第99話:近衛兵団の設立
「――陛下、一つお尋ねしても宜しいでしょうか?」
玉座の間の中央、巨大な石造りの机に向かって書類にペンを走らせていた吉田の前に、プリンス・デルガドが静かに佇んでいた。
魔王の称号を戴いて以来、吉田は実に不愉快な真実を悟っていた。統治とは、退屈な作業の連続である。
まあ、吉田が来る前の帝国といえば、デルガドが恐怖によって辛うじて支配する混沌の極みだった。だが時代は変わった。吉田の手によって『明治維新』の改革が推し進められているのだ。
「どうした、デルガド?」
王子は数秒間沈黙を守った後、口を開いた。
「ケン殿とロゼット嬢……あのお二人が、なぜ未だにこの城にとどまっているのかが理解できかねるのです。お二人が陛下へ好意を寄せているようには到底見えません。むしろ、双方から強い敵意を感じるほどにございます」
吉田の手にしたペンが、ピタリと止まった。
デルガドは至極真面目な顔で言葉を重ねる。
「陛下はライオンハートへ赴き、あの女のために戦い、命を賭して救い出されました。ですが帰還して以来、彼女が陛下とまともに言葉を交わした形跡がほとんどございません」
吉田はゆっくりと手元の書類に目を落とした。
まったくもってその通りだった。ローズは彼とほとんど口をきいてくれない。実に複雑で、胃の痛む状況だった。
「ですが……」
デルガドが指を一本立てた。
「もう一つ、気になることがございます」
吉田は重々しい溜め息を吐いた。
「……何だ?」
「ロゼット嬢は、ご自身の新たな役に相当ご執心のようでございます」
◆◆◆
『タッタッタッ、タッタッタッ!』
「――もっと飛ばしなさいッ!」
数頭の馬の蹄の音が、魔都の路地に激しく響き渡る。小さな護衛部隊が建物の間を駆け抜けていく。
先頭を切るのはローズだ。魔王軍の黒い鎧に身を包み、背には黒い外套が風を切ってなびいていた。
その隣には、同じく完全装備を整えたケン・アラタカが並んで馬を走らせ、後方には数名のオーガやミノタウロスが護衛として従っている。
今のローズは、まるで全軍を率いる総司令官にでもなったかのように、凄まじい覇気を漂わせ自慢気に馬を走らせていた。
そして魔族たちにとって運の悪いことに、彼女はその力を証明しようと固く決意していたのだ。
「親衛隊長」
オーガの一人が呼びかけた。
ローズはゆっくりと顔を向けた。
「なんて言ったの?」
オーガはびくついて生唾を飲み込んだ。
「あ……ローズさん……」
「『ローズ司令官』でしょ!」
「は、はいッ! ローズ司令官ッ!」
ケンは馬上からその光景を眺め、口を挟まないことに決めた。
ここ数日で学んだ重大な教訓――『司令官モード』に入っているローズには絶対に逆らうな。
「街には何人か候補がおります」
オーガが説明を続ける。
「かなりの猛者たちですが……素直に加入に応じるかは疑問ですな。力ずくで勧誘するには危険すぎる者もおります」
ローズは考えるそぶりすら見せなかった。
「関係ないわ。そこへ案内しなさい」
ケンがチラリと視線を向ける。
「……本気で言ってるのか?」
ローズは彼をジロリと睨みつけた。
「ええ」
「全然安心できないんだが」
「あんたを安心させるつもりはないわ」
ケンは再び溜め息をついた。この女は間違いなく、激変してしまった。
やがて一行は、お世辞にも上品とは言えない酒場の前に到着した。店の中から怒号、高笑い、ボトルが割れる音、そして酷く下品な音楽が漏れ聞こえてくる。
ローズが足を踏み入れようとした、その瞬間――
『ドガァァァァンッ!!』
ドアが派手に吹き飛び、巨大な人型イノシシの魔族が路地へと転がり出てきた。
「――どこのどいつだオラァッ!? ぶっ殺して――」
ローズは眉一つ動かさなかった。傍らのオーガを見る。
「あいつら?」
「は、はいベイカー親衛隊長」
「上等じゃない」
ローズはすぐさま馬を降りた。ケンは兵士たちと共に引き留める。
「俺たちも入った方がいいんじゃないのか?」
「不要よ」
「ローズ……」
「ここで待ってなさい」
ケンは壊れた扉とローズを交互に見やった。
「……幸運を祈る」
「必要ないわ」
ローズが店内に足を踏み入れると、場の空気が一瞬で一変した。
店内は酒を煽り、煙草をふかし、賭博に興じる魔族どもで溢れ返っていた。中には人間の姿をした者も混ざっている。
中央には、体長四メートルを超える巨大なワニの魔族が座していた。魔族の女たちを侍らせ、手に巨大なジョッキを抱えている。
ローズが現れると、酒場全体が水を打ったような静寂に包まれた。
「ハロー、クソ野郎ども。あんたたちを勧誘しに来てあげたわ」
ワニの魔族がゆっくりと首を巡らせた。
「……誰だ、てめぇは?」
ローズは迷いのない足取りで前進し、やがてその眼前で立ち止まった。見上げるほどの巨躯を前にしても、彼女は一歩も引かなかった。
「私はベイカー家のロゼット。魔王近衛騎士団の司令官よ」
ワニが片眉を跳ね上げた。
「……司令官だと?」
ローズは重々しく頷いた。
「今日からあんたたちは私の部下よ」
張り詰めた沈黙が数秒間続き、やがてワニの魔族は大口を開けて爆笑した。
『ギャハハハハハハッ!!』
他の魔族たちも同調して嘲笑を浴びせる。
「この人間女、オレ様に命令できると思ってやがるぞッ!」
「可愛らしいこった!」
「この街のルールってやつを教えてやろうぜ!」
ローズの表情から、一切の感情が消え去った。
「……そう」
ワニが下品に身を乗り出してくる。
「へへッ、いい女じゃねえか。人間を抱くのは久しぶり――」
ローズがスッと片手をかざした。ワニの言葉が途切れる。
「あ?」
直後――
『ズガァァァァァァンッ!!』
ワニの巨体が無数の木製テーブルを粉砕しながら吹き飛び、奥の壁に激しく激突した。静まり返る店内の中、ローズは軽く拳の汚れを払った。
「二度とその口を開かないで」
魔族の一人が激怒して立ち上がった。
「な、なんだとてめぇッ――」
『バコォンッ!』
ローズの一撃で卒倒する。背後から襲いかかろうとした別の男に対し、ローズは身をかがめて腕を掴むと、そのまま豪快にテーブルへと叩きつけた。
『バリバリガシャーンッ!!』
店内は完全なる阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。飛び交うボトル、砕け散るテーブル、魔族たちの悲鳴。その渦中を、ローズはまるで部屋の掃除でもするように淡々と突き進んでいく。
暴風が去った後、その場で立ち続けていたのは彼女一人だけだった。
表では、気絶したワニの魔族を兵士たちが鉄籠の中へと引きずり込んでいた。ケンはその光景を、呆然とした顔で見つめていた。
「……」
案内したオーガも、どう言葉を発していいのか分からずにいた。
ローズは何事もなかったかのように馬に跨がった。
「次はどこ?」
オーガは恐る恐る別の通りを指差した。
「まだ……候補がおります」
「なら、行くわよ」
ケンは疲弊しきった様子で目を閉じた。
「……厄介な一日になりそうだな」
そして、まさにその通りの一日となった。
続く数時間、ローズは王都の主要拠点を次々と襲撃した。怪しげな酒場、闇市場、地下闘技場、さらには無法者のアジトまで。
王都屈指の猛者たちが次々と打ち伏せられ、捕縛され、あるいは「この小柄な人間司令官に挑み続けるよりは、大人しく召抱えられた方が遥かに安全だ」と悟らされていった。
日の暮れる頃、ローズの部隊が引き連れていた大型馬車は完全に満員となっていた。
オーガ、ワーウルフ、ミノタウロス、イノシシ男、そしてもちろん、巨大なワニの魔族。彼ら全員が頑丈な鉄籠の中に押し込められている。
馬を下りたローズが深呼吸をする横で、同行した兵士たちは完全に精根尽き果てていた。ケンがようやく彼女に歩み寄る。
「……司令官の役割を、随分とお気に召したようだな」
ローズは真剣な面持ちを崩さない。
「私の責任よ」
ケンは数秒間、無言で彼女を見つめた。
「……もっとも、その役職は君が勝手に名乗り始めたものだがな。デルガドが命じたのは近衛隊の『創設』であって、『指揮』ではない」
ローズはゆっくりと首を巡らせた。
「……あんたから先に鍛え直してあげようか?」
ケンは即座に口をつぐんだ。
「……遠慮する」
ローズが鉄籠へと歩み寄ると、中にいた魔族たちは一斉に静まり返った。一番巨大で獰猛だったワニの魔族ですら、数時間前のような傲慢さは見る影もなかった。
ローズは全員を厳しく見下ろした。
「よく聞きなさい。今日からあんたたちは、魔王近衛騎士団の構成員よ」
「――なッ!?」
「勝手なことを言うなッ!」
「おれたちは自由な魔族だぞッ!」
ローズは彼らの反発を冷たくあしらった。
「私が直々に鍛え上げてあげる。魔王陛下を護るにふさわしい兵士になりなさい」
ワニの魔族が不満げに鉄格子を叩いた。
「くそっ、人間め! 強制できると思うなよッ!」
ローズは静かに腕を組んだ。
「脱走したければ好きにすればいいわ」
囚人たちが静まり返る。
「ただし……近衛騎士団を裏切った者は、デルガド王子が直々に始末をつけることになるけれど」
場に完全な死の沈黙が訪れた。
ワニの魔族はガタガタと震えだし、大人しく籠の床に座り直した。
「……魔王陛下にお仕えするのも、悪くない気がしてきたぜ」
ケンは吹き出しそうになるのを耐えるため、慌てて顔を背けた。
◆◆◆
「――と、兵士たちから報告を受けました」
デルガドが報告を締めくくると、デスクの向こう側にいた吉田は、ここ数分で初めて小さく口元を緩めた。
「……ローズらしいな」
「現在、彼女は近衛騎士団の四つの小隊を激しく鍛え上げております」
「四つも!?」
「はい」
デルガドは頷いた。
「ケン・アラタカ殿も手伝いに入っておられます」
吉田の笑みが、一瞬で消え去った。
「……あ、そう」
途端に、玉座の間に気まずい重苦しさが戻ってきた。吉田はペンを置くと、ゆっくりと立ち上がり、室内を歩き始めた。
「ところで、デルガド」
「はい、陛下」
「俺の打ち出す『法』を徹底させるためには、やっぱりまともな軍が必要だ」
デルガドはしばし思案した。
「この国が、そのような体系化された『法』によって治められた前例はございません」
「分かってる」
吉田は窓辺で足を止めた。
「だけど、この場所を変えたいなら、ただ命令を出して全員が従うのを待つわけにはいかないんだ」
デルガドは深々と頭を垂れた。
「ならば、我らがやり遂げましょう」
吉田は驚いて振り返った。
「マジでか?」
「帝国の正規軍は私が掌握いたします。近衛騎士団はロゼット嬢が組織し……そして陛下は」
デルガドはさらに深く礼をした。
「……統治をお続けください、陛下」
吉田はその場に凍りついた。
「最後の一言、お前が言うとすごく恐ろしく聞こえるんだけど……」
デルガドは答えず、もう一度礼をして玉座の間を辞していった。
重厚な石の扉が閉じ、吉田は再び一人取り残された。
疲れた溜め息を吐き出し、席の傍らに立てかけられた光の聖剣を見つめる。
その表情は一転して真剣なものとなった。連日先送りにしていた『あること』を思い出していたのだ。
ローズには、彼女自身の聖遺物が必要だ。
吉田は、自らが魔王となった際に手に入れた『地獄の剣』を思い浮かべた。その手が、ゆっくりと力強く握りしめられる。
「……そろそろ、あいつに渡す時だな」
海外の作者なので、時々不自然な表現や誤字・脱字をしてしまうことがあります……。読者の皆さんにしっかり伝わる話が書けるよう精一杯頑張りますので、温かい目で見守っていただけると嬉しいです!




