96驚きすぎて、思考が纏まらない。
急に拓けた視界。
唐突に現れた女性。
そのどちらにも驚かされ、ここが何処なのかなどすっかり忘れてただ言葉を失う。
「お初にお目にかかります。フリアさん、でよろしいですね?」
「あ、は、はい。フリア・バイアーノと申します」
「元気そうでなによりだわ、グレン。わたしの、愛し子」
「――ぁ……」
目の前の女性はグレンに向けて微笑む。
その色はとても優しい。
まるで、長い間慈しみ育ててきたかのような、慈愛に満ちた眼差し。
それを受けて狼狽するグレンが、一歩後退る気配がしたので振り返る。
そして、先程の光景が見間違いではないことを悟る。
広がる空間の中央部分。
そこに巨大なガラス玉のようなものが浮かんでいる。
その中に、“彼”が居る。
目の前の“彼”と、寸分違わぬその姿。
揺蕩う髪の色も、漆黒。
閉じた瞳の奥には、きっと、淡い金色が宿っているに違いない。
そう確信できるほど、“同じ姿”がそこにある。
球体の中の“彼”は、膝を抱えて眠っているようだ。
漆黒の髪のみが、ゆらゆらと広がっている。
「この場所に人が訪れるなんて、この子が生れてから初めてのことよ。わたしは貴方を歓迎するわ」
「あの……、貴方は……」
漆黒の黒髪、黄金の瞳。
現人神の一部であるグレンのことを、“愛し子”と呼ぶ人物。
そして、現人神が“生れてから”今までの時を、生身で過ごせる人物となると答えは自ずと見えてくるのだが……
一応、聞かずにはいられない。
おそらく、たぶん、絶対に、そう、だと思うのだけど……
「わたしは、この子たちの産みの親。きっと、この子たちは憶えていないでしょうけれど」
――物心つく前に、わたしはここに籠もっていたから。
そう優しげに語る彼女はやはり、この国の国母。
現国王陛下のお妃様、その人に違いない。
「え、と……。王妃様はどうしてここに……?」
ここは、“立ち入ることを禁止された場所”
しかし先程の会話と佇まいから、“禁紋”によって強制的に転移させられた私たちとは違い、彼女はとても長い間この場所で過ごしているということがうかがい知れる。
「わたしはこの場所で護っているの。大切な“愛し子”の身が、朽ちることがないように」
「……現人神は、長命ですよね? 現に、現人神は今年で三百の年を過ごされているのでは?」
たしか、王太子殿下が妃候補を集める時期は、生れて三百の時が過ぎてから。
それくらいが、“ちょうどいい”と言われている、らしい。
「ユリエルは、そうね。けれど、グレンは違うもの」
「えーと……、ユリエル様とグレンは、現人神、ですよね?」
二人で一つ、みたいな、そんな感じの。
私の質問に対し、王妃様はゆっくりと首を横に振る。
その動作を見てグレンが息を呑む気配を感じる。
「ユリエルは、現人神で間違いないわ。けれど、グレンは現人神ではない。グレンは人間としてこの世に生を受けたの」
「っ!」
「わたしが産んだのは、二人。神の性質を色濃く受け継ぐユリエルと、人間であるグレン。双子の男児よ」
「――じゃぁ、あれは“俺”なの? ほんとうに、俺の躯?」
「えぇ、そうよグレン。生れてからずっと、ああしてわたしの魔力の中で眠っているわ」
黄金の瞳が、己に向けられる。
彼女は、――母はゆっくりと、こちらに手を伸ばす。
「大きくなったわね。現人神の中に縛る以外に、貴方を生かす方法を見いだせなかった母を、許せとは言え無いわ」
母の掌が、己の頬に触れる。
フリアから触れられるそれとはまた、違った感覚。
“透けている”はずなのに、本当に触れられているように感じるのは、遠い昔の間隔を“躯”が感じているからだろうか。
なにか言わなければとは思うが、意志に反して身体は動かない。
「ずっと、これで良かったのか悩んでいたけれど……。それでも、貴方は自分の意志で“贄”を選ぶことができた。そのことを心から嬉しく思うわ」
「――贄……?」
「えぇ、そうよ。彼女が、そうなのでしょう?」
母はにっこりと微笑みながら、フリアを見遣る。
視線を向けられたフリアは、目を見開き、首を傾げる。
「俺は、フリアと共に生きたいと思った。でも“贄”なんて知らない。俺はフリアと生きるために、可能性を求めてここに来た」
「えぇ、そうね。彼女と命が尽きるまで、この場所で過ごすために来たのよね」
笑顔のまま言葉を紡ぐ母。
話が見えない。
会話が噛み合わない。
“贄”とはなんだ。
そんなの知らない。
「私は、“グレンを目覚めさせろ”と言われてこの場所に送られたのですが……」
狼狽える己の隣に並び、フリアが母にこの場所に来た経緯を説明する。
フリアの言葉を聞いた母の声に、影が差す。
「――あら、それはダメよ。わたしのグレンが死んでしまうじゃない」
そして、フリアに向かって一歩足を踏み出す。
「フリアさん、貴女はわたしの代わりに、この子の魔力の供給源となるの。この子の躯が朽ちてしまわないように。グレンが現人神と同じだけ、生きていられるように」
「私は人間です。王妃様のように、現人神の加護を受けているわけでもありません。一時的にグレンの躯を護る事は出来ても、現人神と同じだけ生きることは、不可能です」
黄金の瞳を見据える、緋色の瞳。
真っ直ぐなその言葉は、“長く生きられない”ことを伝えただけで、“贄となる”ことを否定はしなかった。
“贄”となって、“己の躯”と共に在ることを、否定しなかった。
その想いに心が揺れる。
しかし、それではダメだ。
己は彼女を閉じ込めておきたいわけでは無い。
共に外の世界を歩みたいのだ。
そんな思いを知らないであろう母は、フリアの言葉に笑って答える。
「現人神の加護ならすぐに得られるわ。妃候補に選ばれたフリアさんだもの、難しいことではないわよ。ただ一度、現人神と契りを結べばそれでいいの。そうして“ユリエル”が朽ちるまで、貴女は“グレンの躯”と共に過ごすの。それで、事は解決するでしょう?」
「ダメだっ、そんなのっ! 俺が、嫌だっ! フリアは俺の……、俺だけの――」
俺だけのものだ。
ユリエルに渡したくない。
一瞬だって触れさせたくない。
フリアに触れる事ができるのは、俺だけでありたい。
“躯”が無いなら、しょうが無いと諦めがついたかもしれない。
“現人神の躯”でも、心は己である、と言い聞かせれば耐えられたかもしれない。
けれど今、目の前に在るのだ。
己の躯が。
なのにどうして、その躯を保つためだけにフリアをユリエルに渡さなければいけないのか。
ユリエルに渡すくらいならいっそ、このまま消えてもいいとさえ思える。
けれどこんなことを口走ろうものなら、“フリアの朱”が散ってしまう。
ついさっき、そう、脅されたのだ。
あの目は本気だった。
冗談で、戯けて言っているようにはどうしても見えなかった。
だから、下手なことを口に出すことはできない。
「ははうえ、俺は、あの躯が欲しい。少ししか、いきられなくていい。少しでもいいから、フリアと共に外の世界を歩みたい」
声が震える。
“ダメだ”と言われたら、どうすればいいのだろうか。
そして、“僅かしか生きられない”ことを、フリアはどう思うのだろうか。
“その時”が訪れたらまた、なんとしてでも己を生かそうと彼女が無理をするのだろうか。
彼女に無理をさせるのだろうか。




