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第3話:二つの世界の邂逅

【ローズ視点】


目を覚ましてから――あの生存の神殿(ホスピタル)と呼ばれる場所から逃走を試みたあの日から、すでに一週間が過ぎていた。


誰かに身動きを禁じられたわけではない。だが、私の身体は思うように動かず、再び逃げ出すことは不可能だった。私は不本意ながらも、大人しく時を待つことにした。


いつ、魔王の使いが現れるのかと。

……けれど、誰も来なかった。


仕方なく、私はこの奇妙な治癒の場所に留まるしかなかった。魔法陣も祈祷も使わず、光る妙な箱や、うなりを上げる鉄の筒で人を癒やす場所。私には理解不能な魔道具ばかりが並ぶ異質な空間だ。


数日が経ち、傷はふさがって身体に力が戻ってきた。もう十分だ。魔王を、奴の痕跡を探しに行ける。

だが、その前にどうしても片付けねばならない問題があった。


私の剣が――そして命よりも大切な鎧が、どこにも無いのだ。


(…………)

(ま、待て)


ということは、だ。この神殿の者どもは……私の裸を……見た……ということか?


顔から火が出るほどに熱くなる。父上が知ったら、間違いなくこいつら全員を市中引き回しの上、広場で吊るすだろう。断じて許せん。あとで覚えていろ。


そんな怒りを胸に抱えていた時だった。


ガチャッ。


突然、扉が開いた。軽い足音が響き、私は反射的に身を固くする。


「やぁ、ローズ。調子はどうだい?」


声をかけてきたのは、リュウジンという医師だった。今日は一人ではない。傍らには、彼とは雰囲気の違う、繊細な顔立ちの少女が立っていた。


「……あ、あの子が……」


少女が小さくつぶやき、珍しい獣でも見るかのように私を観察する。


「キオミ。彼女がローズだよ。前に話しただろう?」


「その瞳……吸い込まれるような深紅なんですね」


その言葉の意味を量りかね、私は首を傾げるしかなかった。とりあえず、覚えたばかりの挨拶を返す。


「ほ……ら……」


「こんにちは、ローズさん。私は有馬キオミ。看護師です」


そう名乗った後、キオミは怪訝そうに眉をひそめた。


「えっ……先生、彼女、日本語が話せるんですか?」


(に、ほ……ん、ご……?)


「完全じゃないよ」


リュウジン先生が代わりに答える。


「ゆっくり話せば、なんとかこちらの意思は通じるみたいだ」


キオミが小さく頷くと、リュウジン先生は思い出したように言葉を継いだ。


「そういえば……弟の吉田はもう、家で待っているはずだよ。先に戻るように伝えてあるんだ」


(よ……し、だ……?)


「それで先生。この子をこれからどうするつもりなんですか?」


「えっ……?」


思わず声が漏れた。どうする、だと? 私をどう扱うつもりだ、この下級魔術師どもは。


リュウジン先生は壁際の椅子に腰を下ろし、腕を組んでゆっくりと息を吐き出した。


「ローズ。君、行くあてはあるかい?」


沈黙が流れる。まさかそんな根本的な問いを投げかけられるとは思わなかった。


「……あ、ある……」


本当は自信など微塵もなかったが、虚勢を張って答えた。リュウジン先生は落ち着いた声で、一つ一つ事実を並べていく。


「君は湾岸で倒れていたんだ。ほとんど死にかけていた。パスポートも身分証も、身元を証明するものは何一つない。言葉も不安定だ」


彼の言葉を追うのに必死で、途中から意味が滑り落ちていく。キオミが少し考えた後、私を真っ直ぐに見つめて言った。


「要するに……ローズさん。私たちと一緒に暮らしませんか?」


「……は?」


余計に混乱した。裏があるのか? それとも、魔王の手下としての懐柔策か?

だが、二人をじっと見つめても――そこに敵意や偽りは感じられなかった。


お人好し……なのだろう。それに、正直協力者(アリアドス)は必要だった。最終的に私は彼らに従うことに決めた。


病院を出ると、再びあの移動式の鉄塊(くるま)に乗せられた。


走り出してしばらくすると、前方にある鏡のような板に、リュウジン先生の視線がちらりと映った。妙に落ち着かない。


「ローズ、演劇は好きかい?」


「え……?」


「君の荷物の中に、面白いものがあったんだ。中世の騎士が着るような、立派な鎧がね」


私は思わず身を乗り出した。


「ほ、本当か!? ……え、す、ぱ……だ……っ!?」


期待に声が弾む。リュウジン先生は苦笑混じりに首を振った。


「剣は無かったよ。でもあの鎧、あれはコスプレ……というやつだね。驚くほど出来がいい」


(こす……ぷれ……?)

不吉な響きに身体が震えた。


「……こすぷれ……?」


キオミが前の席で、紙に書かれた記号を読みながら呟く。


「先生、本当に……あんな格好で見つかったんですか? 本来なら植物状態でもおかしくない容体だったのに」


意味の分からない単語が並ぶ。不意に、リュウジン先生が鏡越しに私を捉えた。


「ローズ。君に言っておきたいことがある。家族、あるいは君の国が見つかるまでは――僕たちが君の面倒を見る」


鼻を鳴らしそうになった。二百以上の敵を斬り伏せ、「白銀の隼」と恐れられたこの私が、守られる側だと?

だが、今は流れに合わせるしかない。私は殊勝に頷いて見せた。


「……あ、ありが、と……」


魔王を倒すためだ。多少の屈辱は耐えてみせる。


「家には俺の弟がいる。名は吉田。君と同い年くらいだよ。仲良くしてくれたら嬉しいな」


また一人、未知の人間か。だが、味方が多いのは戦術的に悪くない。


「……う、うん……」


私は窓の外に目を向けた。喧騒の街が遠ざかり、緑の多い静かな景色へと移り変わっていく。どこか懐かしい、故郷のセロウズの丘を彷彿とさせる光景。


背筋に冷たいものが走った。……忘れてはならない。私は休むためにここへ来たのではないのだ。


女王陛下。ケン。ナイルズ隊長。

彼らの想いを裏切るわけにはいかない。


「着いたよ」


車が静かにその動きを止めた。リュウジン先生が外から扉を開けてくれた。少しの羞恥を感じながら、私は彼の後を追う。


目の前に立つのは、驚くほど質素な家だった。キオミが扉を開けた瞬間――私の胸に、得体の知れない感覚が広がった。


穏やかで……あまりにも静かすぎる。


二人の背を追い、ようやく家の中へと足を踏み入れた。

――私は「それ」を見た。窓際、奇妙な装置の上に座る影を。


その銀の椅子は、主の意思に応えるように滑らかに動いていた。


「ただいま」


リュウジン先生の声に、青年が顔を上げた。


その瞬間――世界が、一秒だけ止まったように感じた。


肌は白く、夕暮れの光に透けるほどに淡い。瞳は静止した水面のように穏やかだが、その奥底には何か、巨大なものを宿している。

恐れはない。哀れみもない。ただ――不気味なほどの、静謐。


顔立ちはリュウジン先生によく似ていた。だが――もっと若く、あまりにも脆そうだ。

それなのに――私の胸は、妙に重く圧迫される。


(これは……何だ?)


惹かれたわけではない。同情でもない。まるで――永遠に鞘に収められた「伝説の剣」を目の当たりにしているような感覚だ。抜かれずとも、そこに在るだけで危険だと直感させる刃。


「いらっしゃい」


彼は、静かに言った。


「兄さん……リュウジン兄さん。……それにキオミさんも」


そして――私を見た。黙って。じっと。

何かを、深い場所で理解しようとしている目だ。


「彼女は……?」


「ローズだ」


リュウジン先生が短く答える。


「しばらく、ここに滞在してもらうことになった」


私は一歩前に出た。


「こ……ん……に……ち……は」


右手を差し出す。我が王国の、対等な戦士に対する礼に倣って。


……反応がない。一瞬、胸の中に苛立ちが芽生える。無視か?


そのとき――彼が、ふっと笑った。どこか疲れを帯びた……だが、真っ直ぐな笑顔。


「ごめん」


彼は言った。


「それには……応えられないんだ」


椅子は動かない。彼の腕も、膝の上で静止したままだ。


「吉田です」


彼は続ける。


「それと……俺の身体は麻痺していて、自分では指一本動かせないんだ」


室内に、重い静寂が落ちた。


胸の中で、何かが音を立てて崩れる。同情ではない。哀れみでもない。もっと――深い場所にある「違和感」。


……これほどまでに自由を奪われていながら。なぜ、この男は弱く見えないのか。


しばらくして、リュウジン先生と吉田は会話を始めた。その間に、キオミが私の手を取る。


「来て、ローズ」


微笑みを浮かべて彼女が言う。


「あなたの部屋、案内するね」


私は頷き、彼女についていく。廊下を歩きながら――思わず振り返った。一瞬だけ、目が合う。吉田の瞳。


そこには――微かな光。ゆっくりと消えゆく残火のような光があった。


私は逃げるように視線を逸らした。

……なぜかは解らない。けれど――お互いに、魂の深いところで興味を持っている気がした。


ある扉の前で、キオミが足を止めた。


「ここよ」


部屋は簡素だが整っており、柔らかな陽だまりのような光に包まれていた。ここは――魂を休ませるための場所だ。


「あなたのために準備したの。少しだけ、飾り付けもしてみたわ」


「……あ、ありが、と……」


私は、ぎこちなく声を絞り出す。


「す……き……」


キオミは満足そうに微笑んだ。


「じゃあ、ゆっくり休んで。私はリュウジン先生のところに戻るわね。また来るわ。……日本語、教えなきゃいけないし」


彼女は去り際、少しだけ間を置いて付け加えた。


「心配しないで。リュウジン先生と一緒に、あなたの家族や国のこと……必ず探すから」


私はただ、頷くことしかできなかった。


一人になり、命を預けてきた鎧を丁寧に畳んで部屋の隅へ置いた。まるで――前世の遺物を見ているような気分だ。


吸い込まれるように、あの柔らかい寝台に倒れ込む。


「へんな……せかい……」


ここ数日の出来が、悪い夢のようで現実味がない。


「魔王……いるのか……ここ、にも……」


小さく呟く。


「でも……こわく……ない……?」


違和感が胸の奥で疼く。まぶたが、鉛のように重くなる。


「みつけ……なきゃ……。……そ……れ……」


言い終える前に――意識が深い闇へと沈んでいく。


この静かで異質な世界に来てから初めて、私は泥のような眠りに落ちた。

日本では「吉田」が名字だってことは百も承知なんですけど、あえて主人公の「名前」として使わせてもらってます!ちょっとした個性を出したくて、自分なりのこだわり(オリジナリティ的なやつ笑)として入れてみました。テンプレ通りじゃつまらないですしね笑。

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