第106話:聖者VS魔王
青年はゆっくりと、己の盾を夜空へと掲げ上げた。
夕暮れの赤い光が黄金の表面に反射し、その兵装を眩く輝かせる。
「我が名はディレンド・ゼネス。『加護の聖者』にして『太陽の盾』の使い手だ」
吉田は完全な沈黙の中で彼を見つめていた。エレノアとシェイリーも同様であった。数秒の間、誰も一言も発しなかった。
するとエレノアが、あまりにも自然な動作で一丁のアークエバスを持ち上げた。
『バァンッ!』
銃弾がディレンドのみぞおちを直撃した。
「なっ……!?」
青年は瞬時に体勢を崩した。
「えっ!?」
直前までの誇り高き表情が一瞬で消失し、そのまま落下していく。
「あぁぁぁぁぁぁっ!?」
『ドスンッ!』
先ほど『加護の聖者』と名乗ったばかりの者とは思えぬほど、何とも情けない体勢で地上へと叩きつけられた。
吉田は目を丸くした。
「え、エレノア!?」
海賊の女将軍は、何事もなかったかのように銃を収めた。
「何よ?」
「何で撃ったんだよ!?」
エレノアは、この世で一番くだらない質問でもされたかのような目を向けた。
「敵でしょうが」
地面の上で、ディレンドは悶絶していた。
「くっ……! くそっ……!」
吉田は目の前の光景が信じられずにいた。
だが次の瞬間、ディレンドは嘲笑い始めた。
「フハハハハ……ハハハハハ!」
土煙に汚れた衣服のままゆっくりと立ち上がったが、その眼光は先ほどとは完全に異なっていた。
「クハハハハ……!」
吉田は眉をひそめた。
ディレンドが腹部に手を当てると、奇怪な現象が起きた。弾痕の傷口が自動的に塞がっていったのだ。直後――
『キンッ! キンッ!』
二発の鉛弾が体外へと弾き出され、石畳の上に転がった。
「何だ……?」吉田が呟く。
ディレンドは不敵な笑みを浮かべ、再び盾を構え直した。
「この程度、私にとってはかすり傷にもならん! ハハハハ! 私の『特性』を知らねば、その銃弾で殺せたものをな」
「特性……?」吉田が困惑して尋ねた。
エレノアが低く囁くように答えた。
「聖者だけが使用できる固有の魔法(固有能力)よ」
「え?」
吉田とシェイリーは同時に顔を見合わせ、全く同じ狐につままれたような顔をした。
「え?」
エレノアは呆れ返ったように二人を数秒間見つめた。
「何でそんなことも知らんのよ……」額に手を当てる。「バカどもが……確かライオンハートでナターシャとかいう小娘に聞いたでしょうが」
吉田は記憶を呼び覚まされ、その場で凍りついた。
ナターシャ・ザリアから聞かされた言葉――自分たちが秘める力と、真の潜在能力に達するために必要な修練についての話を。
「くそっ……」吉田は目を見開いた。「そういうことか……!」
ディレンドは再び盾を掲げ、戦闘姿勢をとった。
「無駄口が過ぎたな」
吉田は歯を食いしばった。青年が身を前傾させた次の瞬間、その姿が完全に消えた。
「なっ!?」
ディレンドは異常な速度で中庭を駆け回り始めた。空間の理を無視するかのようにジグザグと交差する不規則な軌道。吉田の視線では捉えきれない。
『ドガァンッ!』
ディレンドはエレノアの至近距離に突如出現し、盾の面で真っ向から叩き伏せた。
「きゃぁぁぁぁっ!?」
エレノアは空中へと弾き飛ばされ、中庭を横切って石造りの外壁へと激突した。
『ガラガラガラッ!』
「エレノアッ!」吉田が叫ぶ。
だが、ディレンドは既に姿を消していた。シェイリーが即座に弓の弦を引き絞る。
「捉えたっ!」
跳躍し、出現すると予測した地点へ狙いを定めたが、青年はその真後ろに現れた。
「遅い」
『ドガァンッ!』
盾の打撃がシェイリーを直撃し、エルフの少女は雷撃のごとく地上へ叩きつけられた。
『ドシンッ!』
「シェイリーッ!」吉田は歯を食いしばった。
その瞬間、背後に嫌な気配を感じた。振り返ると、目と鼻の先にディレンドが立っていた。吉田は思案を捨てて前方に飛び込み、青年の片脚を掴むと、全身の体重をかけて引き倒した。
「捕まえたぞっ!」
『ズゴォォンッ!』
吉田はそのまま叩きつけた。ディレンドは石畳の上を転がったが、瞬時に体勢を立て直すと、手に持った盾を一直線に投げつけてきた。
『ヒュンッ!』
「なっ……!?」
盾は吉田のみぞおちを真っ直ぐに捉えた。
『ドスッ!』
吉田は数メートル後退したものの、妙なことが起きた。盾は何のダメージも与えぬまま、即座にディレンドの手元へと舞い戻っていったのだ。
ディレンドは己の兵装を受け止め、完全に呆然とした。
「何……?」
彼が状況を理解する間もなく、三本の矢が風を切り裂いて飛来した。
『シュバッ!』
青年の身体に次々と突き刺さったが、何も起きなかった。痛みもなければ、血の一滴すら流れない。
ディレンドは己の身体を見下ろし、次いで視線を上げた。シェイリーは既に立ち上がり、エレノアは瓦礫を押しのけて抜け出し、吉田は剣を握っていた。
ディレンドは激怒して歯を剥き出しにした。
「一体全体どうなっている……!?」
吉田を見つめ、シェイリーを見やり、最後に己の兵装を見つめて――ついに悟った。
「貴様ら……なぜ私の盾が効かん!? なぜ傷一つ負わんのだ!?」
傍らでエレノアが不敵に口元を歪めた。
「あいつらもアンタと同じ『聖者』だからよ、間抜け」
「何だと……!?」
シェイリーが弓を構え直す。
「今更気づいたの、おバカさん?」
ディレンドは屈辱に唇を噛み締めた。
「貴様らぁぁぁっ!!」
吉田は『光の剣』を抜き放ちかけたが、その時重要な事実を思い出していた。神器は、同じ性質(聖者)を持つ者同士には危害を加えられないのだ。
眩く輝く己の刀身を見つめ、投げやりに石畳へ放り捨てた。
『カラン……』
剣が石畳に転がった。
「吉田……?」シェイリーが驚愕して尋ねる。
彼は何も答えなかった。
その瞳には、今までとは違う光が宿っていた。戦いのためでも、予言のためでも、魔王としての役割のためでもない。
ただ、疲れていたのだ。次々と巻き起こる出来事の全てに――反乱に、王城に、ロゼに、戦争に……。その上、また別のバカが自分を殺そうとしゃしゃり出てきたのだから。
吉田はゆっくりと両拳を握り分けた。
ディレンドもまた同じように構え、両者は視線を交錯させた。
シェイリーは次に何が起きるかを瞬時に悟った。
「ねえ、吉田……何するつもりなの……?」
応えることなく、吉田は前方に向け猛然と駆け出した。ディレンドも全く同じタイミングで地を蹴った。
中庭の中央で二人が激突する。
『ドガァァァンッ!』
凄まじい衝撃が周囲の土煙を爆発的に舞い上げ、泥臭い素手喧嘩が幕を開けた。
吉田が先手の一撃を放った。
『バシィッ!』
その拳がディレンドの顔面を捉える。聖者は即座にみぞおちへ直撃を打ち返した。
『ドスッ!』
吉田は一歩後退したものの、すぐさま懐へ飛び込んだ。一発、二発と拳を叩き込み、ディレンドが片方をガードしたものの、続く拳がその頬を大きく歪ませた。
『ガツンッ!』
ディレンドの頭部が衝撃で弾かれたように大きく揺れた。
「貴様ァッ……!」
青年は顔面へ右ストレートを叩き返した。
『バシッ!』
顎に鈍い衝撃が走り、吉田の口から血が噴き出した。だが一歩も退くことなく、再び腕を振り抜いた。
『ドカッ!』
拳がディレンドのアバラを捉える。
「アガッ……!?」聖者が呻き、胸元へ強烈な一撃を打ち返した。
『ズシンッ!』
吉田は数歩後退した。互いに荒い息を吐き出していたが、どちらにも一歩も退く気配はない。
ディレンドが再び襲いかかり、吉田も迎え撃った。両者の拳が空中で激しく交差する。
『バシィッ!』
同時に放たれた攻撃。肉を切らせて骨を切る一撃。
『ドスッ!』
ディレンドは顔面に、吉田は腹部に打撃を喰らった。どちらも土踏まずを踏み締め、退かない。
戦闘は完全に耐久戦へと変貌していた。武器もなく、魔法もなく、ただ泥臭く前へ踏み出す意地だけの殴り合い。
ディレンドがフックを放つが、吉田は間一髪でかわし、脇腹へ拳を叩き込んだ。
『ベキッ!』
肋骨が軋む鈍い音が中庭に響いた。ディレンドは歯を食いしばる。
「やるじゃないか……!」
「喋るな……!」吉田は息も絶え絶えに吐き捨てた。
再び互いの身体が正面から衝突した。
『ドガァンッ!』
足元の石畳が亀裂を走らせて崩壊していく。
遠巻きに見ていたシェイリーとエレノアが呆然と呟いた。
「本気でこれ続けるつもり……?」
エレノアが笑う。
「そのようね」
中庭の中央で、吉田は鼻血を吹き出させる一撃を浴びた。ディレンドも片目が腫れ上がり、呼吸を乱している。
それでも二人は再び拳を構え直し、歯を食いしばると、迷いなく正面から突っ込んでいった。
『ドガァァァァンッ!!』




