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書き直しというよりも、情報を補完するための新章の挿入、という作業になります。
『忍び寄る影』はこの挿入作業終了後に、適宜改稿して復活いたします。
展開の勇み足感がぬぐえなかった作者のわがままですので、ご迷惑をおかけいたしますが、確実に面白くなるとは思いますので、生暖かくお見守り下さいますよう伏してお願い申し上げます。
8/24
いろいろとご意見をいただいたので、大改稿一発目と言うこともあり、検討していろいろと引き締めました。ほとんど書き直しです。
密かなカイの谷通いが始まった。
一日とて我慢できないカイは毎晩のように夜暗くなってから村を抜け出し、50ユルドのかなたにある麗しの谷にやってくる。
「…この谷はいい」
谷にやってくるたびに飽きもせず土地神の墓石を洗い、周りに落ちたゴミを掃き清めてから熱心に祈りを捧げる。そうしてしばらく谷の静かな空気を寝転がって堪能してから、たいていはそのとき思いついた何かを気侭に実行に移した。
最近のカイのなかでの流行は、マイホーム建築の土地探しだった。ここ数日はもっぱら谷底の土地の探検を行っている。
差し渡し300ユルほどの円形である谷底の土地は、むろんそこまで広くはないものの、カイひとりが個人スペースとして専有する分には十分以上……どころか広大と言ってさえいい面積がある。
すでに何ヶ所もお気に入りの場所を見付けていた。
岩肌から清水が湧いている小さな洞窟に、小さな蟹がたくさんいる細い沢。角ばった岩がたくさん露出するごつごつした丘。
洞窟には『西の水洞』、その水が流れる沢には『蟹の沢』、丘には『岩跳びの丘』という名前をつけた。はっきり言って彼にネーミングセンスはない。
(あの『島』なんか、面白そうだな)
谷底の3分の1ほどを占めている湖の岸から少し離れたところには洲のように草かと木が生えた場所があり、ぎりぎり小屋ぐらいなら建てられそうな広さもあった。
水気が多いのが少々難点ではあるが。高床式、という家の作り方もあるらしい。
森を一周して土地神の墓まで戻ってきたときには、カイの両手にこぼれるほどの『収穫』が抱えられている。
断崖で隔てられていたからなのかは分からないのだけれども、木の実や山菜、きのこ類などが恐ろしいほどに豊富な森でもあるのだ。
小さい赤い実をつけた山林檎の群生を見つけたときには、それを独り占めしていることに罪悪感を覚えるほどだった。山林檎は亜人族の侵入が活発になって以来、なかなか村人の口に入らなくなった貴重な森の甘味のひとつだった。
山林檎を行儀悪くしゃくしゃくと食べながら、墓石の前に坐り込む。
(…どこに小屋を作るにしても、まずは材料を集めないと始まらないなー)
森の探索は、その材料探しも並行して行っている。
が、残念ながら材木取りに使えるような良材はいまのところ見つかってはいない。谷底の森は、典型的な広葉樹林だったのだ。
(コーヨージュリンだとまんま使える材木はなかなかないらしいしなー)
前世の記憶を参照しても、特殊な植生を見せている谷底での材料確保は難しいだろうという結論に達さざるを得ない。
カイにはまだ難しいことは分かりかねるのだが、厳しい冬季がやってくる辺土のこの一帯は、本来ならば針葉樹林の極相を形成していてしかるべきなのだが、なぜかここの谷底だけは土地に気候にそぐわない別世界となっているらしい。
カイは現時点でその材木集めに悲観しているわけではない。材木など、谷の外にいけばいくらでもよさそうなのが自生している。
大昔から変わらない辺土の森は、良材とされるバレン杉の大木がいたるところに生えていて、人族の集落などではそれを切り出して家を建てることが多かった。
(上へ行って、湖に切って落とせばいいか)
カイはその日も曇りひとつない星空を見上げて、月の位置から朝までまだいくらか時間が残されていることを知る。
善は急げとばかりにカイは断崖をするすると登り、豚人に殺されそうになったあたりの斜面から木を見繕い出す。谷に落すのなら近場のほうが手間がかからないと思ったわけだが、内なる知識が「谷が崩れる」と制止するので、仕方なくもう少し離れた場所へと行く。
木の根っこが土を掴んでがけ崩れを止めてくれるとは、不思議なことを考えるものである。
斜面を登りきると、一帯は下生えの生い茂ったほとんど手つかずの森林となる。少し見渡しただけで綺麗に伸びたバレン杉がいくつも目に入った。
「よーし、一本目はこいつにするか」
あんまりにも太い大木は狙わない。
製材に手間がかかるし、なにより木として年寄りの部類に入るそんな古木を無碍に切り倒すのは、なんだか憚られたのだ。
むろんカイは無手である。切り取り用のナイフぐらいは持参しているものの、当然のことながら木を切り倒すような使い方にはまったく向いていない。
(魔法でやってみるか)
思案しつつ、アプローチ方法を検討する。
加護を得て総量の増えた霊力があるから、もう少しは無茶な魔法が使えるようになっているはずである。前世知識から思う付くままに知識を取り出していく。
水やら風やら使って物を切る発想があるらしく、ものは試しとひとつひとつ実際にやってみる。
カマイタチの原理だと言う『ういんどかったー』は、そもそも旋風をイメージで形成することに難しさがあった。空気を『押せ』ば風になるだろうという安直な発想は、わずかなそよ風を生むだけで予想外の霊力を浪費してしまった。
『圧力』というものを掛けてすごい勢いで水を出すと、刃のように物が切れるという『うぉーたーかったー』は、そもそも何もないところから大量の水を呼び出すというあたりで、論外であった。
『ひーとかったー』は森が火事になるかもと試す前から除外している。
そうして悩んだ末にカイのなかの何者かが到達した結論は……『火魔法』が単純な物理法則ではなかった、という気付きを踏み台にして……『魔法』とは純粋な概念でも具象化できる力なのではないかと仮定した、概念武器というものだった。
想像したのは、光る剣だった。『物を切る』という『現象に特化』する魔法なのだそうだ。
(この木を叩き切る……光の刃が『ぶんし』の間にすべり込む)
光の切っ先は分子結晶にたやすく割り込んでいき、ファンデルワールス力と呼ばれる分子間の引力を強引に引き剥がしていく。
魔法をまとわせたのは、おのれの手刀の先だった。
『光る剣』の現界時間は何度かモーションを試してみて、3秒とする。秒という概念はすでに魔法実験の折にカイも共有している。
何でも切れる光の刃と、念じる。
振りかぶった腕にそのイメージをまとわりつかせる。
迅速に、効果時間内に振りぬく。
振りぬいたあとにすぐさま魔力の元栓を締める。
決めた動作を一連のものとして行う。
その所要時間がだいたい3秒と見積もったのだ。
『加護持ち』としての頑強さをすでにおのがものとしているカイに、魔法が失敗して手を傷めるという恐怖心はない。魔法を使っているという熱感を手の辺りに覚えただけで、すでに躊躇なく振り抜きにいっている。
すぱっ、と。
ほとんど抵抗もなく、カイの手は木の幹の中ほどまで食い込んだ。正確に言うなら、手刀の形にした手が泥の塊に突っ込んだようにめり込んでいた。
(うえ…?)
手先のぬるりとした気味の悪い感触に、あわてて切るのを止めてすっぽ抜く。手の形にえぐれた杉の木が、束の間おのれの強度で自立していたものの、待つほどのこともなくえぐれた側に傾ぎ始め、自重でばきばきと音を立てながら倒れていく。
カイはほかの古木と比べて若木なのを選んだつもりであったのだが、それでも森では大きい部類に入る木ではあったので、倒したときの音は尋常なものではなかった。
周辺の木を道連れにへし折り、倒れで弾んだときには地響きまで起こってしまった。
眠っていた鳥たちがぎゃあぎゃあと騒いで空へと羽ばたき、少し遅れて獣の遠吠えがいくつも起こった。真夜中にこれほどの安眠妨害もなかったろう。
要領を掴んだカイがそのあたりの配慮を欠いたまま、2本、3本と切り倒しては谷底に蹴落としていったのであったが……彼の作業はそこで一端の休止へと追い込まれることとなる。
「…ンガッ、フシュルルル…!」
気が付いた時には、周囲を亜人種族に囲まれていた。
夜目の利くカイであるからこそ、その正体がすぐに知れた。
(蜥蜴人族…!)
森のなかの低湿地の住人、長い尻尾と鋭い牙、そして石のように固い体皮を持つ水陸両生の種族だった。
谷の周りには、豚人族たちに誘いこまれた低湿地が結構広がっていて、気を付けていないと彼らのテリトリーに不用意に足を踏み入れてしまうことになる。
谷に行き来する時は十分にそのあたりを気にかけていたカイであったが、木を倒すことに夢中になっていたためにご近所迷惑に気付くのが遅れてしまったようだった。
その長い首から発される独特の音が、おそらくは彼らの会話なのであろうが、むろんカイにはさっぱりわからない。
ただ文句を言われていることだけは明白だった。
当然のことながらいまカイが伐採をしている場所は低湿地の中ではない。蜥蜴人たちが音に気付いて水辺から上がってきていたりする。
「わるい。うるさくしてしまったか」
「…クルゥゥゥ」
このあたりは知的生命体同士、相手の雰囲気からおもんばかるというコミュニケーション能力を発揮して、なんとなく会話が成立してしまう。
カイは見るからに人族であったが、蜥蜴人たちはそのことには特にこだわりを見せず、好戦性を見せてはいない。
彼らの中からひとまわりは大きい個体がのっしのっしとあらわれて、四つん這いから後ろ脚立ちになった。体の巨大さから言ったら豚人のほうが量感はあるが、その肉体が秘めた暴力は蜥蜴人のほうが数段上に見える。槍とかも簡単には受け付けないそのごつごつした体皮を目にしただけで、普通の人族ならば小便をちびったことだろう。
明らかに蜥蜴人の『加護持ち』だった。
背中のとげとげがほかの個体よりも鋭く、牙も大きい。なにより色が赤マダラで、それが人族で言う『隈取り』なのだとすぐにカイも察した。
「…見ナレヌガ、紛レモナク『チカラアル者』ラシイ。ヒトニ似タ者ヨ」
「悪気はなかった。静かにしておく」
「コノトコロヨク、オマエ、見カケル」
「…ここの谷に住むことにしたからな」
「…谷、ダト?」
そこまで言ったときに、蜥蜴人たちが急にざわざわと落ち着きをなくした。
「谷に住んでる?」「馬鹿を言え」みたいなことを言っているのだと分かった。
蜥蜴人の『加護持ち』の個体が言った。
「…アノ谷ニハ、恐ロシイ神ガ棲ム。近付イタ者ハ、ミナ殺サレル」
様子がおかしいものだから、カイはいぶかしみつつもおのれが確認した事実の一部を投げ入れる。
「神様? んなのが谷にいるのか?」
「ソウダ」
「なんもいなかったぞ。中を歩き回ったしな」
「中ヲ歩キ回ッタノカ!?」
ざわめきがさらに大きくなる。
いよいよわけが分からなくなったカイが戸惑っていると、何かの天啓を受けたように『加護持ち』個体が呆然と身体を伸び上がらせた。シャッターのような瞼を瞬きし、切れ切れに呟いた。
「…マサカ……***ガ死ンデイタノカ」
ぶるり、と赤い蜥蜴人がその身を震わせたのだった。