308 不届きな作戦
「……生憎だが」
ザハドが笑い、軽く肩を竦める。
「あいつのことをよく知る婚約者殿を前に、『秘密』というほどの情報は持ち合わせていないな」
「あら。ですが、おふたりは幼馴染なのでしょう?」
微笑みを浮かべたまま、一歩ザハドに歩み寄る。
「幼い頃のお話も、もっともっとお聞きしたいです。なにしろ」
かつて彼の商人だったリーシェは、もちろん知っていた。
「恋い慕うお方の、昔話ですので」
「――――……」
どのような『交渉』を持ち掛ければ、ザハドが興味を示すのかを。
(この場所で深い会話は出来ない。けれど、こうしておけば)
主城からの鐘の音が続いている。深い赤色をしたザハドの双眸が、リーシェのことを見定めている。
砂漠で最も強く、あらゆる国の頂点に立つザハドの眼差しは、太陽の光のような強さを帯びていた。
「……リーシェ殿。俺は……」
ザハドが口を開こうとした、その瞬間だ。
「――アルノルト殿下!」
「!」
リーシェは敢えて空気を切り替え、婚約者のことを呼んだ。
ローヴァインとの会話を切り上げたらしいアルノルトは、こちらに歩いてくる途中だ。そんな彼の方に駆け寄って、ザハドとの『交渉』を中断する。
「ローヴァイン閣下とのお話は、よろしいのですか?」
「……ああ」
リーシェは微笑み、ザハドのことを振り返る。
「アルノルト殿下がいらっしゃらない間、ザハド陛下がお相手をしてくださっていました。……お小さい頃のお話などを、これからして頂く所だったのですが」
「…………」
ザハドは意外そうな表情で、ひとつ瞬きをした。
再びアルノルトを見上げたリーシェは、にこっと微笑んでアルノルトに告げる。
「アルノルト殿下も、ご一緒にお喋りして下さいますか?」
「……そんなことよりも」
アルノルトは僅かに目を細め、再びバッグを預かってくれながらこう言った。
「この辺りで一度、座って休め。会が始まってから、ずっと立ち通しだろう」
「むむ……では、殿下とご一緒でしたら」
「ザハド」
アルノルトは、リーシェの腰を柔らかく抱き寄せて、淡々と尋ねる。
「余計なことは、話していないな」
「……ははっ」
グラスを傾けたザハドが、とても楽しそうに目を眇める。
「もちろんだ。――お前が視察中に俺を放置して消えたことなど、口を滑らせていないから安心しろ」
「その事実が詳らかになったところで、特段なにも問題はないが」
「アルノルト殿下……! 他国の国王陛下を城下に置いていくのは、一応は怒られることですからね……!?」
少なくともオリヴァーには叱られるだろう。そう指摘してみるものの、アルノルトがどうでもよさそうな様子なのは変わらない。
「リーシェ。行くぞ」
「はい。――ザハド陛下」
リーシェは再びザハドに微笑み、意図を込めて告げる。
「また後ほど、改めて」
「……ああ」
アルノルトとザハドのそれぞれから、思惑を隠した視線を向けられた。
だが、それで構わない。
(アルノルト殿下やザハドのことを、完璧に欺けるだなんて思っていない。……それでも)
アルノルトにエスコートをしてもらう中、リーシェは確かめる。
「よろしければ、そちらの長椅子で休憩いたしませんか? 他の方が近くにいらっしゃらないよう、騎士さまが人払いをしてくださるでしょうから」
「もう少し離れた場所の方がいいだろう。この場所では、会場内の衆目に触れる」
「……ひとつ、思惑がありまして」
「思惑?」
アルノルトが思い至らないのも無理はない。
説明はしないまま、リーシェは木製の長椅子に腰を下ろす。アルノルトの袖を引き、隣に座ってもらうように促した。
(次の作戦。……ちゃんと、お客さまたちの注目を受けているわ)
先ほどアルノルトが言った通り、ここはガーデンパーティの会場にした庭園の中である。
隅の方とはいえ、来場者の目には触れている。話し声は聞こえなくとも、リーシェたちが何をしているのか筒抜けだ。
(……職権濫用は駄目、なこと、だけど……!)
目を瞑って覚悟をしたリーシェは、思い切って行動に移す。
「!」
隣に座ったアルノルトの腕に、ぽすんと頭をくっつけた。
「…………っ」
「…………リーシェ?」
集まった人々のどよめきが、かすかに聴こえてきた気がする。
一方で当のアルノルトからは、リーシェを案じる問い掛けが上がった。
「まさか、体調を崩したのか?」
「そ、そうではなく……! 殿下にはまだ、お話できていませんでしたが」
かちこちに緊張しながらも、アルノルトにくっついたまま離れずにいる。顔が赤くなっている自覚はあるが、どうにか説明を試みた。
「フロレンツィア陛下と、駆け引きをしています。……それは私が、この国の皇室に加えていただくにあたって、必要不可欠な過程だと考えておりまして」
「…………」
アルノルトが、小さく息をついた。
「――そんな過程は必要ない。お前が俺の妃になることは、どうあっても覆らない事実だ」
「言ったでしょう? 嫁ぎ先との関係は、花嫁にとっての重要事項ですもの」
フロレンツィアにアルノルトの過去を尋ねているのだという、その事実は口にしない。
(分かっているわ。これはアルノルト殿下への裏切りになり得る、だけど)
凭れ掛かったアルノルトの腕に、思い切ってもっと身を寄せた。
そして、アルノルトに告げる。
「ここにいらっしゃるお客さまの何人かは、フロレンツィア皇后陛下の『ご友人』です」
アルノルトは僅かな笑みを作り、リーシェの問い掛けを肯定した。
「本当に大したものだな。――お前がそこまで把握しているとは、よもや正妃も予想していないだろう」
「皇城に出入りする方々については、僭越ながらも学ばせていただいていますから」
リーシェは時々侍女に扮して、こっそりと使用人の仕事を観察することもある。
(お手紙の仕分けを手伝ったとき、封蝋に捺されていた印もいくつか覚えたわ。あちらの方の家名と一致するし、別のお手紙についてはあちらのお方が)
彼らは驚いた様子でありつつも、リーシェたちに、不躾でない程度の視線を送っていた。
「ご友人の皆さまには、是非ともフロレンツィア陛下に向けて、『婚約者がアルノルト殿下と仲睦まじいようだ』と報告していただきたいのです」
「…………」
(私がアルノルト殿下に嫁いで何をするつもりなのか、関心があるご様子だった。先ほど演練をご見学なさっていたのも、私と殿下の様子を観察するためかもしれないわ)
ですから、と小さく言葉にする。
「こ……これは、おねだりです。アルノルト殿下」
リーシェはぎゅっとアルノルトの手を握り込み、思い切って願う。
「……私とここで、遊んでください……」
「――――……」
本当に、悪妻も甚だしい懇願だ。
恋心を隠し、こんな我が儘を口にするなど、とんでもない裏切りとも言える。それでなくても呆れられるのではないかと、アルノルトを見上げようとしたその瞬間だった。
「!」
アルノルトの、繋いでいなかった方の手が、リーシェの頬に触れる。
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