13、違和感と衝撃の事実 ☆ NEW挿絵あり
王太子セオドリックはその夜、言葉にできない違和感を覚えていた。
理由は分からない。
ただ、内側の歯車がわずかに噛み合っていない――そんな感覚だ。
側近たちはいつもどおり就寝の支度を整え、体調も万全。
むしろ穏やかで、悪くない夜だった。
「気のせいか」
そう結論づけ、着替えを済ませて顔と手を洗い、髪を梳き、肌を整えるなどの一通りを召使いにやってもらう。
全てがいつもの手順どおり。
そのまま寝る前の習慣として本を取ろうと、軽く魔法を使った。
――何も起こらない。
普段なら呼吸するように発動する簡単な浮遊魔法。
それが、二度、三度試しても本を動かさなかった。
「……?」
これは逆に意識しすぎて失敗しているのか。
そう考えかけた、その時。
控えめだが迷いのないノック音が、寝所の扉を打った。
「……こんな遅くに誰だ?」
「私ですお兄様、お休みになる前にどうしても折り入ってお話がございます。どうかお部屋にお入れ下さい」
「タニア? どうしたんだ……まあ、わかった。入室を許可しよう」
「ありがとう存じます」
入ってきたのは、もう寝る時間だというのにしっかり正装に整えたタニアと、その後ろからそろそろと付いて来る、同じく正装したアニエスだった。
「……え?」
「単刀直入に申し上げます。……此度は、私付きの者が、王太子に対する非礼をいたしましたことを深く謝罪したく、不躾にもこんな夜分に訪ねてきたことをどうかお許し下さい……」
続いてタニアに促される形でアニエスが前に出た。
「王太子殿下、先日、私が行った非礼を心より反省し今宵こちらに参上いたしました。どんな刑罰も心してお受けする覚悟です。ですのでどうか、何なりと私に罰をお下しください……」
かしこまった青い顔。
天に向かって弧を描く長く密度の濃い睫毛を震わせるいたいけな少女。
そんな姿にセオドリックは、つい、ほだされる。
「いや、私の方こそ君の気持ちも考えずにひどいことをして怒らせてしまった……。どうか許してほしい」
セオドリックのその返答に、タニアは不思議そうな何とも言えない表情になり、アニエスと顔を少し見合わせてからセオドリックの方を再度、見る。
「……あ、あのお兄様、そう言っていただけて私も喜ばしいのですが、えっ……と……他にお兄様の身で特に何かお変わりはないのでしょうか?」
「……変わったこと?」
タニアは困惑して、アニエスを振り返って、首を傾げながら彼女に静かに尋ねた。
「アニエス……やはり考えすぎで、あなたが言ったようなことは何も起きていないのではなくって?」
するとアニエスはじっとセオドリックを見つめ、すぐにふるふると頭を振って、それを真っ向、否定する。
その様子を見て、タニアはいよいよ言いづらそうに、だが、それでも覚悟を決めて口を開いた。
「お兄様、お願いがございます。……大切なお話があるのでどうか人払いを……!」
タニアがそう必死に懇願する様子にセオドリックはただただ困惑する。
「いったい、そんなに改まって何事だ……?」
だがタニアは胸の前で手を組んで、改めてセオドリックに向け、強く強く願い出た。
「可愛い妹の一生の頼みと思って……お願いいたします!」
セオドリックは訳が解らなかったが、この見かけによらず頑固で、譲れない事にはテコでも動かないタニアが、こうなっては絶対に折れないことは承知していた。
「どうせもう眠るだけだったからな……わかった。私とタニア、タニアの側仕え以外は皆下がりなさい」
部屋にこの三人だけになったのを確認すると、タニアが重い口を開いた。
「お兄様。……さっそくなのですが、簡単なもので構いません。どうか魔法を見せてはいただけませんか?」
それにセオドリックは眉根を寄せ、訝そうに睨む。
「王族の魔法は見せ物じゃないぞ!?」
王族の魔法は国宝なのだ。
一応。
「まあまあ、つべこべ言わずにさあ、どうか、お早く!?」
有無を言わさぬ剣幕でさらにタニアが促される。
しぶしぶとしながらも、セオドリックは意識を集中し始めた。
乗り気ではないが、チラリとアニエスの方に一瞬目配せする。「どうせなら、女の子が好みそうなものにでもするか」と意識下には、そんな下心が働いた。
……だが何故か、これがいつまでたっても、しーんとして何も起こらない。
「いや、えと、すまん、ちょっと雑念があったみたいだ。……待ってくれ」
今度は全意識を一点に集中し、ぐっと力を込める。
だがやはり、しーーーーーーーーん。として本当に何も……何にも起こらない!!
「あの……ちょっとだけ魔方陣を書いてもいい?」
「……どうぞ!」
セオドリックはすぐに魔方陣をバババッと書き上げ、ぱっと手をかざす。
この三つの魔方陣はもはやサインと変わらぬほど目隠ししていたって余裕で書けるし……使用してきた。
けれど案の定、それでも何も起こりはしない。
生まれてきて、今の今までかいたことがない大量の冷や汗を、セオドリックはダラダラと背中に流す。
普段、セオドリックは恐ろしく本番に強いタイプなのだ。
こんな窮地に立たされたことなんて、今までの人生一度も無い!
「……すごいわ!」
「おい、嫌味か!?」
「違うわ! ……お兄様のことではなくって……。アニエス……あなたのそれは本物なのですね!?」
何となく……どんな表情をしているのかを恐ろしくて見ていなかった彼女の顔を、ようやくそこで、セオドリックは横目に一瞬、窺うことが出来た。
だが、そこで目にしたアニエスの顔は、セオドリックより余程ひどい顔色で……。
医者を呼ぼうかと迷うほどだった。
「言い逃れは一切いたしません。……セオドリック様、これが私が貴方様に行った大罪にございます……」
「それは、……どういうことだ?」
「私は、『マジック・キャンセラー』……つまり、相手の魔法を使えなくすることが出来るのです」
「…………」
セオドリックはその言葉があまりに非常識すぎるため、一瞬、理解が追い付つかない。
それは例えるなら「私は、あなたに触れただけで、歩けなくすることが出来るのです!」というくらい、あまりに突拍子もない言葉だった。
いやいやいやいやいや……そんなわけないだろ? と正気を疑うレベルの発言である。
「では、殿下が今どうして魔法が使えないのかを、いかようにご説明いたしますか?」
「意味が解らない。そんな事できるはずが無い……!」
「……では、私が無限の魔力を持つとさえ言われる熾天竜をどのように倒したのか……疑問に思ったことはございませんか?」
「…………」
「魔力と魔法が一切使えなければ、竜は大きな獰猛で賢い獣に過ぎません。まあ、それでも、もちろん厄介なことこの上ないのですが…………相当マシにはなります……。魔力のある者が私に違和感を覚えるように、逆に私も魔力を持つモノを……強く認識できるのです」
アニエスが話出した内容にセオドリックは「正気か?」と思うものの、今でも魔法を使おうと密かにあれこれしているのに、セオドリックは使い魔すら呼べずにいる。
「それもかなり子細に……集中すれば魔力の流れを、地図の道路か人の血管図のように視覚することができます。それで、どことどこが繋がっていて、どう抑えれば、支障をきたせるのか、あるいは拡がるのか……私にはピンときて分かってしまうのです」
セオドリックはかなりの実際家で、ましてやカルトなんて信じない。
だが、現実にこれは起きていて、信じないというのには証拠が揃いすぎていた。
「私には師と呼べる先生がいらっしゃいますが、その先生に教えて頂いた一つに、東の国の『つぼ』という考えがあります。……体には無数の中継地の様な集約点があり、それを押せば健康になったり、体調を整えることが出来るというものです」
ああ、ああ、わかった。――わかったよ!
これが小説だったら何となく面白い設定だったかもしれない……。
けれど、それが自分に降りかかった時に、人はどうなるのか……その実験動物にセオドリックは今まさに選ばれている。
「私は、これをもともと見えていた体の魔法、魔力の流れ……そうですね。ここでは『魔脈』とでも呼んでおきましょう。……それに上手く応用できないかと何度となく実験と試みを繰り返してまいりました。…………そしてついには、相手の魔脈を完璧に封じることさえ、可能にするに至ったのでございます」
「…………」
「本当……改めて聞いても信じられないような、すごいお話よね?」
タニアは先にアニエスから話は聞いていたのか、改めて驚き、頬に手を当ておっとりと感想を述べた。
「私の調べた限りでも前例はありませんでした。……そもそも完璧に魔力の無い人間が、この世界にあまりいないようでございますから……」
「それで、お兄様は治るのかしら?」
「…………時間が経って魔脈に集う中のものたちが壁をのり越えるか………もしくは新たな魔脈を自身の体が作ったならば、再度、魔法はまた使えるようになります。ただ、その……あの、今回はかなり大きな『つぼ』を押したので、早くて一週間……私の知る限りだと……えっと……遅ければ、ニ年以上たっても魔法を使用できません……」
「「…………………………………」」
「実際、私が昔ツボを押してしまった者には二年経っても魔法を全く使用できず、酷く私を恨んで、今もこの命を狙っているようです。……会えていないので、その……詳細までは分からないのですが」
「そ、それは……」
「……! ……!!」
セオドリックはあまりの事の重大さに、無言でうめくように両手で顔を覆った。
「お、お兄様……お気を確かに!」
「ま、魔脈を活発化させる『つぼ』もございます!! ……完全に治すことはできないかもしれませんが、何もしないよりはずっとマシかと……!? 勿論そちらは全身全霊をかけて施術させていただきます!?」
「……ニ年……王族がニ年魔法を使用できないだと……?」
「公務に支障をきたしてしまいますわね……?」
「差し出がましく、口をはさむ無礼をお許しください。そこでなのですが……一時。私の竜をセオドリック様にお預けするのはどうでしょう?」
「えっ! そんなことが可能なのですか?」
「セオドリック様は魔法は使えませんが魔力が無くなったわけではございません。竜と魔方陣があれば、公務は行えるのではないかと…………ただ、私が離れると竜は自然とセオドリック様から剥がれ、私のもとに帰ってきてしまいます。だから、その際は私の同行が必須にはなってきますが……」
「まあ、それなら確かに!!」
「……彼女はタニア付きの行儀見習いだろう? 常に同行は難しいのではないか」
「うふふふ、そこは私が何とか致しますわ。ご安心を!」
「今は私の息の根を止めたいほど、憎く思われると思います。ですが、どうかご自身のためと思い……この生意気で身の程知らずな申し出を受け入れてはくださいませんか?」
「………………」
セオドリックは両手で顔を覆ったまま、何も言わなかった。
その時間はほんの数分のはずだが、アニエスには永遠に思える。
しかしその沈黙を――。
「というかお兄様、やたら悲劇ぶってらっしゃいますけど……お兄様がこのような事態になったのは、もともと自業自得だと、正直、私は思っておりますわよ?」
――その数分の沈黙をタニアはあっさりと破る。
「というか、誰もが思っていたことではないでしょうか。いつかは手痛い目にあうはずだと……? お兄様お分かりなのですか? アニエスは社交界へデビュー前の公爵家からお預かりした大切な、大切な、お嬢さんなのですよ!」
タニアは曇りのない眼で、真っすぐにセオドリックの目を射るように見つめた。
「お兄様の普段の遊び相手のような男女の戯れに慣れて擦れた方々とはそもそもが違います。……それを、事もあろうに王太子ともあろうお方が遊び半分に手を出すなどと……」
いつもはおっとりとした朗らかな深窓の美姫が、この時ばかりは冥府の大王にさえ見える。
「ロナ公爵家の、これまでの多大なる国への忠義に反する行いだとは、お思いになりませんか?」
本当に……何という切れ味だろう。
それは当にメスのような鋭さだった。
「確かに……お兄様の服を勝手に持ち出して使用したり、王宮を無許可に抜け出したり、寄宿学校に忍び込んだのは、叱られても仕方のない行為ではあります」
タニアは無理にアニエスを擁護したりしない。
だが――。
「……ですが、それをご自分の欲望を満たすために利用するのは、『卑怯』というに他ならないのでは? それを感じ取ったからこそ、アニエスも我を忘れて怒ったのでしょう? お兄様……私の意見が何か間違っているのでしたら、どうか今すぐご反論ください。さあ如何かしら!?」
タニアにそう責められ、セオドリックは、うっと息を詰まらせた。
全くもってのド正論中のド正論である。
それは、セオドリックの男心の諸事情やら甘えを、完膚なきまでに粉砕した。
タニアは普段こそ穏やかそのものの……人との争いには無縁な人物だが、さすがは王族に名を連ねる御方だけある。
自分の意見はしっかりと持ち、例え次期国王に対しても、堂々と自分の正しいと思う考えを述べられるのだから……。
「いや、それは……間違ってない。……タニアの言う通りだ」
セオドリックはようやく顔を上げた。
そのまま、アニエスを見る。
「では、この報いは甘んじて受けねばならんな?」
そうして、力無く笑ってみせた。それにアニエスはセオドリックの前にそっと歩み出る。
「ですが、今回はやはりあまりに私がやり過ぎたのです! ……再度お願いいたします。どうかしばらく私を御傍にお置きください……」
「………………」
「お兄様。報いだと思うのならどうかこの申し出を含め、お受けいただきますよう……私からもお願い致しますわ……」
「………………ああ、分かったよ」
「!! ありがとう存じます」
タニアとアニエスはそれを聞いて、手を取り合い飛び上がらんばかりに喜ぶ。
一方セオドリックは、気持ちにまだまだ整理がつかなかったが、これが最善なのだろうと無理やり自分を納得させた。
それにしても……と、チラリと白金髪の少女を見る。
「君のその能力。世間が知ったら常識がひっくり返ることになる……」
アニエスはそれを聞き、顔から笑顔が失われた。
「今まで魔法にそのような対抗策があるだなんて思われていなかった。……魔法を打ち消したい場合さらに強い魔法か、その魔法に属する魔法の弱点……火なら水、闇なら光でしか打ち消せないと考えられている」
それが世界の法則だった。
「呪いで動きを止めるならいざ知らず、魔力が血流のように全身を走っていて、これを封鎖するなど……考えたことすらない!!」
もし、魔法に生涯を捧げてきた専門家が聞いたら、あまりのことに混乱で自分の杖をかじり出すかもしれない……。
「……たぶんほとんどの者が、魔法は魔力を意識し集中することで使えるから、自分の中にフタをした箱のようなものがあり、そこを意識し開けて行うものと考えるか。……あるいは、オーラのように全身をまとっているものを中心に集めるのものなのだと考える人間が実際ほとんどだ」
実際……昔からの慣用句やことわざにも、そう言っているものが多く。
それが世間一般の考え方だ。
アニエスは唇を嚙み、覚悟を決めて尋ねる。
「私の今後の扱いはどのようなものになるのでしょうか? もう、実家に帰ることすら……無くなってしまうのでしょうか……?」
するとセオドリックは頬杖をつきながら、なんてことない様子で答えた。
「いいや? ……なにも変わらないだろう。少なくとも君の今の保護者であるタニアは公表する気はさらさら無いだろうし、させるつもりもない。……だから私にこうして人払いをさせたのだろう?」
アニエスはタニアを振り返った。タニアはニコニコと答える。
「ふふ……ええ、お兄様のおっしゃる通りだわ!」
「不要な混乱を招きかねないからな。……例えば明日から手元にある金が使えなくなる。となったらどれだけの人間がパニックを起こすと思う?」
そう。
魔法には、それほど絶対的な『権力』があった。
「君を『魔力無し』と蔑む人間はいなくなるかもしれないが、逆に異様に恐れたり、変に君を祭り上げる者もあるだろう。国家の基盤が揺らぎかねない。…………このことは今この場にいる私たちだけの秘密する。それでいいか?」
それは為政者としては、当然の判断といえる。
だが、アニエスからすれば、それは奇跡に近いことで……ぱあっと喜びが笑顔へと転じた。
「ありがとう存じます。ありがとう存じます! この御恩は、決して忘れたりしません!!」
「アニエス……良かったですね!」
「はい! あ、あの……私はタニア様に謝らなければなりません。私はこの件に関してお話をすれば……タニア様が私をお嫌いになるだろうと考えておりました! ……ですがタニア様は私が考えるよりも、……ずっっと懐が深く心の大きなお方だった。私の浅はかさをお許しください!!」
「まああっ! それは確かに見くびられたものですわねぇ? ……ですが、許します! ……私たちはまだまだ出会ったばかり、けれど私は何となく……貴方とは一生のお付き合いになる気がしているのですよ?」
タニアは微笑み、優しくアニエスを見つめる。
「だから……ゆっくり知っていけばいいのではないかしら。それは迷惑?」
「!! とんでもございません! これ以上なく嬉しいお言葉に存じます。私はタニア様が大大大好きですから!」
「まあ! 可愛いことをおっしゃいますこと!」
「盛り上がっているところ悪いが、もう今日はこれくらいにしよう。私も明日は早いからな……今後の私の予定は追って連絡する」
「はい、よしなに……!」
「こんな夜分に申し訳ございませんでした! そして、不束者ですが、明日以降より、どうかよろしくお願い致します……!」
アニエスは潤んだ瞳でセオドリックをじっと見つめる。
その瞳にセオドリックの胸がわずかに不整脈を起きた。
「……ああ」
二人が部屋を出ていき、セオドリックはようやく落ち着いて床に着くことができた。
あまりに色々と起こり過ぎる……。
今後、セオドリックが考えねばならないことも山積みだ!
だがそれも睡魔に溶け、セオドリックの意識は遠くなる。
……とりあえずの問題を明日へと預け、今は深い眠りへと落ちるのに、セオドリックはそっと身を任せるのだった。
※タニアのクローゼット 青ドレス




