第3話 全員引きずり込め!~罪人への招待状。すべての悪意を奈落へと落とせ~
「……私が生まれたこと自体が、間違いだったんだと思う。」
「両親は愛し合ってなんかいなかった。私は……ただの政略結婚の産物。」
「物心ついた頃には、生活はほとんどベビーシッター任せだった。
愛されてはいなかったけど、お金で解決できることには一切困らなかった。」
「ベビーシッター、食事、絵のレッスン、ピアノ……
子どもが欲しがるものは、だいたい全部与えられてた。」
彼女の声が、わずかに震える。
「でも……それは全部、私が欲しかったものじゃない。」
「ただ一度でいいから——
誕生日に、来てほしかった。」
「それか……放課後に迎えに来てくれるだけでもよかったのに。」
「でもあの人たちは、運転手を雇うことはあっても、
自分で来ることはなかった。」
「一度も……なかった。」
「中学までは……まだ普通だったと思う。」
「特別目立つこともなかったし、大きな問題もなかった。」
「でも高校に入ってから——全部変わった。」
「最初は、毎日車で送り迎えされてることが知られて……」
「近づいてくる人が増えた。
機嫌を取ろうとしてくる人も。」
「好きじゃなかったけど……拒むこともできなかった。」
彼女は俯き、声がさらに小さくなる。
「ある日——」
「クラスの一人の女子が、私のことを気に入らなかったみたいで。」
「大人しくて、浮いてて、
しかも偉そうに見えたんだと思う。」
「その子は——私の鞄を、床に全部ぶちまけた。」
「クラスのみんなの前で。」
「私は……一つ一つ、拾うことしかできなかった。」
「その子……あの時、少し後悔してたと思う。」
「たぶん、仕返しされるって思ってたんだろうけど。」
「でも、私は何もしなかった。」
「親に連絡したら——返ってきたのは一言だけ。」
『学校ではちゃんと勉強しなさい。問題を起こすな。』
「そのあと……何も起きなかった。」
「だから、エスカレートしていった。」
「私は……ストレスのはけ口にされた。」
彼女の声が震え始める。
「きっと、裕福な家の子をいじめれば、
自分が強くなった気になれるんだと思う……」
「……あの頃は、本当に怖かった。」
「私は、憎んだ。」
「クラスメイトを。」
「両親を。」
「どうして私なんかを生んだのかって……」
「先生も……憎かった。」
「どうして、見て見ぬふりができるのかって……」
声が、ついに崩れる。
夏玖微は何も言わず、ただ一歩前に出て、
そっと彼女を抱きしめた。
背中を、優しく叩く。
陸念安は——
そのまま、泣き崩れた。
長い時間、ずっと。
「……あの日。」
「もう、生きてる意味なんてないって思った。」
「屋上に向かって歩いて……」
「でも途中で——クラスメイトに会った。」
「こっちに向かってきて……」
「私は、逃げた。」
「ひたすら、逃げた。」
「最後は教室に逃げ込んで、鍵をかけた。」
「外から、ずっとドアを叩かれて……」
「すごく大きな音で……怖くて……」
「私は隅に縮こまって、動けなかった。」
「どれくらい経ったのか分からないけど——
突然、音が止んだ。」
「窓から外を見たら……」
「そこはもう——元の世界じゃなかった。」
彼女は目を閉じる。
「怖かった。」
「でも……少しだけ、安心した。」
「やっと……逃げられたって思ったから。」
夏玖微は壁に手をつき、軽く笑う。
「大丈夫。玖ちゃんがついてる。」
陸念安は彼女を見つめる。
(……ここにいても、いいかもしれない)
そんな考えが、ふとよぎる。
――その瞬間。
夏玖微は突然、両手で顔を覆い、くすくす笑い出した。
「やっぱ私って、美人でカッコよすぎない?
見惚れて固まってたでしょ?」
「……」
陸念安は、完全に呆れた目で彼女を見る。
でも——
そのおかげで、ほんの少しだけ気持ちが軽くなっていた。
「……復讐したいって、思ったことないの?」
夏玖微が静かに問う。
陸念安は戸惑ったように目を揺らす。
恐怖はあった。
でも——取り返す、なんて考えたことはなかった。
「心配しなくていいよ。」
夏玖微は軽い口調で言った。
「私の学校では、失踪者なんて聞いたことないし。」
少し間を置いて、続ける。
「安ちゃんはここで……十五年も過ごしてるけど、
現実に戻れば、時間は“入った瞬間”に戻るはず。」
「……十五年!?」
陸念安は目を見開く。
「……そう、だよね。
私も……戻らなきゃ。」
どこか、名残惜しそうな声だった。
それを見て、夏玖微は口角を上げる。
「そんな顔しないでよ。」
「安ちゃん一人じゃない。」
「後ろには私がいるし——
裏世界も、全部味方だよ。」
にやっと笑う。
「どう?このバック、でかくない?」
陸念安は一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「……じゃあ、一回だけ信じてみる。」
まだ少し不安は残っている。
でも——
夏玖微のあの迷いのない笑顔が、
不思議と安心させた。
「リリ。もし安ちゃんを現実に戻したら——
どの時間に戻るの?」
「ご主人さま。対象は“裏世界に入った瞬間”へと戻ります。」
リリは即答した。
夏玖微はわずかに眉をひそめる。
「現実側の時間とズレたりしない?」
リリは少し体を揺らし、言葉を整理するようにしてから答えた。
「ズレは発生しますが、無秩序ではありません。」
「裏世界の時間は、そもそも単一の直線ではないのです。」
一拍置いて、続ける。
「ルールとしては、三つあります。」
「第一のルール——
裏世界に入った者の時間は、
“初めて侵入した瞬間”に固定されます。」
「つまり、どれだけ裏世界に滞在しても、
現実へ戻る際はその時点へと帰還します。」
「第二のルール——
裏世界の時間の流れは、管理者に依存します。」
「ご主人さまが裏世界に存在している時のみ、
この世界は“進行”します。」
「離脱した場合——時間は停止状態に入ります。」
「第三のルール——
裏世界には、現実とは独立した時間概念が存在します。」
リリの声が、わずかに真剣になる。
「現実のどの時間帯にいる人物であっても、
裏世界へ入った時点で——」
「“現在の裏世界時間”へと同期されます。」
リリは夏玖微を見上げた。
「つまりこれは時間の再配置ではありません。」
「異なる時間軸の人間を——
同一の時間点へ引き込む仕組みです。」
説明を聞き終え、夏玖微はしばらく考え込む。
そして——
ふっと、妖しく笑った。
「……なるほどね。」
「それなら——やりやすい。」
彼女は陸念安を手招きし、耳元で小さく囁く。
「……本当にやるの?」
「もちろん。」
「安ちゃん、向いてると思うけど?」
その一言に、陸念安の耳がほんのり赤くなる。
「……ありがとう、夏玖微。」
「玖ちゃんでいいって。フルネームは固いし。」
夏玖微は軽く手を振る。
「じゃあ……安ちゃんで。」
「マーク、完了。」
夏玖微は陸念安の白い手をそっと握り、
指先で軽く触れる。
淡い光が一瞬だけ走った。
「さっき言った通りに。」
陸念安は深く息を吸い込み、覚悟を決める。
「リリ。私はこの『領域』の所有権を放棄し、
玖ちゃんへ譲渡します。」
リリは一瞬驚いたように目を見開き、
すぐに興奮を抑えきれない様子で言った。
「ご主人さま。陸念安様より本『領域』の正式な継承を受諾しますか?」
「受け取る。」
その言葉が落ちた——次の瞬間。
夏玖微は意識を動かし、
陸念安を現実世界へ送り返した。
「これで……Aランク任務の報酬、受け取れる?」
リリはまだ興奮気味に頷く。
「はい!おめでとうございます、ご主人さま!」
「正式に裏世界の管理者となりました——
《裏世界管理マニュアル》の全権限が解放されます!」
——しかし、その直後。
空間が、わずかに揺れた。
見覚えのある人影が、そこに現れる。
陸念安だった。
リリの表情が固まる。
「……え?」
ゆっくりと首を回し、夏玖微を見る。
「ご、ご主人さま……これは……?」
必死に思考を巡らせる。
迷失者の送還——完了。
領域の譲渡——完了。
任務——達成。
……
「……規則上、問題は……ない?」
リリは口を開きかけて、閉じた。
反論が、できなかった。
「おいで。」
夏玖微は手を差し出す。
「安ちゃん——私と“裏世界結合”、する?」
「……うん。」
波が引くように力が消えたあと、
二人の間には見えない“繋がり”が生まれていた。
同時に——
夏玖微の意識へ、
大量の記憶と技能が流れ込む。
ピアノ。
ヴァイオリン。
英語。日本語。フランス語。
夏玖微はもともと、
安ちゃんが現実に戻っても再び傷つくことを心配していた。
あの黒い影を、現実で使うことはできない。
だからこそ——
この一度きりの“結合”を、
彼女に使う価値はあると思った。
ついでに、自分も影の力を手に入れるつもりだった。
だが——
ここまでとは、思っていなかった。
喜びを感じる間もなく。
冷たい感情が、突然流れ込んでくる。
絶望。
底の見えない闇。
胸が締め付けられる。
呼吸が苦しい。
——このまま終わってもいいかもしれない。
その瞬間。
彼女の影が、動いた。
歪む。
裂ける。
暴れる。
黒い影が、洪水のように溢れ出す。
陸念安のものよりも——
はるかに凶暴で、制御不能。
「玖ちゃん……!玖ちゃん……!」
遠くから、声が届く。
弱く、けれど確かに。
その声が、彼女を引き戻す。
夏玖微の意識が、ゆっくりと戻る。
一瞬呆然とし、
それから苦笑を浮かべる。
そして——
安ちゃんを見る目に、
はっきりとした心配の色が宿った。
【裏世界結合(1/1)】
対象:陸念安
結合度:37%
結合が安定すると同時に、
彼女の表情が静かに冷えていく。
「……じゃあさ。」
わずかに間を置いて、
「全員、引きずり込もうか。」
念じた瞬間——
陸念安の姿が、再び消えた。
次に現れるのは——現実世界。
【作者からのお願い】
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