第35話:王たちの衝突
少女の温かい声が、室内の張り詰めた空気を綺麗に溶かした。
「初めまして。私はカサンドラ・ゼドリエル。ヘセックス王国の王位継承者です」
その言葉に誰もが面を上げたが、吉田の傍らに立つローズだけは不信感を露わに眉をひそめた。
「……唐突すぎます、王女殿下。私のような立場の者に、王族が一体何の用ですか」
「この分からず屋の言う通りですよ、殿下!」
シェイリーが腕を組み、横から口を挟む。
「魔導王たちに追われる大罪人なんて、信用できる味方じゃありません!」
「シェイリー……お黙りなさい」
カサンドラが明確に不快感を示したため、エルフの少女が外交をぶち壊す前に老騎士が即座に動いた。
「申し訳ありません、殿下。――エリック、連れて行け」
「はっ」
若き騎士エリックは一切の躊躇なく進み出ると、シェイリーの耳をがっしりと掴んで出口へと引きずり始めた。
ギャーギャー! イタタタタ!
エルフの悲鳴が響き渡る中、エレノアは口元を押さえて必死に笑いを堪えている。
「ふ、ふ、ふ……」
吉田はその光景をただ唖然と見つめていた。
言葉は分からなかったが、彼の視線は自然と車椅子の王女へ向く。
カサンドラは息をのむほど美しかった。
波打つ栗色の髪、そして深い輝きを放つ紫の瞳が、見る者を釘付けにする。
王女はコホンと小さく咳払いをし、真っ直ぐに少年を見つめた。
「では、話を続けましょう……まず、その彼は誰ですか?」
「私の友人だ。大した者ではない」
ローズは瞬き一つせず、即座に言い切った。
カサンドラは椅子の背もたれに体を預け、小さく息を吐く。
「ロゼット・ベイカー、あなたの件は不可解です。重罪に問われているようですが、確たる証拠もない。あなたがこの世界に『魔王』を招いたという噂もありますが……彼のマナもオーラも、私には一切感じられません」
ローズは沈黙を貫いた。
「今年に入ってから奇妙なことばかりが起きている。……誰かがあなたを陥れようとしているのではないですか?」
王女の放った言葉に、老騎士、エレノア、そしてローズの背筋に冷たいものが走った。
「……なぜ、そう思われるのですか?」
ローズの問いに、老騎士が割って入る。
「殿下、もう一つ。その少年は、彼女の剣を扱えるのです」
「――え?」
カサンドラの眉が、驚愕に跳ね上がった。
「それは……良くない兆候ですね。あの聖剣が主を選ぶのは、世界が滅びの淵にある時だけ。それが同時に二人を認めるなど、より最悪な事態を意味している」
ローズは横目で吉田を見た。
彼は腰に黒い剣を帯びたまま、会話の深刻さなど露知らず、ただぼんやりとしている。
「ですが、その話はまた別の機会に」
王女は静かに言葉を区切った。
「問題は今です。現在、ヘセックスは内乱の渦中にあります。我が反乱軍は劣勢に立たされており、王都へ進軍し、簒奪者どもを処刑するための兵を集めているのです」
ローズは表情を硬くし、単刀直入に返した。
「私に、あなたの戦争を戦えと? お断りします。私の忠誠はワーウィック王国にある。私の誓いは安くありません」
「忠誠など求めてはおらん、ただ力を貸してほしいのだ」
老騎士がすかさず言葉を重ねる。
「勝利のあかつきには、望むものを何でも与えよう」
「おいおい、ロゼット、そんなに意固地になるなよ」
エレノアが珍しく真剣な表情で口を開いた。
「殿下の勢力は一番弱いが、民が唯一支持している。他の二人の王位主張者なんて、人間のクズしかいないんだからさ」
「黙れ、エレノア! お前が私たちをこの泥沼に巻き込んだんだろ!」
「へいへい、手強いお嬢さまだねぇ……」
女海賊は肩をすくめて口を閉ざした。
ローズはカサンドラを見据え、冷酷な現実を突きつける。
「王女殿下、私は世界を敵に回した裏切り者です。もし私があなたのために戦っていると知れば、敵は容赦なく、あなたの残された僅かな希望すら踏みにじるでしょう」
言い終わる前に、カサンドラが遮った。
「騎士よ……あなたの騎士団の誓いを覚えていますか?」
不意を突かれたローズは、無意識にその言葉を口ずさんでいた。
「――弱きを助け、正義のために鋼を振るい、祖国を愛する……」
「確かにヘセックスはワーウィックではない」
王女は静かに言った。
「ですが、私たちが直面している『本当の絶望』を、あなたに見せねばならないようです」
カサンドラが深く息を吸い、目を閉じた。
次の瞬間、室内の壁が音もなく消え去った。
ヒュゥゥゥゥ……
死臭の漂う荒野を冷たい風が吹き抜けていく。
そこは黒煙を上げて崩壊した街の郊外だった。
地面は赤く染まり、無数の槍が突き立てられている。
その先端には、人間の生首が突き刺さる凄惨な光景が広がっていた。
群がる烏どもがその肉を貪り、腐臭が辺りに充満している。
その地獄のただ中を、一人の青年が馬を駆っていた。
鎧には血一滴すらついておらず、美しい外套を優雅に翻している。
整った容姿に、輝くような明るい髪。
だが、その瞳の奥には狂気が宿っていた。
彼は死体の山を、まるで芸術品のように恍惚とした表情で見つめている。
側近の騎士が馬を寄せ、深く頭を垂れた。
「陛下……街は陥落しました。抵抗勢力は全て圧殺。……次のご指示を」
青年――アレッシオ・ゼドリエル王子は、酷く歪んだ空虚な笑みを浮かべた。
「すべて焼き払え」
鈴の鳴るような、穏やかな声だった。
「……住民はどういたしますか?」
「殺せ。一人も生かすな。金目の物と食料、そして女はすべて奪え。兵たちに好きなように弄ばせるといい。彼らへの褒美だ。捕虜の兵士については……歩かせろ」
騎士が不審そうに眉をひそめる。
「歩かせる、とは?」
「ああ」
アレッシオの目が、嗜虐的な光に濡れる。
「ただし、先に両目をくり抜け。そのまま簒奪者の領地へ歩かせるんだ。私に逆らう者がどうなるか、その身で味わわせるためにね」
騎士は残忍な笑みを浮かべた。
「御意のままに、我が主よ」
王子は静かに馬を降りると、血の海と生首の並ぶ中を歩き、嬉々としてその虐殺を眺め始めた。
カサンドラの声が響き、忌まわしい幻影が掻き消える。
「それが私がいとこ、アレッシオ・ゼドリエル。王座を狙う男の一人です。……ですが、もう一人います」
視界が暗転し、息の詰まるような暗い大広間へと切り替わった。
石段の先には巨大な王座が鎮座している。
そこに座っていたのは、鎧が張り裂けんばかりに肥大化した男だった。
歪んだ顔で彼は退屈そうに頬杖をつき、その下では鎖に繋がれた男たちが平伏している。
ドシュッ!
肉を断つ鈍い音が響き、首が次々と床へ転がっていく。
マクシミリアン王は、大きくあくびをしながら突き出た腹を掻いた。
子供の命乞いをする罪人が引きずり出されるが、斧に躊躇はなかった。
生首が跳ね、取り巻きの貴族たちが下卑た笑い声を上げる。
城外の光景もまた、正視に耐えないものだった。
城壁や橋には無数の死体が吊るされ、風に揺れている。
広間の中で、王は突如として獣のように吠え、椅子の肘掛けを叩いた。
「あの足の不自由な小娘を早く探し出せ!」
怒りのあまり、口から汚い唾液が飛び散る。
「あの忌々しいガキを俺の前に連れてこい!」
王は重苦しい息を吐きながら、巨体を揺らして立ち上がった。
「俺の妃にして、確実に後継ぎを産ませてやる。歩けぬ身体だろうと、女は女だ。使い道はある」
廷臣たちが下品な爆笑を上げる中、一人の将軍が進み出た。
「陛下……もう一つ件が。甥のアレッシオが東の都市を落とし、大軍を率いてこちらへ進軍しております」
マクシミリアンは顔を歪めて笑った。
その目は、子供のような無邪気な狂気に満ちている。
「あの生真面目なバカめ……この手で生皮を剥いでやる。泣き叫ぶ声が今から楽しみだ」
ドブ川のような幻影が霧散し、元の薄暗い屋敷の光景が戻った。
カサンドラの声が室内に響くが、そこには先ほどの気品はなく、ひどく掠れていた。
「王座にいるのは、私の叔父マクシミリアン・ゼドリエル。父の死までは忠臣でした。ですが、あの二人は共謀し、正当な権利を主張しようとした私の兄を殺害したのです。兄は、都の門をくぐる前に裏切られ、命を落としまた」
室内の空気が、凍りつくように重くなる。
「それ以来、王国は飢えと死に支配された。奴らがこの国をゴミ溜めに変えたのです」
王女は、その紫の瞳を真っ使ぐにローズへ向けた。
「私は、これを決して見過ごせない。たとえ力が足りず、この車椅子に縛り付けられていようとも、奴らを止めねばならないのです。……だから、あなたの力を貸してほしい。あなたの剣は、百人の兵に匹敵する」
カサンドラは一瞬だけ、動かない自身の足に視線を落とし、それから吉田を見つめた。
「この状況です。猫の手でも借りたい。あなたが裏切り者だろうと、大罪人だろうと構わない。そんなことは、もうどうでもいいのです」
再び、重苦しい沈黙が部屋を満たした。
王女の覚悟と、避けれぬ戦争の足音が、一同の肩に重くのしかかっていた。




