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第26話:海辺の街への到着


それは、もはや考えでも仮説でもなかった。

目の前に広がる、疑いようのない現実だった。


彼女は静かに港町を見つめている。

視線は揺れない。まるで、その場所のすべてを測るように。


「——あそこが、目的地よ」


しばらくして、彼女が先に水から上がる。

濡れた制服が体に張り付き、色の違いがはっきりとし浮かび上がっていた。


落ち着いた声だった。

吉田はすぐには返事をしない。

ただ、遠くに広がる wood 構造の建物や、人の影、風に揺れる帆船を見つめ続けていた。


「……小さいな……」


ぽつりと漏れる。


「それに……全部……古い感じがする」


無意識に出た言葉だった。

彼女は横目でそれを捉える。


「ここは、あなたの世界じゃない」


短く、はっきりとした声音。


「私の世界よ」


柔らかさはない。

事実だけを突きつけるような言い方だった。


吉田はわずかに視線を落とす。

反論の余地などなかった。


「……心配しなくていいわ。私にとっては、東京の方がよほど怖かったもの」


小さく付け加えられたその言葉に、少しだけ空気が緩む。


やがて馬は、町へ近づきすぎる前に足を止めた。

ざくっ、と湿った砂を踏む音が静かに響く。


彼女が先に地面へ降りる。

続いて、吉田の体を支えながらゆっくりと下ろした。

足が砂に触れる。

ひんやりとした感触。


波の音が、二人の間を満たしていた。


吉田は自分の手を見る。

指の隙間にこびりついた、乾いた血。

顔に、わずかな不快の影がよぎる。


「……洗わないと」


そう言って、彼女は迷いなく海へ向かった。


「え、ちょっ——」


止める間もなく、足を水に踏み入れる。


ざぶっ……


波が押し寄せ、足首を越え、膝へ。

振り返ることもなく、そのまま腕を掴む。


「ちょ、待っ——!」


そのまま引きずり込まれる。


ざばっ——!


「つ、冷たっ!?」


思わず声が跳ねる。

水は予想以上に冷たく、体が一瞬で強張った。


「っ……これ……普通に冷たいだろ……!」


だが、数秒もすれば感覚は変わっていく。

こびりついていた血が溶け、砂が流れ落ちる。

乾いていた汚れが、波にさらわれていく。


ざざ……ざざ……


繰り返す波音の中で、余計なものが削ぎ落とされていくようだった。

まるで——

ここまでの痕跡を、少しずつ消されていくみたいに。


ためらいなく上着を脱ぎ、そのまま手に取る。

その姿を、吉田は一瞬だけ見つめる。


あの制服。

元の世界と繋がる、数少ない証。

だが今は、この場所ではあまりにも浮いている。


彼女は黒い剣を手に取り、脱いだ上着で丁寧に包み込む。

形を隠すように。


「このままじゃ入れない」


小さく呟く。


「目立ちすぎる」


再び町へ視線を向ける。

その瞳は、もう完全に“任務”のそれだった。


「……持って一日ね」


「一日……?」


わずかに眉が寄る。


「それ以上いれば、ここも探される」


その言葉が、じわりと重く沈む。

再び町を見る。

人がいる場所。

だが同時に——

見つかる場所でもある。


ふわっ……


彼女が軽く手を上げる。

空気が、微かに震えた。

くるり、と風が巻く。


「またそれか……」


思わず漏れる。

濡れた衣服がふわりと揺れ、次の瞬間には水気を失っていた。

まるで、最初から濡れていなかったかのように。


「後ろ向いて」


「え?」


「見ないで」


有無を言わせない声音。


「わ、分かってるって!」


慌てて背を向ける。

思ったよりも素直に体が動いたことに、内心で少しだけ驚く。


(……普通に動けてる……)


風が再び鳴る。

さああ……と静かな音。

数秒。


「もういいわ」


振り返ると、何事もなかったかのように整っていた。

彼女は何も言わず、馬の手綱を取る。

今度は吉田を先に乗せ、自分は歩いて進み始めた。


一歩ずつ。

確かめるように。

町は、少しずつ大きくなる。


やがて——


人の声が聞こえ始めた。


ざわざわ……


生活の音。

動き。

息づく気配。


吉田は思わず喉を鳴らす。

こんな光景を見るのは、この世界に来て初めてだった。


普通の人間。

普通に続いている生活。

少なくとも、表面上は。


「……変な感じだな……」


ぽつりと呟く。

返事はない。

ただ、足は止まらなかった。


やがて港の入り口へ差し掛かる。

数人の男たちが顔を上げた。


日に焼けた肌。

荒れた手。

鋭い目。


網を担ぐ者。

魚の入った桶を置く者。

視線が、二人に集まる。


測るように。

値踏みするように。

ぞくり、と背筋が粟立つ。


「……見られてる」


「当然よ。外から来た人間なんて珍しいもの」


淡々とした返答。

波の音が、少しずつ遠ざかっていく。


そのまま歩みを止めず——

二人は越えた。


見えない境界線を。

外の世界と、人の世界を分ける、その境を。


吉田の視線は止まらない。

右へ。

左へ。

すべてを焼き付けるように見ていく。


理解し始めていた。


(……戻れない)


そして——

初めて。

二人は、その町の中へと足を踏み入れた。


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