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パグと優しい記憶

 


 ゴンは、この状況をどう処理すべきか最後まで悩み続けた。しかし、レオンの力強い握力と、瞳に宿る「二度と離さない」という意志の前に、無愛想な最強の暗殺者も折れるしかなかった。


「今日だけだ。お前の言う『グウ』になってやる」


 ゴンが渋々そう告げると、レオンの表情は一気に晴れ渡り、先ほどまでの悲しげな面影はどこへやら、まるで祭りに向かう子供のように上機嫌になった。

 傍らでは、事の成り行きに安堵と困惑を混ぜ合わせた従者が


「も、申し訳ありません・・・本当にありがとうございます!」


 と、ゴンに対して何度も腰を折り、ぺこぺこと頭を下げ続けている。


 馬車に乗り込み、貴族街へと向かう。道中、レオンはゴンの服の端を離そうとせず、隙あらばその手を握り締めようと、まるで宝物でも扱うかのような手つきで触れてきた。

 到着したのは、貴族街の中でも一際威容を誇る、白亜の豪邸だった。


 門扉が開かれると同時に、彫刻のような庭園が広がり、執事やメイドたちが一斉に門前に整列する。

 馬車が止まるや否や、レオンは待ちきれないとばかりにゴンの手を引き、屋敷の重厚なエントランスへと駆け出した。


「こっちだよ、グウ! 大好きだったお菓子、まだあるかな?」


「おい、待て・・そんなに引っ張るな」


 ゴンは、屈強な暗殺者としての威厳も忘れ、小さな子供のエネルギーに振り回されながら、磨き上げられた大理石の廊下をずんずんと進んでいく。


 かつて殺戮の場や薄暗いダンジョンを潜り抜けてきた彼の足が、本来なら足を踏み入れるはずのない、華やかで柔らかな絨毯の上を歩く。


 屋敷の静寂の中に、レオンの弾むような足音と、それに続くゴンの足音が響き渡る。

 その背中を見守る従者たちは、再び「グウ」が帰ってきたという事実に感極まり、目元を抑えていた。


 屋敷の廊下を進むにつれ、ゴンは奇妙な違和感に包まれていた。殺気も魔力の気配もない。

 そこにあるのは、焼きたてのクッキーの甘い香りと、丁寧に磨き上げられた木の匂い、そしてレオンの純粋な高揚感だけだ。戦場という「型」で生き抜いてきたゴンにとって、このあまりに平和すぎる空間は、毒竜の鋭い牙よりもずっと扱いづらく、居心地が悪かった。


「ここだよ! ほら、グウの席!」


 レオンが案内したのは、日当たりの良い大きな窓辺にある小さなテーブルだった。そこには、まるで時が止まったかのように二つの椅子が向かい合わせに置かれている。


 ゴンがその傍らに歩み寄り、椅子の座面の高さに目を落とした瞬間、喉の奥から小さく息が漏れた。

 それは一般的な家具の寸法とは明らかに異なり、小柄なパグ種が座った時にちょうど目線がテーブルの天板と揃うよう、精巧に特注されたものだった。

 木目には使い込まれた温もりが残り、背もたれには「Gu」というイニシャルが愛らしい筆致で彫られている。

 ゴンはその椅子の脚に刻まれた繊細な意匠を見つめ、三年前、この場所で確かに「誰か」が愛され、そしてこの子供の成長を穏やかに見守っていたのだという事実を突きつけられた。


 彼は武骨な指先で、その椅子を撫でた。磨き上げられた木材の感触は、戦場の泥にまみれたゴンの手にはあまりに優しく、そして切ないほどに平和な香りを纏っていた。かつての持ち主がここからどんな景色を見ていたのか、どんな物語をレオンと分かち合っていたのか。


 次の瞬間、頭の奥で電気が走るような衝撃が・・・

 自分の記憶ではない記憶の断片が、まるで走馬灯のように蘇る。柔らかい毛の手触り、レオンが読み聞かせてくれた絵本の優しい声、そして不意に襲いかかった暗闇と燃え盛る炎の記憶。


 それは、かつてこの場所で生きていた誰かの色鮮やかで、そしてあまりに悲しい記憶の残滓だった。

 ゴンは激しい頭痛に耐えかね、自身の頭を抱え込んだ。


「……グウ、どうしたの?」


 レオンが小首を傾げ、ゴンを見上げた。

 その澄んだ瞳には、目の前の暗殺者の中に「かつての相棒」の面影を探し求める、純粋な祈りが宿っている。

 ゴンは喉の奥で小さく唸り、その視線をやり過ごすように、再び特注の椅子へと視線を落とした。

 指先が背もたれのイニシャルをなぞるたび、ゴンの中に、自分のものではない記憶が波紋のように広がる。

 それは、戦場で敵の首を狩るような冷徹な記憶とは対極にある、陽だまりの記憶だった。

 レオンの隣で眠る安らぎ。

 小さな手で優しく背中を撫でられる感触。


 そして、この屋敷が炎に包まれた夜、グウがレオンをかばって突き飛ばした瞬間の、断固とした決意――。

 ゴンは、自分が「グウ」ではないという事実を突きつけられながらも、同時に「グウの遺志」が自分の魂のどこかに宿っていることを否定できなかった。

 まるで、魂の入れ物だけが新しくなり、中身の想いだけがそのまま引き継がれたかのように。


「なんでもない。ただ、少しばかり懐かしい匂いがしただけだ」


 ゴンは努めて無愛想に、しかし乱暴にならないよう気をつけて答えた。

 

「グウ、クッキー持ってきたよ。僕ね、グウがいなくなってからずっと、ここで待ってたんだ」


 レオンが隣の椅子にちょこんと座り、テーブルの上に小皿を置いた。そこには焼きたての色鮮やかなクッキーが並んでいる。

 この平和な屋敷で、かつての自分ではない「新しい自分」として、この子供の隣に座る。


 それは、かつてのグウが望み、しかし叶えることのできなかった未来を、ゴンという男が代わりに叶えるという、ある種の約束なのかもしれない。


 その時、廊下の向こうから落ち着いた革靴の足音が響いてきた。この屋敷の主か、あるいは事件の真相を知る者がやってくる。

 ゴンはレオンの不安を払うように、その頭をポンと叩いた。そして、最強の暗殺者として培ってきた「無」の境地をあえて解き、ただの無愛想なパグとして振る舞った。


「なんでもない。さあ、お菓子とやらを見せろ。腹が減って仕方ない」


 強がるゴンの言葉に、レオンは安堵の笑顔を浮かべ、執事を呼ぶために駆け出していく。ゴンは再び空いた椅子に腰を下ろし、庭園を眺めた。

 平和な風景の向こう側に、かつてレオンを守り抜いた「グウ」の優しい横顔が、幻影のように重なって見えたような気が

 した。




アーチャの予告

レオン様と一緒に屋敷に向かったゴン。

変な事したら、投獄されちゃいますよ♪

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