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アニエス嬢はご苦労されてます  作者: ちゃ畜
王都の人質になった子供達
16/228

16、標的と加害

※過激な表現あり、食事中の閲覧注意。


「君はそこで、そんな恰好で何をしている!?」


 セオドリックは石膏像が立ち並ぶ廊下で、ひときわ小さな像に気づいた。

 違和感を覚えて見た次の瞬間、思わず息を呑む。

 白金の髪で裸身を覆い、無垢な顔で像と同じ姿勢で佇む――それはアニエスその人。


「…………」


 しかし、セオドリックの問いにアニエスは応えない。


「アニエス嬢、聞こえているだろう。その格好は何だ」

「人違いです」

「……通ると思うのか?」


 必死に白(しら)を切ろうとする本人には悪いが、これを見てほっとくわけにはいかない。

 セオドリックは自分の上着を脱ぎ、アニエスの肩にかけた。


「向こうを向いているから、服のボタンをきちんと全てかけなさい」


 セオドリックは背を向けた。しばらくしてアニエスからOKの合図が出る。


「セオドリック様、こちらを向いて頂いて結構です」


 呼ばれて振り返った瞬間、セオドリックの思考が停止した。

 自分の軍服に長い髪まですっぽりと、サイズ感を完全に見失ったアニエスが、裾から覗く形でちょこんと立っている。


「……なにこれ。反則級にかわいいんだけど」

「へ……?」


 セオドリックはハッとして、ご、ごほん! と咳払いで強引に誤魔化した。


「……それより、なぜ廊下で裸なんだ?」

「湯殿で湯浴みをしておりましたら、気付けばこの状態でして」

「ほほう、……湯殿からだいぶ距離があるが?」

「ええ……ここは西塔のようですね」


 妙に冷静な自己分析のあと、アニエスはぺこりと頭を下げる。

 

「大切なお洋服は、洗ってお返しします! 助けていただき感謝します! それでは!」

「いや、待て!?」

「申し訳ございません。急いでおりますので!!」


 言うが早いか、アニエスの逃げ足は一流だった。


「……ノートンはいるか」

「はい、こちらに」

「……どうやら、噂は本当のようだ」


 実はセオドリックがアニエスを発見したのは偶然ではない。

 セオドリックが得意とする魔法の『探索』をかけ、アニエスを探していたのだ。


 まさか、それでその現場を早々に押さえることになるとは、思いもよらなかったが……。


 そう事の起こりは数日前。


「王太子殿下。こちらロナ公爵家から書状が届いております」

「公爵家から?」


 手紙を読み終えた瞬間、セオドリックの表情が険しく硬いものになった。


「……返事が、ない?」


 低く呟き、紙を握る指に力がこもる。


「アニエスへの書状も、送金も……すべて、音沙汰無しということか?」


 沈黙が落ちる。

 その重さに耐えかねたように、ノートンが一歩前に出た。

 憤りと哀切を宿す瞳で、その胸に手を当てる。


「殿下。……僭越ながら、申し上げたいことがございます」


 覚悟を決めた声音で、ノートンは静かに語り始めた。


 どうやら最近、家来や召使いの間で、アニエスがかなり質の悪い嫌がらせを受けているという噂が、まことしやかに囁かれているというのだ。


 最初は仕事を異常に押し付けられるなどの、新人によくある類のものだけだった。だが……。


 その内その内容は、悪質なものへと変貌していった。


 わざと食事を抜かれる。

 普通は専用業者がする城の全ての御不浄(ごふじょう)の掃除を押し付けられ、ときに彼女の着替えや私物をズタズタに切り刻まれて、捨てられ、隠され、盗まれたりしている。


 ほかにも魔法で小突かれ、イスや足を引っかけて転ばされかけたり……。

 ひどかったのは、階段の途中の段差を一段だけ、魔法で『消去』したことだろう。

 踏み出した瞬間、足場は存在せず、身体は前へ投げ出された。

 これはアニエスだから、まだ受け身を取れたのだ。

 通常なら、大怪我どころでは済まなかった。


 陰口や誹謗中傷の手紙は、日刊紙のように毎日かかさず。

 トイレ掃除をしていれば、狙いすましたように頭上から水が落とされる。

 悪質ではあるが……けれどコレがまだ「嫌がらせ」と呼べる段階だった。


 ――けれど、ある日。


 彼女が取るはずだった、熱々の食事が天井からバーンッと落とされ、アニエスは危うく火傷をしかけたのだ。

 そこには、アニエスの存在を絶対に許さない、強い悪意と意志があった。


 そして、このいじめの極めつきが……。


「アナスタシア様のお世話を……アニエス嬢、お一人に任せていたようです」 

「アナスタシア大叔母様だって!?」


 アナスタシアは先王の弟の妻で、かつて副王妃であった。

 しかし夫である副王が不可解な非業の死を遂げて以来、正気を失い、現在は城の離れで、数名の従者による魔法的な介助を受けながら暮らしている。


「魔法を使える者でも、一人で世話をするのが、かなり難しいという話ではなかったか?」


「どうやら噂だとアニエス嬢に出会った時。アナスタシア様は、……ご自分の出されたもので……その……子供のように、無邪気に遊んでいらっしゃったそうです」


「!?」


 セオドリックは、自分の頭や顔を掻きむしった。


「それを、子供一人に押しつけた!? 冗談ではないぞ……!?」


 セオドリックは、頭の奥から静かに、しかし確実に怒りが噴き上がるのを感じていた。

 彼女はまだあどけなく、十三歳にすらなっていない。

 本来なら、公爵家の令嬢として、花のように、宝物のように扱われるべき少女だ。

 穢れも悪意も知らず、守られ、愛されて育つはずの存在。

 それを……!!


 この仕打ちは、決して許されていいものではないだろう。


「手紙は、おそらく誰かが処分するか、盗み取ったのでしょう。小切手も同封されていたはずです」


「……そこまでの事態が看過されている以上、タニアの耳には入っていないはずだ。すぐに呼べ!」


 呼び出されたタニアは、息を切らして駆けつけた。

 事情を聞くうちに、その顔からみるみる血の気が失われていく。

 そして——。

 アナスタシアの話に及んだ瞬間、タニアはその場に倒れ込んだ。


「タニア様! タニア姫様!」

「……だ、大丈夫……よ……」


 その言葉とは裏腹に、彼女は蒼白だった。


 知らされていなかった……それだけで、この状況の異常さは十分すぎる。


「そんな……。あれほど明るく、健気に振る舞っていたのに……裏では、そんな仕打ちを受けていたなんて……!」


 タニアの胸に、激しい後悔と怒りが込み上げる。


「しかも……もしこれがロナ家の耳に入れば、国が二つに割れてもおかしくないわ。彼らは信義をもって、何より大切な御子を我が国に預けているのよ……それを守れなかっただなんて……!」


 タニアは震えて、自分の肩を抱いた。

 まずは犯人を特定しなければならない……いったい誰が主犯なのか……?


「数日の内に決着をつける……噂の真意も併せてだ。しばらく、アニエスの側に俺の使い魔をうろつかせる。……構わないかタニア?」


「ええ、普段なら反対もしますが、事態は急を要しますから!」


 こうして二人はこの会談の後、さっそく秘密裏に動きだした。



 ――そして数日たった本日、アニエスは裸で、セオドリックに発見されたのだ。


「転移陣も無く……人を一人、王宮の棟をまたいで移動させるなんて、そんな魔法は相手が子供であろうと、本来は一人では行えない」


「そうですね。考えているよりも大人数かもしれません。アニエス嬢のご様子は大丈夫ですか?」


「ああ、今のところは」


「あの、殿下。……分かっているとは思いますが、あくまで『探索』はアニエス嬢の身の安全のためで……着替えなどは決して覗いてはいけませんよ?」


「当たり前だ!? どれだけ私は信用が無いんだ」


 セオドリックは憤慨したが。ノートンはため息をついて額に手を置いた。


「ご自分の胸にお聞きください」


 

 一方その頃、アニエスは度重なる疲労に耐えきれず、ほぼ崩れ落ちる形でベッドに転がり込んでいた。


(もう無理……世界よ……止まれ……)


 髪は乱れ、服は皺だらけ。直す気力はゼロ。

 え、身だしなみ? 知りません!!


(このまま眠れたら最高……)


 ――だけど。


(……でも明日の準備はしていないし……それに今朝、手紙が来ていたじゃない!? エースとアレクサンダーからの!!)


 アニエスは枕に顔を埋めた。


(……休みたい私と、気になる私が戦っている……)


「zzz……」


 ベッドが全力で仕事をしている。

 アニエスの意識は、すでに半分夢の国だ。


「ふはっ!? ……だ、だめだめ……!」


 慌てて跳ね起き、濡れた口元を慌てて拭いながら立ち上がった――その時だ。

 ぐらり、と床が歪む。


「……!?」


 次の瞬間、視界が一気に塞がれ、袋のような暗闇に包まれる。

 驚く暇もなく身体が持ち上げられ、乱暴に運ばれ……すぐに下ろされた。


 床が、動いている。 


 微かな振動とともに、確実にどこかへ向かって運ばれている感覚。

 これは夢ではない。

 その事実だけが、はっきりと胸に落ちて、アニエスはただ恐怖で声も出せなかった。



「……なあ、お前この中身を知っているか?」

「さあな……知らない方が身のためだろ」

「でもこの大きさ……小さい子じゃないかな? 俺、小さい子だあい好き!」

「うわあ、本当に、お前さんは変態だよ!」

 


 いったい、この人たちは何者なのだろう。

 そして、どこへ向かっているのだろう。

 問いは浮かぶのに、狭くて暗いこの空間では、考える余裕すら奪われる。

 ただ、アニエスの胸に込み上げてくるのは、言葉にならない感情。


 怖い。


 怖くて、怖くて、どうしていいか分からない。

 小さく息を吸うたび、胸の奥がぎゅっと縮こまった。けれど……。



「おい、そこの馬車止まれ!!」

「!!」



 アニエスは、馬車でどうやら運ばれていたらしい。

 その馬車が、突然、強引に行く手を塞がれ、ぴたりと止まる。


「あ、あの……私どもは城の御用聞きでして……」 「そうか。では馬車の中を確認させてもらおう。異存はないな?」


 男たちは一瞬、身を強張らせ、反射的に手を動かそうとした。

 ――しかし。


「警告しておく。妙な気は起こすな」

 

 静かな声が続く。


「我々は王太子殿下の親衛隊だ。当然、呪いも魔法も使える。従え――でなければ命の保証は、今この瞬間までだ」


「……ひいっ!!」


 武器に手を伸ばすことすらできず、男たちはただ震え上がった。

 『親衛隊』と『呪い』という単語に、手を上げたまま、息を殺して動けない。


 やがて親衛隊の隊列が静かに割れ、奥から一人の男が前へと出た。

 素早く、軽やかに荷馬車へと跳び乗り、周囲を鋭く見渡した後。

 ――転がされていた麻袋を見つけ、その足を止めた。

 一拍もおかず、躊躇なく刃を走らせる。

 それに固く縛られていた紐が音もなく落ちると、袋の口が一気に開いた。


「……大丈夫かアニエス?」


 そこには小さく縮こまったアニエスが、七色の大きな瞳いっぱいに涙をため、小刻みに震えていた。


「怖かっただろうに……遅くなってすまない。どこか痛かったり、辛くはないか?」


 労わるような優しい声で問われ、アニエスはようやく判別できるかできないかの、わずかな声を上げた。


「セオドリック様……」


 そして助けに駆けつけた王太子の名を呼ぶ。


「その者たちは、まだ生かしておけ! 色々聞きたいことが山程ある……拷問は死なない程度にな」


「はっ! 仰せのままに」


 事は一瞬で終わった。

 拘束された男たちを背に、セオドリックは言葉もなくアニエスの前に膝をつく。


 震える小さな身体を確かめるように抱き上げると、そのまま迷いなく姫抱きにし、ゆっくりと馬車を降りた。

 その腕は、恐ろしいほどに静かで、確かだった。


「アニエス!!」


 外にはもう一人。

 アニエスの安否を気が気でない様子で待っている人がいる。


「……タニア様!」


「酷いことをされてなくって!? ……何も知らず、何もできなかった無能で愚かな私をどうか許してちょうだい。アニエス!」


「どうして、タニア様がこちらに……?」


「数日前に、貴女が今どうゆう目に合っているかをお兄様から伺いました……。そこから、ずっと犯人が尻尾を出すのを待っていたの。……でも、今日の動きで犯人の目星は付きました。そうよね。お兄様?」


「ああ、……犯人は、私の妃候補だ。行儀見習いの中にいる」


「今日、アニエスとお兄様が接触したその日に、これほど性急な行動。……かなりの焦りが透けて見えますからね。恐らくアニエスを傷つけることで、すべてを壊そうとしたのでしょう」


 アニエスはセオドリックの腕の中、ただ黙って二人のやり取りを見つめている。


「セオドリック様もう震えは治まりました。降ろして下さって平気です」


「アニエスそんな……本当に? まだ、顔が青いわ」


「外の空気を吸ったら、だいぶ落ち着いてまいりました」


「いや、だめだ。城まで私が運ぶ」


「ですが。先程のお二人のお話を伺う限り、殿下とは距離を取った方が私は安全ではないかと?」 


「……ほっほーう……助けた恩人にその言い草はどうなんだ? 正直いえば君ならあの程度、自分でどうとでもできると思っていたんだがな? ……まさか動けなくなって、あんなに怖がっているとは思いもよらなかったが?」


 それにアニエスがバツが悪そうにうっ、と呻(うめ)いた。


「ははっ……あの……ここは一つ、お恥ずかしい幼少期の話を聞いて下さいませんか?」


 それにセオドリックな黙って続きを促(うなが)す。アニエスは頷くと続けて話した。


「私をひどく嫌ったナニーがおりました。『魔力が無い』というのが主な理由です。……何かあるたび、暗い倉庫の堅い箱に入れられ、鍵をかけられていました」


 アニエスはぽつぽつと話す。


「このまま『川に捨てる』、『沼に沈める』、『火をつける』……そういう言葉を、毎日のように聞かされていました。……数えられる程度には、実際そういう目にあったことも」


 かすれた声は続く。


 「泣いても、謝っても、箱は開きませんでした。今はもう、『暗い場所』も『狭い場所』もそれだけであれば私は平気です。……ただ、その二つが重なると……体が、勝手に止まってしまうのです」


 そう言っているうちにも、アニエスの顔は青ざめて、唇まで色を失っている。


「……タニア、今回は大目に見てくれ」


 アニエスの過去を聞き終え、セオドリックはそっと彼女を地面に降ろした。

 けれど次の瞬間、迷いを振り切るように腕を伸ばし、強く抱き寄せる。


「!!」


「お、お兄様……いったい!?」


「……不安な時や恐怖を感じた時は、人の体温に触れた方が落ち着くように人はできている……。生きている鼓動と温もりに、心をほぐす力があるんだ。……私自身で、効果は立証済みだ」


 一瞬、アニエスは突き放すべきか迷った。


 だがその言葉には軽さがなく、経験に裏打ちされた誠実さがみえた。

 彼女は抵抗しかけた手を、静かに下ろす。

 セオドリックの胸に身を預けると、確かな心臓の鼓動と体温が伝わってきた。

 恐怖と不安は、まるで砂糖が紅茶に溶けるように、ゆっくりと、しかし確実に消えていく……。


「……震えは止まったな」


 そう言って、セオドリックはあっさりと腕を解いた。

 アニエスが落ち着きを取り戻したのをよくよく確認してから、犯人の話が再開される。


「……とにかく、アニエスをこれほど苦しめてきた犯人は、厳正に処さねばなりません」


「ああ、被害は彼女一人ではないだろう。おそらくこれまでにも同じように周囲を貶めてきた可能性が高い。再発を防ぐためにも、徹底的に手を打つ必要がある」


 言葉が一区切りついた。そのタイミングで……アニエスが静かに口を開いた。


「……あの、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 皆の視線が彼女に集まる。


「処罰について、私なりに考えがあります。もし許されるなら、提案させてください」


「……聞こうか」


「私がこれまで嫌がらせを黙って受けていたのには、理由があります。……最初から、すべて記録を残していたからです」


 その言葉に、二人は思わず目を見開いた。


「結果として、良い社会勉強にもなりましたし、必要な情報も十分に揃いました。処罰の方法についても、皆が納得する形をいくつかご用意できると思います。最終的な採用するかどうかは、もちろんお二方のご判断にお任せいたします。私は、その決定に従います」


 一拍置いて、アニエスは静かに続けた。


「……ただ、人を徹底的に反省させる方法でしたら、私も相応に心得があります」


 その声音は穏やかで、表情も相変わらず可憐だった。

 けれど、その微笑は――春の日差しのように見えて、底知れない冷えを孕んでいた。


 セオドリックとタニアはしばし無言で向き合い、互いの考えを確かめるように視線を交わした。

 やがて、二人は静かに頷き合う。


「……わかりました。善処いたします」


 その言葉をもって、アニエスの提案は正式に認められ、罰は然るべき形で執行されることとなったのである。

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