第27話:なんて奇妙な世界だ
【吉田視点】
街に足を踏み入れた瞬間――
なんとも言えない違和感が胸に広がった。
恐怖、というわけじゃない。
けれど安心でもない。
ただ、はっきりと分かる。
(ここは……自分の世界じゃない)
石畳を踏む蹄の音が、乾いたリズムを刻む。
コツ……コツ……コツ……
不規則に削れた石の道。長年の往来に磨かれた表面。
その上を進む馬の振動が、じわりと体に伝わってくる。
道の両側には木造の家々が並んでいた。
どれも少しずつ傾いていて、まるで時間そのものに押し曲げられてきたような姿をしている。
藁ぶきの屋根。
小さな窓。
太い梁に支えられたバルコニー。
どれ一つとして均一なものはなく、すべてが人の手で作られた不揃いな温度を持っていた。
(まるで……歴史の中に入り込んだみたいだ)
観光地でもなければ、再現でもない。
ここで生きている人間が、本当に存在している現実。
隣では彼女が手綱を引きながら歩いている。
足取りは自然で、無駄がない。
だが、その視線だけは違った。
常に動いている。
周囲をなぞるように、警戒を解かずに。
「一つ、覚えておいて」
前を見たまま、小さくそう言った。
「誰とも話すな」
思わず顔を向ける。
「え……?」
「話しかけられても、私が答える」
その声には迷いがなかった。
拒否する余地もない。
「……分かった」
(言葉が通じないのもあるけど……それだけじゃない気がする)
理由を聞かなかった。
聞くべきじゃないと、なんとなく理解できたからだ。
周囲に意識を戻す。
人々の服装は、まるで歴史書から抜け出してきたようだった。
粗い布のチュニック、厚手のマント、使い古された革のブーツ。
腰には工具。
実用のための、本物の道具。
空気の匂いも違う。
湿った木。
魚。
焼きたてのパン。
それに混ざる、鼻を刺す強い匂い。
酒。
思わず眉をひそめる。
ざわざわとした喧騒が耳に流れ込んでくる。
笑い声、言い争い、荷車の軋む音。
ギシ……ギシ……
けれど一番の違和感は――言葉だった。
耳に入ってくる会話は、どれも意味を持たない音の連なり。
英語でも、日本語でもない。
もっと荒く、硬い響き。
(……全然、分からない)
「……なあ」
思わず口を開いた瞬間、
「話すな」
即座に遮られる。
「……あ」
口を閉じる。
(だよな……)
そのまま前に視線を戻した。
しばらく進むと、一軒の建物から男たちが出てきた。
酒場だとすぐに分かる。
匂いがすべてを物語っていた。
だが――視線が止まったのはそこじゃない。
「……え?」
目を凝らす。
背が低い。
異様に低い。
なのに体はがっしりしている。
分厚い腕。丸い鼻。濃い髭。
一人がよろめいて、別の男にぶつかった。
「ヒック!」
「だから飲みすぎだって言っただろ!」
瞬きを繰り返す。
「……まじか」
「見るな」
「いや無理だろ」
思わず声が漏れる。
「……ドワーフ?」
小さくため息。
「そう」
(本当にいるのかよ……)
もう一度見る。
今度はしっかりと。
一人が豪快にゲップをした。
ゲフッ――
「もう一杯だ!」
「おう!」
ゆっくりと顔を戻す。
(処理が追いつかない……)
「前見て」
「……努力する」
そのまま進む。
やがて道が開け、視界が一気に広がった。
広場だった。
中心には巨大な石像。
剣を掲げた男が、空を切り裂くように立っている。
風もないのに、マントが揺れているように見える造形。
その足元で子供たちが遊んでいた。
木の剣を振り回しながら叫ぶ。
「俺がカマエルだ!」
「違う、俺だ!」
「じゃあお前が魔王だ!」
剣を振り上げる。
「王国のために!」
しばらくその光景を見つめたあと、像を見上げる。
「……誰だ?」
「カマエル」
「英雄?」
「この世界で一番有名な」
少し考える。
「いつの時代?」
「二百年くらい前」
(……二百年)
視線を戻す。
その瞬間――胸がわずかにざわついた。
理由は分からない。
ただの石像のはずなのに。
(なんだ……これ)
表情。
目の奥。
そこにあるのは――
(……寂しさ?)
軽く眉をひそめる。
「変だな……」
「何が?」
「いや……分からない」
それ以上は言葉にならなかった。
広場を抜けようとした、その時。
足が止まる。
「……」
視界の端に映ったもの。
背が高い。
細い。
動きが静かで、無駄がない。
そして――
耳。長く、滑らかに尖っていた。
数秒、思考が止まる。
「……嘘だろ」
「エルフ」
あまりにもあっさりとした答え。
ドワーフ。
エルフ。
(……完全にファンタジーじゃないか)
空を見上げる。
深く息を吐く。
「完全に……異世界だな」
「否定はしない」
ふと、彼女が横を向く。
「私も最初はそうだった」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「でもあの時は――龍神がいた」
その名前。
胸の奥が、ずきりと痛む。
(……兄さん)
何も言えなかった。
そのまま歩き続ける。
――その時だった。
遠くから響く音。
カツン、カツン、カツン……
馬の蹄。
荒い息。
フシュゥ……ッ
顔を向ける。
通りの奥から、騎士たちが現れた。
数が多い。
異様なほどに。
一瞬で空気が変わる。
(……まずい)
心臓が強く打つ。
ドクン……ドクン……
視界の端がわずかに揺れる。
だが、隣は違った。
まるで何事もないかのように、手綱を引く。
自然に道の端へ寄る。
ただの通行人のように。
騎士たちはそのまま通り過ぎていく。
一人もこちらを見ない。
(……気づかれてない?)
思わず数え始める。
一人、二人、三人……
十……二十……
(まだいるのかよ……)
数が増えていく。
鎧。赤いマント。
威圧的な顔つき。
最後の一人が通り過ぎたとき、小さな声が落ちた。
「……急ぐ」
その声は静かだったが、明らかに急を要していた。
「どこへ?」
「まだ分からない」
短く答える。
だが足は止まらない。
「……でも、時間がない」
背筋に冷たいものが走る。
(洞窟のやつら……)
すぐに繋がった。
彼女は手綱を引き、速度を上げる。
「港へ行く」
逆らう理由なんてなかった。ただ、彼女に従う。
この世界に来てから学んだことが、一つだけある。
ロゼット・ベイカーが「動け」と言うとき……
それは、俺が想像しているよりもずっと近くに、すでに危険が迫っているという合図なのだ。




