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魔王に恋をして、世界に裁かれた  作者: ケン・アラタカ
第二章:新世界への到達
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第24話:ローズの逆鱗

【吉田視点】


洞窟の入口を見つめたまま、体が固まったように動かなくなっていた。

胸の奥で、心臓だけがやけに大きく脈打っている。


聞こえてくる言葉は理解できない。

耳に届くのは、硬く、荒く、どこか金属がぶつかり合うような響きを持った異質な言語だった。

けれど――意味なんて分からなくてもよかった。


(……怒鳴ってる)


それだけで十分だった。

そして、確実にこちらへ近づいてきている。

足音は次第に大きくなり、やがて洞窟の入口が強い光で満たされた。


松明の炎。

次の瞬間、男たちが一斉に雪崩れ込んできた。


十人……いや、それ以上はいる。

鈍い光を放つ金属鎧に身を包み、腰には長剣。中には槍や盾を持つ者もいる。

そのどれもが砂と血の匂いをまとい、戦場を渡り歩いてきたことを物語っていた。


重い靴音が岩肌に響き、彼らは周囲を気にも留めず踏み込んでくる。

石や骨の残骸が無造作に蹴り飛ばされ、乾いた音が洞窟内に散った。


足元で、小さな鳴き声が上がる。

子猫たちだった。

不安げに鳴きながら、体を寄せ合っている。


その気配に、こちらの呼吸も乱れる。

動かなきゃいけない。

逃げないと。

そう思っているのに――

体が、言うことを聞かない。


腕に力を込めても、震えるだけで前へ進まない。

情けないほど鈍い動きで、後ろへ下がろうとするのがやっとだった。


(くそ……!)


まだ、自分の体すらまともに扱えない。

その時だった。


一人の男と目が合った。

鋭い視線が、真っ直ぐこちらを射抜く。

何かを叫び、指を差す。

それを合図にしたかのように、他の連中の視線も一斉に集まった。


地面に這いつくばったまま、その光景を見上げる。

じりじりと距離を詰めてくる影。

まるで獲物を囲む獣の群れのように。


(……終わりか)


武器もない。逃げ場もない。

ただの、動けない獲物。


視線が、彼らの装備をなぞる。

剣。盾。鎧。

そして――

最後に入ってきた男の手に、異様なものが握られていることに気づいた。


それは、大きな塊だった。

血に濡れた、黒い毛皮。

……いや。

頭だ。

あの獣の。

巨大な猫の首。


光を失った瞳。

乾いた血で固まった毛並み。


一瞬、思考が止まる。

理解を拒んでいた。

足元で、子猫たちが必死に鳴き始める。

母親を探すように。


胸の奥に、何かが突き刺さる。

怒り。

そして――罪悪感。


(動けていれば……)


(守れていたら……)


そんな考えが、遅れて押し寄せる。

その瞬間、襟首を乱暴に掴まれた。

体が宙に浮く。

苦しさに息が詰まる。


男は至近距離で何かをまくし立ててきたが、やはり理解できない。

次の瞬間――

地面へ叩きつけられた。

肺の空気が一気に抜ける。

視界が揺れた。


別の男が剣を振り上げる。

狙いは――子猫たち。


「やめろ!」


声がかすれる。

それでも叫んだ。

子猫たちは散り散りに逃げ、暗がりの奥へと消えていく。


舌打ちのような音。

そして――衝撃。

脇腹に蹴りがめり込んだ。

痛みが一気に広がる。


その時、不意に一つの言葉が耳に引っかかった。


「ロゼット・ベイカー」


息が止まる。


(……なんで)


どうして、その名前を。

目の前の男がため息をつき、ゆっくりと剣を抜いた。

刃が松明の光を反射し、冷たく光る。

その切っ先が、喉元へと向けられた。


体が動かない。

怖いはずなのに――

どこかで、諦めていた。


(……ああ)


(ここで終わるのか)


静かに目を閉じる。


――ドシュッ!


その瞬間、湿った音がした。

何かが崩れ落ちる音。

短い悲鳴。

周囲がざわめく。


目を開ける。

視線を向ける。


そこにいた。

洞窟の入口。

月光を背にして立つ影。

乱れた髪。血に濡れた制服。

そして――

黒い剣。


滴る血が、岩にぽたりと落ちる。

紅い瞳が、暗闇の中で燃えるように光っていた。


「吉田から離れなさい!」


その声が、空気を切り裂く。

三人の騎士が一斉に突っ込む。


同時に――彼女も踏み込んだ。


――シュッ!


黒い刃が水平に走る。

一人の喉が裂け、血が噴き出す。


間髪入れず、槍が突き出される。

体を捻ってそれをかわし、下から斬り上げる。


――ザシュッ!


腹部が裂け、男が崩れ落ちる。

盾を構えた騎士が突進してくる。


一歩、引く。


次の瞬間には――踏み込んでいた。


――ドスッ!


黒い剣が胸を貫く。

鈍い音と共に、男の体が揺れる。


残った者たちが取り囲む。

金属がぶつかる音が洞窟内に反響する。

火の揺らぎが影を歪める。


彼女は叫びながら戦っていた。

恐怖ではない。

怒りだ。


一人が剣の柄で殴りつける。

体がよろめく。

別の男の突きが肩をかすめ、血が飛ぶ。

それでも止まらない。


回転する。


斜めに振り抜く。


――ガキィィィィン!


また一人、倒れる。

さらに一人。

さらに――


やがて。

最後の一人が突撃してきた。

剣と剣がぶつかる。

力がぶつかり合う。


短い叫びと共に――


――グサッ!


黒い刃が、深く突き刺さった。

男が膝をつく。

そのまま崩れ落ちた。


静寂が訪れる。

戦いの残響だけが、ゆっくりと消えていく。

洞窟の中には、倒れた騎士たちの体だけが残された。


その中央で、彼女は立っている。

荒い呼吸。

血に濡れた制服。

黒い剣から滴る赤。


ただ、それを見上げることしかできなかった。

やがて、視線がこちらへ向く。

紅い瞳。

その奥に――

さっきとは違う何かが揺れていた。


(……怖がってる?)


ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。

しばらくして、ゆっくりと近づいてきた。

足取りはしっかりしているが、呼吸はまだ乱れている。


目の前まで来て、軽くしゃがみ込む。

その表情は、先ほどよりも落ち着いていた。

現実感がなかった。


目の前で人が死んだ。

それも何人も。

頭が追いつかない。

なのに――

その顔を見た瞬間、妙に安心してしまった。

さっきまでの光景が、遠くへ押しやられるように。


「ここを離れる必要がある」


低い声で言う。


「離れる……?」


小さく頷く。

「現在地は把握した。だが、あれは斥候に過ぎない」


一度、入口の方へ視線を向ける。

「すぐに増援が来る」


背筋が冷える。

転がる死体を見渡す。


(これで……ただの先遣隊?)


「だから、今すぐ移動する」


言葉を返す前に、体が持ち上げられた。


「えっ――」


腕が背中と脚の下に回る。

そのまま、軽々と持ち上げられる。


「歩行はまだ無理だろう」


あまりにも自然に言われる。

気づけば背中に回されていた。


「ちょ、ちょっと……!」


「掴まって」


短く、それだけ。

しっかりと立ち上がり、そのまま歩き出す。


背中越しに伝わる体温。

やけに近い距離。


(……近すぎるだろ)


こんな状況なのに、変な意識が働く。


「……その、ちょっと恥ずかしいんだけど」


「なぜ?」


「どう見ても、助けられてる側なんだけど」


一瞬の沈黙。

その後、小さく笑った。

ほんのわずかに。

でも確かに。


「そういう状況だ」


「否定してくれよ!」


やり取りを続けながら、出口へと向かう。

その時だった。


小さな鳴き声。

振り返る。

岩陰から、子猫たちが出てきていた。

ふらふらと、母親の亡骸へと近づいていく。


一匹が頭に登る。

もう一匹が体に擦り寄る。

鳴き声は小さく、弱く。

何かを探すように。


胸が締め付けられる。


「……」


隣も止まった。

数秒、黙ってそれを見ていた。

その後、視線を落とす。


「行こう。成長すれば、あれらも同じような存在になる」


声は、少しだけ柔らかかった。

再び歩き出す。


外へ出ると、夜の冷気が肌を打つ。

近くには数頭の馬が繋がれていた。

血の匂いに落ち着かない様子で、鼻を鳴らしている。


一頭に近づき、手綱を取る。

首を軽く撫でると、馬は徐々に静かになった。


「先に乗れ」


「いや、それ無理――」


結局、持ち上げられて鞍の上へ。

尊厳はもう諦めた方がいい気がしてきた。


その後ろに乗る気配。

背中に触れる感触。


(……いや近い近い近い)


「……距離、近くない?」


「馬だからな」


即答だった。

何も言い返せない。


手綱が引かれる。

「行き先は分かっている」


「本当に?」


「ああ」


短く、確信のある声。

次の瞬間、馬が動き出した。


ゆっくりとした歩みから、次第に速度を上げていく。

洞窟を離れる。

夜の砂漠が、視界いっぱいに広がる。

冷たい風が顔を打つ。

蹄の音が、乾いた地面に響く。


振り返る。

小さくなっていく洞窟。

月明かりの中、影に飲み込まれていく。

目を覚ました場所。

守られていた場所。

延々と続いた静寂が壊れた場所。


やがて完全に見えなくなった。

手綱が強く引かれる。

さらに加速する。


「しっかり掴まって」


その声に従い、しがみつく。

視線の先には、果てしない砂の海。

月に照らされた銀色の世界。


こうして――

夜の砂漠を駆けていく。


行き先は分からない。

けれど。

彼女だけは、迷っていなかった。


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