310 心の奥に響く音
その言葉に、思わずひとつ瞬きをした。
「俺が叶えてやれることは少ない。……だからこそ、実現させられる望みは全て、手段を選ばず遂げさせてやる」
「…………私、は」
小さな頃の光景が、感情と共に浮かんでくる。
『お父さま、お母さま。明日の、わたしの、お誕生日の……!』
『――リーシェ』
『!』
母は真っ直ぐにリーシェを見下ろし、凛とした声音でこう告げた。
『明日はお昼から王城で、皆さまとの会食があるでしょう。直前まで礼儀作法のおさらいをして、帰ったら復習の段取りですよ』
『…………』
『学問の先生方には、時間を変えてお越しいただきます。夕食の時間がいつもより遅くなる分、夜のお勉強は――』
幼かったリーシェは立ち尽くして、ぽつんと返事をしたのである。
『……はい、お母さま……』
(ずっと、誕生日が苦手だった)
それでも今回の人生で、少しだけ好きになることが出来た。
そんな心持ちになれたのも、アルノルトが祝福してくれたからだ。
「……今の私は」
目の前のアルノルトを見上げ、リーシェは微笑む。
「たとえ両親に祝福されなくとも、幸せになることが出来ます。私自身が選んだ人生を、誇りを持って歩める」
「……………………」
そんな思いに、ひとつの疑問もない。
「リーシェ。お前は」
「?」
アルノルトが何か言いかけたものの、小さく息を吐いて口を噤む。
リーシェは首を傾げつつも、心の中で考えた。
(……そう。大切なのは私の両親についてではなく、アルノルト殿下のお父君と、お母君のこと)
アルノルトの過去に大きく根差すのは、間違いなく彼の両親だろう。
(おふたりを知らなければ、アルノルト殿下とは対峙できない。そのためにも、フロレンツィア陛下からの情報が必要だわ)
自身のことを考えている暇なんて、リーシェには無い。
「フロレンツィア陛下がお望みになるものについて、アルノルト殿下にお心当たりはありますか?」
「無いな。接点を持ったことすらも、数えるほどだ」
「……お小さい頃も?」
もう一度、鐘の音が響き渡る。
「昔のことは、それほど覚えていない」
(……まただわ)
アルノルトは膨大な知識を持っており、些細なことすらも記憶している。そんな彼が『覚えていない』と口にするのは、幼かった頃の話を尋ねたときだけだ。
(お母君のことを語るとき、だけではないのね。本当に忘れていらっしゃるのか、あるいは……)
やはり幼い頃に、何か秘密が隠れているのだろうか。
そのことが気に掛かるものの、休憩が長くなってきた。ガーデンパーティの参加者たちが、またリーシェたちに話し掛けたがっているのを感じる。
「リーシェ」
戻るべきだと考えたのを見透かされたのか、アルノルトに小さく名前を呼ばれた。
「この会の後に、時間はあるか」
「はい、もちろんです」
アルノルトにそんな質問をされるのは珍しい。リーシェが首を傾げると、アルノルトは更に意外なことを言った。
「お前に見せたいものがある」
「!」
一体それは、なんだろうか。
「ひょっとして、ローヴァイン閣下からの献上品ですか? 北からの荷馬車がとても多かったので、何が積まれているのか気になっていました」
「そうだな。それも、お前が望むなら立ち会えばいい」
「というと、本題は別のもので……?」
ますます首を傾げたリーシェに、アルノルトが目を伏せる。
「……さあ、なんだろうな」
「……?」
随分と、珍しい返事だった。
アルノルトが本気で隠し事をするのであれば、リーシェには見抜けないように振る舞うはずだ。けれども今のアルノルトは、はっきりと秘密を仄めかしている。
(それでいて)
リーシェは真っ直ぐに、アルノルトの横顔を見詰めた。
(どこか、憂いを帯びていらっしゃるような……)
***
そうして、一時間ほどが経った頃のこと。
(――やっぱり今夜もアルノルト殿下は、私を先に帰してくださった)
ガーデンパーティが終幕となり、アルノルトよりも先に離宮へと向かうリーシェは、ひとりぼっちであることに安堵していた。
(オリヴァーさまはお客さまの応対中。侍女の皆も、今日は早めに退がっているはずだわ)
アルノルトは閉会の少し前に、リーシェだけ会場から抜けるように言ったのだ。それぞれの賓客に挨拶を終えたリーシェは、その言葉に甘えた形である。
(だから今、この離宮にいるのは……)
エントランスの扉を自分で開いて、リーシェはその先の人物を見据えた。
「……あら」
エントランスホールに飾られた百合に混じって、華やかな香水の香りがする。
シャンデリアの灯りの下、こちらを振り返った人物は、妖艶で美しい笑みを浮かべるのだ。
「お帰りなさい。花嫁さん」
想像していた彼女の姿に、リーシェも真っ直ぐ微笑みで返す。
「お会い出来ると思っていました。――フロレンツィア陛下」
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