第25話:黄金の槍の騎士
洞窟の奥に、再び足音とざわめきが反響した。
乾ききらない血の匂いが、重く空気に残っている。
掲げられた松明の光が内部を照らし出し、そこに広がる光景を浮かび上がらせた。
無数の遺体。
砕かれた鎧。
命を失った十人の騎士たち。
かつて一時の避難所であった場所は、今や静かな墓場へと変わっていた。
しかし今回、彼らは無秩序に踏み込んできたわけではなかった。
整然とした動きで、音を抑え、規律のもとに進んでいく。
視線は言葉を交わすことなく、空間をなぞるように巡る。
状況を読み取り、測り、理解していくように。
その中で、一人の騎士が静かに前へ出た。
若い。
だが、他よりも頭ひとつ抜けて高い体格。
長い黒髪が肩にかかり、やや乱れながらも不思議と威圧感を纏っている。
身に着けた鎧は旅の痕を残しながらも、他の者より整っていた。
そして、その手には——
黄金の槍。
他の槍とは明らかに異なるそれは、長く、鋭く、
刃先は松明の光を受けて冷たい輝きを放っていた。
ケンはゆっくりと遺体の間を歩き、一つ一つを見下ろしていく。
急ぐ様子はない。
やがて一体の前で足を止め、静かに膝を折った。
喉元。
そこに刻まれた切り口に指を触れる。
迷いのない、一撃。
「……ここにいたな」
低く、確信を含んだ声が漏れる。
ゆっくりと立ち上がり、後ろに控える騎士たちへと視線を向けた。
「まずは遺体を回収しろ。我々の仲間を、こんな場所に放置するな」
その声音は静かだが、逆らいようのない重みを持っていた。
数人がすぐに動き出し、他の者は外へと向かう。
さらに人手を呼ぶためだろう。
「残りはついて来い。遠くへは行っていない」
その時だった。
赤い外套を纏った騎士が一歩前に出る。
視線にはわずかな疑念が混じっていた。
「……ケン卿」
短い沈黙の後、言葉を続ける。
「今回の件……防げたのでは?」
空気がわずかに張り詰める。
ケンは何も答えない。
「全員で来ていれば、あの女など問題なく——」
一歩、後ずさる。
無意識の反応だった。
「もしかして……あなたは——」
言葉が途切れる。
それ以上は言う必要がなかった。
次の瞬間。
――ヒュッ!
閃き。空気が裂ける音とともに、黄金の槍が一直線に走った。
切っ先は男の顔の目前で止まる。
ほんの数ミリ。
だが、その頬には細い赤い線が刻まれていた。
血がゆっくりと流れ落ちる。
男は動けない。
呼吸すら忘れていた。
「本気で遅らせるつもりなら——」
ケンの声は静かだった。
「今ここで、お前は喋っていない」
冷えきった視線。
「これ以上口を開けば、次は外さない」
槍が引かれる。
張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
赤い外套の男は、なおも睨み返しながら唾を吐き捨てる。
「勝手にやってろ。俺が見つけて殺してやる……ロゼット・ベイカーをな」
吐き捨てるように言い残し、そのまま洞窟を出ていった。
他の騎士たちも、気まずさを残したまま散っていく。
再び静けさが戻る。
ケンは足元へ視線を落とした。
砂の乱れ。
引きずられた跡。
そして、その先——
洞窟の外へと続いている。
視線を上げると、地平の向こうで夜がほどけ始めていた。
淡い光が空を染めていく。
「……さすがだな、ロゼット」
小さく呟く。
「だが、逃がさない」
* * *
蹄の音が、朝の静寂を打ち破っていた。
果てしなく続いていた砂の海はいつの間にか姿を変え、
地面は固くなり、やがて——潮の匂いが混じり始める。
吉田は、半ば意識を手放したまま揺られていた。
頬に触れる風が変わっている。
乾いた冷たさではない。
湿り気を帯びた、重い空気。
ゆっくりと顔を上げる。
視界の先に広がる光景。
水平線。
そして、その上に昇りゆく太陽。
橙に染まる空が、波打つ水面に反射して揺れていた。
——海だ。
「起きたか」
背後から声が落ちる。
振り返ると、手綱を握る彼女の横顔があった。
視線はまっすぐ前を見据えている。
「……悪い、寝てた」
少しぼんやりとした声が漏れる。
馬の速度が落ちる。
駆け足から、ゆるやかな足取りへ。
「もうすぐだ」
短く告げる。
波の音が、はっきりと耳に届くようになった。
「港町に着く」
「……町?」
驚きがそのまま声に出る。
わずかな間。
「ええ」
その返答は、どこか慎重だった。
「……それって、いいことなのか?」
問いかけに、すぐ答えは返ってこない。
手綱を握る手に、ほんのわずかな力が入る。
「……先に見つかれば、最悪ね」
背筋に冷たいものが走る。
再び海へと視線を向ける。
広く、静かで、美しい。
だが同時に、どこか得体の知れない不安を孕んでいた。
馬はそのまま海岸沿いを進む。
湿った砂に蹄の跡が残っていく。
やがて——
それは見えた。
海沿いに広がる、小さな港町。
巨大な城壁も、誇るべき塔もない。
ただ、木造の建物が不規則に並び、風と時間に晒されてきた痕跡を刻んでいる。
簡素な桟橋が海へ伸び、帆船が静かに揺れていた。
干された網、積まれた樽、無造作に置かれた荷。
すべてが手作業の名残を感じさせる。
作られた世界ではない。
積み重ねられてきた世界。
吉田は、言葉を失ったままそれを見つめる。
コンクリートも、電線も、標識もない。
何一つ、知っているものがない。
喉が、わずかに締まる。
「……本当に……」
かすれた声が漏れる。
「……別の世界なんだな……」
波の音だけが、静かにそれを包み込んだ。
この章を境に、物語の舵を大きく切っていこうと思います。これまでの24話は展開が遅く、少し重苦しく感じられたかもしれません。ですが、実はこの序盤には、後の展開で皆さんの度肝を抜くような『伏線』と『秘密』を数多く散りばめています。私はプロットツイスト(どんでん返し)が大好きなんです。これからの展開を楽しみにしていてください!




