95ひとまず現状を整理しようか。
痛い
痛い
痛い
体中を内側から刺されているような痛み。
“奈落の底”での瘴気の渦もキツかったが、あの時は殆ど“正気”ではなかった。
魔力を解放していたため、思考の殆どは“バイアーノ”が占めていて。
荒れ狂う感情を抑えるのに必死で、ここまで痛みを意識する余裕が無かった。
ここ一年で何度も魔力をごっそり無くし、その度補ってきた。
失った魔力を補充する時の痛みは何度も味わってきた。
しかし、やはり“正気”でこの痛みと闘うのはなかなか堪える。
今までは痛みのいくらかをガロンがその身をもって、受けてくれていた。
その護りもない今、これが本来の“受けるべき痛み”
歯を食い縛るも呼吸と共に微かに漏れる呻き声。
――ここで、叫き散らずわけにはいかない
己が望んだのだ。
――彼に消えて欲しくない、と。
それで行動に移した。
だからこれ以上、彼に負い目を与えてはいけない。
己の背にかかるグレンの腕から伝わる温もりを感じながら、瘴気の波に耐える。
大丈夫
大丈夫。
私は未だ先に進める。
もう逢えないと、諦めていた人がここに居る。
目の前に居て、触れる事の出来る場所に居る。
――グレンが、グレンであるならば。
現人神であるユリエル様の中でしか、存在できないのだとしたら。
現人神としてではなく、グレンとしてその人格が存在するのなら。
「――側室としてでも、なんでも、王宮に留まるわよ」
「フリア?」
波が引いていく。
まだ少しクラクラするが、これはきっと魔力の枯渇からくるものではない。
“奈落の底”で、初代様に刺された所為で流した血液の不足故だろう。
必要なことだったとは言え、初代様もなかなか思い切ったことをやってくれたものだ。
「必ず貴方のもとへ向かうから、今は早く帰って」
「――でも……」
「いつまた、消えかかるかもわからない貴方を、このままここに留めておくことはできない。ここが落ち着いたら必ず、王宮に向かうわ」
己を拘束する温もりから一歩、距離を取る。
「現人神の中でも、貴方はグレンなのでしょう? だったら、私は現人神の側室としてでも、王宮に留まるわ。そして、できる限りずっと、グレンの傍に居る」
「――――フリア――……」
グレンの瞳が寂しげに揺れる。
永遠の別れでもあるまいし、そんな顔されると困るのだけど。
“常夜の森”を片付けて、領地の事を色々と引き継いで、私が身一つになるまでそんなに時間はかからないはず。
今後やるべきことを並べ、所要時間を計算していると突然、背後に転移魔術の陣が現れる。
「やっと着きましたわ! フリア様お久しぶりです。突然ですが、時間がありませんので手短にお伝え致しますわね!」
「ルイーザ様っ!?」
転移魔術で現れたのは、ルイーザ嬢。
たしかに、ルイーザ嬢であれば転移魔術くらいは使えるのだろうが、“常夜の森”まで訪れるとはなにかあったのだろうか
リカルダ嬢がやむを得ない事情を抱えて一人、“常夜の森”までやって来たように、彼女もなにか急を要する問題を携えてきたのだろうか。
「シエル様、少しお手伝いをお願い致します」
「? うん、」
見覚えのあるコートを羽織ったルイーザ嬢は、シエルに向かって手招きをする。
少し離れた場所で、徐々に現れつつある魔獣の相手をしていたシエルが呼ばれてやって来る。
瘴気がそれなりに薄くなったことで、魔獣が発生する間隔は格段に長くなっている。
一度に現れる魔獣の数も少数で、通常のものと比べると弱体化している。
この調子なら“常夜の森”も近い将来、消滅していくだろう。
「今から転移魔術でグレン様のもとへむかっていただきます」
「えっ、ちょっと待って、グレンなら……」
――ここに。
そう思って視線を巡らせると、困惑の表情を浮かべるグレンと視線が交わる。
「お父様から伝令が参りましたの。“フリア様が王宮を発たれた”と。そして、“フリア様が望むのは、グレン様であり、ユリエル様ではない”とも」
そう言って、彼女はこちらに歩みを進める
「近衛魔術師は古より現人神に忠誠を誓い、現人神のためにのみ魔術を使用して参りました。しかし今回、我が父、我が一族はその掟を破る決断をいたしました」
「――それは、不味いのでは……」
王族に刃向かうなど、死活問題だ。
古来から続く近衛魔術師であれば、なおさら。
「父も、我が一族も“現人神”から私を救ってくださった“フリア様”の願いを叶えることにしたのです。たとえ後に罰されようと、この決断を後悔することはありません。ですので、フリア様が気に病むことは何一つございませんわ」
ピタリ、目の前で止まったルイーザ嬢は、懐から手紙のようなものを取り出した。
「お父様から座標を授かりましたが、私一人の魔力では“護り”を突破することが難しいのです。ですのでシエル様。お力をお貸しください」
「僕にはあまり魔力は無いけど、それでもいいの?」
ルイーザ嬢から差し出された手を取りながら、シエルが首を傾げる。
「問題ありません。シエル様を通してフリア様の魔力も拝借致します。それで事足りるはずですわ」
そう言うと、一枚の紙を宙に放り投げる。
魔力を拝借されたり、現地に飛ばされるであろう本人の意思確認は必要では無いのだろうか、などと考えるのは野暮というものだろうか。
私が何を言ったところで受け入れることは無いといった意思表示だと受け止めたほうがよさそうである。
――私の精神衛生上。
宙を舞う紙には転移魔術の陣が描かれている。
その複雑な文様が、ゆるりと紅い輝きを放つ。
「なっ、紅の禁紋!?」
「聞いた事無いわ、それは何?」
隣で息を呑むグレンに問いかける。
「“立ち入ることを禁止された場所”に転移するための“禁術の紋”」
「ちょ、それ危険な場所じゃ……!!」
“禁じられた場所”に繋がる術を使うというのは、かなり危険だ。
魔力的にもそうかもしれないが、それよりもっと現実的に国家が黙ってはいないだろう。
たくさんの人を危険に曝してまで、己の叶えたい願いに手を伸ばすなんて……!
「たまには我が儘を通しても、問題ない。領地のことは、俺がなんとか纏めておく。安心して行ってこい」
「ここの魔獣は僕達に任せておいて! これくらい僕達四人で軽いから!」
「フリア様、ご武運を!」
「フリア様なら、きっと大丈夫です。フリア様の力で、“グレン様”の目を覚まして差し上げてくださいませ!」
徐々に、視界がぼやけていく。
見送るみんなの顔が薄れていく。
ルイーザ嬢の言葉が、頭の中で反響する。
“グレンの目を覚ませ”
とは、どういう事なのだろうか。
隣で浮かぶ彼を見遣る。
グレンは、ここに居る。
それなのに、目を覚ませとは……。
「――ここが目的地?」
「――みたいだね。窓は無いし周りは全部石壁。なにこれ、下手な牢よりしっかりした閉鎖空間だよ」
降り立った場所は、陽の光など入らない石壁に囲まれた空間。
天上や壁に、魔力に反応して光るランプがあるらしく空間を淡く照らしている。
見渡す限り、辺り一面同じ風景。
ここで何をすればいいのか、さっぱりわからない。
“禁じられた場所”と呼ばれるくらいだ。
なにかしら仕掛けがあるはず。何も無いと言うことはないだろう。
「とにかく、色々探してみる?」
「えぇそうね。なにか見つかるかもしれないし」
グレンと共に、近くの石壁を沿って歩く。
ランプは魔力が近ければ近い程明るく光る仕組みになっているらしく、壁に寄ればその周囲がとても明るくなる。
「ねぇ、フリア。さっきのことなんだけどさ」
「うん? さっきのこと?」
壁を観察しながら探索していると、不意にグレンが話題を振ってくる。
「現人神の側室になってもいい、ってやつ」
「あぁあれね。うん、私はそれでいいわ。だってグレンがきちんと、一人として存在しているのなら、私はグレンの傍にいたいもの」
「俺はさぁ、嫌なんだけど」
「っ、どうして? やっぱり、迷惑かしら……」
一度、断った申し出だ。
今更受けるといっても、迷惑だっただろうか。
「まぁ、これは俺の我が儘なんだけどさ……」
「――グレンの我が儘?」
首を傾げると、前を歩くグレンがふわりと浮き上がって己の背に回る。
そして、後ろから首に腕を回し肩に顎を乗せる体勢でゆらゆら浮いている。
「ちょ、グレン!?」
「だって中身は俺でも、フリアに触れるのは見た目が俺の現人神なんだよ? 今みたいに、“俺”がフリアに触れられない」
「っ!?」
耳元で囁かれる内容に、一瞬で体温が上昇する。
「あ、フリア見て。壁になんかある」
「――そ、そうね……。鍵、かしら……」
鼓動が速い。
それを気取られないように、示された部分へ意識を向ける。
「っ、痛っ!」
「フリア、どうしたっ!?」
「うぅん、たいしたことじゃ無いわ。ちょっと、なんだかチクっとしただけ……」
そう言いつつ痛みが走った指先を確認する。
見ると、綺麗にス、と切れておりゆるゆると朱が流れている。
思ったより、深く切ってしまったのだろうか。
でもまぁ、指先だから出血量と傷は比例しないはず。
放っておけば治るだろう。
「フリア、治す」
「いいわ、すぐ止まると思うし。今はグレンに魔力を消費して欲しくは無いの。今すぐにもう一度、あの量の魔力を必要になられたら、さすがに正直キツいわよ」
私の言葉に押し黙るグレン。
己が置かれている状況を、しっかり理解してくれて何よりである。
「あら? ここに、こんな色石なんてあったかしら……」
先程触れようとしたところに、ごく僅かだが紅く輝く石が嵌め込まれている。
今の今まで気がつかなかった。
なんて、のんきに構えていたら突然、目の前が拓けた。
いや、正確には、石壁だと思っていた場所が綺麗さっぱり消え去ったのだ。
音も無く、一瞬で。
「っ! フリア、あれっ!」
「っ、グレンっ!?」
グレンの声につられて、指差された方を見る。
そこに広がる、想像を超える光景に言葉が出ない。
「ようこそいらっしゃいました」
背後からの声に、振り返る。
そこには、漆黒の髪を揺らす女性が、黄金の瞳でこちらを見据え佇んでいた。




