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第4話 ようこそ、私の世界へ~絶対領域へようこそ。「絶望」と呼ばれる終焉の地へ~

再び、あの教室へ戻ってきた。


扉の外からは、相変わらずクラスメイトたちの「優しい挨拶」が聞こえてくる。


本来なら恐怖に震えているはずの陸念安は——

ただ静かに、教室の後ろの扉へと歩いていった。


カチッ——


鍵が外れる音。


そのまま扉を押し開ける。


外にいたのは、見慣れたはずの顔。

けれどどれも歪みきっていて、まるで人の皮を被った悪意の塊のようだった。


「陸念安、言ったよね——」


一人の女子生徒が冷笑しながら近づいてくる。


言葉を言い終えるより先に、

その手が振り上げられた。


——パシッ。


その平手は、空を切った。


陸念安はわずかに身体を傾け、

風を避けると同時に相手の手首を掴み——そのまま捻る。


「っあああ——!!」


悲鳴が、引き金になった。


混乱が、一気に爆発する。


指先に力を込める。

拳はぶれず、動きは無駄がない。


横からの攻撃を上体を落として躱し、

次の瞬間——拳を打ち込む。


鋭く、正確に。


彼女の姿は人混みの中を滑るように動き、

まるで幽霊のように音もなく、速かった。


かつて自分を押し潰していた恐怖を——

今度は一撃一撃で、叩き返していく。


一人、二人、三人——


「いいクラスメイト」たちは、次々と倒れていった。


悲鳴が重なり、やがて最後の一人が崩れ落ちる。


陸念安はゆっくりと階段へ向かう。


一歩ずつ。


焦ることなく。


そして——


微笑んだ。



誰もが言っていた。


陸念安の笑顔は、優雅で、上品で、完璧だと。


けれど——

誰も知らなかった。


彼女が一度も、本当に笑ったことがないということを。


彼女の人生は、夏玖微に語ったような「普通」なんかじゃなかった。


幼い頃、使用人にいじめられていたこともある。

その件は表向きには処理された——だが、心の傷は消えなかった。


両親の不在は、叱責よりも冷たかった。


だから彼女は学んだ。


仮面を被ることを。


優しさ、礼儀、上品さ。

それらで自分を何重にも包み込み——


本当の自分を、深く、深く埋めた。


冷たく、壊れた自分を。


彼女は笑えなかった。


笑いたいと思える出来事にも、出会えなかった。


時間は表面の傷を薄めても、

その奥にある影までは消せなかった。


高校に入ってからのいじめは、

彼女にとって“最も怖いもの”ではなかった。


本当に彼女を壊したのは——


誰も、何も言わなかったこと。


誰一人、立ち上がらなかったこと。


誰も、気にも留めなかったこと。


世界そのものに見捨てられたような感覚。


それこそが——最後の一押しだった。



そして彼女は、夏玖微に出会った。


裏世界での“結合”のあと——


心の中に溜まっていた闇が、少しだけ薄れた。


それが一方通行ではないことも、分かっていた。


夏玖微は、自分の中に閉じ込めていた過去も、

見たくもない感情も、全部受け止めた。


それでも——


目覚めた彼女の目にあったのは、


恐怖でも、拒絶でもなかった。


ただの——心配だった。


隠そうともしない、まっすぐな心配。


その瞬間——


何かが、ほどけた。



陸念安は笑う。


笑いながら、涙がこぼれた。


(ありがとう、玖ちゃん)


心の中で、そっと呟く。


この人生は——


親のためでも、世界のためでもない。


ただ一人。


自分を見てくれた人のために、生きる。



足音が廊下に響く。


コツ、コツ、コツ——

まるでカウントダウンのように。


彼女は階を一つずつ巡りながら、

クラスメイトたちに次々と“マーキング”を施していく。



すべての標的に印を付け終えたあと、

彼女は足を止めた。


(……このまま戻るだけじゃ、足りない)


小さく息を吐く。


「そろそろ……変わらないと。」


そして——教師用の職員室へ向かった。



「先生、この書類にサインをお願いします。」


「ん?」


書類を差し出し、指が触れた——その瞬間。


空気が、わずかに歪んだ。


次の瞬間。


マーキングされた者すべて——教師も含めて。


一斉に、裏世界へと引き込まれた。



陸念安が再び目を開けたとき——


そこに学校はなかった。


代わりに広がっていたのは、小さな洋館。


暖炉には柔らかな火。

窓の外には、しんしんと降る雪。


木の家具、柔らかな絨毯。

そしてテーブルの上には——赤ずきんの絵本。


それは、彼女が一度も持てなかった“家”。


何度も夢見た場所。


でも——決して与えられなかったもの。


そしてその隣には——


見慣れた少女。


「安ちゃん、どう?」


夏玖微が微笑む。


「……うん。好き。」


堪えようとしても——


涙は止まらなかった。


「ほらほら、泣かないの。」


夏玖微は優しく頭を撫でる。


「ここなら、いくらでもいられる。」


少し間を置いて——


「この空間、作るの結構大変だったんだから。」


そして、軽く肩をすくめる。


「でも外の連中も片付けないとね。

すぐ戻るよ。」


陸念安は、涙ぐみながら頷いた。



「……よし、戻ってきた。」


現実に戻った夏玖微は、小さく呟く。


立ち上がり、服の埃を払う。


教室に戻ろうとした、そのとき。


——思い出す。


(あ、さっき誰かに押されたな)


「ごめんごめん、わざとじゃないって。

“たまたま”だからさ?」


階段の上から、男子生徒が笑う。


夏玖微は何も言わず、ゆっくりと階段を上がる。


一歩ずつ。


目の前で止まり——


肩に手を置く。


優しく。


そして——


次の瞬間。


引いて、踏み込んで、払う。


完璧な動き。


「ぎゃっ——!」


男子生徒はバランスを崩し、後ろへ転落。


ゴン、ゴン、ゴン——!!


階段を転げ落ち、床に叩きつけられる。


夏玖微は首を傾げた。


「……頭、打ったっぽいね?」


無邪気な声。


「手が滑っちゃって。」


微笑む。


「信じる?」


そのまま、何事もなかったかのように去る。



「陸念安って、ほんと伝説級だよね!」


夏玖微がこっそり教室に戻ったとき、最初に耳に入った言葉だった。


彼女は一瞬足を止め、扉にもたれながら静かに聞き耳を立てる。


「高校卒業してすぐ、大学の頃から投資始めたらしいよ。元手は少なかったのに、センスがエグいって——」


「投資した会社、ほぼ全部が業界トップになってるんだってさ。」


「そのあと逆に仕掛けて、自分の親の会社にまで食い込んでいって……」


「今じゃ陸氏グループの47%、韓氏グループの39%握ってるらしいぞ……」


「もう裏で全部動かしてる黒幕じゃん。」


その話を聞きながら、夏玖微はわずかに眉を上げた。


(……だから聞き覚えあったのか)


この学校の有名な卒業生、ってわけね。


ゆっくりと口元が吊り上がる。


ひとつの考えが、頭の中で形になる。


(……これ、もっと大きくできるな)



「陸念安とかマジで憧れるわ~! 将来は私もビジネス界で無双したい!」


「はいはい、夢見すぎ。」


「ねえ……普通にちょっとカッコよくない?」


教室は騒がしいまま。


——そのとき。


「私は、普通に可愛いと思うけど?」


大きくもない声。


なのに、その一言で空気が凍りついた。


全員がゆっくりと振り返る。


いつの間にか、そこに立っていた。


「やだなぁ。」


夏玖微は首をかしげる。


「そんな楽しそうに話してるのに、私だけ仲間外れ?」


人混みの中から、一人の男子が出てくる。


鼻で笑いながら。


「お前が? 調子乗んなよ。」


上から下まで値踏みする視線。


「陸念安がどんな人間か分かってんのか?」


「俺らみたいな階層の人間じゃないと関われないんだよ——」


言い終わる前に。


ドンッ——!!


その体が宙を舞った。


机と椅子に激突する。


教室は、一瞬で静まり返った。


夏玖微はゆっくりと足を戻す。


何事もなかったかのように。


「さっきちょっと頭打っちゃってさ。」


落ち着いた声。


教室をぐるりと見回し、口元をわずかに緩める。


「ちょっと調子悪いんだよね。」


一拍置いて——


「大目に見てくれると助かるかな。」



職員室。


「夏玖微! お前、何を考えてるんだ!!」


担任が机を叩いて怒鳴る。


「クラス全員に手を出したって、どういうつもりだ!」


「相手の親が誰か分かってるのか?!」


「この学校にどれだけ寄付してると思ってる!」


言葉はどんどん荒くなる。


「明日の三者面談——もう終わりだぞ!」


「今まで何度も庇ってやったのは、ここにいられるようにするためだ!」


「謝れば済む話だったのに、なんで分からない!」


「今回は違う! 親も全員来るし、校長も出る!」


大きく息を吸い込み——


声が冷たく落ちる。


「明日、午後四時。至善棟二階の多目的教室だ。」


「……覚悟しておけ。」



夏玖微が聞いていたのは、ただ一つ。


「全員来る」


その一点だけ。


彼女の目に、わずかな笑みが浮かぶ。


「いいね。」


立ち上がる。


「ちゃんと行くよ。」



翌日、午後四時十分。


夏玖微はまだ寮にいた。


のんびりと荷物をまとめている。


服、洗面用具。


ひとつずつ、裏世界へ収納していく。


最後に、机の上の懐中時計を手に取る。


祖父の形見。


一度だけ見つめてから、ポケットへ入れる。


そのまま部屋を出た。



多目的教室の前に着いたとき——


中はすでに騒然としていた。


「うちの息子殴っといて遅刻か?!」


「今日は絶対説明してもらうぞ!」


「何様のつもりだあのガキは——!」


罵声が飛び交う。


だが誰も気づいていない。


空気が——冷えていくことに。


じわじわと。


何かが、侵食している。



ギィ——


扉が開く。


耳障りな音。


一瞬、全員が黙る。


そして——


世界が、崩れた。


壁は剥がれ落ち、床はひび割れる。


新しかった机と椅子は、錆びた鉄と腐った木へと変わる。


照明は消え。


窓から差し込む灰色の光だけが残る。


湿った、腐敗した匂い。


「な、なんだこれ……?」


「何が起きてる?!」


恐怖が広がる。


生徒も、保護者も、教師も。


顔が一斉に青ざめていく。


そして——


視線が向く。


扉の前。


光と影の境界に立つ、少女へ。



夏玖微は、そこにいた。


両手をわずかに広げる。


迎えるように。


裁くように。


目の前に並ぶ、見慣れた顔。


そのすべてが——


今は歪で、滑稽に見えた。


彼女は笑う。


冷たい笑み。


「ようこそ——」


優しい声で。


ぞっとするほど、優しく。


「私の世界へ。」

【作者からのお願い】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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