第31話:橋の上の再会、選ばれし者たちの衝突
午後の穏やかな陽光が街を優しく包み込む中、吉田とローズの二人はアルタクレスタの市場を歩いていた。二人は並んで歩調を合わせながら、何か有益な情報か物資を探し求めるように、周囲にひしめく露店へと視線を走らせている。
「エレノアの奴、一体どこへ行ったんだ?」
吉田が、周囲に聞こえないよう日本語で尋ねた。
「私が目覚めた時には、既に姿がなかったわ」
ローズが淡々と答え、それから隣を歩く吉田の姿を、少し信じられないといった様子で横目で盗み見た。
「それにしても驚いたわ……。あんたが自分の足で、ここまでしっかりと歩いているなんてね」
「俺もそう思うよ。だけど……」
「だけど?」
「最近、なんだか妙に体が軽くなった気がするんだ。それに、なんて言うか……体の中を、自覚のない『何か』がぐーるぐーると歩き回っているような、そんな奇妙な感覚がある」
「血管の中を、冷たい何かが激しく駆け抜けていくような、そんな感覚かしら?」
「そう! まさにそれだ!」
二人が会話を交わしながら、アルタクレスタの街並みを一望できる木造の大きな橋に差し掛かった。そこからは地平線の向こうへと沈みゆく雄大な太陽が見え、空を鮮やかな朱色とオレンジ色のグラデーションへと染め上げている。
「あなたが言っているそれ、この世界における『マナ』のことよ」
ローズが、知識を授けるように解説した。彼女の美しい黒髪が微風に揺れ、紅い瞳が夕日の最後の一閃を神秘的に映し出している。
「マナはこの世界における人間の魔力。感覚的に説明するのは少し難しいのだけれど……」
突然、吉田が不審そうに眉をひそめ、彼女の言葉を遮った。
「どうしたの?」
ローズが首をかしげると、彼は大通りへと続く橋の向こう側を指差した。ローズは即座にその方向へと鋭い視線を向け、そして硬直した。
そこには、一人の異質な少女がいた。
美しい緑の髪に、衣服の隙間から覗く尖った耳。背の高い、見事なプロポーションを持つエルフの少女だ。
――最大の問題は、彼女が地面にドロドロに酔い潰れたエレノアの足を掴み、まるで引きずりながら歩いてきている点だった。エレノアの方はといえば、口角から一筋のよだれを限界まで垂らし、未だ深い、深い眠りの中にあるようだった。
ローズは敵襲を警戒し、反射的に剣を呼び寄せようと右手を上げたが、吉田が横から優しく彼女の腕を掴んでそれを制した。
「吉田……?」
二人は黙って事の推移を見守ることにした。
エルフの少女は彼らの存在に気づく様子もなく、大海賊をまるで『ジャガイモの詰まった汚い袋』のように無慈悲に引きずりながら、二人のすぐ横を通り過ぎていく。しかしその時、ローズの目が少女の背にある、圧倒的な存在感を放つ黄金の弓に留まった。
ローズの瞳に鋭い光が宿り、迷わずその背中を追った。
「ちょっと、そこのあんた!」
ローズが凛とした声で鋭く叫ぶと、緑の髪の少女がピクリと足を止め、ゆっくりと振り返った。
「私の知人に、一体何をしているつもり?」
ローズが力強く腕を上げると、遥か彼方から凄まじい速度で漆黒の質量――『天空の剣』が飛来し、彼女の手の中にガシィィン!と収まった。周囲の土埃と暴風を激しく巻き上げながら、彼女は非の打ち所がない見事な構えで剣を突き出す。
「うおっ!? ローズ、いきなり何が起きてるんだ!?」
すぐ後ろにいた吉田は、突如巻き起こった突風に顔を覆いながら悲鳴を上げた。
エルフの少女は掴んでいたエレノアの足をゴミのように放り出し、流れるような無駄のない基本動作で背中の弓を抜いた。
「その禍々しい黒い剣……そして、その傲慢な紅い瞳。間違いないわね」
見知らぬエルフの少女が、確信を持って冷酷に断じる。
「あんたが、ロゼット・ベイカー」
ローズは漆黒の刃をさらに掲げ、鋭い先端をエルフの胸元へと突きつけた。
「そして、あんたはシェイリー・ニンティネル……。違わないわね?」
シェイリーは即座に光の矢を番え、周囲の空気をピリピリと震わせるほどの力で弦をギリギリと引き絞った。その狙いは、ローズの美しい顔面の中心だ。
「このバカ! あんたを見つけるために、私がどれだけこの辺境を苦労して探し回ったと思っているのよ!」
吉田は完全に置いてけぼりだった。少女たちはこの世界の言語(ヘセックス語)で、彼にはまだ一言も理解できない激しい脅し文句を高速で飛ばし合っている。
「それが噂に聞く『黄金の光の弓』かしら」
ローズが凍りつくような冷徹な声で言った。
「あんたも、あの偉大なる太陽女神の加護を受けた者の一人というわけね」
シェイリーはそれに答えなかった。弓の弦が不気味に振動し、肌を粟立たせるような神聖なエネルギーが一点へと凝縮されていく。しかし、二人の歩行者が最初の一撃を互いに仕開くよりも先に、決定的な異変が起きた。
――ギィィィィィィィィンッ!!!!
ローズの持つ漆黒の剣が、鼓膜を刺すような鋭い金属音を立てて激しく震え始めた。ほぼ同時に、シェイリーの黄金の弓も、まるで使用を拒絶するかのような真っ赤な警告の光を発する。
突如として、両方の神聖たる武器の重量が、物理法則を無視して『百倍』に跳ね上がった。
「……っ!? な、何よこれ……ッ!」
絶対的な重力に抗えず、ローズの細い腕が強制的に引き下げられる。大剣の先端が橋の頑丈な木床へと深く突き刺さり、その凄まじい重量のせいでローズの身体ごと地面へと引きずり下ろした。
隣ではシェイリーが屈辱の叫びを上げ、同じく弓の異常な重さに耐えかねて無様に膝を突き、床にズドォォンッ!と聖なる轟音を響かせた。
武器たちが、互いにぶつかり合うことを完全に拒絶している。
いわば、神の武器たちによる、前代未聞の「全面ストライキ」だった。
「まったく……相変わらず、バカなガキどもだねぇ……ヒック」
背後の地面から、泥にまみれたエレノアの呆れた声が響いた。
「聖なる武器同士……神の力が反発して、戦うのを拒んでるんだよ。ほら、見てな……う、オェェェ……」
エレノアはそのまま、感動的な再会の余韻をぶち壊すように豪快に吐き始めた。
「ハッ! ……どうやら、この私の剣の方が、野生のエルフのあんたよりは多少なりとも常識を持ち合わせているみたいね」
ローズが顔を引きつらせながら皮肉な笑みを浮かべたが、彼女自身、突き刺さった柄の重みのせいで、立ち上がることすら手一杯の状態だった。
「うるさい、この前科者騎士!」
シェイリーは怒りに任せて役立たずの弓を地面へと放り出し、そのまま生身で前方へと猛烈に飛び出した。
――バチィィィッ!!
ローズは地面に倒れ込むその勢いを逆利用し、迫り来るエルフの白い頬へと、容赦のない綺麗なストレートパンチを叩き込んだ。シェイリーは後ろへと激しく吹っ飛んだが、驚異的な身体能力で一瞬にして体勢を立て直し、瞳を血走らせて再び獣のように飛びかかる。
「あああああ、よくもやったわね!」
シェイリーはローズの二撃目の大振りを鮮やかにかいくぐると、まるで精密な外科手術のような正確さで、ローズの股間(股下)に向けて容赦のない鋭い蹴りを叩き込んだ。
――その瞬間、世界の時間が完全に停止した。
ロゼット・ベイカーの全身の筋肉がガチガチに硬直する。
その紅い瞳は眼窩からこぼれ落ちそうなほど見開かれ、顔色は青、緑、そして紫色の様々なグラデーションへと急速に変化していった。
「そ……それは、あまりにも、卑怯……よ……っ」
普段の凛々しさは霧散し、通常より三オクターブほど跳ね上がった哀れな裏声で、彼女は股間を押さえながら呻いた。
「生き残り(サバイバル)のための戦いよ、このバカ!」
選ばれし聖騎士としての矜持も、高貴なエルフのプライドも綺麗さっぱり忘れ去り、二人の美少女は互いの髪を力任せに引っ張り合い、顔に爪を立て合う泥沼の泥試合へと突入した。吉田は生々しい恐怖を感じながらも、さすがに見過ごせず仲裁に入ろうとする。
「ロゼット、もうやめるんだ! 二人とも落ち着け!」
彼が必死の形相で二人の間に割って入った瞬間、ローズの全開の裏拳と、シェイリーの執念の頭突きが吉田の顔面へと同時に炸裂した。
ダブルの強烈な衝撃を受け、吉田の意識は一瞬で消し飛び、僅か一秒で地面と熱烈なキスをすることになった。
「あああああああ!」
「死ねぇぇぇぇええ!」
二人は少女らしからぬ叫び声を上げながら、ひたすら泥まみれになって殴り合いを続ける。
一方、自分のよだれと胃液の海に沈んでいたエレノアが、ようやく薄らと片目を開けた。しかし起き上がろうとは微塵もせず、地面に頬を強く押し付けたまま、至って真面目な、軍師のような顔で言った。
「い……いけぇ、ロゼット! やっちまいな!」
エレノアは壮絶なしゃっくりを一つ上げた。
「その……ヒック……ぺったんこの貧乳ガキに負けるんじゃないよ! 上から体重をかけて、その肉厚な身体で押し潰しちまいな! あんたの方が……『前の装備』のボリュームは圧倒的に充実してるんだからねぇ!」
それを聞いたシェイリーが「なっ……!?」と致命的な動揺を見せた隙を突き、ローズがその美しい緑の髪を力任せに鷲掴みにして引っ張った。
「何を、何を言っているのよ、この最低の酔っ払い海賊騎士ぃぃぃ!!」
「アタイは言った通りの事実を言ってるんだよぉ!」
エレノアは満足したように再び目を閉じ、呂律の回らない声で幸せそうに呟いた。
「これは……女の……プロポーションを懸けた……聖戦なんだよ……。あいつは……フロントの弾薬不足で……最初から負けてんだよ……ムニャムニャ」
いつしか、アルタクレスタの街の人々は完全に足を止め、遠巻きにこの世の終わりような見世物を見守っていた。
埃まみれになって床を転がり狂う二人の絶世の美少女、顔面から血を流して悶絶する異界の少年、そして泥の中から最低な戦術的アドバイスを送り続ける一色眼の酔っ払い。
鼻血をだらだらと流しながら、地面に突っ伏した吉田は、薄れゆく意識の中でただ一つだけ強く思った。
(……クソ。こいつら、一体全体どうなってやがるんだ……)




