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『ロゼット・ベイカーの日記』 ~二つの世界でやり直す女騎士~  作者: 黒猫
第七章:ライオンハートの戦い、巨頭の決闘
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第91話:交渉

 

【吉田視点】


 状況は完全に臨界点を突破していた。


 誰かがもう一歩でも踏み込めば、王都が跡形もなく消滅しかねない極限状態。


 若い女王カミーユにしてみれば、交渉のテーブルにつくこと以外の選択肢は残されていなかった。


 当然ながら、誰一人として納得などしていない。


 一方では騎士や五人の魔導王、そして複数の代表騎士どもが「今すぐ俺とローズをここで処刑しろ」と怒号を上げ、もう一方では数少ない魔族どもが「今すぐ街を出て行く」と主張する。さらには諸国の使節たちが、誰一人解放しないよう保障を求め……。


 怒声と罵声が何時間も交錯した末、ようやく一時しのぎの折り合いがついた。


 ……まあ、気休め程度の一時停戦だがな。


 手短に言えば、翌日、俺たちはウォーリック城で最も高い塔の最上階に集められていた。


 そう、全員だ。


 数時間前までは広場で殺し合いを演じていた当事者たち。元々はローズの処刑が執り行われるはずだった、あの広場でだ。


 王都は見るも無惨な荒れ様だった。


 大半の住民は初期の混乱で避難を終えており、街並みはまるで死の街と化していた。人々の間には底知れぬ恐怖と混乱が渦巻いており、噂は瞬く間に駆け巡り、夜が訪れる頃にはその一報が王国中を震撼させていた。


『魔王出現。五人の魔導王との激突。騎士の処刑の中断。王都強襲。さらには魔法の女神の出現と、裏切りを働いた代表騎士たち……』


 ウォーリックの民にしてみれば、世界の終わりでも始まったと思ったに違いない。


 幸いにも凄まじい不安が渦巻く中、カミーユ女王が市街地へ軍を展開させ「状況は統制下にある」と声明を発したことで、民衆も少しずつ家屋へと戻り始めていた。


 一方で、俺はかなり危険な賭けに出た。


 魔族の王子デルガドに、例のドラゴンを伴って即座に北部へ向かうよう命じたのだ。「敵軍の進軍を阻止する」という名目でな。


 もちろん、全部ハッタリだ。


 北部になんぞ、俺の軍勢なんか待っちゃいない。


 魔神帝国の兵をかき集めるだけで数ヶ月はかかるし、ウォーリックまで移動させるなんて物理的に不可能だ。だが、手札があると思わせる必要があった。


 まさか「あ、ちなみに俺一人っす。全部ハッタリでした!」なんて正直に言えるわけがない。


 そんなことを言った瞬間に蜂の巣にされる。


 正直、何一つとして計画通りにいっていなかった。全てが狂いまくっていた。


 五人の魔導王たちの強さを完全に舐めていたのだ。覚醒した魔王の力なら一捻りだろと高をくくっていたら、人生最大のボコボコにされた。


 その上、絶対同じ場所に揃うはずのない連中まで現れた。七人の代表騎士、ケン、アレッシオ、軍神、そしてナターシャ・ザリア。


 特に彼女だ。


 未だに彼女がなんでここにいるのか、まるで意味が分からなかった。


 話し合いが始まったのは、すっかり夜が更けてからだった。


 城の一番高い塔は、巨大な魔導ランプで明るく照らされている。窓からは戦闘で痛々しく傷ついた王都が見下ろせ、兵士たちの巡回する松明の明かりが瓦礫の間を揺れていた。


 俺たちは一人ずつ部屋へ入っていく。


 五人の魔導王はすでに着席していた。あの酔っ払い海賊もなんとか辿り着いたようだが、停戦よりも酒瓶に夢中になっている様子だった。


 シェイリーは、俺から数席離れた場所に座るローズにぴったりと張り付いている。俺は上座の一つに腰を下ろし、ケン・アラタカがその隣に陣取った。そして驚いたことに……


 ナターシャがテーブルの向こう側から、チラチラと俺を盗み見てくるのだ。


 目が合うたびに、彼女は「気づいてませんけど?」と言いたげな顔でサッと視線を逸らす。


 マジで、この少女の考えていることが分からない。


 おまけに最悪な面々として、アレッシオ・ゼドリエルと、かつてローズを痛めつけた七人の代表騎士たちも同席していた。それが一番解せなかった。なんでこのクソ野郎どもがここにいるんだ? 点と点を繋ごうとすればするほど頭が痛くなってくる。


 やがて、部屋の重厚な扉が重々しく閉ざされた。


 カミーユ女王の姿はなく、彼女は交渉を代理人に委任したようだった。


 代わりに一人の男が立ち上がった。昼間の戦闘で俺をボコボコに殴り飛ばしてくれた魔導王の一人だ。


 最高だな。実にツイてらっしゃる。


 その男は衣服を整え、荘厳なトーンで口を開いた。


「カミーユ女王より、この交渉の最終決定権を委ねられた」


 男はテーブルの者たちを順に見回した。


「私はアレハンドロ三世、ウォーリックの魔導王にして王配である。今夜我々が集ったのは――」


 数秒ほど喋らせておいたが、正直耳に毒だった。


 全身激痛の嵐に見舞われている真っ最中だ。長々と繰り広げられる形式ばったスピーチに付き合う体力も気力も残っていなかった。


 だから、俺はぶっきらぼうに言葉を遮った。


「俺――魔王としての要求は一つだけだ」


 一瞬で全員の視線が俺に刺さる。俺は肘をテーブルにつき、アレハンドロを真っ直ぐに見つめた。


「ロゼット・ベイカーを連れて、自分の国へ帰る。条件を飲めるか? 呑むか、拒むか、二つに一つだ」


 直後に訪れた静寂は、痛々しいほど気まずかった。まるで先祖の墓を蹴り飛ばしたかのような目で見られている。


 その時、冷ややかな声が部屋の反対側から静寂を切り裂いた。


「私の娘のことを言っているのかね」


 ジェイソン・ベイカー。


 彼の眼光は他の連中とは一線を画していた。声を荒らげることもなく、ただ一言で「タダで渡す気は毛頭ない」と伝えてくる。


 魔導王たちや、場にいるほぼ全員からの刺さるような殺気と敵意が肌を焼く。言葉一つ掛け違えれば、再び凄惨な殺し合いが始まる――まさに一触即発の緊張感だった。


 だが……何かおかしかった。


 全員が必死に自分を抑え込んでいるように見えたのだ。理由が分からない。


 俺はゆっくりと首を横へ向けた。そして、見てしまった。


 俺の椅子のすぐ真後。そこに背の高い少女が立っていた。黒髪に奇妙な服、そして完璧なまでに静寂を保った表情。話し合いが始まってから、一言も発していない。


 まるで……俺の護衛か?


 一番恐ろしいのは、彼女がいつ俺の後ろに立ったのかすら全く気づかなかったことだ。


 ナターシャ・ザリア。


 彼女はただじっと動かず、テーブルについた全員の動きを冷徹に見定めていた。その瞬間、俺は悟った。彼女こそが、誰も俺に手を出せない理由なのだと。


 魔導王は俺を殺したい。ジェイソン・ベイカーも俺を殺したい。代表騎士たちも一刻も早く俺の首を跳ねたい。


 だが、この少女が俺の隣に立っている限り、指一本動かすことすらできないのだ。


 生唾をゴクリと飲み込む。


『この子……マジで怖すぎるだろ……』


 再び視線をテーブルに戻す。ナターシャの頭の中はさっぱり分からないが、一つだけ確固たる予感がした。もし俺がここでバカな口を滑らせたら、周りに殺される前に、彼女に首を跳ね飛ばされる。


『……言葉を選ばねえと命がないな』


 今夜初めて、俺は衝動で喋るのをやめた。自分のバカな勘を命がけで試す趣味はない。


「……俺とローズの今後について話す前に、俺の身に起きた『物語』を聞いてほしい」


 ――荒々しく叩きつけられた手がテーブルを打った。


「戯言をッ!」


 レヴ・ヴァレリウスが純粋な苛立ちから青筋を立てて叫んだ。ただし、今回は椅子から立ち上がりはしなかった。


 俺は怒りを呑み込み、深く息を吐き出した。


「俺が魔王だから嫌われているのは分かっている……だが、頼むから話を聞いてくれ」


 要するに、後ろの少女に跡形もなく消されたくない一心で、俺は必死に丁寧な態度を演じていたのだ。当のナターシャは無表情のままだが。


 そうして俺は話し始めた。


 自分がこの世界の人間ではなく「日本」という場所から来たこと。幼い頃から重い病気を患い人生を狂わされたこと。そして詳細は省きつつも、弟の存在について軽く触れた。


 それからローズと出会い、どうしてこの世界に巻き込まれ、あの日からどのようにして昨日の大惨事へと転がり落ちていったのかを説明した。


 自分の人生のすべてを話したわけじゃない。ただ、俺が好きで魔王になったわけでも、この世界を滅ぼしたくて来たわけでもないことだけは理解してほしかった。


 ようやく話し終えると――


「あ~あ……」


 アレッシオ・ゼドリエルが、露骨でデカい欠伸をしながら体勢を崩した。


『このクソ野郎が……』


 他の連中に目をやる。アレッシオとは違い、全員が極めて真剣な表情を浮かべていた。魔導王たちの顔から最初の激怒が消え、どこか重々しい、何かを察したような顔つきに変わっている。


 まあ、全面的に信じたわけではないだろうが。嘲笑いたそうに鼻を鳴らす奴もいた。


 不意に、エレノアが口を開いた。


「ねえ、吉田」


 俺は振り返った。酔っ払い海賊は、マイペースに酒瓶を煽っている。


「アクセルのことも話してやりなよ」


 ……。


 全身の血が凍りついた。


 アクセル。


 俺はその名前を口にしていない。思い出しもしなかった。思い出したくもなかった。


 その瞬間――


 ――ガシャンッ!!


 テーブルの上のグラスが何個も跳ね飛んだ。魔導王たちが一斉に正気を失ったのだ。


 部屋の空気が一瞬にして極限の危険域へと跳ね上がる。先ほど消えかけていた息の詰まる圧力が、一気に押し戻されてきた。


 一人がナターシャを激しく睨みつけ、「説明しろ!」と叫んだ。


 他の連中も一斉にそれに追従する。俺には何が何だかサッパリ分からなかった。


 つい数秒前まで俺の後ろで静かに立っていたナターシャが、ついに反応した。その顔つきが劇的に変貌する。


「……よく説明しなさい、少年」


 その声は絞り出すようだった。恐怖からではない。狂おしいほどの純粋な怒りからだ。背筋を氷の針で刺されたかのような悪寒が走る。


 俺はゆっくりと首を彼女へ向けた。


「俺……?」


「アクセルについて、何を知っているの?」


「何も知らない」


 俺は嘘偽りなく答えた。


「何のことかサッパリだ。エレノアが俺にその名前を言ってきたのは――」


「さっさと説明しなさい!!」


「ナターシャ、落ち着きなよ!」


 エレノアがあっけらかんとした調子で割り込んだ。彼女は腕を伸ばし、ウォーリックの魔導王のワイングラスを奪うと、豪快に飲み干した。


「アタシが説明してあげるからさ」


 全員の視線がエレノアに集中する。彼女は俺が正気を失った時に起きたこと、技能の暴走、そしてその時に俺が口走った狂乱の言葉について語り始めた。


 俺にはそれが「アクセル」とどう関係しているのか全く理解できなかったが、周囲の顔色は刻一刻と変わっていった。バラバラだった点と点が繋がり始めていたのだ。魔導王たちは恐ろしいほどの真剣さで、一語一語に耳を傾けていた。


 エレノアが話し終えると、誰も口を開かない重苦しい数秒が流れた。


 やがて、五人の魔導王の一人が立ち上がった。続いてもう一人。さらにもう一人。


 部屋を支配していた圧力が、ゆっくりと霧散していく。言葉はなくとも、全員の腹が決まったのが分かった。多くを語ることもなく、彼らは塔の部屋から一人、また一人と去っていった。代表騎士たちもそれに続く。


 最終的に、巨大な広間には数人しか残らなかった。俺、ローズ、ケン、ナターシャ、軍神、レヴ・ヴァレリウス、そしてアレハンドロ三世。


 レヴがナターシャをじっと見つめる。


「掟を果たすまでは、お前を我らの魔法の女神とは認めん」


 ナターシャは静かに頷いた。


「分かっているわ」


「ならばショーン・エヴァンスに伝えておけ、生きているならの話だがな」


 レヴは顔を極限まで硬くして付け加えた。


「緊急の会議が必要だ、と」


「伝えておく」


 それから、レヴは視線を俺に突き刺した。


「貴様をどう処分するかは、ウォーリックの判断に委ねる」


 アレハンドロは数秒熟考してから、ゆっくりと口を開いた。


「我が国の安全を第一に考慮せねばならん。故に、諸君らの要求に反対はしない」


 重い溜め息をつく。


「ジェイソン・ベイカーには、お前がロゼットと共にこの国を去り、二度とウォーリックの土を踏まないことを伝達しておこう」


 マジで……? それだけか?


 あんな地獄を味わっておいて……本当にこれで終わりなのか?


 残りの連中が細部を詰めていく。


 結論は出た。ローズは俺と共に去ることが許され、即座の追撃も行われない。長かった戦いの中で初めて、胸のつかえが少しだけ降りた気がした。


 俺はローズを見た。彼女はすでに立ち上がっていたが、何も喋らない。視線を地面に落としたままだ。


「ローズ……」


 返事はない。


 俺が立ち上がろうとした瞬間、レヴが再び俺を制した。


「魔王」


 俺は奴の目を直視する。


「我ら魔導王は、お前を監視し続ける。いずれ、お前を討ちにいく」


 それが脅迫なのか警告なのかは分からなかった。


「……そうか」


 俺が応じる前に、軍神が言葉を挟んだ。


「ロゼット・ベイカー」


 ローズがわずかに顔を上げる。


「そして魔王……ミルバーで待っているぞ」


 ローズが何か言いかけたが、男は指を一本立てて制した。


「その少年に余計なことは言うな。質問があるなら、ミルバーに着いてから俺自らが答えよう」


 ローズは口を閉じ、俺はただ息を吐き出した。


 まばたき一つで俺を殺せるような化け物どもに囲まれたこの部屋に、一秒たりとも長居したくなかった。


 だから、会議の終了が告げられた瞬間、誰の指示も待たずに俺は真っ先に部屋を後にした。ローズを引き連れて。


 時間はすでに深夜だった。漆黒の夜がウォーリックの王都を覆い尽くし、城の窓からは巡回する兵士たちの松明の明かりが見える。


 明日どうなるのかは分からない。「アクセル」という言葉の意味も、ナターシャがあんなリアクションをした理由も、ザリア家が俺とどんな関係があるのかもさっぱりだ。


 だが今は、俺にとって唯一大切なものが手の中にある。ローズは生きていて、俺と一緒に帰るのだ。


 振り返ることもなく、俺たちは夜の帳が降りた城を後にした。

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