10、王太子の機嫌と探索
ローゼナタリアの王太子セオドリック。
彼は、その日はとても不機嫌だった。
セオドリックは今現在、八人の人物と親密な仲にある。
その中でも、年若い美しい人妻である貴婦人が今一番親しくしている女性だが、先日軽い言い争いになりそれ以来、音信不通となっていた。
「殿下、だからいつも人妻はお止め下さいと申し上げておりますのに……」
王太子付きの最側近であるノートンが、眉を下げ眉間に皺を寄せる。
「はあ……人妻がこちらの不貞を非難するなんて可笑しい話だとは思わないか? そもそも分かっていて誘ってきたのはあちら側だというのにな?」
セオドリックは、十一歳で女性を知ってから、これまで女性に不自由したことがない。
その地位・財産もさることながら、容姿、実力、魔力サイズどれをとっても申し分なく、老若男女問わず大変モテる。
実のところ興味本位でちょっとだけ男性とも付き合ってみたことがあるが、全然自分の趣味じゃないことを悟り、それからは女性としか付き合っていない。
ただいつも一人では満足できずに、何人かに自分をシェアさせる形になっていた。
「そのうち刺されるか、呪われて死んでしまいますよ? 貴殿は将来、国王になられますのに……」
ノートンはため息をついて気をもむが、セオドリックはそれにフンと鼻で笑ってみせる。
「……だからこそ、今のうちに好きにさせてもらう!」
セオドリックは、世間や国民には優秀で物腰の柔らかい美しい王子としての人気を誇っている。
それはセオドリックの姿絵や劣化版の写真が許可なく多く出回り、その販売業者の利益があまりにも金額的に大きすぎたために、隠しきれず、ついには不敬罪と脱税で捕まったくらいだ。
けれどその理想の姿の裏の顔は、かなり享楽的人物で遊び方も非常に派手である。
だがそのことで国民を裏切っているとは、本人は微塵も思わなかった。
何故なら、実際に国や国民のことを彼は真剣に考えてよく学び、王太子の公務も完璧ににこなした上に休んだこともなく、甘えず怠けたりもしない。
学校でも真面目に振舞い、スキャンダルになりそうなことは早々に対処し始末をつけている。
義務を不足なく果たしているのだから少しくらい自由にして何が悪いのだろうか? それがセオドリックの持論だった。
というかいつもいつも『完璧・誠実・全ては国のため』を求められていることに、彼は結構な不満を抱えている。
そんなセオドリックが、彼女とはもうこれっきりだな……と考えながら食堂に入ると、自分の暗澹たる思いをまるであざ笑うように、やたらと中は盛り上がっていた。
イライラも相まり、ついムカッとしたセオドリックは、らしくもなく、そんな周囲を脅かす。
「いったい何の騒ぎだ!」
生徒達はぎょっとし、ささっとケーキにナイフを入れるみたいに道を開けていく。
セオドリックは我ながら実に幼稚な八つ当たりだとは思うものの……何となく皆の盛り上がる気分を壊してやりたくなってしまったのだ。
彼は今、非常に我が儘な気分だった。
彼女の言葉が蘇る。
「セオドリック様はズルいです。何もかもお持ちなのにこちらには、何も与えては下さらないじゃないですか!?」
……何も与えていないとはどういうことだろう? 何も知らないくせに、彼女は好き勝手に言う。セオドリックは子供のころから何もかもをこの国に捧げてきた。
この大変豊かな国で、何不自由ない貴族である彼女の生活を遠回りにでも、幼い頃からセオドリックはずっと支えてきたはずである。
その努力のために実の母親にすら、年に数度しか会えず、常に努力を怠らないよう、子供のころは激しいまでに言動を監視され続けた。
セオドリックは人だかりの中心に着くとさっそく尋ねた。
「何かあったのか?」
意外なことに騒ぎの中心は新入生だった。
てっきり学校に慣れ、暇をもて余す三・四年生が騒いでいるのだろうと高をくくっていたのだが……珍しく勘が外れたようだ。
王太子という、まだ遠巻きにしか見ていなかった存在を間近にして新入生達は緊張し、まだこれから成長期をむかえる小さな体を強張らせる。
話は聞けた。
だが肝心の原因となる人物はすでに行方をくらませている。なんと逃げ足の速いことだろうか!
(舐めた真似を……私の得意魔法は『探索』だぞ?)
セオドリックは彼等が先ほどまで温めていた席に、不視覚の使い魔を配し、いなくなった者達の匂いを探らせる。
それを五秒程度で完了すると、使い魔にセオドリックの意識の一部だけを乗せ学校食堂の上空、五十四・七ヤード(※約五十メートル)に飛ばして同じ匂いを探した。……そしてそれはあっさりと見つかる。
セオドリックは彼らに向かい、一息に使い魔を飛ばして近づけた。
近づいてみれば、相手の形はおのずとはっきりする。
見つけた対象は新入生の有名人二名と、それからもう一人は制服こそ着ているが……なんと少女だった。
「……んん?」
しかもセオドリックはその少女をあろうことか知っている。
この春に登城してきた、表向きは行儀見習いとして妹のタニア付きになった人質の訳あり令嬢。
初日の挨拶で来て顔もよく覚えている。アニエス・ロナ・チャイルズ・アルテミスティア。
「殿下どうされましたか?」
「いや、意外な人物がいて……悪いが集中するから少し話しかけないでくれ」
音を拾うには、集中力がいるのだ。
アニエスが着ていたのはおそらく昔セオドリックが着ていたもの、どうやらお古をどこかしらから拝借したらしい。
本人はそれで窃盗を疑われると指摘を受けてあわあわと青ざめていた。
……彼女は若干ホームシックにかかっているみたいだった。それで幼馴染の従者と義弟に会いに来たようである。
今は三人それぞれ抱き合って、まるで舞台のワンシーンの様なタイミングになっていた。
その様子を目にして、セオドリックは思いがけずドキッとする。
アニエスはまだ、わずか十二歳の少女のはずなのに……それぞれの少年と抱き合う時に、官能的ともいえる色香がその身体の内側より流れ出ていたからだ。
たぶん本人たちは気付いてもいないが、外から眺めるその姿には確かに艶めかしくも不思議な空気があり……何か鼓動をせわしなくさせるものがある。
セオドリックは一番最初にアニエスから挨拶を受けた時、可愛い子だな……位には思ってはいた。
けれど基本的に精神的にも肉体的にも大人の女性を好むセオドリックは、三か四も下の十二歳の少女にそれ以上の関心を抱くことはなく……。
その時に思ったのは、妹とうまくやってくれたらいいなくらいの感想だった。
けれど今、彼女の様子を眺めていると何故かむくむくと彼女に対する興味が湧いてくる。
セオドリックはフフッと唇の端を上げた。
「ノートン、今回は見なかったことにしようか? 誰しもホームシックはあるからな」
「……宜しいのですか?」
「ああ不問でいい。教師陣にもわざわざ知らせなくていいぞ」
それを聞きエース達の友人等と、この件に関わった上級生は明らかにほっとして息を吐いた。
くるりと踵を返しセオドリックはそのまま食堂を後にする。
それも鼻歌交じりで……。
「殿下。機嫌を直されたようで何よりですが、いったいどういうものをご覧になられたのですか?」
「ああ、仔猫がじゃれついている姿かな」
「はい?」
「その中の一匹を何だか、無性に撫でてみたくなったよ」
そう言いセオドリックは、涼し気な目元に爽やかな黒い笑顔で、艶然と微笑むのであった。




