表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/75

第20話:黄金の槍の騎士

 

  静まり返った洞窟の奥底に、再び複数の足音とざわめきが反響した。

  空気の中には、未だ乾ききらない生々しい血の匂いが重く淀んでいる。


  掲げられた数多の松明が闇を切り裂き、そこに広がる惨状を無慈悲に照らし出した。


  折り重なる無数の遺体。

  無惨に砕かれた鋼の鎧。

  そして、物言わぬ骸と化した十人の騎士たち。


  かつて二人の避難所であったその場所は、今や冷徹な死が支配する静かな墓場と化していた。


  しかし、今回現れた者たちは、先ほどの斥候たちのような無秩序さは微塵も感じさせない。

  彼らは整然とした動きで、ザッ、ザッ、と音を極限まで抑え、研ぎ澄まされた規律のもとに前進していく。

  互いに言葉を交わすことさえなく、その鋭い視線だけで空間の隅々をなぞり、状況を冷徹に読み解いていく。


  その沈黙の隊列の中から、一人の騎士が静かに歩み出た。


  若い。だが、他の騎士たちよりも頭一つ分は抜けた堂々たる体格。

  肩にかかる長い黒髪はわずかに乱れているが、それがかえって彼が纏う得体の知れない威圧感を際立たせている。


  身に纏う鎧は、長旅の過酷さを物語る傷跡を刻みながらも、他の誰よりも手入れが行き届いていた。

  そして、その右手に握られていたのは――。


  黄金の槍。


  工芸品のような美しさと、凶器としての禍々しさを併せ持つその槍は、松明の火を吸い込み、穂先から冷たい黄金の光を放っていた。


  男――ケンは、遺体の間を縫うようにゆっくりと歩を進めた。

  焦る様子は微塵もない。

  やがて一体の遺体の前で足を止めると、彼は静かに膝を折った。


  狙われたのは喉元。

  そこに刻まれた一筋の切り口に、革手袋の指先でそっと触れる。


  迷いの欠片もない、あまりにも正確で無慈悲な一撃。


「……確かに、ここにいたな」


  低く、確信を含んだ独白が漏れる。

  彼はゆっくりと立ち上がり、背後に控える騎士たちへと鋭い視線を向けた。


「まずは遺体を回収しろ。我らが同胞を、このような汚らわしい場所に放置することは許さん」


  その声音は静謐であったが、逆らいようのない絶対的な重みを含んでいた。

  数人が即座に作業に取り掛かり、他の者はさらなる増援を呼ぶべく外へと駆け出していく。


「残りは私に続け。奴らはまだ、遠くへは行っていない」


  その言葉が発せられた直後だった。


  赤い外套がいとうを纏った一人の騎士が、不遜な足取りで一歩前に出る。

  その瞳には、隠しきれない疑念の色が浮かんでいた。


「……ケン卿」


  短い沈黙。張り詰めた空気の中、赤い外套の男は言葉を継いだ。


「今回の失態……貴公ならば、未然に防げたはずではないか?」


  周囲の空気が、肌を刺すように冷え切る。ケンは無言を貫く。


「我ら全員で包囲していれば、あの女など問題なく――」


  そこまで言いかけた男が、思わず一歩後ずさった。それは生存本能が引き起こした無意識の反応だった。


「まさか……貴公は――」


  言葉は途切れた。それ以上、紡ぐ必要がなくなったからだ。


  次の瞬間――。


  ――ビシィィィンッ!!


  閃光。空気が悲鳴を上げて爆ぜる音と共に、黄金の槍が一直線に放たれた。

  ガキィン、と硬質な音を立てて穂先が止まったのは、男の眼前わずか数ミリの地点。


  だが、引き起こされた風圧だけで、男の頬にはすでに細い鮮血の筋が刻まれていた。

  ポタッ、ポタッと血がゆっくりと顎を伝い、床に落ちる。


  男は動けない。呼吸の仕方すら忘れたかのように、金縛りにあっていた。


「本気で私が刻を遅らせるつもりだったのなら――」


  ケンの声は、どこまでも凪いでいた。


「今この瞬間、貴様は言葉を発してはいない」


  氷の刃のような視線が、男を射抜く。


「これ以上その口を開けば、次は外さない」


  スウッ、と槍が引き戻される。限界まで張り詰めていた空気が、僅かに弛緩した。

  赤い外套の男は、屈辱に顔を歪めながらも唾を吐き捨て、背を向ける。


「……勝手にやってろ。俺が先に見つけて殺してやる。――ロゼット・ベイカーをな」


  呪詛のような言葉を残し、男は洞窟を去った。他の騎士たちも気まずさを隠せないまま、散り散りになっていく。


  再び訪れた静寂の中、ケンは足元の砂を見下ろした。

  砂の乱れ。引きずられた跡。

  その痕跡は――真っ直ぐに、外の世界へと続いていた。


  視線を上げると、地平の向こう側で夜の帳がほどけ始めていた。

  淡い曙光が空を紫に染めていく。


「……さすがだな、ロゼット」


  誰にも聞こえないほどの小声で呟く。


「だが、逃がしはしない」



【吉田視点】


  パカパカパカ、と蹄の音が、朝の静寂を打ち破っていた。


  果てしなく続いていた死の砂海はいつの間にか姿を変え、地面は固い土へと変わり、やがて――潮の香りが風に混じり始める。


  俺は、半ば意識を手放したまま馬の揺れに身を任せていた。

  頬に触れる風の質が変わっていることに気づく。

  あの肌を刺す乾いた冷たさではない。湿り気を帯びた、重く、どこか懐かしい空気。


  重い瞼をゆっくりと持ち上げる。視界の先に広がっていたのは――。


  果てのない水平線。

  空と海の境界線からゆっくりと昇りゆく黄金の太陽。

  橙色に燃える空が、ザザァ、ザザァと波打つ水面に反射して眩しく揺れていた。


  ――海だ。


「起きたか」


  前方から、凛とした声が降ってくる。

  彼女の背中に寄り添うようにして顔を上げると、手綱を握るローズの横顔があった。逆光に照らされたその紅い瞳は、真っ直ぐに前方を見据えている。


「……悪い、寝てたみたいだ」


  ぼんやりとした声が漏れる。

  馬の速度が徐々に落ち、駆け足から穏やかな歩みへと変わった。


「もうすぐだ」


  短く告げる彼女の声に、波の音が重なる。


「港町に着くわ」


「……町?」


  思わず、驚きの声が漏れる。

  わずかな間を置いて、彼女は答えた。


「ええ」


  その返答は、どこか慎重で、警戒を孕んでいた。


「……それって、喜んでいいことなのか?」


  俺の問いに、すぐには答えが返ってこない。

  手綱を握る彼女の手に、ほんのわずかな力がこもる。


「……追手に先に見つかれば、最悪の事態になるわね」


  背筋に氷の棘が走る。

 再び、視線を海へと向ける。


 広く、静かで、美しい。

 だが同時に、その美しさの裏には得体の知れない不安が潜んでいた。


 馬は湿った砂浜を進み、波打ち際にザシュ、ザシュと蹄の跡を残していく。


 やがて――それは姿を現した。


 海岸沿いに広がる、小さな港町。

 そこには巨大な城壁も、天を突くような塔も存在しない。

 ただ、古びた木造の建物が不規則に並び、潮風と長い歳月に晒されてきた痕跡をその身に刻んでいる。


 簡素な桟橋が海へと伸び、数隻の帆船が波に合わせて静かに揺れていた。

 干された網。積み上げられた木樽。無造作に置かれた荷物。

 そのすべてに、人々の手作業の温もりと生活の息吹が宿っている。


 それは、誰かに与えられた箱庭ではない。

 この世界の住人たちが、長い時間をかけて積み重ねてきた本物の世界。


 俺は、言葉を失ったままその光景を網膜に焼き付ける。

 コンクリートも、電線も、信号機もない。俺の知っているものは、何一つなかった。


 喉の奥が、ぎゅっと締め付けられる。


「……本当に……」


 掠れた声が、風に溶ける。


「……別の世界なんだな……俺たちは……」


 寄せては返す波の音だけが、静かにその独白を包み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ