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第73話:魔神皇子 vs 魔王

毎日更新したいのですが、大学が本当の試練で…wwww

 魔神大陸の灰色の山々の上に、強い風が吹き荒れていた。


 低い暗雲が巨大な灰の外套のように空を覆い尽くす中、一行は深い谷に囲まれた狭い山道を進んでいた。片側には巨大な黒岩の壁がそびえ立ち、もう片側には深い霧の奥底へと消える数百メートルの断崖絶壁が広がっている。


 重苦しい空気だった。天候のせいだけではない。沈黙のせいだ。もう何時間も、誰も一言も発していなかった。


 吉田は手持ち無沙汰に『黒の剣』の柄を握り締めながら、虚ろな目をして先頭を歩いていた。最後の魔神の街を離れて以来、彼はまともに眠れていなかった。目の下の濃い隈が、彼の身体に蓄積された限界以上の疲労を物語っている。


 彼の後ろでは、カサンドラから遣わされた四人の騎士たちが心配そうに視線を交わしていた。ついに、ガレス卿がその沈黙を破った。


「吉田殿……」


 少年は答えない。ガレスは固唾を呑んで言葉を続けた。


「ウォーリックの騎士法によれば……裏切りの罪に問われた騎士の裁判は、捕縛から正確に三週間後に行われることとなっております」


 吉田の足が止まった。首を振り向きはしなかったが、全身の筋が緊張で張り詰める。オーウェンが説明を引き継いだ。


「ローズ様が捕らえられてから、すでに三週間……」


 誰一人として、その先の言葉を口にしようとはしなかった。ルシアンは静かに視線を落とした。


「ならば……おそらく裁判は、今日執り行われているはずです」


 吉田は再び歩き出したが、その一歩一歩は先ほどよりも遥かに重くなっていた。胸の奥が焼けるように熱い。巨大な岩が心臓を押し潰しているかのような感覚だった。


 エレノアはしばらく彼の背中を見つめていたが、やがて苦々しいため息を吐いた。


「何が一番タチが悪いか分かるかい? これが全部、お前のせいだってことさ」


 四人の騎士が一斉に顔を上げた。


「エ、エレノア殿……!」


 だが、女海賊は止まらなかった。彼女は吉田の前まで歩を進め、無理やり彼を立ち止めさせた。


「お前が弱すぎるんだよ。ローズはあそこで……たった一人で耐えてる。それなのに、お前は自分が何をすべきかも分からずにただトボトボ歩いてるだけじゃないか」


 吉田はゆっくりと頭を垂れた。彼女はさらに一歩踏み込み、その声を一段と冷たく硬く尖らせていく。


「あいつが永遠に耐えられるとでも思ってるのかい? 拷問に耐えられると? お前は……あたしたちが辿り着く頃に、あいつがまだ生きてるとでも思ってるのかい!?」


 バシィッ!


 強烈な平手打ちが山々に響き渡った。全員が凍りつく。吉田の頬が急速に赤く腫れ上がっていく。シェイリーが一歩前へ出た。


「エレノア!」


 女海賊は彼女を見向きもしなかった。


「引込んでな。誰かがこいつに現実を突きつけてやらなきゃならないんだからね」


 吉田の呼吸が乱れ始めた。エレノアは最も傷つく部分へ容赦なく追い打ちをかける。


「今日……ローズの裁判が行われたはずさ。そして近いうちに……あいつは処刑される」


 その言葉が、吉田の中に残されていた最後の脆い均衡を完全に打ち砕いた。


 ドォォォン!


 荒々しい腕の一振りで、彼はエレノアの手首を掴み上げた。その力はあまりにも凄まじく、女海賊は大きく目を見開いた。


「え……?」


 直後――。


 バキィッ!


 投げ飛ばされた彼女の身体が、数メートルも吹き飛んだ。その身体は岩肌に激しく激突し、傾斜を転がり落ちていった。


 四人の騎士たちは反射的に剣を抜いた。しかし、シェイリーだけは吉田を見ていなかった。


 彼女は山道を見つめていた。その瞳が、すべての真相を理解するにつれて徐々に大きく見開かれていく。


「……嘘……」


 彼女は呟いた。


 彼女はエレノアへ視線を向け、次に腰に下げた地図を見つめ、最後に自分たちを取り囲む荒涼とした山々を見渡した。エルフの少女の背筋を、恐ろしい寒気が駆け抜ける。


「彼女……最初から私たちを帝都へ向かわせてなんていなかった」


 全員が一斉に首を巡らせた。岩の上に横たわったままのエレノアは、口元から血を拭いながら狂ったように笑った。


「ようやく気づいたかい」


 シェイリーは息を詰まらせた。ルートが完全に違っていたのだ。北へ向かってなどいない。この山脈は、大陸の他の地域から完全に孤立した場所だった。


 その時、エルフの少女の脳裏に、旅の途中でエレノアが問いかけてきた数々の質問が蘇った。魔王に関するおとぎ話、伝説、ドラゴン、そして失敗に終わった策の数々……。


 その間、吉田の耳にはもはや何の音も届いていなかった。声が消え去り、世界全体が遠のいていく。彼の精神は、思い出だけで満たされていた。


 ローズ。


『近いうちに……あいつは処刑される』


 嫌だ。そんなの嫌だ……。


 彼の呼吸が乱れ始めた。


「ローズ……」


 彼は呟いた。心臓が、破滅的な脈動を打ち鳴らす。


 ドックン! ドックン! ドックン!


 全身の血が狂ったように沸騰していた。そして……何かが完全に崩壊した。巨大な黒いオーラが、彼の体内から溢れ出し始める。


 最初はほんの小さなエネルギーの糸に過ぎなかった。だがそれが二本、三本と増え、やがて闇の巨大な濁流へと変貌を遂げる。


 ゴォォォォォン!


 山全体が激しく揺動した。空は色彩を失い、雲はゆっくりと血のような赤に染まり始める。上空から、化け物めいた暴風が吹き下ろしてきた。石が浮き上がり、目に見えない圧力に押し潰された木々が大きくしなった。


 四人の騎士たちは立っていることすら容易ではない。シェイリーは全身が恐怖に震えるのを感じていた。


「そんな……目覚めようとしている……」


 そこから遥か遠く離れた魔神帝国の集落では、何千もの魔神たちが一斉に天を仰いでいた。


 赤く染まった空が地平線全体を覆い尽くし、殺戮のオーラが大陸全土を駆け抜けていく。老人は杖を落とした。子供たちは遊ぶのをやめた。兵士たちは武器を握る手を忘れた。


 誰もが同じ方向――あの孤立した山脈を見つめていた。まるで何世紀もの沈黙を経て、太古の悪夢が再び目覚めたかのように。


 ◇ ◇ ◇


 そこから数百キロメートル離れた大陸の最北部。黒い山々が終わりを告げ、火山岩の上に築かれた巨大な都市が広がる場所に、魔神帝国の帝都がそびえ立っていた。


 南部の惨めな街々とは異なり、その大都市は巨大な黒い城壁によって厳重に守られていた。黒曜石の塔が灰色の空を穿ち、魔神の紋章が刻まれた巨大な旗が風にはためいている。


 通りは活気に満ち溢れていた。何千もの魔神たちが市場や鍛冶場、広場を行き交っていた、その時――目に見えない圧迫感が都市全体へと降り注いだ。


 空気が重く澱む。兵士たちは足を止め、商人たちは顔を上げ、家畜の獣たちすらも怯えたように鳴き声を上げ始めた。


「何だ、これは……?」


「まさか……禍々しいマナ……なのか!?」


 帝国宮殿の最深部。一人の男が静かに目を開いた。足首にまで達する長い赤髪を揺らし、彼は巨大な黒石の玉座に腰掛けていた。その唇が、笑みを刻む。


「……」


 一秒の躊躇もなく、彼は立ち上がった。その僅かな動作だけで、控えていた将軍たち全員が即座に頭を垂れる。


「殿下!」


 だが皇子は答えなかった。ただ、歩き出した。


 タッ…… タッ…… タッ……


 城の果てしない回廊を突き進んでいく。従者たちは即座に道を譲り、魔神の騎士たちはその姿を目にするや否や深々と頭を下げた。


 宮殿の巨大な門が開かれた瞬間、帝都全体に地鳴りのような歓声が轟いた。何千もの魔神たちが通りへと繰り出していたのだ。


「殿下ぁぁぁッ!」


「皇子様万歳!」


「皇子様に栄光あれ!」


 怒号のような歓声が街を震わせたが、皇子は振り向きもしなかった。彼はそのまま歩み続け、巨大な帝国厩舎へと辿り着く。


 そこには、巨大な異形が鎮座していた。三つの頭を持つ、漆黒の巨大なドラゴン。その瞳がゆっくりと開かれる。


 グルゥゥォォォオオ……


 主の訪れを悟ったかのように、皇子は獣の太い首元にそっと手を置いた。


「目覚めたぞ……我が王よ」


 力強い躍動と共に、彼は化け物の背へと跨がった。三つの首が一斉に咆哮を上げる。


 ヴガァァァァァァァッ!!


 巨大な翼が広がった。


 ドドォォォン!


 化け物は空へと急上昇し、何千もの魔神たちがその圧倒的な光景を仰ぎ見た。


 誰もが理解していた。皇子が『三頭竜』を駆り、帝都を離れるという意味を。ただごとではない。皇子が前回帝都を離れた時、あのミレイヤの惨劇が巻き起こったのだから。


 三つの頭を持つ化け物の咆哮が、大気を引き裂いた。その巨体からは想像もつかない疾風の如き速度で、遥かな距離を駆け抜けていく。


 グォォォォオオオオオンッ!!


 ドラゴンの巨大な翼が太陽を遮り、激しい風圧によって雲が木端微塵に砕け散る。その影はまるで生きた日食のように山脈へと降り注ぎ、山々全体を息詰まる暗闇へと呑み込んでいった。


 一羽ばたきで数千キロを飛翔する、まさに伝説の神獣であった。


 ◇ ◇ ◇


 風が爆発した。


 ドォォォン!


 吉田からの一撃を受け、依然として膝をついたままのエレノアがゆっくりと顔を上げた。その瞳が限界まで見開かれる。


「……冗談でしょう……」


 世界のあらゆる海を渡り歩いてきた彼女でさえ、背筋を凍りつかせるほどの恐怖を感じていた。


 吉田は動かなかった。その呼吸は荒く、瞳からは光が消え去り、異常な赤色の輝きだけが満ちていた。消すことの不可能な業火のように、黒いオーラが彼の身体から噴出し続けている。


 グルゥゥォォォオオ……!


 ほんの数分が経過した頃、異常な速度で何かが空を覆い尽くした。彼の目の前に、一人の影が空からゆっくりと降り立ってきた。


 男は恐怖の色一つ見せず、ドラゴンの背から飛び降りた。落下するのではない。まるで空中の階段を歩いているかのようだった。


 足首にまで届く異常なまでに長い赤髪が、まるで液体化した血のように風に揺れている。背が高かった。吉田よりも遥かに高大だった。


 岩から削り出されたかのような強靭な肉体を持ち、胸部を覆う鎧の類は一切身につけていない。その手には、刃が鮮血の輝きを放つ巨大な大鎌が握られていた。


 彼が大地を踏みしめた瞬間――。


 ドォン。


 山全体が再び激しく震動した。着地の衝撃で、数十メートルに及ぶ亀裂が大地を駆け抜ける。


 数秒の間、誰も言葉を発しなかった。異形の男は少年を静かに観察し、吉田は狂気に完全に支配された瞳で男を見つめ返した。


 互いに一言も交わさない。そして――二人の姿が消えた。


 ドバァァァァンッ!


 激突の衝撃は凄まじく、エレノアの肺から、空気が無理やり押し出された。目で追うことすらできない。ただ山脈を突き抜ける巨大な衝撃波だけが見えた。岩壁が炸裂し、何千もの岩の破片が全方向へと飛散していく。


「な……!?」


 エレノアに突き落とされた谷底から、シェイリーが絶望に満ちた目で上空を見上げていた。その速さに目は追いつかない。ただ、連続する爆発音だけが鼓膜を殴りつけてくる。


 ドォン! バキキッ! ズドォォン!


 吉田は完全な野獣として襲いかかっていた。技術も、戦略も存在しない。ただの打撃、拳、蹴り、そして野蛮な突進。その一撃一撃が、巨大な岩すらも一瞬で粉砕するほどの威力を秘めている。


 だが、男はその攻撃をことごとく片手で、大鎌の柄で、あるいは僅か数センチ受け流すだけで容易く防ぎ切っていた。その顔には一切の感情がなく、呼吸一つ乱れていない。


 吉田が再び咆哮した。


「ガァァァァァァァッ!!」


 彼の足元で大地が爆発した。黒い炎に包まれた彼の剣が頭上高く掲げられ、全霊の力を込めて振り下ろされる。


 ズドォォォォォンッ!


 山が裂け、数百メートルに及ぶ巨大な亀裂が走った。だが、煙が晴れた時……剣は受け止められていた。


 男は片手で直接その刃を掴んでいた。指の間から黒い血がゆっくりと滴り落ちる。ほんの小さな擦り傷。ただそれだけだった。


 初めて、男の薄い唇が僅かに、目にも留まらないほど小さく歪んだ。


 吉田は再び咆哮し、全身の力を込めて押し込んだ。腕の静脈が破裂せんばかりに浮き上がり、魔神のオーラが再び爆発する。


 山々が赤く染まり始めた。何キロも離れた場所からその光景を見ていた魔神たちが、理由も分からぬままその場にひざまずき始めた。ある者は涙を流し、ある者はただ頭を垂れた。


 彼らは理解していたのだ。肌で感じ取っていたのだ。それこそが、魔王のオーラであることを。


 だがその時、見知らぬ男はゆっくりと剣から手を放すと、独楽のように旋回し、大鎌を一回だけ振るった。攻撃とすら呼べない、ただの示威のような一動作だった。


 シュイィィィィン……


 世界から音が消え去った。吉田は硬直していた。直後、彼の胸部が血の雨となって炸裂した。


「ガハッ……!?」


 少年は矢のような速度で吹き飛ばされた。三つの巨大な岩塊を突き破り、山肌に激突してそのまま埋もれた。岩山全体が崩落していく。


 ゴォォォォォン!


 エレノアは生唾を飲み込んだ。今の一撃は、数日前に魔神の騎士が放った攻撃とは比較にならないほど破滅的なものだった。


 それでもなお、男は無感情のまま佇んでいた。まるで何かを試すかのように、ただ待っている。


 瓦礫の山の中から、吉田が再び立ち上がった。呼吸は完全に崩壊し、全身が血に染まっている。片腕は力無く垂れ下がっていたが、それでも痛覚を失った獣のように一歩、また一歩と歩みを進めていた。


 エレノアは歯を食いしばりながら彼を見つめた。


「もう……やめろ……」


 介入することなど不可能だった。近づけば一瞬で命を落とすことくらい、彼女には痛いほど理解できていた。それでも、胸の鼓動が絶望で激しく打ち鳴らされる。


「耐えてくれ……もう少しだけ……」


 再び風が咆哮を上げた。上空では、三つの頭を持つドラゴンが再び壮絶な地鳴りのような叫びを上げた。


 グルゥゥォォォオオ……!


 そして、初めてその謎の男が口を開いた。その声は低く、深く、周囲の地獄絵図とは対照的なほどに静まり返っていた。


「立て……」


 吉田はゆっくりと、再び顔を上げた。その瞳は依然として真っ赤に染まり、手に握られた黒の剣が激しく震えていた。


 男はゆっくりと大鎌を肩に担ぎ直し、口元を僅かに緩めた。


「見せてみろ……我が何年もの間待ち望んだ王が、本当に貴様なのかを」


 エレノアの瞳孔が収縮した。シェイリーが息を呑んだ。


 あの男は、吉田を殺しに来たのではない。魔王を『試す』ために、やって来たのだ。

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