第97話:魔族の王
【吉田視点】
日が経つにつれて、夕食時の混沌とした奇妙な議論は、城内においてすっかり日常の風景となっていた。
エレノアはワインを水のように煽り、シェイリーは彼女とまともな会話を成立させようと試み、ローズはかなり無口なままで、ケンは俺たちとは別の世界に住んでいるのではないかと思えるほど静かに佇んでいる。
対する俺はと言えば、料理にはほとんど手をつけていなかった。
魔神帝国に帰還して以来、俺は自分がどうしても理解の及ばない状況の中に閉じ込められているように感じていたのだ。
夕食を終え、自室へと戻る。
だが、部屋に閉じこもっていると、ただでさえ重苦しい思考がさらに膨らんで、耐えがたくなっていった。
(……ダメだ、胃が重い)
頭を冷やすため、俺はあてもなく宮殿の廊下を歩き回ることにした。
黒く巨大な壁面は松明と魔導結晶の光で照らされ、時折、夜間の執務をこなす魔族の兵士たちがコツコツと足音を立てて通り過ぎていく。
その時だった。
――俺が、あいつを見かけたのは。
ケンが黄金の槍を肩に預け、一人で廊下を歩いていた。
視線が交錯する。
数秒間、お互いに何も言葉を発しなかった。沈黙を破ったのはケンだった。
「お前が加藤吉田だな?」
俺は彼をじっと見つめた。
「今更な質問だけど、ああ、そうだ」
会話をする気分ではなかったので、そのまま彼の脇を通り抜けようとした。
驚いたことに、ケンは俺の後ろをついてきた。数メートルほど無言で歩いた後、彼が再び口を開く。
「なぜ俺がここにいるのか、疑問に思わないのか?」
俺ははぁと疲れた溜め息を漏らした。
「考えるべきことが山積みでね。正直、そこまで頭が回らないんだよ」
ケンは僅かに眉をひそめた。
「俺は自分の国を追放され、罰としてお前を監視するよう命じられたのだ」
足を止め、彼に振り返った。
「罰……?」
どういうわけか、この男は魔神帝国にいることを、まるで収容所に送られたかのように語っていた。
俺が聞いた限りでは、彼はライオンハートの戦いにおいて俺たちの側に立ち、デルガドの治療を受け、チェーンで繋がれたわけでも、魔族の料理を無理やり食わされているわけでもない。彼には立派な個室すら与えられているのだ。
(それなのに、まだ『罰』だと思ってるのか……?)
関わらないのが一番だと判断し、俺は再び歩き出したが、ケンには俺を解放する気はないようだった。
「これだけは知っておけ」
「なんだよ?」
「俺はローズを連れて出て行く」
ピキッと再び足が止まった。
だが今度は違った。血管の中の血液が一気に凍りつくような感覚が走ったのだ。
ゆっくりと彼の方へ顔を向ける。ケンは冷ややかな眼差しで俺を凝視していた。
「お前は化け物だ……」
冷酷な声が響く。
「その『ザリア』とかいう少女の後ろ盾があったのは幸運だったな。彼女がいなければ、賢者どもはお前を迷わず抹殺していただろうよ」
ギシリと奥歯を噛み締め、歯ぎしりをする。
議論なんてしたくなかった。喧嘩を始める気もなかったし、何より、ただの会話を『宣戦布告』に変換してしまうデルガドに余計な口実を与えるわけにはいかなかった。
「それについては、どうでもいい」
俺は最終的にそう答えた。
「それに、俺は誰かをここに無理やり引き留めるつもりはない。出て行きたいなら好きにすればいい」
ケンは厳粛で毅然とした態度を崩さなかった。
「ローズを置いていく気はない」
一瞬間、俺は本気で部屋へ走り戻り、デルガドを呼んで「こいつを今すぐ叩き出せ」と言いたくなった。
だが、思い直して踏みとどまった。すでに十分すぎるほど問題を抱えているのだ。これ以上新しい揉め事を作る必要はない。
その時、ワイワイと廊下の向こう側から複数の話し声が近づいてくるのが聞こえた。
「吉田はどこに行ったのかしら?」
「たぶん部屋に閉じこもってるんじゃない?」
「退屈ねぇ!」
すぐに誰だか分かった。
曲がり角からローズ、シェイリー、そしてエレノアが姿を現した。長廊の真ん中で俺とケンが対峙しているのを見つけ、彼女たちはピタッと足を止めた。
立ち止まり、俺たちを見つめ、それから互いに顔を見合わせる。
エレノアは面白がるようなニヤリとした笑みを浮かべ、ゆっくりと片方の眉を跳ね上げた。
「あらあら……こんな夜更けに男二人で何やってるの?」
ケンは完璧な仏頂面を貫いていたが、俺は嫌な予感が加速していくのを感じていた。
シェイリーが首を傾げる。
「何か大事なお話でもされていたのですか?」
エレノアはあごに手を当て、芝居がかった真剣な目つきで俺たちを凝視し始めた。
「むむむ……」
彼女はニヤリと口角を吊り上げた。
「二人って……デキてんの?」
「――なッ!?」
思わず素で大声が出た。
一方のケンも、俺が出会って以来初めて、完璧に冷静さを喪失した表情を露わにした。
「な、何を馬鹿なことを言っているッ!?」
エレノアが大爆笑し始める。
「ギャハハハッ! ちょっと見なさいよ二人の顔!」
シェイリーは口元を手で覆い、漏れ出る小笑いを必死に隠していた。
「エレノア、そんなこと言うものじゃないわ」
「なんでよ? 二人きりでじっと見つめ合ってたじゃない!」
「ただ話をしてただけだ!」
俺は抗議した。
「はいはい、怪しい奴ほどそう言うのよねぇ~」
「どういう意味だよッ!?」
エレノアが腹を抱えて笑う中、ローズだけは無言のまま、かなり複雑な表情で俺たちを見つめていた。
やがて彼女はハッと視線を逸らしたが、その時何を考えていたのか、俺にはさっぱり分からなかった。
これ以上ここに留まる気力もなくなり、俺は彼女たちの脇を通り抜けた。
「……おやすみ」
「あ、待ちなさいよ吉田ぁ!」
後ろからエレノアのからかうような叫び声が追いかけてくる。
「怒るなってみっともないわよ、ラブラブカップルちゃん!」
「うるせぇッ!!」
彼女の豪快な笑い声が廊下全体に響き渡った。
そんな呆れるほどバカバカしいやり取りで夜は更けていったが、一つだけ確かなことが頭に残った。
ケンが味方なのか敵なのか、俺には未だに分からない。そしてそのことが、俺を酷く不安にさせていた。
◇
翌朝、俺は城を出ることにした。
サッとフードを深めにかぶって素顔を隠し、誰にも告げずに城を後にした。
自分の目でこの帝国を見る必要があったからだ。玉座の上からでもなく、デルガドの完璧に整理された報告書を通してでもなく。
なぜか今、自分の国と呼ばなければならなくなったこの場所を、俺自身が知りたかった。
王都の街中に足を踏み入れた瞬間、自分がこれから目にするものに対する覚悟がまるで足りていなかったことを痛感した。
街は真に広大で、至る所に多様な種の魔族が闊歩していた。
ドスンドスンと重い荷物を運ぶオーク、小さな工房の前で議論を交わす褐色のエルフ、箱を搬送する人狼、そして――生まれて一度も見たこともないような怪異な生物たちが人混みの中を慌ただしく行き交っている。
だが、そんな異国情緒への呑気な感心なんて、彼らの置かれた惨状を目にした瞬間に吹き飛んだ。
路地は狭く密集しており、道の端にはドブ川のように汚水が流れ、下水の不快な臭気が屋台から立ち上る食べ物の煙と混ざり合って鼻をつく。
建物は朽ち果て、今にも崩れ落ちそうな崩壊寸前の状態でかろうじて建っていた。
実に――この帝国は、どこまでも広大で、胸が痛むほどに貧しい国だった。
毎日更新を目指して頑張ります! ただ、時々更新するのが難しくなることもあります(笑)




