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用意していた更新分を没にして書き殴っている間に寝落ちしてました(笑)
日間1位になっていました。
ありがとうございます。初めてだったりします。
少年は、そのとき鳥の声を聞いた気がした。
殷々と響いたその鳴き声は、遥か頭上からはっきりと少年の耳朶に届いていた。
(…あっ?)
カイは畑仕事の手を止めて、見上げた底の抜けたような青空に鳴き声の主を探した。雲の少ないこの季節の空は、ふくらかにきらきらと青く輝いている。
あまりにはっきりと聞こえた鳴き声であったので、すぐ近くにその鳥はいるものと信じたカイは、目を凝らしつつその姿を探す。
が、見つからない。
「カイ」
近くで家畜の糞を鋤き込んでいた仲間に叱られて、カイはぼんやりとしたまま意識を地上へと戻した。そんな彼をからかうように、また鳥が鳴いた。
「あんまボーっとしてんじゃねえぞ、カイ!」
鳥は見つからない。
わけが分からないのだけれども、その理由をカイはぐるぐると考え続けた。
そうしてある記憶が意外なところで琴線に触れた。
(…ああ、そうか、谷で聞いた鳥の声だ)
もともと木々の少ない辺土の平原に、鳥の類は少ない。
この声は森に住むような鳥たちの声だった。
その瞬間、ぶるりと全身におののきが走った。
(…谷に行きたい)
ほとんど衝動的にそう考えて、いてもたってもいられなくなった。興奮に全身の毛が逆立った。
「おい、カイ。いい加減にしねえと…」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「ちょっ、カイ!?」
思っても、つましい生活を支えるために続いている村人に課せられた労役を放り出すわけにはいかなかった。カイは高ぶった気持ちを手にした鋤に託して、種まき前の硬くなった麦畑の土を一気に掘り返しまくった。
本来ならば牛などに曳かせるきつい仕事なのだが、ラグ村には農耕にまわせるほどの牛の数がいない。たいていは人がぼやきながら時間をかけて耕していた。
その仕事を、小柄なカイがどんどんとこなしていく。
慌てて仲間たちもその後を追おうと奮闘するものの、明らかに馬力の違うカイに追いつけない。
「待てッ、落ち着けカイ」
「どんだけ急に成長してんだよ!」
そのやり取りを見て近くの畑で同じ作業をしている男たちがげらげらと笑い、雑草をもいでいた女たちが興味を引かれたように顔を向けてくる。きつい仕事が一部の頑張りではかが進むのなら、誰も文句は言わない。むしろもっとやれとはやし立ててくる。
カイはさっさと目の前の仕事を終らせれば、自由な時間が持てるのではないかとうっすら考えているのだが、実際は全体の進捗を早めているだけで彼個人の休みなど与えられるはずもなかった。
結局奮闘し続けたカイの努力によって、その日の畑作業は何割も多めに終った。カイに与えられたのは村人たちからのねぎらいと感謝の言葉のみだったが、とくに不満もなく得意げに鼻を鳴らすカイ。
バーニャ村のいくさから帰ってきてから、カイが示した驚くべき成長に皆が驚いていた。
いろいろな場所で垣間見せるようになったカイの怪力は、なんの議論の余地もなく『神石を多食した三日大夫』(※大夫とは昔あった武官職の名称)だろうといわれ、現に本人から聴取した結果、行方不明になっていたその一昼夜に、森で倒れていた敵の死体からいくつも『神石』を取り出して、命を繋ぐために必死になって成長を図った経緯が明らかとなっていた。
誰しも敵中で味方を見失ってさ迷えば、同様のチャンスがあれば同じことを試みるであろう。本来ならば一個人が貴重な『神石』を独り占めにするのは誉められたものではなかったが、心情を理解することもできたので、特に咎められることもなくカイは急成長を果たした有望株として村では受け止められるようになった。
この畑仕事のときもそうなのだが、実際に女たちからもカイは熱視線を集めつつあった。見込みのある男は、そうして他から少しでも抜きんでることで、女たちの『結婚相手候補』としてリストアップの栄誉をうけることとなる。
異性たちの視線を気にしているほかの仲間たちとは違い、まだ13になったばかりのカイには色気よりも食い気だったりするのだが。
残念ながら、そっち方面での地合いの変化に、本人はまったく気づいてさえいなかった。
そうして午後の兵士としての訓練も、カイにとってがらりと雰囲気が変わり始めていた。
カイが戦場で『神石』の乱捕りに成功して、体力が急成長したことはもう兵士たちの間では周知の事実となっている。そして前世記憶による思慮深さを手に入れていたとしてもカイはやはり中二病真っ盛りの年頃でもあり、彼自身おのれの力が他者から評価されることに喜びを感じないわけでもなかった。
全員そろっての槍の調練でも、カイの振るそれは鋭さを増しており、一動作ごとに風鳴りを起こすほどの力強さがあった。
ゆえにそれは上位者の目にもすぐに止まり、兵士の中でもかなり手練れなバスコやセッタの直接の指導などを呼び込んだ。カイの班のリーダーはむろんマンソであり、5歳年長である以上に抜け目なくおのれの力を蓄えてきた彼が、現状の班でももっとも強かった。そのマンソとツートップみたいな扱いとなっていた。
「…あっという間に追いつかれたな!」
「もう、森で置いてかれるなんてことにはならねえし!」
「ありゃぁ……なんだ、しかたのねえことだった。悪かった」
「別に恨んだりなんかしてねえよ!」
激しい組み打ちの最中も、息切れもせず平然と会話を交わすようになった。組み打ちの相手も、釣り合うことからマンソとやり合うことが多くなった。
実際は班内で浮きそうになっているカイをマンソが敢えて指名することでバランスを取っているのだが、カイにはそのあたりの配慮は分からない。が、調子に乗っている反面、思慮深くブレーキもかけているもう一人のカイがいる。マンソの『立場』というものをに配慮して、彼もまた自然に一歩引いていた。
班内ではナンバー2、マンソと比べれば実力的には一歩退く、という立ち位置をカイはよい塩梅だと思っていた。
それはラグ村の雑兵の中で、上から数えた方が早い『中堅上位』といったポジションであり、兵士としての実力としてはほどほどなのだが、兵役に就いてまだ1年ほどの若造としてみれば破格の急成長であると言えた。
そうして彼の人的価値の高まりは、食事時にも歴然とした変化をもたらしていた。
「…はい、お腹いっぱい食べてね」
「………」
夕食前の配膳に並んだ時に、カイは差し出した木の皿に具がかなり多めのスープをよそわれて、瞬きしたのだった。
茹でプリット(アスパラ)も心持ち多めによそわれた。
ごくりと唾を飲み込みつつ、よそってくれた相手を見ると、そこには3、4歳年上ぐらいのぽっちゃりした感じの女の子がにこにこと愛想笑いしていた。
けっして美人ではないものの、他の盛りのついた仲間たちならば尻尾を振って飛びつきそうな十人並のかわいい子である。
「…おい」
「早くいけよカイ」
なぜか乱暴に背中を押されてその場を離れることになったのだが、娘さんはこっちの方をじいっと見送りながら、最後にはくすぐったくなるような笑みを送ってきた。
また急に背中に肘が当たったり脛を蹴飛ばされたりしたのだが、もうわけがわからなかった。
「…春が来たじゃねえか、カイ」
隣に座ったマンソを見、その皿に盛られた量を冷静に検分する。
いままで気づかなかったのだけれども、マンソの食事量ってほかのやつらよりも若干多いのか?
にやりと笑いつつ澄まし顔で食事開始を待つマンソを見て、なるほど、腹ペコのガキに岩苺を投げてよこす精神的な余裕はここからきているのか、と理解したのだった。マンソも女たちから優遇されているのだ。
食事前の祈りが始まり、カイは聖句を唱えているご当主様のほうを見る。
そこでたっぷりとした食事を保証されている領主一族を見、いつか自分もあのぐらい食べられるようになると心に決める。
それはもう今となっては、実現不可能な難事であるとは思えなかった。
「…そして父祖伝来の土地にいまし、雄雄しき土地神の御霊に御礼を!」
「「「御礼をッ」」」
この恐るべき力を与えてくれた神様には、本当にどれだけ祈りをささげても感謝し足りないと思う。
お決まりのつまらない祈りの文言だと常々思っていたカイであったが、それを唱えるご当主様が真剣な面持ちで言葉を口にしている本当の意味を実感する。
ご当主様も常日頃からおのれに恩寵を与えてくれた神様に祈る気持ちを欠かしていないのだ。同じテーブルに座るオルハ様や白姫様も、真剣に祈りに心を投じている。
それとは対照的に、ご当主様の正夫人であるカロリナ様や、第2夫人のファルダ様、領主テーブルの末席に固まっている加護を継ぐに能わないとされたほかの兄妹たちは、なんだか祈りもいい加減で、目の前の食べ物をつまらなそうに転がしたりしている。ただ感謝もなく、代わり映えのしない田舎の食い物に食傷しているのだろう。
茹でたプリットは歯ごたえとわずかな青臭さが、栄養源を取り込んでいるのだという充足感をカイに与えてくれる。芋や干し肉が普通に入っているスープは、食べるのに噛まねばならないという変な違和感まで感じた。飲むだけのスープとは別物だった。
最初は味わっていたカイであったが、すぐに空腹に負けてがつがつと食い尽くしてしまう。他のやつよりも量があったとはいえ、それでも足りない。育ちざかりのカイにはもっと栄養が必要であった。
天井を見上げ、ふうと息をついていると、視線を感じた。
領主席の脇のほうで、賄いのさっきの娘さんがこっちを見ていて、目が合うなりニコッと微笑まれた。城館で働く女たちは、男たちの食事の後で別の場所で食事すると聞いたことがある。
ご当主様の正夫人であるカロリナ様を長とした『女会』という組織があり、近づけばいろいろと起こってしまう男女の間を厳しく線引きし、馬鹿な男たちを裏から支配しているらしい。彼女もその一員であるのは間違いなかった。
「あれは器量も悪かねえな」
マンソに肘で小突かれて、カイは固まってしまったのだった。
その夜、カイは仲間たちが寝静まるのを待って、兵舎から抜け出した。
その影は城館の見上げるような外壁を軽々と越えて、外の草地に着地した。宝石箱をひっくり返したような辺土の星空を見上げ、カイは勢いよく走り出した。昼間には見せることのない『加護持ち』としての全力疾走だった。
(…谷が見たい)
少年の心は、その衝動を抑えることができなかった。