
手紙を読み終えた瞬間、セオドリックの表情が険しく硬いものになった。
「……返事が、ない?」
低く呟き、紙を握る指に力がこもる。
「アニエスへの書状も、送金も……すべて、音沙汰無しということか?」
沈黙が落ちる。
その重さに耐えかねたように、ノートンが一歩前に出た。
憤りと哀切を宿す瞳で、その胸に手を当てる。
「殿下。……僭越ながら、申し上げたいことがございます」
覚悟を決めた声音で、ノートンは静かに語り始めた。
どうやら最近、家来や召使いの間で、アニエスがかなり質の悪い嫌がらせを受けているという噂が、まことしやかに囁かれているというのだ。
最初は仕事を異常に押し付けられるなどの、新人によくある類のものだけだった。だが……。
その内その内容は、悪質なものへと変貌していった。
わざと食事を抜かれる。
普通は専用業者がする城の全ての御不浄の掃除を押し付けられ、ときに彼女の着替えや私物をズタズタに切り刻まれて、捨てられ、隠され、盗まれたりしている。
ほかにも魔法で小突かれ、イスや足を引っかけて転ばされかけたり……。
ひどかったのは、階段の途中の段差を一段だけ、魔法で『消去』したことだろう。
踏み出した瞬間、足場は存在せず、身体は前へ投げ出された。
これはアニエスだから、まだ受け身を取れたのだ。
通常なら、大怪我どころでは済まなかった。
陰口や誹謗中傷の手紙は、日刊紙のように毎日かかさず。
トイレ掃除をしていれば、狙いすましたように頭上から水が落とされる。
悪質ではあるが……けれどコレがまだ「嫌がらせ」と呼べる段階だった。
――けれど、ある日。
彼女が取るはずだった、熱々の食事が天井からバーンッと落とされ、アニエスは危うく火傷をしかけたのだ。
そこには、アニエスの存在を絶対に許さない、強い悪意と意志があった。
そして、このいじめの極めつきが……。
「アナスタシア様のお世話を……アニエス嬢、お一人に任せていたようです」
「アナスタシア大叔母様だって!?」
アナスタシアは先王の弟の妻で、かつて副王妃であった。
しかし夫である副王が不可解な非業の死を遂げて以来、正気を失い、現在は城の離れで、数名の従者による魔法的な介助を受けながら暮らしている。
「魔法を使える者でも、一人で世話をするのが、かなり難しいという話ではなかったか?」
「どうやら噂だとアニエス嬢に出会った時。アナスタシア様は、……ご自分の出されたもので……その……子供のように、無邪気に遊んでいらっしゃったそうです」
「!?」
セオドリックは、自分の頭や顔を掻きむしった。
「それを、子供一人に押しつけた!? 冗談ではないぞ……!?」
セオドリックは、頭の奥から静かに、しかし確実に怒りが噴き上がるのを感じていた。
彼女はまだあどけなく、十三歳にすらなっていない。
本来なら、公爵家の令嬢として、花のように、宝物のように扱われるべき少女だ。
穢れも悪意も知らず、守られ、愛されて育つはずの存在。
それを……!!
この仕打ちは、決して許されていいものではないだろう。
「手紙は、おそらく誰かが処分するか、盗み取ったのでしょう。小切手も同封されていたはずです」
「……そこまでの事態が看過されている以上、タニアの耳には入っていないはずだ。すぐに呼べ!」
呼び出されたタニアは、息を切らして駆けつけた。
事情を聞くうちに、その顔からみるみる血の気が失われていく。
そして——。
アナスタシアの話に及んだ瞬間、タニアはその場に倒れ込んだ。
「タニア様! タニア姫様!」
「……だ、大丈夫……よ……」
その言葉とは裏腹に、彼女は蒼白だった。
知らされていなかった……それだけで、この状況の異常さは十分すぎる。
「そんな……。あれほど明るく、健気に振る舞っていたのに……裏では、そんな仕打ちを受けていたなんて……!」
タニアの胸に、激しい後悔と怒りが込み上げる。
「しかも……もしこれがロナ家の耳に入れば、国が二つに割れてもおかしくないわ。彼らは信義をもって、何より大切な御子を我が国に預けているのよ……それを守れなかっただなんて……!」
タニアは震えて、自分の肩を抱いた。
まずは犯人を特定しなければならない……いったい誰が主犯なのか……?
「数日の内に決着をつける……噂の真意も併せてだ。しばらく、アニエスの側に俺の使い魔をうろつかせる。……構わないかタニア?」
「ええ、普段なら反対もしますが、事態は急を要しますから!」
こうして二人はこの会談の後、さっそく秘密裏に動きだした。
――そして数日たった本日、アニエスは裸で、セオドリックに発見されたのだ。
「転移陣も無く……人を一人、王宮の棟をまたいで移動させるなんて、そんな魔法は相手が子供であろうと、本来は一人では行えない」
「そうですね。考えているよりも大人数かもしれません。アニエス嬢のご様子は大丈夫ですか?」
「ああ、今のところは」
「あの、殿下。……分かっているとは思いますが、あくまで『探索』はアニエス嬢の身の安全のためで……着替えなどは決して覗いてはいけませんよ?」
「当たり前だ!? どれだけ私は信用が無いんだ」
セオドリックは憤慨したが。ノートンはため息をついて額に手を置いた。
「ご自分の胸にお聞きください」
一方その頃、アニエスは度重なる疲労に耐えきれず、ほぼ崩れ落ちる形でベッドに転がり込んでいた。
(もう無理……世界よ……止まれ……)
髪は乱れ、服は皺だらけ。直す気力はゼロ。
え、身だしなみ? 知りません!!
(このまま眠れたら最高……)
――だけど。
(……でも明日の準備はしていないし……それに今朝、手紙が来ていたじゃない!? エースとアレクサンダーからの!!)
アニエスは枕に顔を埋めた。
(……休みたい私と、気になる私が戦っている……)
「zzz……」
ベッドが全力で仕事をしている。
アニエスの意識は、すでに半分夢の国だ。
「ふはっ!? ……だ、だめだめ……!」
慌てて跳ね起き、濡れた口元を慌てて拭いながら立ち上がった――その時だ。
ぐらり、と床が歪む。
「……!?」
次の瞬間、視界が一気に塞がれ、袋のような暗闇に包まれる。
驚く暇もなく身体が持ち上げられ、乱暴に運ばれ……すぐに下ろされた。
床が、動いている。
微かな振動とともに、確実にどこかへ向かって運ばれている感覚。
これは夢ではない。
その事実だけが、はっきりと胸に落ちて、アニエスはただ恐怖で声も出せなかった。
「……なあ、お前この中身を知っているか?」
「さあな……知らない方が身のためだろ」
「でもこの大きさ……小さい子じゃないかな? 俺、小さい子だあい好き!」
「うわあ、本当に、お前さんは変態だよ!」
いったい、この人たちは何者なのだろう。
そして、どこへ向かっているのだろう。
問いは浮かぶのに、狭くて暗いこの空間では、考える余裕すら奪われる。
ただ、アニエスの胸に込み上げてくるのは、言葉にならない感情。
怖い。
怖くて、怖くて、どうしていいか分からない。
小さく息を吸うたび、胸の奥がぎゅっと縮こまった。けれど……。
「おい、そこの馬車止まれ!!」
「!!」
アニエスは、馬車でどうやら運ばれていたらしい。
その馬車が、突然、強引に行く手を塞がれ、ぴたりと止まる。
「あ、あの……私どもは城の御用聞きでして……」 「そうか。では馬車の中を確認させてもらおう。異存はないな?」
男たちは一瞬、身を強張らせ、反射的に手を動かそうとした。
――しかし。
「警告しておく。妙な気は起こすな」
静かな声が続く。
「我々は王太子殿下の親衛隊だ。当然、呪いも魔法も使える。従え――でなければ命の保証は、今この瞬間までだ」
「……ひいっ!!」
武器に手を伸ばすことすらできず、男たちはただ震え上がった。
『親衛隊』と『呪い』という単語に、手を上げたまま、息を殺して動けない。
やがて親衛隊の隊列が静かに割れ、奥から一人の男が前へと出た。
素早く、軽やかに荷馬車へと跳び乗り、周囲を鋭く見渡した後。
――転がされていた麻袋を見つけ、その足を止めた。
一拍もおかず、躊躇なく刃を走らせる。
それに固く縛られていた紐が音もなく落ちると、袋の口が一気に開いた。
「……大丈夫かアニエス?」
そこには小さく縮こまったアニエスが、七色の大きな瞳いっぱいに涙をため、小刻みに震えていた。
「怖かっただろうに……遅くなってすまない。どこか痛かったり、辛くはないか?」
労わるような優しい声で問われ、アニエスはようやく判別できるかできないかの、わずかな声を上げた。
「セオドリック様……」
そして助けに駆けつけた王太子の名を呼ぶ。
「その者たちは、まだ生かしておけ! 色々聞きたいことが山程ある……拷問は死なない程度にな」
「はっ! 仰せのままに」
事は一瞬で終わった。
拘束された男たちを背に、セオドリックは言葉もなくアニエスの前に膝をつく。
震える小さな身体を確かめるように抱き上げると、そのまま迷いなく姫抱きにし、ゆっくりと馬車を降りた。
その腕は、恐ろしいほどに静かで、確かだった。
「アニエス!!」
外にはもう一人。
アニエスの安否を気が気でない様子で待っている人がいる。
「……タニア様!」
「酷いことをされてなくって!? ……何も知らず、何もできなかった無能で愚かな私をどうか許してちょうだい。アニエス!」
「どうして、タニア様がこちらに……?」
「数日前に、貴女が今どうゆう目に合っているかをお兄様から伺いました……。そこから、ずっと犯人が尻尾を出すのを待っていたの。……でも、今日の動きで犯人の目星は付きました。そうよね。お兄様?」
「ああ、……犯人は、私の妃候補だ。行儀見習いの中にいる」
「今日、アニエスとお兄様が接触したその日に、これほど性急な行動。……かなりの焦りが透けて見えますからね。恐らくアニエスを傷つけることで、すべてを壊そうとしたのでしょう」
アニエスはセオドリックの腕の中、ただ黙って二人のやり取りを見つめている。
「セオドリック様もう震えは治まりました。降ろして下さって平気です」
「アニエスそんな……本当に? まだ、顔が青いわ」
「外の空気を吸ったら、だいぶ落ち着いてまいりました」
「いや、だめだ。城まで私が運ぶ」
「ですが。先程のお二人のお話を伺う限り、殿下とは距離を取った方が私は安全ではないかと?」
「……ほっほーう……助けた恩人にその言い草はどうなんだ? 正直いえば君ならあの程度、自分でどうとでもできると思っていたんだがな? ……まさか動けなくなって、あんなに怖がっているとは思いもよらなかったが?」
それにアニエスがバツが悪そうにうっ、と呻いた。
「ははっ……あの……ここは一つ、お恥ずかしい幼少期の話を聞いて下さいませんか?」
それにセオドリックな黙って続きを促す。アニエスは頷くと続けて話した。
「私をひどく嫌ったナニーがおりました。『魔力が無い』というのが主な理由です。……何かあるたび、暗い倉庫の堅い箱に入れられ、鍵をかけられていました」
アニエスはぽつぽつと話す。
「このまま『川に捨てる』、『沼に沈める』、『火をつける』……そういう言葉を、毎日のように聞かされていました。……数えられる程度には、実際そういう目にあったことも」
かすれた声は続く。
「泣いても、謝っても、箱は開きませんでした。今はもう、『暗い場所』も『狭い場所』もそれだけであれば私は平気です。……ただ、その二つが重なると……体が、勝手に止まってしまうのです」
そう言っているうちにも、アニエスの顔は青ざめて、唇まで色を失っている。
「……タニア、今回は大目に見てくれ」
アニエスの過去を聞き終え、セオドリックはそっと彼女を地面に降ろした。
けれど次の瞬間、迷いを振り切るように腕を伸ばし、強く抱き寄せる。
「!!」
「お、お兄様……いったい!?」
「……不安な時や恐怖を感じた時は、人の体温に触れた方が落ち着くように人はできている……。生きている鼓動と温もりに、心をほぐす力があるんだ。……私自身で、効果は立証済みだ」
一瞬、アニエスは突き放すべきか迷った。
だがその言葉には軽さがなく、経験に裏打ちされた誠実さがみえた。
彼女は抵抗しかけた手を、静かに下ろす。
セオドリックの胸に身を預けると、確かな心臓の鼓動と体温が伝わってきた。
恐怖と不安は、まるで砂糖が紅茶に溶けるように、ゆっくりと、しかし確実に消えていく……。
「……震えは止まったな」
そう言って、セオドリックはあっさりと腕を解いた。
アニエスが落ち着きを取り戻したのをよくよく確認してから、犯人の話が再開される。
「……とにかく、アニエスをこれほど苦しめてきた犯人は、厳正に処さねばなりません」
「ああ、被害は彼女一人ではないだろう。おそらくこれまでにも同じように周囲を貶めてきた可能性が高い。再発を防ぐためにも、徹底的に手を打つ必要がある」
言葉が一区切りついた。そのタイミングで……アニエスが静かに口を開いた。
「……あの、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
皆の視線が彼女に集まる。
「処罰について、私なりに考えがあります。もし許されるなら、提案させてください」
「……聞こうか」
「私がこれまで嫌がらせを黙って受けていたのには、理由があります。……最初から、すべて記録を残していたからです」
その言葉に、二人は思わず目を見開いた。
「結果として、良い社会勉強にもなりましたし、必要な情報も十分に揃いました。処罰の方法についても、皆が納得する形をいくつかご用意できると思います。最終的な採用するかどうかは、もちろんお二方のご判断にお任せいたします。私は、その決定に従います」
一拍置いて、アニエスは静かに続けた。
「……ただ、人を徹底的に反省させる方法でしたら、私も相応に心得があります」
その声音は穏やかで、表情も相変わらず可憐だった。
けれど、その微笑は――春の日差しのように見えて、底知れない冷えを孕んでいた。
セオドリックとタニアはしばし無言で向き合い、互いの考えを確かめるように視線を交わした。
やがて、二人は静かに頷き合う。
「……わかりました。善処いたします」
その言葉をもって、アニエスの提案は正式に認められ、罰は然るべき形で執行されることとなったのである。




