第79話:天空の聖者
一行は静寂に包まれながら、城のどこまでも続く廊下を進んでいた。
吉田はデルガド王子の隣を歩きつつ、ほんの数時間前までは化け物の巣窟だと思い込んでいたその場所をじっくりと観察していた。
だが、城の奥深くへ進むにつれて、ここがかつては巨大な帝国の心臓部であったのだと理解し始めていた。
黒い石造りの巨大な壁には、忘れ去られた王たちや凄惨な戦いを描いた古代のレリーフが刻まれている。
高い柱が穹窿天井を支え、擦り切れた古い軍旗が通路の上に静かに垂れ下がっていた。
靴音が何度も響き渡り、城の狭い窓から吹き込む遠い風の口笛と交じり合う。
吉田は驚きを隠せなかった。
薄暗く冷たい場所ではあったが、無視できないほどの荘厳さが漂っていたのだ。
少年は少し首を捻り、後ろを振り返った。エレノアが数歩後ろでシェイリーを片肩に担ぐようにして歩き、その後ろを数人の魔導騎士たちが、戦死した四人の騎士の遺体を荘厳に運んでいる。
誰も一言も発しない。普段なら一分とお喋りをやめない女海賊でさえ、今は軽口を叩く場面ではないと察していた。
吉田は再び視線をデルガドへ向けた。
「どこへ向かっているんだ?」
王子は歩調を緩めることなく歩き続ける。
「すぐに分かります」
相変わらずの素っ気ない返答だった。その短さに、後ろでエレノアが不満げに鼻を鳴らす。
「ったく、相変わらず言葉の少ない男だねぇ」
デルガドは顔すら向けなかった。
一行は廊下、階段、そして巨大な回廊を通り抜け、長い通路の突き当りにたどり着いた。そこには古い石の扉が少しだけ開いており、城の暗闇とは対照的な淡い光が漏れ出していた。
敷居を跨いだ瞬間、吉田は思わず足を止めた。
その部屋は、城の他の場所とは完全に異なっていた。
玉座も軍旗もなく、天井の開口部から一筋の光が降り注ぎ、部屋の中央に鎮座する巨大な岩を照らし出す広大な石室だった。
その岩には、一本の剣が突き立てられていた。
刃はまるで生きているかのように、ゆっくりと脈打つ柔らかい白光を放っている。吉田が腰に下げている黒い剣とは対照的に、温かく、荘厳で、どこか神聖な気配を漂わせていた。
数秒間、誰も声を発しなかった。エレノアすらも口をぽかんと開けたまま、その剣を見つめている。
やがて、デルガドが静寂を破った。
「我が王よ……」
王子は光に包まれた剣を指差した。
「あの剣が見えますか?」
「ああ」
それから、ゆっくりと吉田の腰元へ視線を移す。
「では、ご自身が携えている剣をご覧ください」
吉田は別れ際にロゼットが託してくれた黒い剣へ視線を落とした。少しだけ眉をひそめる。
「この剣がどうしたんだ?」
デルガドはしばし吉田を見つめた後、問いかけた。
「その剣の名をお聞かせいただけますか?」
吉田は手持ち無沙汰そうに柄を撫でた。
「実は……俺の剣じゃないんだ」
ロゼットの顔を思い浮かべ、彼の唇に微かな笑みが浮かぶ。
「友達がくれたんだよ。『地獄の剣』だって言っていた」
初めて、デルガドがゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、我が王よ」
彼の声は断定的だった。
「そちらこそが……『地獄の剣』でございます」
少年は驚きに目を見開いた。
「え……?」
本能的に再び武器へと視線を落とす。黒い鋼は部屋に入り込む光を吸い込んでいるかのようで、より一層不気味な様相を呈していた。
デルガドは極めて冷静に言葉を続けた。
「だからこそ、そのような色をしているのです」
吉田はしばらく沈黙した。
「じゃあ……」
彼の表情に深い困惑が浮かぶ。
「ローズが間違っていたのか……?」
王子はすぐには答えなかった。ただ手を挙げ、岩に突き立てられた白い剣を指差した。
「貴方様の目の前にあるあの剣……」
彼の声が部屋中に静かに響き渡る。
「あれこそが、『光の剣』にございます」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、後続の一行の足音が部屋を満たし始めた。
エレノア、魔導騎士たち、そしてシェイリーと四人の騎士の遺体を運ぶ兵士たちが静かに入り込み、何のためにここへ連れてこられたのか分からぬまま周囲を取り囲む。
デルガドは再び吉田を見た。
「貴方様が腰に下げている剣は、本来ならば別の者の所有物……」
言葉の途中で少し間を置く。
「貴方様が口にされたその少女こそが……『地獄の剣』の正当な所持者なのです」
吉田の目がさらに見開かれた。
「ローズが……?」
王子は静かに頷いた。それから、岩の上で微動だにしない白い剣へと視線を戻す。
「対して……」
彼の声に荘厳な響きが加わる。
「『光の剣』には、未だ所持者がおりません」
息をのむような静寂が部屋を満たした。
デルガドは一歩脇へ退き、光に照らされた岩への道を空けた。そして手を軽く差し伸べ、少年へ前進を促す。
「試してみたくはありませんか、我が王よ」
吉田は白い剣の前でしばらく動かずにいた。
銀色の刃の上に彼の姿が映り込み、内部で淡い光が脈打っている。まるでその武器が、気の遠くなるような年月を経てこの瞬間を待っていたかのように。無意識のうちに唾を飲み込んだ。この世界に来てから体験したすべてが、あまりにも唐突で理解を超えていた。
「本当に……引き抜いてほしいのか?」
デルガドは絶対的な真剣さをもって頷いた。
「それを行う前に、黒い剣を体から離してください。『光の剣』が所持者を認める際、二つの剣が近くにあってはなりません」
理由は分からなかったが、吉田は従うことにした。
腰から黒い剣をゆっくりと外し、石の床の上に置いた。それから深呼吸をし、岩までの最後の数歩を踏み出し、温かい光に包まれた柄へと手を伸ばした。
「お抜きください」
吉田の指が柄を握りしめた。抵抗感があるか、あるいは相当な力が必要かと覚悟したが、結果は真逆だった。ごく自然な動作で、剣は岩から抜け落ちた。
フウォーーーーーム!!
圧倒的なまでの白光が刃から爆発的に放たれ、誰一人として目を開けていられないほどの眩い輝きが部屋全体を包み込んだ。
その輝きは城の窓を突き抜け、天を突く柱となって魔族大陸の空へと立ち昇り、帝国の隅々までを照らし出した。
「あぁぁっ!」
古代の宮殿を埋め尽くす眩しさに、数々の魔族が顔を覆った。デルガドすらも目を細める。
光が少しずつ収まり始め、彼が再び少年の方へ視線を戻した時、その瞳が細かく震えていた。
「……こんなことが……あり得るのか……」
その言葉は、ほとんど囁きのように彼の唇から漏れ出た。
城のはるか上空では、何世紀もの間魔神帝国を覆い尽くしていた濃密な暗雲が、ゆっくりとひび割れ始めていた。
何世代もの時を経て初めて、太陽の光が遮られることなくこの忘れ去られた大地へと降り注いだのだ。
光は黒ずんだ山々、枯れ果てた森、灰色の平原を優しく撫で、瞬く間の変貌をもたらしていく。乾燥した草木は鮮やかなエメラルドグリーンを取り戻し、波のように野原を駆け抜けていった。葉を落としていた樹木には青々とした新芽が吹き出し、土の亀裂からは小さな野花が顔を覗かせる。
太古の昔から干上がっていた石造りの水路には、澄み切った水が満ち始めた。
新たな川のせせらぎが村や街へと広がり、長きにわたってこの大陸に付きまとっていた静寂を塗り替えていく。
住民たちは何が起きたのか理解できぬまま家々から飛び出してきた。ある老魔族は青空を仰ぎ見て膝から崩れ落ちた。
ある母親は涙を流しながら子供たちを抱きしめた。オーク、ミノタウロス、獣人、オーガ、そして数え切れないほどの種族の魔族たちが、二度と見られないと諦めていたその光を見上げていた。
やがて、歓声が上がり始めた。
「王だ!!」
「俺たちの王が戻られたぞ!!」
「魔神王様、万歳!!」
報せは驚くべき速さで街から街へと伝播していった。
忘れ去られていた鐘が再び鳴り響き、広場は歓声に包まれ、何千もの声が一斉に唱和して、永劫と思われた呪いから古の帝国が目を覚ます。
魔神帝国は、再び息を吹き返したのだ。
部屋の中では、吉田が完全に困惑した表情で白い剣を見つめていた。手の中で二、三度回すと、空に向かって一突きしてみせる。
ヒュンッ!
刃は驚くほど軽やかに動いた。
「これ……そっくりだ……」
少年は信じられないといった様子で柄を見つめた。
「……黒い剣と」
好奇心に駆られ、彼は屈み込んで床に置いてあった黒い武器を拾い上げた。再び身を起こした時、彼の右手には白い剣が、左手には黒い剣が握られていた。
二つの剣は完全に相反するオーラを放っていた。一方は温かく純粋な光を放射し、もう一方は周囲の明るさを吸い込んで闇を喰らうかのように存在している。
再び部屋に静寂が戻り、誰も口を開こうとしなかった。エレノアは開いた口が塞がらないといった様子だった。
「そんな……嘘だろ……」
デルガドでさえ、尊敬と困惑が入り混じった眼差しでその光景を見つめていた。同一の所持者が両方の剣を揃えて手にするなど、夢にも思わなかったのだ。
その時……一行の後方で激しい騒動が巻き起こった。
「な、なんだ何が起きている!?」
「見ろ!」
数人の兵士が跳ね起きるように身を引いた。魔導騎士たちが即座に部屋の奥へと振り向くと、ざわめきが一気に大きくなる。
「人間が……!!」
「人間たちが生き返ったぞ!!」
エレノアが真っ先に振り返り、その目がカッと見開かれた。数分前まで死体として運ばれていた四人の騎士たちが意識を取り戻し始め、荒い息をつきながらゆっくりと体を起こそうとしていたのだ。
同時に、シェイリーが小さなうめき声を漏らした。
彼女のまつ毛が震え、まるで長い長い夢から覚めたかのように、若いエルフの少女はゆっくりと目を開けた。
驚愕の叫びは、一瞬にして歓喜の爆発へと変わった。魔導騎士たちは、物言わぬ遺体となっていたはずの四人の人間騎士が、再び息を吹き返した光景を信じられない思いで見つめていた。完全に状況を把握できず困惑しながら起き上がる者もいれば、シェイリーは自分がどこにいるのかを理解しようと周囲を見回している。
「私……どうなったの……?」
彼女の声はかすかな囁きに過ぎなかった。
エレノアは嬉しさを隠そうともせず、彼女のもとへ駆け寄った。
「長耳! 私たちを置いて逝っちまったかと思ったよ!」
エルフの少女はまだ朦朧としながらも力なく微笑み、四人の騎士たちは困惑した視線を交わし合った。誰も自分がどうやって目を覚ましたのか覚えていない。
その光景の渦中で、吉田は依然として両の手に剣を握りしめていた。一方は夜明けの光のように純粋な白光を放ち、もう一方は周囲の空気すら吸い込むような静かな暗闇に包まれている。
シェイリーは目の前の光景に、ただ息をのんで硬直していた。
デルガドがゆっくりと彼の隣まで歩み寄る。
「我が王よ……」
彼の声には、相変わらずの荘厳さが宿っていた。
「それこそが、かつて英雄カマエルが携えし『天空の剣』の真の姿にございます」
吉田は交互に二つの刃を見比べた。
「天空の剣……?」
王子は頷いた。
「その二つの剣は、元より別々の武器ではございません」
その言葉に、吉田はゆっくりと顔を上げた。
「どういう意味だ?」
デルガドは二つの刃を見つめながら答えた。
「お互いを補い合う、二つの半身なのです」
少年は少しだけ目を見開いた。
「じゃあ……元は一本の剣だったのか?」
「左様でございます」
王子は絶対の確信をもって語った。
「数世紀前、英雄カマエルは元の剣を二つに分かちました。黒き剣は地獄の血脈へと繋ぎ止められ、『光の剣』はこの岩に刺され、古の約束の封印となったのです」
彼の視線が空になった岩へと向けられる。
「その日以来、魔神帝国には呪いが付きまとっておりました。真の魔神王が帰還するまで、決して消え去ることはないと伝承されていたのです……」
重苦しい静寂が部屋を駆け抜けた。
その後、全員が同時に同じ命令を受けたかのように、その場にいた魔族たちが一斉に片膝をついた。
ガシャン!
数十の重厚な鎧が床を打つ音が、部屋中に響き渡る。オーガ、オーク、ミノタウロス、獣人、そして魔導騎士たちが一斉に頭を垂れた。
「魔神王様、万歳!!」
「我が王に栄光あれ!!」
「魔神王様、万歳!!」
声が次々と重なり合い、城の古い壁を振動させる。
数メートル離れた場所で、エレノア、シェイリー、そして四人の騎士たちがその光景を完全に固まったまま見つめていた。誰一人として、目の前の出来事を信じられずにいた。
吉田は数秒間、何を言えばいいのか分からずに立ち尽くしていた。すべてが現実であると受け止めるには、まだ心が追いつかない。
デルガドが再び静寂を破った。
「我が王よ」
王子はゆっくりと顔を上げた。
「お望みとあらば、直ちに戴冠式の準備に取りかからせます。帝国全体が、貴方様のご命令を待っております」
部屋が完全に静まり返った。数十もの視線が吉田に注がれ、その言葉を待っている。
少年は深呼吸をし、手に握られた二つの剣をより強く握りしめた。その脳裏に、黒髪と深紅の瞳を持つ一人の少女――あの騎士の姿が浮かび上がる。
吉田の瞳に、その場にいた誰もが見たことのない強い決意が宿った。
「いや」
彼の答えは断固としていた。
ゆっくりと顔を上げる。
「戴冠式は後回しだ」
静寂がさらに深まる。
吉田は一歩前に踏み出し、部屋全体に響き渡るほどの強い信念を込めてその言葉を口にした。
「ウォーリックへ行く……」
二つの剣の柄を強く握りしめる。
「……ロゼット・ベイカーを取り戻すために」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。その後、デルガドの唇がほんの僅かに、目立たないほど小さく綻んだ。王子らしい気品をもってきびすを返し、部屋に集ったすべての戦士たちと向き合う。
彼の低く重厚な声が、城全体を震わせた。
「全軍、出撃の準備をせよ!!」
「オオオオオオオオッ!!」
数千の雄叫びが一斉に爆発し、宮殿そのものを激しく揺さぶった。歓声は城壁を突き抜け、首都へと降り注ぎ、雷鳴となって魔族大陸全体へと広がっていく。
魔神帝国は目覚めた。そしてその王は……ついに最初の命令を下したのだ。




