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『二つの世界、一人の魔王』~東京2080からエヴァの大地へ~  作者: 黒猫
第十章:魔神帝国の統治
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第98話:私の人生に現れた新しい人々

【吉田視点】


  この街の歴史を知らずに訪れた者なら、誰しもここが『一国の首都』だとは夢にも思わないだろう。


  街の路地を歩きながら、俺自身もまったく同じことを考えていた。


  人が多すぎ、建物が過密に押し込められすぎ、馬車が一台通るのがやっとの狭隘な路地が多すぎる。


  地面は湿り気を帯び、場所によっては家々の間にドブ川のような汚水の小川が流れていた。


  食べ物の屋台は工房や鍛冶場、バラック同然の露店と乱雑に混ざり合い、様々な種族がそれが当たり前であるかのように行き交っている。


  オーク、オーガ、ミノタウロス、ワーウルフ、ドワーフ……果ては、翼を生やした貴婦人風の女性と激しい口論を繰り広げるトカゲ男の姿まであった。


  前進を続けていると、見たこともない珍獣の肉を売る露店の前に出た。


「……ありゃ一体何肉なんだよ?」


  思わず独り言を漏らす。


  すると、肉屋の店主が即座に顔を上げた。


「山岳獣の肉にございます、陛下」


  俺はその場でフリーズした。


(……バレてんの!?)


  慌ててフードを深くかぶり直し、素顔を隠す。


「……その呼び方はやめろ」


「御意にございます、陛下」


「それもやめろッ!」


  男はただただ穏やかに微笑むだけだった。


  俺は何事もなかったかのように装い、そそくさとその場を離れた。


  数分後、一人の子供が不注意に俺の足元へとぶつかってきた。


「あッ!」


  その小柄な子供は豪快に尻もちをつき、顔を上げて俺と視線を交わした。


  数秒間、子供は固まっていた。俺の銀白の髪と赤蓮の瞳が、彼には相当異様に映ったに違いない。


  すると突然、その子はどこまでも無邪気で、弾けるような満面の笑みを浮かべた。


「へへっ!」


  そのまま跳ね起きると、一目散に走り去っていく。


「え……?」


  人混みの中へ消えていく小さな背中を、俺は呆然と見送った。


(変なガキだな……)


  さらに王都の探索を続ける。


  数分後、少し離れた場所から聞こえてきたけたたましい怒号に、俺は思わず足を止めた。


「――触るんじゃねぇって言っただろッ!」


「――わざとじゃねぇよッ!」


「――わざとじゃなく尻を鷲掴みにしてきたのかよッ!?」


「――そこに尻があったからだろッ!」


「……」


  数メートル先で、巨大なワーウルフが小さな酒場の前でオーガと取っ組み合いの大喧嘩を演じていた。


  給仕長らしき女性が無駄な仲裁を試みる横で、大勢の客たちが囃し立て、金を賭けて大騒ぎしている。


「行けぇワーウルフ!」


「オーガの鼻柱を叩き折ってやれ!」


「でけぇ奴に二十枚賭けるぜ!」


  俺はその混沌とした惨状を数秒間眺めた後、関わらないことを決意して足早に立ち去った。


  宮殿を出てまだ数時間だというのに、すでに頭の痛い問題を十分すぎるほど抱えているのだ。


  さらに狭い路地を進んでいると、さっきぶつかってきた子供が路地裏へ向かって素早く走り去っていくのが見えた。


  胸に妙な好奇心が芽生え、俺はその子の後を追うことにした。


  少年は石造りの壁の裏手へと消えた。


  辿り着いた先は、巨大な古代の石造水路の脇で行き止まりになっていた。


  近寄り、水路の基部にある小さな空洞に気づいて膝をつく。


  覗き込んだ俺は、息を飲んだ。


「な……」


  内部には、バラックと呼ぶのも憚られる粗末な小部屋が存在していた。


  大量の藁の上には一人の少女が横たわっており、先ほどの少年がその傍らにぴったりと寄り添っていた。年格好は彼より上だが、まだまだ若い。


  彼女は古く擦り切れた毛布に包まれ、明らかな苦悶の息を吐き出していた。


  突如、少女が激しく咳き込む。


「ゴホッ……! ゴホッ……!」


  少年が目を丸くして入口を振り向いた。


「誰……?」


  少女は力を振り絞り、ゆっくりと体を起こそうとした。


「姉ちゃん……」


  彼女の視線が俺へと向けられる。


  数秒間、固まっていた彼女だったが、やがてその瞳が信じられないというように見開かれた。


「へ……陛下……!?」


  少年が誇らしげに胸を張った。


「ほらね! 僕が言った通りでしょ!?」


「何をバカなことを言ってるの、ナラ……」


  俺は言葉を失っていた。


(ナラ……それがこの子の名前か)


  フードを外し、素顔を晒す。


「勝手に入ってごめん。でも……」


  狭い隙間を這い進み、二人の生々しい生活の現実をその目で確かめる。


  そこは水路の下の単なる空洞に過ぎず、藁と獣の皮を敷いた簡易ベッドが二つ、擦り切れた毛布が数枚、そして歪んだ土器が数個転がっているだけだった。


  他には何もない。


  地面には黒い血液の染みが点々と残っており、少女は座っていることすらままならないほど衰弱していた。


  その光景に、かつての自分の姿が強く重なった。


  長年、自分の体を動かせず、最も基本的なことすら他人に依存せざるを得なかったあの感覚を、俺は痛いほど知っている。


  ただ背を向けて立ち去ることなんて、できるはずがなかった。


「……怪我をしてるのか?」


  少女は弱々しく首を振った。


「いいえ……なんでもありません……っ」


  彼女は無理やり立ち上がろうとした。


「陛下がおいでになられたのです! 丁寧にご挨拶を申し上げねば……っ!」


「え!?」


  少女は少年の耳を引っ張った。


「頭を下げなさい!」


「痛っ! 痛たたたたっ!」


  少年が即座に平伏し、俺は慌てて両手を振って制止した。


「そんなことしなくていいから!」


  少女は深く礼をしようとしたが、極限まで衰弱した体は完全にバランスを失った。


「あ……!」


  地面に激突する直前、俺は素早く踏み込んで彼女の体を抱き留めた。


「おいっ!」


  少女は俺の腕の中で完全に硬直した。


「へ、陛下……」


「無理に立つな」


  慎重に抱き上げる。


  予想を遥かに超えて、彼女の体は軽かった。……軽すぎた。


  なんてことだ、骨の感触がはっきりと伝わってくるほど痩せ細っている……。


「ひどい状態だな。……よし、決めたぞ」


  俺は足元にいる少年を見下ろした。


「お前も一緒に来い」


「どこへ?」


「宮殿だ」


  少年の瞳が瞬時に輝いた。


「宮殿に!?」


「ああ。あそこなら、お姉さんの治療ができる」


  少女は驚愕のあまり目を見張った。


「ですが……私たちのような者が……」


「関係ない」


  自分が何をしようとしているのか、明確な計画なんてなかった。


  だが、ここで二人を見捨てて去れば、一生後悔することだけは分かっていた。


  俺たちは隠れ家を後にした。


  街路を歩いて戻る途中、遠くから通行人たちの会話が耳に飛び込んできた。


「おい、例の噂を聞いたか?」


「どの噂だ?」


「魔王陛下がご自分の女を取り戻し、五賢者を返り討ちにしたって話だよ!」


「マジかよ!?」


「さらに『魔法の女神』まで降臨したって話だぜ!」


「ってことは……陛下はおそろしいほどお強いお方なんだな!」


  街の群衆が急速に活気づき始めていた。


「魔王陛下万歳!」


「陛下万歳ッ!」


  俺は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。


(……)


  腕の中の少女が、俺をじっと見つめてくる。


「陛下……」


「なんだ?」


「本当に……五賢者を倒されたのですか?」


「ええと……」


  実際には誰も倒しておらず、レヴ・ヴァレリウスに惨めなほどボコボコにされただけだなんて、どう説明すればいいのか分からなかった。


「まあ……色々大変だったんだよ」


  少女は弱々しく微笑んだ。


「やっぱり……お強いのですね」


「いや、そういうわけじゃ……」


「絶対そうだよ!」


  ナラが俺の代わりに元気いっぱいに叫んだ。


「姉ちゃんの言う通りだ!」


「お前たち二人とも、盛大な勘違いをしてるんだが……」


  だが、二人とも俺の言葉に耳を傾ける様子はなかった。


  そして事態をさらに最悪にする出来事が勃発した。


  路地の先から巨大なオーガの集団が現れ、続いて重装甲を纏ったミノタウロスの分隊が進軍してきたのだ。その足音だけで地面がズズズと振動する。


  群衆が割れ、道を開け始めた。


「何が起きてるんだ……?」


  オーガの一人が俺の前まで進み出ると、うやうやしく膝をついた。


「魔王陛下ッ!」


「え?」


「なぜ誰にも告げずに城を出られたのですかッ!?」


「あー……」


  俺は頭を掻いた。


「ちょっと退屈でね」


  オーガは至極真面目な顔を崩さない。


「……」


「ハハハ……」


  誰も笑わなかった。


「陛下」


  集団の奥から別の兵士が進み出て告げた。


「ベイカー親衛隊長が、陛下捜索の過程で複数の兵士を殴打し、暴言を吐き散らかしております」


「は?」


  空を見上げる。


「マジで?」


  まあ、ローズのやることだと言われれば何一つ驚きはなかったが。


  その時、周囲の群衆からざわめきが波紋のように広がり始めた。


「あのお方が……?」


「あの御方が、魔王陛下なのか……!?」


「魔王陛下だーッ!」


  人々が興味津々で集まり始める中、ナラが誇らしげに胸を張り、群衆に向かって叫んだ。


「このお方が魔王陛下だぞー!」


  俺は静かに目を閉じた。


(頼む……余計なことを言うな……)


「僕の姉ちゃんを助けるために、宮殿へ連れて行ってくれるんだ!」


(このガキめ……っ!)


  群衆の反応は即座、かつ爆発的だった。


「――魔王陛下万歳ッ!」


「――陛下万歳ッ!」


「――魔王陛下が我らを護ってくださるぞッ!」


  通り全体が歓声の渦に包まれ、次から次へと人々が集まってくる。


  腕を突き上げる者、涙を流して微笑む者、行列の後ろについて歩き始める者たち。


  俺は病気の少女を抱きかかえたまま、数百の魔族たちがまるで世界を征服したかのように大騒ぎする中心に突っ立っていた。


  隣の兵士を見る。


「……これ、完全に収拾がつかなくなってないか?」


  兵士は生唾を飲み込み、明らかに緊張していた。


「……はい、陛下」


  群衆はすでに通りを完全に封鎖していた。


  しかし、誰一人として暗い顔をしている者はいなかった。この帝国に来て初めて、人々がこれほど晴れやかに笑う姿を目にしたのだ。


  もしかしたら……ほんの少しだけ、俺にできる『本当のこと』があるのかもしれない。


  疲れた溜め息を一つ吐き出す。


「はぁ……散歩のつもりが、どうしてこうなったかねぇ」


  護衛の兵士が気まずそうな表情で近づいてきた。


「陛下……次回からは……どうかお出かけの前に一言お知らせください」


「はいはい、約束するよ」

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