第5話:二つの世界の邂逅
【ローズ視点】
目を覚ましてから――あの「ホスピタル」と呼ばれる場所から逃げようとした日から――もう一週間が過ぎていた。
静かにしていろ、と言われたわけではないが……体が思うように動かず、再び逃げ出すことは不可能だった。だから私は大人しくしていた。
そしてずっと待っていた。魔王の使いがいつ現れるのかと。 ……けれど、誰も来なかった。
仕方なく、私はこの奇妙な治癒の神殿に留まるしかなかった。魔方陣も祈祷も使わず、光る妙な箱や、うなる鉄の筒で人を癒やすという……私には理解できない“魔道具”ばかりの場所。
数日が経ち――傷はふさがり、体にも力が戻った。もう十分だ。魔王を探しに行ける。 だが、その前にどうしても片付けねばならない問題があった。
そう。私の剣が――そして鎧が、どこにも無い。
……。 ま、待て。 ということは……こ、この魔術師ども……私の裸を……見た……?
顔が一瞬で熱くなる。父が知ったら、間違いなくこいつらを市中引き回しにして吊るすだろう。許せない。あとで覚えていろ。
そんな怒りを胸に抱えていた時――。
ガチャッ。
突然、扉が開いた。軽い足音が部屋に響き、私は反射的に身を固くした。
「やぁ、ローズ」
そう声をかけてきたのは、リュウジンという男だった。今日は一人ではない。そばには、彼とは雰囲気の違う繊細な顔立ちの少女が立っていた。見たことのない服装だが、治癒士のローブとは違うようだ。
「……あ、あの子……」
少女が小さくつぶやき、じっと私を観察する。
「キヨミ。彼女がローズだよ。話しただろ?」
「目……赤いんですか?」
その言葉に、私は首をかしげるしかなかった。よく分からないが、とりあえず挨拶だけは返した。
「ほ……ら」
「こんにちは、ローズさん。私は有馬キヨミ。看護師です」
そう名乗ったあと、キヨミは急に眉をひそめた。
「えっ……日本語、話せるんですか?」
(に、ほ……ん、ご……?)
「完全じゃないよ」
とリュウジンが答えた。
「ゆっくり話せば、なんとか通じるみたいだ」
キヨミが軽くうなずくと、リュウジンは思い出したように言った。
「そういえば……ヨシダも退院したらしいよ。さっきね」
(よ……し、だ……?)
「じゃあ先生、この子をどうするつもりなんですか?」
「えっ……?」
思わず声が漏れた。どうするって……私をどうするつもりだ、この下級魔術師どもは。
リュウジンは壁際の椅子に腰を下ろし、腕を組んでゆっくり息を吐いた。
「ローズ。君、行くあてはある?」
沈黙した。まさかそんなことを聞いてくるとは思わなかった。
「……あ、ある……」
本当は自信がなかったが、そう答えた。リュウジンは顎に手を当て、落ち着いた声で話し始めた。
「君は湾岸で倒れていたんだ。ほとんど死にかけてた」
「パスポートも身分証も何も無い」
「日本人にも見えないし、日本語もかなり不安定」
彼の言葉の意味を追うのに必死で、途中から全てを理解できなくなった。キヨミも同じだったのか、少し考えたあと言った。
「要するに……ローズさん。私たちと一緒に暮らしませんか?」
「……は?」
余計に分からなくなった。何か裏があるのか? 魔王の手下……? だが、二人をじっと見つめると――敵意も、嘘も感じなかった。
良い人間……なのだろう。それに、正直 aliados は必要だった。彼らは“デポート”される、と説明してきたが……その意味は全く分からなかった。最終的に、私は彼らと行くことにした。
二人は私を病院の入口まで案内し、そして私は再び “動くゴーレム” に乗せられた。彼らはこれを「車」だと言い張るが……まだ信用していない。
走り出してしばらくすると――前の方に埋め込まれた光沢のある鏡のような板に、リュウジンの視線がちらりと映った。妙に落ち着かない。
限界に達したころ、彼が口を開いた。
「ローズ、演劇って好き?」
「え……?」
「荷物の中にね、面白いものがあったんだ」
「中世の騎士みたいな鎧が」
私は思わず身を乗り出した。
「ほ、本当!? ……え、す、ぱ……だ?」
まだうまく発音できず、妙な区切り方になってしまう。リュウジンは苦笑した。
「剣は無かったよ。でも鎧、あれはコスプレだね。すごく出来がいい」
……。
(こ、す……ぷ……れ……?)
体がびくりとした。
「……こすぷれ……?」
キヨミは前の席で紙に書かれた記号を読みながら言った。
「先生、本当に……この状態で見つかったんですか?」
「うん。そのはずなんだけど……本来なら植物状態でもおかしくないよ」
全く意味が分からない。キヨミが少しだけ振り返る。美しい人だ……と思った瞬間、また前を向いた。
「ところで、ヨシダは?」
「家で待ってるさ」
リュウジンは再び鏡越しに私を見た。
「ローズ。君に言っておきたいことがある」
私は瞬きをした。
「家族……もしくは君の国が見つかるまでは――」
「僕たちが面倒を見る」
(面倒を見る……?)
笑いそうになった。私が守られる側? 二百以上の敵を斬り伏せたこの私が? だがまた、流れに合わせてうなずいた。
「……え、えぇ……ありが、と……」
仕方ない。魔王を倒すためなら、多少の協力は必要だ。
「うちには弟がいるんだ。ヨシダ。君と同い年くらいだよ」
「仲良くしてくれたら嬉しい」
また一人か。味方が多いのは悪くない。
「……う、うん……」
私は窓の外に目を向けた。街の景色が遠ざかり、緑の多い静かな場所へと移り変わっていく。どこか懐かしい――セロウズの丘のような景色。
背筋が震えた。……忘れてはいけない。私は休むためにここへ来たのではない。
女王。ケン。ナイルズ隊長。絶対に裏切れない。
数秒後。
「着いたよ」
リュウジンの声が響いた。




