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『二つの世界、一人の魔王』~東京2080からエヴァの大地へ~  作者: 黒猫
第三章:英雄の海を航く
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第20話:世界で最も恐れられている女海賊

【吉田視点】


  死の気配は――

  俺が想像していたよりも、ずっと近くまで迫ってきていた。


  港へ向かって、急ぎ足で石畳を蹴る。

  一歩進むごとに、肺に流れ込む空気の中の潮の匂いが濃くなっていく。


  ドン、ドン、と桟橋に打ちつける波の音。

  ザザァン……ザザァン……という重低音に重なって、荒くれ者の船乗りたちの怒号や、商人の強引な呼び込みの声が、雑多な熱気となって飛び交っていた。


  環境が一変し、再び視界が開ける。

  海だ。

  果ての見えない巨大な水面が、朝の柔らかな光を乱反射させながら、鈍く揺れている。


  岸壁には、無数の船が隙間なく並んでいた。

  威圧感のある巨大な商船、天を突くほどに高いマスト、重厚に巻かれた帆。その隣には、小ぶりな漁船や使い古されたボートが、お互いの肩を寄せ合って停泊している。


  俺の後ろにいるローズの足取りは、一瞬たりとも緩まない。

  だが、その整った表情には、僅かな変化が見え始めていた。

  彼女の鋭い視線が、一隻ずつ船をなぞっていく。

  性能を測り、状況を読み、その価値を値踏みしている。


 ……まさか、盗む気か?


  怖くて聞けなかったが、彼女の考えていることはなんとなく想像がついた。

  ただ――同時に、言いようのない不安も頭をもたげる。


 船って……馬みたいに簡単に扱えるもんなのか?


  複雑に絡み合うロープ、巨大な錨、操舵。それに何より、周囲にはあまりにも人の目が多すぎる。

  彼女もその事実に気づいたのか、ほんの一瞬だけ、眉間に険しい皺を寄せた。


 ……あのロゼット・ベイカーでも、悩むことがあるんだな


  その時だった。

  すぐ近くの荷揚げ場で、激しい言い争いの声が上がった。

  意味の分からない言語だが、相手を激しく罵倒していることだけは嫌というほど伝ってくる。


「ガサツナ、ノラ犬ガ!」

「ハッ! シケたツラして震えてナ!」


  数人の大柄な男たちが積み上げられた木箱の陰から現れ、その中の一人が、乱暴に誰かを突き飛ばした。


  ドサァッ!


  湿った砂の上に、一人の人影が派手に転がる。


「二度と面を見せるナ!」


  ガハハハ! と下品な笑い声を残して、男たちは去っていった。

  残された影は、しばらくの間ピクリとも動かなかったが、やがて――ゆっくりと、呪いが解けたかのように顔を上げた。


  女だった。

  腰まである長い黒髪は潮風に吹かれてボサボサに乱れ、その服装は……一言で言えば、支離滅裂だ。

  船乗り風の凝ったデザインではあるが、どこか派手で、統一感という言葉を忘れてきたかのような奇抜さがある。


  そして何より目を引いたのは、その左目を覆う――黒い薔薇を模したデザインの眼帯だった。


  女はふらりと、危うい足取りで立ち上がる。

  ヒック、と豪快にしゃっくりを漏らしながら、砂を払おうとして空振りし、そのままズデンッ!と尻餅をつきかけている。


 ……酔ってるな。それも、相当に


  だが、本人は全く気にする様子がない。 その女の視線が――ローズと真正面からぶつかった。


  数秒の沈黙。

  女は首を傾げ、片目を限界まで細めてローズを観察する。

  そして――ニィッ、と。

  驚くほど不敵で、自信たっぷりの笑みを浮かべた。


  女の口から、楽しげに弾むような異世界の言葉が飛び出す。その滝のような発音の中で、俺の耳に一つだけ、はっきりと聞き覚えのある単語が飛び込んできた。


「――『ロゼット・ベイカー』――」


  心臓がドクンと跳ね、身体が硬直する。


 ……なんで……こいつ、彼女の名前を知ってるんだ?


  後ろのローズも、僅かに肩を揺らして反応した。

  女はよろよろと、ふらふらとこちらに近づいてくる。


「……何者?」


  ローズの声は、氷のように冷たかった。

  女は派手に胸に手を当て、大げさな動作で大泣きするジェスチャーをしてみせる。

  その場でくるりと回り、優雅(だが足元はふらふら)な一礼。

  早口で話す彼女の言葉に、ローズは冷たく短く返した。


「……見覚えがないわね」


  即答。同時に、ローズの手が腰の「天空の剣」の柄へと伸びる。

  すると女はガッと胸を張り、天を指差して誇らしげに叫んだ。


「――エレノア・アラソーン!!」


  その単語だけは名前だと分かった。


 ……なんだ、このテンションの高さは


  言葉の内容は理解できなくても、浴びせられる空気感だけでお腹がいっぱいになりそうだった。


  エレノアと名乗った女は、そのまま俺の方を向き、眼帯のない方の瞳をキラキラと輝かせる。

  ぐいっと、鼻先が触れそうな距離まで顔を近づけてきた。悪戯っぽく、肉食動物のような笑み。


 うわ、距離感バグってる……! 酒臭っ!!


  彼女は俺の顔を覗き込みながら、これ以上ないほどはっきりとパチンッとウインクをして見せた。さらに俺の顎を指先でクイッと持ち上げようとしてくる。


 いや、言葉は分からんけど、これ絶対ナンパだろ!?


  隣から、ハァ……と深い、そして重いため息が漏れる。ローズの苛立ちは、すでに沸点に近い。


「エレノア。……どきなさい」


「ハイハイ」とばかりに手を振り、エレノアはふっと声を落とした。

  その瞬間、彼女の眼差しが真剣なものに変わる。

  街の奥を指差し、親指で首をはねるようなジェスチャー。


 ……やっぱり、包囲網は完成してるんだ。街の騎士たちのことを言ってるのか


  冗談のような口調の裏に、無視できない重みが混じっていた。

  しかし、エレノアはすぐにまたニカッと不敵に笑うと、両腕を広げてドラマチックなポーズを取った。

  自分を親指で指し、ふんぞり返って鼻を高くする。


 この人、完全にこの最悪な状況を楽しんでやがる……


  数秒の沈黙の後、ローズが決断を下した。


「……船、あるの?」


  その問いに、エレノアは力強く何度も頷き、俺をちらりと見た。


「見せなさい」


  エレノアが「ついてきな!」と手を振る。

  案内されたのは、メインの桟橋から少し離れた、寂れた隠れ浜だった。

  ふらふらと酔っ払った歩き方のくせに、彼女の移動速度は妙に速い。


  やがてエレノアが足を止め、大きな笑みで両手をジャキーンと広げた。


  俺は絶句した。一度目を擦り、もう一度見る。


 ……え?


  小さい。古い。塗装はボロボロに剥げ、船体の板はあちこち歪んでいる。

  帆は、継ぎ接ぎだらけで何度も縫い直された痕跡がはっきりしている。


  エレノアはこれ以上なくドヤ顔で胸を張る。


「シー・ゴッデス!!」


  その単語だけが誇らしげに響いた。

  ……。

  ……。


  俺とローズは顔を見合わせ、再びその「ボロ船」に視線を落とし、また顔を見合った。


「……ただの粗大ゴミね」


「ちょっと!?」みたいな顔でエレノアが飛び上がる。


「行くわよ、吉田」


  ローズはくるりと背を向けた。俺も反射的に彼女についていこうとする。

  その瞬間――。


「うわああああああん!!」


  バササッ! と砂を巻き上げる音。

  エレノアが膝から崩れ落ち、そのままの勢いでズサーッ!と地面を這って近づいてくる。 ローズの足にガシッとしがみついた。


  涙と鼻水を流しながら、必死に何かを喚いている。プライドという言葉が彼女の辞書にはないらしい。

  すると、エレノアは急に俺の方を向き、瞳をウルウルと潤わせた。


 うわ、嫌な予感しかしない……!


  彼女がチュッ、と唇を突き出し、俺に飛びかかろうとした瞬間――。


  ――ゴンッ!!!


  鈍く、重い衝撃音が響いた。ローズの拳が、エレノアの頭頂部に深々とめり込んでいる。

  エレノアは目を開けたまま、白目を剥いてひっくり返った。


  ドサァッ……。


「……二度と、この子に触れようとしないで」


  ローズの冷え切った声が響く。

  数秒後、仰向けのままのエレノアが、頭にマンガみたいに巨大なたんこぶを作ってニヤリと笑った。


「ヘヘッ……」


 この人、強いな……いろんな意味で、メンタルが鋼すぎる


  その時。ローズの視線が、遠くの街の方へと向けられた。つられて俺も振り返る。


  ガシャァン、ガシャァン! と遠くから微かに響く金属音。

  騎士たちだ。彼らは一軒一軒、手当たり次第に扉を叩き、民家に踏み込んでいるのが遠目に見えた。


 来た……もう、そこまで来てる


  ローズの決断は速かった。


「乗るわ。出しなさい」


  彼女の意図を察したエレノアが、シャキッと跳ね起きる。

  ローズはここまで乗せてくれた馬の手綱を解き、その首筋を優しく撫でた。


「……ありがとう。助かったわ」


  ヒヒン……と、馬は静かに鳴いて、主を気遣って去っていった。

  身体はまだ鉛のように重いが、俺はローズに肩を貸してもらいながら、船へと乗り込む。


  ギシ……ギシ……と頼りない音を立てて足元の板が軋む。

  エレノアが船尾から全力で船を押し、ザザザザッ!と砂を削る音と共に、船体が水へと滑り出した。


  ゆらり、と身体が揺れる。

  目の前には、どこまでも広がる蒼い海。

  そして背後には――遠ざかっていく街と、アリのように群がる騎士たち。


  バササッ!と継ぎ接ぎだらけの帆が、風を受けて大きく膨らんだ。


  エレノアが舵を握り、空を指差して芝居がかった叫び声をあげる。

  隣でローズが、フゥ……と深い溜息をつくのが聞こえた。俺は――。


  ただ、水平線の彼方を見つめていた。


 ……本当に、海へ出るんだな


  そして、奇妙な三人(と一人は気絶寸前の酔っ払い)を乗せたボロ船は、ゆっくりと、だが確実に港を離れていった。

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