パグと遠い記憶1
物心ついた時、親は存在してなかった・・・
捨てられたのか売られたのか、そんなことはどうでもいい。
俺の世界には「温もり」というものが存在しなかったことだけが事実だ。
俺は犯罪組織に育てられた。
俺は奴らに38番と呼ばれていた。
名前なんてない。
組織の連中俺を人間なんて思っちゃいない。
自分たちにとって都合のいい、壊れたらすぐに代わりがきく「捨て駒」として育てていただけだ。
そこには愛など欠片もなかった。
あるのは絶対的な支配と、冷酷な評価だけ。
少しでも動きが鈍いと判断されれば、すぐに暴力が飛んでくる。痛みに耐えることは、俺にとって呼吸と同じくらい当たり前の日常だった。
"次は俺が処分される番かもしれない"
そんな考えが脳裏をかすめるたび、俺は自分の心を鋼のように凍りつかせた。
誰にも心を開かない。
誰にも期待しない。
そうしなければ、いつか来る終わりの瞬間に、耐えきれない気がしたからだ。
この檻の中から抜け出す日は来るのか。それとも、このまま組織の闇に飲まれて消えていくのか。
俺には銃器を扱う才能がなかったようだ。
引き金を引くその刹那、鉄の冷たさと火薬の臭いが、なぜか俺の指を拒絶した。
精密機械のように標的を撃ち抜く同年代の子供たちを、俺はどこか遠い世界のものとして眺めていた。
だが、格闘の才だけは、皮肉なほどに突出していた。
指導役の男が俺の動きに目を留めたのは、ある夜のことだ。俺は、自分より一回りも二回りも大きな訓練相手の関節を、最小限の動きで捻じ切り、無力化した。
その時の俺の眼に迷いはなかった。
「面白い。38番、貴様は、素手でこそ輝く素材だ」
その日以来、俺の扱いは変わった。
銃の訓練が免除される代わりに、俺に課せられたのは、人間をより迅速に、よりに確実に「無力化」するための格闘術の極致だった。
俺の拳は、肉を叩く感覚を覚えた。
俺の足は、急所を的確に踏み抜くリズムを刻んだ。
俺の体幹は、相手の殺意を紙一重でかわすためのバネと化した。
組織は俺の才能を愛した。
俺が強くなればなるほど、彼らが手を汚さず利用できる人間が増えるからだ。
鏡の中の俺は、確実に「人間」から「処刑用の機械」へと作り変えられていく。
これが俺の運命だというのなら、せめて、この鍛え上げた拳が、いつか自分を縛る者たちに届く日が来ることを願うしかなかった。
その日、俺は組織の奥深くにある稽古場へと連行された。
そこにいたのは、威圧感という言葉すら生温く感じるほどの殺気を纏った老人だった。
名は刻覇。裏社会で「暗殺拳の体現者」と恐れられている男だ。
俺を見た刻覇のその眼光は、全てを見透かすようだった。
「これが噂の、銃を持てぬ代わりに爪を研ぐ獣か」
その声には抑揚がない。だが、その言葉には俺がこれまで受けてきたどんな者よりも重い響きがあった。
組織の幹部がへりくだる姿を背に、刻覇はゆっくりと歩み寄ってくる。
彼は俺の肩に手を置いた。
その瞬間、背筋に電流のような戦慄が走った。
単なる物理的な接触ではない。俺の身体の構造、筋肉の繊維、殺気の宿り方――その全てを一瞬で解体し、把握されたような感覚だった。
「殺すための動きなど、教えるまでもない」
刻覇は短くそう吐き捨てると、俺の眼を真っ直ぐに見つめた。
「だが、無駄が多い。今のままでは、お前はただの鈍器だ。俺がお前を『完成』させてやろう」
その日を境に、俺の地獄は質を変えた。
組織の暴力的な訓練とは異なり、刻覇の指導は、まるで精密な外科手術のように俺の肉体を削り、組み替えていくものだった。
俺は、この男に教われば、いつか・・・この手で組織を終わらせる力を手に入れられるのではないかという、危険な希望を抱き始めていた。




