エルと黄金の嵐
翌朝、学園の廊下を歩くエルの背筋は、かつてないほど真っ直ぐに伸びていた。
うつむき加減で歩くのが常だった彼女が、今は正面を見据え、迷いのない足取りで教室へ向かう。
「ねえ、あの子、落ちこぼれのエルだよね?」
「なんか、雰囲気変わったっていうか・・・妙に堂々としてない?」
同級生たちの囁きが耳に入るが、エルは動じない。
教壇に立つ教師も、宿題を提出する彼女の所作に、何かを見透かすような鋭い視線を向けていた。昨日までの「落ちこぼれ」の影は跡形もなく消え去っていたからだ。
午後の技術訓練。
学園の広大な訓練場には、歴戦のA級冒険者たちが放つ闘気が満ちていた。生徒たちの興奮は最高潮に達し、講師たちの実演を今か今かと待ちわびていた。
しかし、その昂揚感は一瞬にして凍りついた。
最前列に陣取っていた貴族の子息、レイヴンが、慢心に満ちた笑みを浮かべて高価そうな木箱を掲げた。
「見ろよ、父上のコレクションだ。これさえあれば、僕もA級冒険者並みの魔力を制御できるんだ!」
周囲が制止する間もなく、レイヴンは箱の封印解き黒い石を取り出した。
その瞬間、訓練場を支配していた空気が変質した。
箱が開かれると同時に、空間はまるで熱せられたガラスのように歪み、そこから溢れ出したのは、ただの魔力などという生温いものではなかった。
黒い石の表面に走る亀裂から噴き出したのは、幾千年もの時を超えて蓄積された無数の死者の怨念であり、それが漆黒の奔流となって周囲の光を塗り潰していく。
その禍々しい濁流は、周囲の生徒たちの精神を凍てつかせ、肺腑を突き刺すような死の臭気を撒き散らした。
レイヴンの手の中で魔石が砕け散ると、そこから生じた亀裂は現実の壁を食い破り、異界の扉を強制的に開いた。
そこから溢れ出す瘴気は、もはや一つの現象というよりは「この世への復讐」そのもののように、訓練場全体を飲み込んでいった。
太陽の光は遮られ、空にはどんよりとした灰色の霧が立ち込める。大地は脈動を始め、魔石の持ち主であるレイヴン自身が、その凄まじい呪力の反動に耐えきれず、絶望に満ちた悲鳴を上げながら膝をついた。
「な、なんだこれはッ! 止まれ、止まってくれ!」
レイヴンの叫びも虚しく、亀裂の中からは、死の冷気を纏った巨大な影が、ぬらりとその輪郭を現し始めていた。
「馬鹿野郎、すぐに捨てろ!」
A級冒険者の一人が絶叫し、即座に聖印を刻んだ剣を抜き放ったが、時すでに遅かった。
次元の狭間が口を開く。そこから這い出したのは、古びたローブを纏い、死の波動をその身に宿した「死霊の王――リッチ」だった。
リッチが姿を現した瞬間、訓練場の気温が急激に下がった。芝生は瞬時に黒く変色し、大気を漂う魔力さえもが死の瘴気に汚染されていく。
「カカカッ・・ヒサカタブリノ・・・ゲンセカ」
リッチが発した枯れ木が擦れ合うような声は、聞く者すべての精神を削り取った。レイヴンは恐怖で悲鳴すら上げられず、手に持った魔石と共に、その場に崩れ落ちた。
「全員、退避! これは訓練ではない、災害だ!」
講師たちが一斉に魔導結界を展開するが、リッチが杖を軽く一振りするだけで、結界はガラスのように砕け散った。校舎が轟音を立てて崩れ、生徒たちの悲鳴が響き渡る。
訓練場は一瞬にして、希望が死に絶える地獄の底へと変貌してしまった。
講師やA級冒険者たちが即座に抜剣し、リッチに挑む。しかし、リッチが放つ死の波動は結界を容易く腐食させ、A級冒険者たちですら防戦一方に追い込まれた。校舎が崩落し、生徒たちが逃げ惑う地獄絵図の中で、リッチは冷笑を浮かべる。
リッチの骨ばった指先から放たれた死の波動は、学園が誇る堅牢な魔導結界を紙細工のように剥ぎ取っていく。校舎の屋根が轟音を立てて崩れ落ち、舞い上がる土煙の中、生徒たちの悲鳴が木霊した。
「くそっ、この魔力は! 結界を浸食する速度が速すぎる!」
A級冒険者として名を馳せる冒険者の剣が、リッチの周囲に漂う死の霧に触れた瞬間、瞬く間に錆びつき、刃がボロボロと崩れ落ちる。
強固な魔力を練り上げたはずの防壁魔法も、リッチの放つ負のエネルギーに触れたそばから無へと還っていく。
中庭に突き刺さった校舎の破片が道を塞ぎ、逃げ惑う生徒たちは追い詰められていた。絶望が支配する中、リッチは空中に浮かび上がり、その虚ろな眼窩で眼下の惨状を愉しげに見下ろしている。ら
「カカカッ イノチノトモシビガ・・キエテイクセンリツ・・・ナント・・・ココチヨキヒビキダ」
リッチの杖が鈍い光を放ち、周囲の空気が重く澱み始める。その一振りで、近くにいた騎士たちさえもその場で動けなくなり、生気を吸い取られていくのが見て取れた。
もはや、打つ手はない。
誰もが死を覚悟し、恐怖に目を閉ざそうとしたその時・・・
逃げ惑う人々の波を逆流し、一人静かに中庭の中央へと歩み出る少女の姿があった。
エルの背中は、かつてのような震えを見せていない。彼女は杖を掲げることもなく、ただ自身の両手を天に向かって広げた。
空気が、止まった。
エルの心臓の鼓動が、確かなリズムで脈打ち始める。彼女が抱えていた、あの「封印された力」が、今、極限の密度を持って解き放たれようとしていた。
周りの叫び声も音も聞こえない。
彼女の心臓から、濁りのない黄金の魔力が、目に見えるほどの潮流となって噴き出した。かつて彼女が恐れ、封印していた「嵐」が今、学園の中庭を黄金に染め上げる。
「浄化。帰りなさい、死を弄ぶ者よ」
その声は、中庭を覆い尽くしていたおぞましい死の瘴気を一瞬にして凍てつかせ、静寂を強いた。
エルの口から紡がれた言霊には、感情の揺らぎは一切存在しなかった。ただ、世界の理を正す絶対的な意思のみが、そこにあった。
彼女の指先から解き放たれた黄金の魔力は、夜明け前の空を切り裂く一筋の雷光のようにリッチへと殺到した。
怨念の化身である死霊の王が、反射的に杖を掲げて抵抗しようとしたのはほんの一瞬。その黒い影は、慈愛に満ちた聖なる光に触れた途端、脆くも崩れ去った。
断末魔さえも光の波に飲み込まれ、黄金の塵へと姿を変えていく。
数秒後、中庭にはただ、乾いた風が吹き抜ける音だけが残されていた。
沈黙がその場を支配した。
つい先ほどまで崩壊の危機に立たされていた学園の広場は、今はまるで嘘のように静まり返っている。
かつて学園中で「落ちこぼれ」と蔑まれ、嘲笑を浴び続けていた少女が放った、あまりにも巨大な奇跡。
その圧倒的な現実を前に、歴戦のA級冒険者たちですら武器を握ったまま硬直し、教師たちは息をすることも忘れて立ち尽くしていた。
同級生たちの眼差しに宿っていたのは、もはや蔑視ではない。それは、理解の範疇を超えた事象に対する底知れぬ恐怖と、少女の背中に浮かぶ光輪を見たかのような、信仰に近い畏怖だった。
エルは、光の中に溶け残ったわずかな輝きを眺めながら、震える指先を隠すように拳を握りしめ、彼女は小さく震える。その背中は、世界を救った英雄というよりも、一人の少女のそれだった。
アーチャの予告
なんとなんと、死の王と呼ばれるリッチをエルが倒す大金星!
もう、聖女様クラスだよ!サスエルw
最もそんな美味しい存在を、王室も魔道ギルドも黙って見逃すはずもない。
どうなるエル? えっ、玉の輿もあるの?




