表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王に恋した若き女騎士が二つの世界の運命を変えた話 〜ロゼット・ベイカー戦記〜  作者: ケン・アラタカ
第五章:ヘッセン王国代表騎士《チャンピオン》との戦い
54/76

第52話:テレスシアへ向かうローズの道筋

 平原の草を、心地よい風が静かに揺らしていた。

 一本の主要な街道を、二頭の軍馬が並んで進んでいく。


 地平線の向こうへとゆっくり沈みゆく太陽は、世界を黄金色に染め上げていた。

 広大な小麦畑も、遥か遠くの森も、連なる丘陵も、すべてが暖かい夕暮れの光に包まれている。


 長い黒髪の女騎士は、無言のまま馬を走らせていた。

 彼女の背後で、マントが風をはらんで大きく翻る。

 その紅蓮の瞳は前方の景色を捉えていたが、その心は別の場所にあった。


 彼女の頭の中にあったのは、吉田のことだった。


 その隣を騎乗して進むのは、エリックだ。

 ローズとは対照的に、この若い近衛騎士の表情には随分と余裕があった。

 時折、のんびりと口笛を吹いている。


「ずいぶんと静かだな」


 ローズは隣に視線を向けた。


「それが意外か?」


「少しね」


「私は、考え事をする方が好きなだけだ」


「なるほど、通りでいつも偏屈な顔をしているわけだ」


 ローズは小さくため息をついた。

 エリックはくすくすと笑いながら、前方の一点を指差した。


「見ろよ」


 ローズが顔を上げると、遥か遠方に大都市の姿が見えた。


 果てしなく広がる平原の只中に、一際高くそびえ立つ城壁。

 等間隔に配置された見張り塔、風にたなびく軍旗、正式に閉ざされた防衛門。

 これほど離れた場所からでも、その都市が持つ圧倒的な規模がはっきりと伝わってきた。


 エリックが不敵に微笑む。


「テレスシアだ」


 ローズはその大都市をじっと見つめた。


「あそこが、目的地か?」


「ああ」


「あの馬鹿王子の本拠地(クソッタレな司令部)さ」


「あそこには奴の将軍たちや、付き従う『代表騎士チャンピオン』どもがいる。……実質、このヘッセン王国の厄介事の半分があの場所に詰まっていると言ってもいい」


 ローズは腕を組んだ。


「それで、どうやって潜入するつもりだ?」


 **エリックはどこか意味深な笑みを浮かべた。**


「アルウィンとは違ってね、僕は国一番の剣士というわけじゃないんだ」


「それは、見ていてよく分かる」


「正直なご意見、どうもありがとう」


「どういたしまして」


 エリックはもう一度軽く笑ってから、言葉を続けた。


「僕の専門は、魔法と……それから大混乱を引き起こすことさ」


 ローズの瞳に、かすかな好奇心の色が浮かぶ。


「どんな魔法を使う?」


「いろいろさ」


 エリックが片手を軽く持ち上げると、彼の指先から淡い光の粒子が溢れ出し、空中に漂った。


「例えば、召喚術」


 光の粒子がフッと消える。

 次の瞬間、彼の周囲に輝く魔方陣の紋様が浮かび上がり、数秒間発光した後に霧散した。


「それから、転移術」


 ローズは驚きに目を見開いた。


「……そんな馬鹿な!?」


「そんな魔法、何世紀も前に失われたはずだろう!」


「知ってるよ」


 エリックは楽しげに微笑んだ。


「だからこそ、面白いんじゃないか」


 ローズは眉をひそめた。


「一体、どこでそんな技術を学んだ?」


「僕たちの友人だった、あの『ザリアの一族』からさ」


 その一言だけで、ローズを沈黙させるには十分だった。

 エリックは手綱を握り直す。


「戦争が始まる前、何人かのザリアが王女殿下のもとを訪れていたんだ」


「彼らから、失われた魔法を教わったというのか?」


「君たちウォーウィックの人間には馴染みがないかもしれないがね。……このヘッセン王国は、かつて最初のザリアたちが暮らしていた土地んだ。だからこそ、この世界の多くの秘密が今もここに眠っている」


 ローズは小さく首を振った。


「話を聞けば聞くほど、理解が追いつかなくなるな」


「信じなよ。もし僕がここですべての歴史を説明し始めたら、君はもっと混乱することになる」


 しばらくの間、二人は無言で馬を進めた。

 石を敷き詰めた街道に、規則正しい馬蹄の音だけが響き渡る。


 やがて、エリックが再び口を開いた。


「作戦は単純さ」


「お前の言う『単純』が、まともだった試しがないが」


「随分と信用がないな」


「続けろ」


「まずはアレッシオの城の内部に、特定の魔術スクロール(呪符)を設置する必要がある」


「その後は?」


「その後は、あの場所へ直接、召喚の儀式を使って僕たちが一気に転移するんだ」


 ローズは驚愕して彼を凝視した。


「城の内部へ……直接だと?」


「僕なら可能さ」


「正気の沙汰じゃないな」


「僕にとっては褒め言葉さ」


「死ぬかもしれないぞ」


「それも、今さらな話さ」


「……よくそんなことを笑いながら言えるものだ」


 ローズは片手で顔を覆った。

 確信した。王女殿下に仕える近衛騎士たちは、どいつもこいつも狂っている。

 誰一人として例外なく、全員だ。


 エリックは真剣なトーンに声を落とした。


「僕が本当に懸念しているのは、アレッシオ自身じゃない」


「なら、誰だ?」


「あの精鋭たちに加えて……忘れないでくれ。あのエルフ、シェイリーが奴らと一緒にいる」


 ローズは言葉を失った。

 そのエルフの名前を耳にした瞬間、胸の奥でドロリとした不快な感情が動くのを感じた。


 エリックが言葉を紡ぐ。


「もし彼女が現れたら、僕が責任を持って息の根を止める」


「エリック……」


「容赦はしない」


 彼の声は低く、冷徹だった。いつもの軽薄さは完全に消え失せている。


「彼女は王女殿下を裏切った。万死に値する」


 ローズは何も答えられなかった。

 エリックは再び、遠い地平線へと視線を戻す。


「君の役目は別にある」


「……アレッシオが抱える『代表騎士チャンピオン』たちの相手か?」


「その通りだ」


 ローズは静かに、深く頷いた。

精鋭クラス』と呼ばれる存在と刃を交えることが、どれほど異常なことかは嫌というほど理解している。

 彼らは単なる高位の騎士ではない。

 戦場に解き放たれた、本物の化物だ。単騎で戦況そのものを覆す力を持つ、天災のような存在。


 数分間の沈黙の後、エリックがふと尋ねた。


「吉田のやつ、上手くやってると思うかい?」


 ローズが言葉を返すまでに、少しの間があった。


「……分からない」


 それが本心だった。自分に嘘をつきたくはなかったし、根拠のない絶対的な自信を装うつもりもなかった。


「『嵐のアルウィン』はこのヘッセン王国で最強の剣士だ」


「だけど?」


「だけど、吉田はどこまでいっても吉田だからな」


 **エリックはニヤリと笑った。**


「それじゃあ、何の答えにもなってないよ」


「答えるための言葉を、私が持っていないだけだ」


 夜風がローズの黒い髪を激しく揺らす。


「ただ……私はあいつを信じている」


「それだけで十分かい?」


 ローズは真っ直ぐに前方を見つめた。


「それだけで、十分にするしかないさ」


 エリックは数秒間、何かを考えるように黙り込んだ。

 そして、何の前触れもなく爆弾発言を投下した。


「王女殿下はね、あの少年を『魔導王』にするつもりらしいよ」


 ローズは首が折れそうなほどの勢いでエリックを振り返った。危うく鞍の上でバランスを崩しそうになる。


「……何だと?」


「言葉の通りさ」


「正気か!? あの王女は狂ったのか!?」


「さあね、僕もそう耳にしたってだけさ」


「本気で言っているのか?」


「大真面目だよ」


 ローズは胸の奥がキュッと締め付けられるような、奇妙な焦燥感を覚えた。


「……王女殿下は、あいつと結婚するつもりなのか?」


 エリックは片方の眉を上げた。


「その法は、『魔導王』――つまり王国最強の戦士は、現世の統治者と婚姻の契りを結ばねばならないと定めている。まあ、『結びつきの法』に従うなら、そういうことになるね」


 ローズは手綱を握る手にぐっと力を込めた。

 その法律なら、当然知っている。この世界に生きる者なら誰もが知る常識だ。

 このヘッセン王国が誕生した瞬間から続く、絶対的な古の伝統だ。


 エリックが淡々と続ける。


「もし王女殿下が王座に就き、吉田が新しい『魔導王』になれば……」


 彼はそれ以上言葉を続ける必要がなかった。

 ローズには理解できたからだ。完璧に、そしてあまりにも解りすぎてしまうほどに。


 どうしてか分からないけれど、その事実が酷く不愉快だった。

 胸がざわついて、たまらない。


 エリックはそんな彼女の様子を横目で盗み見た。


「どうやら、その話はお気に召さないようだね」


「……そういうわけではない」


「いいや、完全に嫌そうな顔をしてる」


「違うと言っているだろう」


「なるほどね。王女殿下がアルウィンに吉田の育成を頼んだ理由がこれさ。……あいつを正式な騎士として鍛え上げ、最終的には『魔導王』の座にまで押し上げるために強くする」


 ローズの拳がピクリと動き、今にもエリックを殴り飛ばしそうな気配を放った。

 エリックは拳が飛んでくる前に、手際よく話題を切り替えることにした。


「まあ何にせよ、数日前に発覚したあの『事実』のせいで、王女殿下も彼に対する興味がさらに湧いたんだろうね」


「事実……? 何のことだ?」


「『魔王』のことさ」


 ローズの表情が一瞬にして、険しいものへと変わった。


「お前たちは……あいつを過小評価している」


 エリックは小さく首を振った。


「まさか。僕たちは『魔王』という存在の現実を見ているだけさ」


「……いいや、何も分かっていない」


 二人は数秒間、互いの目をじっと見つめ合った。

 やがて、エリックが降参するようにフッと笑い声を漏らした。


「聞きなよ」


 彼の声が、少し穏やかなものになる。


「君たち外国人は、世界のことを何も知らないし、その『違い』も分かっていないんだ」


「違いだと?」


「『魔王』と『魔神』の違いさ」


 ローズは不審そうに眉をひそめた。


「魔神……?」


 エリックは頷いた。


「『魔王』というのは、どこまでいっても統治者だ。……魔族たちの帝国における、政治的なリーダーに過ぎない」


「……」


「強大な力や権威を持ち、悪魔どもを統率する能力はあるがね」


 ローズは無言で彼の言葉に耳を傾けた。エリックは続ける。


「だけど、『魔神』はまったくの別物だ」


 彼の表情から、完全に笑みが消え失せる。


「あれは概念であり、一種の神格(天災)だ」


「……」


「世界の理そのものを歪める、絶対的な存在」


「……」


「人間の手に負えるような代物じゃない。制御不能の暴力そのものなんだよ」


 周囲の風が、急に冷たくなったかのような錯覚に囚われる。


「だからこそ、僕たちは吉田のことをそれほど恐れてはいないんだ」


「あいつが『魔王』だからか?」


「いいや。魔王であっても、あいつはどこまでいっても『吉田』だからさ」


 ローズは隣の騎士をじっと見つめた。


「意思を持たない『魔神』とは違ってね、魔王には自分自身の明確な意志がある」


「……」


「自分で選ぶことができるんだ」


「……」


「自分の進む道を、自分で決めることができる」


 エリックは微かに微笑んだ。


「正直、あの少年の内側に『それ』を見つけたときは驚いたよ。最初は即座に殺すつもりだった。だけど、彼は……」


「君を、そして王女殿下を助けることを『選んだ』んだ」


 その言葉が、ローズの胸の奥に深く突き刺さる。彼女はそっと視線を落とした。


「それに、僕たちは『魔王』に関する本当の伝承や歴史をよく知っている。世間に流布しているものは、随分と歪められているからね。……本質的に言えば、奴らはただの北の敵国の指導者に過ぎないのさ」


 ローズはしばらくの間、何も言わなかった。

 しかし、やがて彼女の唇に、小さく、本当に微かな笑みが浮かんだ。

 誰にも気づかれないほどの、本当に小さな微笑み。


「……それは、知らなかったな」


 エリックはその彼女の横顔を、静かに見つめていた。

 そして、初めて一つの事実を明確に理解した。

 口には出さなかったけれど、彼はすべてを察した。


 これまでに何百もの化物を討ち果たしてきた、無敵の女騎士。

 世界を越え、過酷な運命を生き抜いてきた復讐者。

 単騎で軍勢をも圧倒できるほどの強者。


 そんな彼女が、今、たった一人の不器用な少年のことを、これ以上ないほどに案じている。

 そしておそらく、彼女自身はその想いの深さに、まだ全く気づいていないのだ。


 ――太陽が完全に地平線へと沈んだ。


 遠方にあるテレスシアの街に、ぽつりぽつりと明かりが灯り始める。

 城壁沿いに並ぶ数千の松明が、漆黒の夜の帳を赤く切り裂いていく。


 エリックが前方を指差した。


「休めるうちに、よく休んでおきなよ」


 ローズは顔を上げた。


「なぜだ?」


 エリックは不敵に笑った。


「なぜって……明日からは」


 彼は、視界の先を支配する不落の敵陣を見つめる。


「これまでに経験したどんな修羅場よりも、遥かに過酷な戦いが始まるからさ」


 夜空に最初の星々が瞬き始める中、二人の騎士は静かに馬を進め続けた。

 アレッシオ王子の首級、失われた古の魔術、そして誰一人として生きて戻れないかもしれない、決死の任務が待つその都市へと向かって。



挿絵(By みてみん)



このマップは、キャラクターたちがどのようなルートを進んできたのか、そして戦争によって王国が今どうなっているのかを皆さんに見ていただくためのものです。

補足ですが、マップ内の「ヘセックス(Hessex)」という国名は、諸事情により「ヘッセン(Hessen)」に変更しました。

日本語の発音だと、ちょっと……アレな響きに聞こえてしまうためです(笑)。海外住みの作者ゆえのうっかりミスでした。

マップの表記は古いままですが、正式名称は「ヘッセン王国」としてお読みいただければと思います!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ