第16話 秋葉原デート-耳かき店~ほんのひとときの休息なのに、目を覚ましたくなくなるほどのぬくもり~
午前の充実した時間とは対照的に、秋葉原のアニメ街は比較的ゆったりとした空気が流れていた。
人の流れはあるが、どこか急ぎ足の気配はない。
「ねえ、お互いに相手に合いそうなアニメキャラを選んで、それを買ってプレゼントし合わない?」
夏玖微は歩きながら、何気なく提案した。
「そして、どっちがより正確か勝負。」
“正確”が何を意味するのかは言わなかったが、その声には自信があった。
「いいよ。」
陸念安は頷き、目元に淡い笑みを浮かべる。
「でも選んでる間は、覗いちゃダメ。」
「もちろん。」
それから二人は自然に別れた。
しかし完全には離れず、同じ通路を何度も行き来する。
それぞれ行動しているようで、実際は互いの周りを回っているようだった。
◇
「何見てるの?」
陸念安が後ろから近づく。
夏玖微は本棚の前で漫画を読んでいた。
「な、何でもない。」
振り向いた瞬間、慌てて本を閉じて棚に戻す。
動作が少し不自然に速い。
ついでに軽く相手を押し出した。
「見ちゃダメ!」
陸念安は押し出されても追及しない。
ただ一度だけ振り返る。
表紙には、二人の女の子が近く寄り添っている絵。
一瞬だけ視線を止める。
そして何事もなかったように離れた。
◇
「OK——ついにプレゼント交換の時間だ!」
夕方、二人は再び合流した。
夏玖微は袋を抱え、朝からの疲れを感じさせないほど元気だった。
「はいはい、私から!」
陸念安が差し出したのは、小さな短髪少女のQ版キーホルダーだった。
パッケージにはキャラ名——「八百歳比名子」。
「その名前、変すぎない?」
夏玖微は笑ったが、自然にそれをジャケットのファスナーに付けた。
「まあいいや。八百歳くらいは余裕で生きるし。」
キーホルダーを揺らす。
「ちょうどいい。」
「……うん。」
陸念安はそこを見つめ、ほんの少しだけ頷いた。
視線が一瞬だけ長く留まる。
「じゃあ次は私ね。」
夏玖微が袋を差し出す。
「これ、黒髪ロングでしょ。絶対あなたっぽい。」
取り出したのはQ版のキーホルダーだった。
「名前も普通、近江汐莉。」
少し得意げな声。
陸念安は受け取り、すぐには言葉を出さなかった。
ただ一度見てから、自然にバッグへ付ける。
まるで最初からそこにあるべきだったかのように。
「じゃあ勝負はどっちの勝ち?」
「簡単でしょ。」
夏玖微は意地悪そうに笑う。
「作品の有名度で決めよう。」
「……それ基準おかしくない?」
そう言いながらも陸念安はスマホを取り出して検索する。
そして、動きが止まった。
表情が少しだけ変わる。
「どうしたの?」
「……同じ作品。」
「え?」
夏玖微は一瞬固まり、すぐ笑った。
「じゃあ引き分けね。」
手を軽く振る。
「平手。」
「うん。」
陸念安は頷く。
声は静かだった。
「……でも、悪くない。」
その言葉は、キャラのことだけを指しているようで、そうでもなかった。
◇
「今日の夜、あなたの料理食べたい。」
陸念安がふと口にする。
声が少しだけ低くなる。
「え、私の方が美味しいってこと?」
「比較じゃない。」
彼女は夏玖微を見る。
「すごく美味しい。」
夏玖微は一瞬だけ固まり、そして笑った。
「じゃあ帰ろうか。」
そのまま手を伸ばす。
「ちょっと待って。」
陸念安がその手を掴んだ。
力は強くないが、確かだった。
「もう一つ行きたい場所がある。」
「どこ?」
「行けば分かる。」
それ以上は聞かず、ただ手を引かれるまま歩く。
人通りは減り、街は徐々に静かになっていく。
やがて、小さな店の前で足が止まった。
控えめな外観、暖かい光。外の世界とは少し違う空気。
「……耳かき店?」
夏玖微が瞬きをする。
「うん。」
陸念安は頷いた。
「最後の場所。」
まるでこの一日が、最初からそこに辿り着くように決まっていたかのように。
◇
二人は店の中へ入った。店内はとても静かだった。
外の秋葉原とはまるで別世界で、切り取られたような空間だった。
照明は暖かく、肌に触れる光がどこか柔らかい。
夏玖微は席に座ったとき、まだこの静けさに少し慣れていなかった。
「陸念安は?」
店員に案内されて個室に入ったあと、彼女は振り返った。
ドアが再び開く。
入ってきたのは店員ではなく、陸念安だった。
彼女はすでにシンプルな浴衣に着替えており、その動作はまるで最初から決まっていたかのように自然だった。
「いい、私がやる。」と彼女は言った。
強い口調ではないが、拒否を許さない響きがあった。
「……まさか朝早乙女に話してたのってこれ?」と夏玖微は少し驚いて言った。
陸念安はただ微笑むだけで、何も答えなかった。
彼女が座ると、夏玖微は自然にその上に横になった。
いつも通り、何も考えずに。
頭が膝に乗った瞬間、その慣れ親しんだ安心感が、周囲の環境よりも早く彼女を包み込んだ。
耳元で小さな音がする。道具はとても軽い。
触れているというより、空気がかすめているようだった。
最初、夏玖微は少し緊張していた。
しかし、すぐに呼吸がゆっくりと落ち着いていく。
「……こういう感じなんだ。」と彼女は小さく言った。
「うん。」陸念安はそう答え、手の動きを止めない。
それは技術を見せているというより、世話をしているようだった。
「痛くない?」
「うん……」彼女は少し動いて、また力を抜いた。
その感覚は奇妙だった。
刺激ではない。
むしろ——何も考えたくなくなるような感覚だった。
陸念安の指が時々、彼女の首筋に触れる。
ただそこに置かれているだけ。
余計な動きはないのに、心は自然と静まっていく。
時間はゆっくりと流れていった。
「……いつからやってたの?」と夏玖微は目を閉じたまま尋ねた。
「ずっと前から。」
「どのくらい前?」
「あなたが思ってるより前。」
それ以上は聞かなかった。
ただ小さく「うん」とだけ答えた。
しばらくして、夏玖微の声はさらに小さくなった。
「安ちゃん……」
「うん。」
「最近……ちょっと変なんだ。」彼女は言葉を探すように間を置いた。
「裏世界に長くいるせいで、何が現実か分からなくなってきてる気がする。」
「感情とか、記憶とか、痛みとか……全部が本物すぎて。」
「時々思うんだ——」
彼女は小さく笑ったが、とても淡かった。
「このまま、どこかで壊れてしまうんじゃないかって。」
部屋は静かだった。
小さな音だけが響いている。
陸念安は話を遮らない。
ただ同じ動作を続ける。
安定して、規則的に。
ここが現実だと伝えるように。
「でも、戻ってくると。」と夏玖微は続けた。
「あなたがいる。」声はとても小さい。
ほとんど消えそうなほどに。
「それだけで……よかったって思える。」
「ちゃんと、ここは正しい場所なんだって。」
動きが一瞬止まる。
そしてまた続く。
今度はさらに優しく。
「あなたがいてくれて……よかった。」
そう言うと、彼女はもう話さなかった。
呼吸がゆっくりと安定していく。
本当に安心したように。
陸念安は彼女を見下ろしていた。
静かな目で、何も言わない。
彼女の髪のそばに手を置き、そこにいることを確かめるように、そっと触れた。
その時間は短いのに、異様に長く感じられた。
二人は夜色に染まった街を歩いていた。
人通りは減り、灯りは柔らかくなっている。
並んで歩き、肩が軽く触れ合う距離。
その距離はもう緊張を生まなかった。
代わりに、静かな安心と依存のような感覚があった。
【結合度:81 / 59%】
その数値は本の中で静かに揺れ、すぐに消えた
やがて人の少ない区画へ出る。
周囲はさらに静かだった。
転移を行おうとした瞬間——陸念安が足を止めた。
振り返る。もう一度見る。
「どうしたの?」と夏玖微は少し眠そうに尋ねた。
「誰かいる。」と陸念安は低く言った。
「……私たちを見てる。」
それは推測ではなく、共有された感覚による確信だった。
曖昧だが、確かに存在する気配。
「面白いね。」と夏玖微は小さく笑った。
彼女の感覚がゆっくりと広がる。
不要な視線を一つずつ排除していく。
そして「それ」を見つけた。
それは目ではなかった。
もっと直接的なもの。
意識が軽く触れられたような感覚だった。
背後に「何か」がいる。
だが振り返ると、そこには何もない。
影すら存在しない。
その違和感だけが残る。
触れているのに証明できない存在。
自分だけがそれを認識している。
夏玖微の笑みが少し薄れる。
「あなたは誰?」
視線ではなく、直接引き寄せるように手を伸ばした。
次の瞬間、空間が裂ける。
三つの存在は同時に、裏世界の小さな洋館へと引きずり込まれた。
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