第22話:出発の時
【吉田視点】
ローズが眠っている間に起きたことを、すべて話した。
あの灼ける砂の海。
落下。
どうやってあの巨大な猫に運ばれて、この洞窟まで来たのか。
そして――守られていたことも。
ローズは、何も言わずに聞いていた。
話し終えたあと。
なぜか、ゆっくりと片手を持ち上げる。
「……マナの流れを感じる」
小さく呟いたあと、聞き慣れない言葉を口にし始めた。
空気が変わる。
目の前の地面が、わずかに盛り上がり――
石が形を成し、小さな器になる。
さらに、別の詠唱。
その内部から、透明な水が湧き出した。
思考が止まる。
(……は?)
「……美味しくはないけれど、水です」
そう言って近づいてくる。
頭を支えられる。
そのまま、水を口に流し込まれた。
味は――確かに良くない。
でも。
乾ききっていた喉に、染み込む。
体の奥に、戻ってくる感覚。
(……生きてる)
聞きたいことは山ほどあった。
でも――
まずは、ここからだった。
「……ローズ。何が起きてるんだ」
すぐには答えなかった。
石を集める。
短い詠唱。
その瞬間――
手のひらから火が生まれる。
それを使って、焚き火を起こした。
あの猫が持ってきた脚を拾い上げる。
火にかざす。
肉が焼ける音。
脂が弾ける匂い。
「……レピル」
小さく呟く。
「運がいいことに、食べられます」
そのあまりにも自然な動作に。
魔法。
見たこともない生き物。
この場所。
すべてが、現実から切り離されていく。
(……ついていけない)
それに気づいたのか。
ローズは、ゆっくりと隣に座った。
焚き火の光が、紅い瞳に揺れる。
「吉田……」
少し間を置く。
「質問は多いと思います。ですが――ひとつで答えます」
短く息を吸って。
言い切った。
「ここは、日本ではありません。あなたの世界でもない」
「……は?」
声が漏れる。
頭が追いつかない。
そのあと、時間をかけて説明された。
この世界の名前。
――エヴァの大地。
魔法があり。
魔獣がいて。
国があり。
神に近い存在すらいる。
そして――
本来、来るはずではなかった場所。
ローズは立ち上がり、落ち着かない様子で歩き始める。
「……本来、戻ることなど不可能なはずでした」
低く呟く。
気になって、あの猫のことを聞いた。
その瞬間。
空気が変わった。
「……あれは、大魔獣の一種です」
「……魔獣?」
「凶暴で、制御は不可能。……そして」
わずかに視線を逸らす。
「人間を最も好んで捕食します」
思わず、そちらを見る。
猫は眠っていた。
子どもたちが、腹に寄り添っている。
「……おかしいだろ」
言葉が漏れる。
ローズは何も言わずに立ち上がる。
黒い剣を手に取った。
(まさか――)
「……やめろ」
声をかける。
「吉田。確認したいことがあります」
理解できないまま。
手を差し出す。
刃が、触れた。
浅く切れる。
血が滲む。
それを指で受け止めて、火にかざす。
その瞬間。
ローズの顔から色が消えた。
「……黒い……」
喉が鳴る。
自分でも見る。
赤じゃない。
黒い。
濃く、重たい。
まるで――墨みたいに。
「……リュウジンが、言っていた……」
小さく呟く。
でも、それは昔からだった。
生まれた時から。
(……別に、普通だと思ってた)
けれど――
ローズの反応は違った。
視線が、猫へ。
そして、こちらへ。
「……命令してください」
「……え?」
「何でもいい。あれに命じてください」
言われるまま、視線を向ける。
猫も、こちらを見る。
「……座れ」
もう座っている。
「……来い」
すぐに立ち上がる。
三歩。
迷いなく、近づいてくる。
子どもたちも後を追う。
ローズが後ずさる。
呼吸が乱れる。
「……あり得ない……」
頭を押さえる。
再び歩き回る。
剣が石の床を擦る音が響く。
「……ローズ、どうしたんだよ」
足を止める。
こちらを見る。
その目にあったのは――
恐怖だけじゃない。
葛藤。
否定。
そして、痛み。
「……吉田」
声が、初めて揺れた。
「あなたの世界へ来た理由があります」
背中に冷たいものが走る。
(……嫌な予感しかしない)
「探していた人物がいるのです」
普通なら、笑っていたかもしれない。
でも。
今は違う。
(……もう、何が普通か分からない)
その人物について、続ける。
「戦争を引き起こし……数え切れない命を奪い……国を滅ぼした存在」
息を飲む。
「……ローズ」
まっすぐ見られる。
もう、ただのクラスメイトじゃない。
騎士の目だった。
「黒い血。魔獣の服従。剣の反応……」
唇が震える。
「……間違いであってほしい……これは、悪い冗談だと……」
何も言えなかった。
理解できないからじゃない。
理解したくないからだ。
(……十六だぞ)
ついこの前まで。
テストのこと考えて。
兄貴のことで頭がいっぱいで。
それだけだったのに。
「……吉田」
声が、崩れる。
「あなたが……その存在です」
焚き火が弾ける。
猫が、低く鳴く。
グル……ッ
その音がやけに重く響いた。
その瞬間。
初めて。
自分が何なのか分からなくなった。




