309 たいへんな作戦
「あ、アルノルト殿下?」
そうかと思えば、指で顎を掬い上げられた。
至近距離で視線が重なって息を呑む。その顔立ち、睫毛の先まで芸術品のような造りをしたアルノルトが、リーシェのことを覗き込んでくるのだ。
「ひわ……っ」
互いの額同士が、こつんと軽く重なった。
「っ、殿下……」
向こうの方で、またざわめきが生まれたのを感じる。リーシェが望んだ通りのはずなのだが、あまりの出来事に心臓が跳ねて、言葉すら上手く継げなくなった。
「……本当に、熱はないんだな?」
アルノルトが目を閉じてそう呟く。こんなに顔が熱ければ、それを疑われるのは無理もないだろう。
「大丈夫、です…………っ、あ!」
リーシェが繋いでみた方の手も、指同士が淡く絡められた。
びっくりして身体を引こうとすると、逃がさないとでも言うかのように、ぐっとまた上を向かされる。
「あの……!」
「?」
リーシェが動揺しているのが、アルノルトにとっては不思議らしい。少しだけ離れて、その青い瞳で見詰めてくる。
「お前のことを、『他人からも見えるように愛でろ』と言った」
「そうなのですが! ……いえ、そのようにお伝えしては、いないような……!?」
自分の言葉にこうも自信がなくなるなんて、アルノルトと対峙している時くらいだ。
どう動いていいか分からないリーシェを導くかのように、アルノルトがリーシェの両手を取った。
「!」
リーシェの手で、アルノルトの頬を包むような形になる。アルノルトは、そんなリーシェの手首を持ったまま、再び額同士を重ねてきた。
(お顔が近い……! 距離だけじゃなくて、殿下のほっぺに触れている所為で、もっと近くて)
心臓の音が、アルノルトにまで伝わっていないだろうか。他にも心配ごとがあり、リーシェは身じろいで抗議した。
「これ、駄目です、殿下」
「なんだ」
開かれたアルノルトの青い瞳を、おずおずと見上げる。
「……角度によっては、キスをしているように見えるかも……」
「――――……」
掠れた声で呟くと、アルノルトは上目遣いにリーシェを見て、当然のような声音でこう言うのだ。
「どうせ、婚儀で見せることになる」
「〜〜〜〜……っ!?」
あまり意識しないようにしていることを、そんなにも容易く示さないでほしい。
「も、もう大丈夫です、アルノルト殿下……!」
「…………」
「十分に、フロレンツィア陛下への『言伝』になったかと! ……心臓の音が、おかしくなって、しまうので……!!」
すると、アルノルトがふっと小さく笑う。
「…………分かった」
「ぷあ……っ」
無意識に抑えていた息を、思いっきり吸い込んだ。
ようやく解放してくれたアルノルトは、浅い呼吸を繰り返すリーシェを前に、揶揄うように言うのだ。
「扇子を持っているなら渡せ。煽いでやる」
「大丈夫です……! これは、暑いのではなくて……!!」
アルノルトが持ってくれていた小さなバッグに、今日は扇子を入れていない。代わりに小箱が隠されているのだが、今はまだ取り出す気になれなかった。
(アルノルト殿下を、よからぬ思惑に利用した罰なんだわ。やっぱり、職権濫用は駄目!)
深呼吸を繰り返して、リーシェはよろよろとアルノルトに告げる。
「ありがとうございました。もう平気ですので、戻りましょう……」
「駄目だ」
「え……」
立ち上がろうとするリーシェの手を、アルノルトが再び握って引き寄せた。
「休めと言っただろう。――ここにいろ」
「…………っ」
そんな風に言われれば、素直に頷いて座るしかない。
大人しくなったリーシェを見て、アルノルトは『それでいい』と言わんばかりの表情だ。辺りは夜の薄闇に浸され始め、虫の鳴く音色が音楽と混じる。
そこに、またひとつ鐘が響いた。
「……この、鐘の音」
心臓の早鐘が落ち着いて来て、リーシェは主城の方を見上げた。
「私が来てから、初めて聴きました。今日は何度か、鳴っていますね」
「…………」
アルノルトもそちらに目を遣った。そうして、こう口にする。
「――あれは、『塔』から鳴っている」
「!」
その言葉がどの塔を意味しているのか、すぐに分かった。
「……どなたが、何故?」
「さあな。定刻に鳴る訳でも、決まった日付に鳴る訳でもないらしい」
青の双眸が、ほんの僅かに眇められる。
「俺も、久し振りに聴いた」
「…………」
美しく透き通った、どこか寂しい鐘の音色が、尾を引くように響き渡った。
(きっと、幼い頃に聴いたことがおありなのだわ)
そのことがなんとなく察せられて、左胸の奥が疼いた。
(アルノルト殿下が暮らした塔には、お義父さまに差し出された妃たちが住まわれていた。アルノルト殿下の母君が、命を落としたのも、あの塔で……)
フロレンツィアの『望んだもの』に正解すれば、リーシェはそこに招かれるらしい。
自害しようとした母の命を、たった九歳のアルノルトが終わらせた場所に。アルノルトがそれを知れば、一体どんな風に思うだろうか。
「…………」
静かに考えている間、アルノルトも『母』を連想したのかもしれない。
「リーシェ」
不意に、こんな質問をされる。
「婚姻の儀に、お前の両親を参列させなくて、本当にいいのか?」
「――――……」
驚いて、ぱちりと瞬きをしてしまった。
「――はい」
首をことんと傾げ、アルノルトの問いに答える。
「両親としては、その形を望むかと」
「…………」
アルノルトは、最初にこの話題が出たときのように、なんだか物言いたげな顔をする。
「ふふ」
「……なんだ」
「テオドール殿下も今日、同じお顔をなさったので」
「…………」
リーシェが気にせず笑うのを見て、アルノルトは溜め息をついた。
「俺と弟の話ではなく、お前と両親の話をしている」
(アルノルト殿下は、私のお父さまとお母さまを、あまり招待したくなさそうなお顔をしていたけれど……)
それなのに、リーシェの家族が参列しない判断をしたと告げたときに、眉根を寄せたのだ。
「とはいえ殿下。国を超えた婚姻において、花嫁の家族は参列しないことが習わしです」
「そんな慣例は、どうとでもなるものだ」
「そ、そうでしょうか?」
婚礼は、クルシェード教においても重要な儀式だ。民の模範たる皇室の人間、それも次期皇帝となるアルノルトの婚儀で、そうした逸脱は好ましくないだろう。
リーシェが内心で考えていると、アルノルトが静かに言った。
「――お前から『招かない』と言ったのであれば、こんなことを尋ねはしない。お前が今後は肉親と関わり合いになりたくなければ、如何なる接触も断絶させる」
「殿下……」
「リーシェ。忘れるな」
アルノルトの手が、リーシェの頭を柔らかく撫でる。
「お前がもっとも尊重するべきは、お前自身の望みだ」
「!」
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