第34話:栄光の姫、カサンドラ・ゼドリエル
一行は、夕闇が迫る木々のトンネルを進んでいた。
影が濃くなるにつれ、草木の間から兵士たちが姿を現す。
彼らの鎧は傷つき、急ごしらえの修理跡が痛々しい。
それは儀礼用の軍隊ではなく、困窮の中で鍛え上げられた歴戦の徒だった。
「閣下……」
先頭の老騎士が通るたび、兵士たちは規律正しく敬礼を送る。
だが、彼らの視線はすぐに疑念へと変わった。
エレノアを警戒し、そしてローズを抱える吉田を奇異の目で見つめる。
その表情には、隠しきれない不快感が刻まれていた。
「全員が、この状況を歓迎しているわけではない」
老人が前を向いたまま、静かに告げた。
吉田の胸に身を預けたまま、ローズが目を細める。
「……それは、具体的にどういう意味かしら?」
「国を裏切り、聖なる誓いを破ったとされる騎士が、我らの大義の中に混じることだ」
老人の声に糾弾の意図はなかった。ただ、残酷な現実を突きつけただけだ。
ローズは答えず、前だけを見据えた。
空気に漂う「裏切り者」という囁きを無視する。
言葉の意味は分からずとも、吉田は彼女の体が強張るのを感じていた。
彼は、支える腕に少しだけ優しく力を込める。
彼女は拒むことなく、その静かな支えを受け入れた。
◆
森が開け、石と闇色の木材で造られた屋敷が姿を現した。
それは壮麗な城ではなく、天然の要塞である山々に守られた秘密の拠点だ。
山脈の向こうに日が沈む中、松明の火が建物の輪郭を照らし始める。
「我らはゼドリエル王家近衛騎士団」
ローズの問いかけるような視線に、老人が応えた。
「簒奪者の汚らわしい命に従わぬことを誓い、正統なる血統を守るために剣を抜いた騎士たちだ」
「……勘違いしないで。私があなたたちに盲目的な忠誠を誓うなんて、期待しないで頂戴」
ローズはいつもの毅然とした、誇り高い口調を取り戻していた。
「あなたたちに協力するにしても、私の提示する条件をすべて呑んでもらうわよ」
「それについては、我々ではなく『彼女』と直接話し合ってもらわねばならんな」
屋敷の入り口に到達すると、数人の精鋭衛兵たちが無言で道を開けた。
中から一人の男が彼らを迎え、冷たい視線で一行を値踏みする。
その視線は、吉田が抱えるローズのところでピタリと止まった。
「魔導師を呼べ。至急だ」
男の短い合図で、薄明るい純白の法衣を纏った女たちが近づいてきた。
彼女たちの手から柔らかな光が溢れ出すのを、吉田は困惑と驚きで見守った。
魔法の熱が、ローズとシェイリーの傷を目の前で塞していく。
この世界の現現実は、元一般人の吉田にとっては、まだ熱病が見せる夢のようだった。
◆
松明に照らされた、静粛さが漂う廊下を進む。
一行は、五人の重装騎士が守る大きな扉の前で足を止めた。
そこには、他とは違う重々しく厳粛な空気が流れている。
老騎士が静かに扉を開き、一行を中へと促した。
燭台の微かな光に照らされた部屋の中央に、その少女はいた。
栗色の髪。穏やかな顔立ち。
――空間に佇む彼女は、車椅子に静かに座っていた。
周囲の騎士たちが、一斉に深々と礼を尽くす。
「――王女殿下」
誰もが平伏する中、異界の住人である吉田だけが、状況が掴めずにその場で呆然と立ち尽くしていた。
その無作法な振る舞いに、一人の衛兵が憤慨して一歩前へ出る。
「貴様、殿下の御前であるぞ――」
「構いません」
凛とした、しかし柔らかな声がそれを制した。
車椅子の王女――カサンドラの声はどこまでも温かく、戦火の冬に吹く春風のようだった。
「その方に礼を強いる必要はありませんよ。よく無事で戻ってきてくれました」
少女は室内を見渡し、その視線を最後に真っ直ぐ吉田の顔で止めた。
二人の目が重なる。
その瞬間、吉田の中で世界の時間が止まった。
戦場の緊張も、未知への恐怖も感じない。
ただ、胸の奥底から、ひどく懐かしい何かを感じていた。
膝の上に静かに乗せられた、彼女の小さな両手。
動くことを拒まれた肉体の静寂。
指示をきかない身体を知り尽した者特有の、瞳の奥に宿る抵抗の火。
(……あぁ、俺と同じだ)
それはまるで、鏡に映った自分自身を見ているかのようだった。
吉田の胸の奥深くに、柔らかな熱が広がっていく。
英雄と裏切り者が交錯するこの奇妙な世界で、彼は出会ったのだ。
自分と同じように――常に、自分の意のままには動かぬ不自由な器を生きる、一人の少女に。




