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『二つの世界、一人の魔王』~東京2080からエヴァの大地へ~  作者: 黒猫
第十章:魔神帝国の統治
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第101話:酒は心を癒やす

  ローズの追放は、すぐさま城内に深刻な問題を引き起こした。


  その日の朝、シェイリーとうつのエレノアは吉田のもとへ直接乗り込んできた。これまでの旅を共にしてきた二人にとって、吉田の暴挙を黙って見過ごす気など毛頭なかったのだ。


「あんた、バカじゃないの!?」


  エレノアが叫んだ。


「臆病者!」


  シェイリーが言った。


「目ん玉腐った大バカ野郎!」


  一番最初の言葉を放ったエレノアが畳みかける。


  三つの非難が、玉座に座る吉田の上に一気に降り注いだ。


  かつての彼なら、しどろもどろになりながら目を泳がせ、必死に弁明しようとしただろう。だが、彼の内面では何かが変わり始めていた。人見知りは影を潜め、他者への繊細な気配りも少しずつ磨り減っていたのだ。


  魔王の威気が、彼の感情を蝕んでいた。


  吉田は今でも明晰に思考し、理性的でいられた。しかし、辛い現実から意図的に目を背け、まったく意に介していないかのように振る舞うことが、日に日に容易くなっていたのだ。


「二人がローズのところへ行きたいなら、引き止めはしない」


  冷淡な声だった。


  その一言で、二人は完全に言葉を失った。


  シェイリーは返答の言葉を見つけられずに口を開けたまま固まり、エレノアもいつものからかうような余裕を失った。


  吉田は深く玉座の背もたれに体を預けた。


  場に漂う空気が重く澱み、陰鬱さを増していく。この不毛な状況を打破しようと、エレノアは吉田の顔を真剣な表情で見つめた。


「こんなの、絶対に間違ってる……」


  あごに手を当てて呟いた瞬間、彼女の瞳がパッと輝いた。


「ひらめいたわ!」


  理由も告げずに広間を飛び出していくエレノア。シェイリーはその背中を呆然と見送った。


  玉座の傍らで厳めしく佇んでいたデルガドですら、その唐突な思いつきに不信感を隠せない様子だった。


  数分後、エレノアは勝利の笑みを浮かべ、抱えきれないほどの酒瓶を携えて戻ってきた。シェイリーは眉をひそめ、反射的に腕を組んだ。


「駄目だ」


「駄目よ」


  シェイリーとデルガドの声が完璧に重なった。


「いいのよ!」


  エレノアは悪戯っぽい笑みを浮かべ、堂々と彼らに近づくと、魔族の王子の目の前で酒瓶の一本を掲げて見せた。


「賭けは覚えてるでしょうね?」


  デルガドは静かに目を閉じ、諦めを含んだ溜め息を漏らした。


「……分かった」


  エレノアは決定的な勝利を収めたかのようにほくそ笑んだ。


「完璧ね」


  段上から吉田が疑わしげな視線を向ける。


「何の賭けだ?」


「大したことじゃないわ」


  エレノアは吉田の質問を軽やかに受け流すと、確かな足取りで壇上の階段を上っていった。


「陛下、ここにあなたの抱えるあらゆる問題を解決する特効薬がございます」


「そんなものは要らん」


「本当に?」


「絶対にだ」


「これでもかしら?」


  目の前で滑らせるように酒瓶を見せつける。


  吉田は数秒間、そのボトルを凝視した。


「……酒か?」


「その通り」エレノアはまるで千年の秘術を授ける賢者のように恭しい態度をとってみせた。「悲しみと失恋に効く薬はただ一つ……上等な酒をあおることよ」


「くだらん……」


「効果絶大なんだから!」


  シェイリーは信じられないと言わんばかりに額を押さえた。


「エレノアぁぁ……」


  吉田は深く溜め息を吐いた。


  正直なところ、議論を戦わせる気力すら残っていなかった。朝からずっとローズのことが頭を離れず、自分の決断は正しかったのだと自分に言い聞かせようとしても、胸の奥の重苦しさは消えてくれなかった。


「……少しだけだぞ」


  ついに吉田が折れた。


  エレノアの瞳に、危うい光が宿る。獲物が仕掛けた罠にかかったのだ!


  次の瞬間、彼女の態度は艶やかで奔放なものへと一変した。座っている少年の隙を突き、エレノアは躊躇なく吉田の太ももの上に身を投げ出し、逃げ場を塞ぐように親密な距離で体をすり寄せた。


「な、なっ!?」吉田の顔が耳まで真っ赤に染まる。「おい! 何考えてんだ!?」


  エレノアは身体をすり寄せ、鼻先が触れそうなほど顔を近づけた。ほのかな芳香が漂う。


「試してみたいって言ったのはあなたでしょ?」


「だからって膝の上に乗れなんて言ってないだろ!」


「細かいことは気にしないの」


「どこが細かいんだよ!」


  シェイリーはその光景を横目で眺めながら、怪しい笑みを浮かべて腕を組んだ。


「随分と成熟した、厳格な魔王様気取りね……」


  シェイリーの冷やかしに、吉田は助けを求めるように首を向けた。


「お前まで悪ノリする気か!?」


「当然でしょ」シェイリーは自分のグラスを手に取り、いたずらっぽくウインクしてみせた。「エレノアにお仕置きしてもらいなさい」


「お仕置きなんて頼んでねえ!」


「ほら、口を開けて」


  エレノアが艶っぽく、しかし拒否を許さない口調で命じる。


「嫌だ」


「いい子にしなさい」


「断ると言っている」


「吉田……」


「エレノア……」


  短い視線の火花が散った後、エレノアは迷いなくボトルの栓を抜いた。


「なら、無理やりにでも流し込むまでよ」


「待て、やめ――」


  抗う間もなく、酒瓶の口が彼の唇へと押し当てられた。


『ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ!』


  吉田は喉を焼くような液体を飲み込むのが精一杯で、必死に瓶を押し返した。


「うぐっ!」


  エレノアは満足そうに彼の体から離れた。喉を灼く熱さに、吉田は数秒間固まっていた。


「な、何なんだ……一線を越えてるだろこれ……ッ!」


  口元を押さえたものの、体の拒絶反応には勝てず、床に胃の中の酒をぶちまけてしまった。


「このイカれ女!」


  エレノアは悪役のように高らかに笑いながら飛び退いた。


「あははは! 一杯直接飲んだだけでそれ!? 情けないわね!」


  吉田は激怒して玉座から立ち上がり、彼女を捕まえようと踏み出した。


「待てコラ!」


  しかし二歩目を踏み出した瞬間、足元の石畳がぐにゃりと傾いた感覚に襲われた。


「え……?」体が無様に傾く。「おっと!?」


  柱にすがりつかなければ、そのまま床に突伏するところだった。エレノアは胸を張り、自分の仕掛けた悪戯の成果に満足げだ。


「そのワインは特別なヴィンテージで、極めて回りやすいの……もう効いてきたみたいね。だらしないわよ、魔王様」


  吉田は数秒間、彼女を凝視した。すると突如として眉間の皺が解け、一人でくつくつと笑い始めた。


「ハハハハ……」


  自分でもなぜ目眩がこんなにも可笑しいのか理解できなかった。


「あっはは……くだらねぇ」


  千鳥足で玉座に倒れ込むと、彼は酒瓶を見つめた。


「でも……」手元に少し注ぎ、小さく口に含んでみる。「案外悪くないな」


  エレノアは両手を突き上げて勝利を宣言した。


「言ったでしょ!」


  一時間後、謁見の間の空気は一変していた。


  テーブルの上には空になったボトルが転がり、エレノアはすっかり出来上がって陽気になり、最初は抵抗していたシェイリーも結局は一杯付き合い、自らのグラスを楽しんでいた。


  デルガドだけは壇上で微動だにせず、相変わらずの偏屈な面持ちで場の安全を見守っていた。帝国第二の指揮官というよりは、居酒屋で酔っ払い三人のお守りをする用心棒のような佇まいだった。


  エレノアとシェイリーが視線を交わす。


  シェイリーが一口含み、作戦を開始した。


「ねえ、吉田……」


「んー?」


「どうしてローズを追い出したの?」


  吉田のどこか抜けた笑みが、徐々に消えていった。


  彼は無言でグラスの底を見つめた。アルコールが彼のプライドという障壁を崩し、胸の奥に秘めていた本音を引きずり出していた。


「あいつが……俺を無視したからだ……」


  シェイリーは静かにグラスを置いた。


「無視されたの?」


「そうだよ」吉田は子供のように不満げに鼻を鳴らした。「話しかけようとしても、いっつも冷たい態度をとるんだ。俺は何もしてないのに」


  蓄積された未練が、その声に滲み出ていた。


「だから……あの兵士たちを鍛えてたのも、俺を置いてさっさと出て行くためなんだろうって思ったんだよ」


  シェイリーは心底呆れたように彼を見た。


「本当に、ローズにあんたを捨てるためだけに近衛騎士団を育ててたと思ったの?」


「そうだ」


「その考え、一体どこから出てきたのよ?」


  吉田は人差し指を空に突き立てた。まるで偉大な謎を解き明かしたかのようなドヤ顔だ。


「ケンがそう言ったからだ」


  エレノアが力任せにグラスを叩きつけた。


『ガンッ!』


「このド直球の大バカ……」


「え?」


「何でもないわよ」


  エレノアはぶつぶつと文句を言いながら、新しい酒を注いだ。


  吉田の愚痴は止まらず、目の前の二人に対して残されたわずかな威厳すら刻一刻と失われていった。


「それにさ……ローズはプライドが高すぎるんだよ」


「へいへい」


「で、俺もプライドが高い」


「はいはい、そうね」


「まあ……俺はそこまでじゃないけど」


「分かった分かった」


「んー……ちょっとは高いかな」


  エレノアは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。それから、一瞬たりとも吉田から目を離さずにいたデルガドに視線を向けた。


「ねえ、吉田」エレノアが畳みかける。「ローズのこと……好きなの?」


  吉田はゆっくりと顔を上げた。


  身体が左右にゆらゆらと揺れる。威厳を示そうと立ち上がろうとしたが、結局は不恰好に玉座に手をつくだけだった。


「ヘへっ……」


  エレノアは息をのんで答えを待った。吉田は目の前にある誰も座っていない空席を指差した。


「そんなの……聞くまでもないだろ」


「ほう?」


「好きに決まってる……」彼の呆けた笑みが、思いがけず温かく、和らいでいく。「俺はあいつに……ここにいてほしいんだ」


  エレノアは驚いて目を見開き、シェイリーは愛おしそうに微笑み、デルガドは沈黙を守った。


  突如、エレノアは歓喜に満ちて両拳を突き上げた。


「最高よ!」


「なっ……」


『ポカッ!』


  興奮のあまり、エレノアの拳が誤って吉田の頭を直撃した。


「あぐっ!」


  魔王は前方へと崩れ落ち、そのままエレノアの膝の上に頭を預ける形で、完全に眠りに落ちてしまった。


「ふふふ……」エレノアは誇らしげに微笑み、デルガドを見上げた。「見たかしら? 賭けは私の勝ちよ」


  デルガドは目を閉じ、深く長い溜め息をついた。


「この女……っ」


 ◇◇◇


  その頃、魔神国首都から遠く離れた南部の静かな村にて。


  鬱蒼とした木々と畑に囲まれた、小ぢんまりとした一軒の小屋があった。


  室内では、ローズが質素な藁の寝床に横たわっていた。


  天井の隙間から覗く澄み切った空の一部を、彼女はただぼんやりと見つめていた。何時間も同じ姿勢のまま、他のことに意識を向けることができずにいたのだ。


  彼女の心は、未だにあの城に囚われていた。


  吉田のこと。自分を追い出す前にその手に委ねられた伝説の剣のこと。探していた地獄の剣。そして何より、脳裏から離れないあの言葉。


『お前は自由だ』


  ローズは強く目を閉じた。


  なぜその一言が、これほどまでに胸を締め付けるのか理解できなかった。自分から彼の問いかけを拒絶し、歩み寄ろうとする彼に冷たく当たっていたはずなのに。


  なら、どうして今さらこんなにも心が空虚なのか。


『ギシッ……』


  足音が静寂を破った。ケンが入り口に立ち、黙って彼女を見つめた。


「一日中そうやって転がってるつもりか?」


  ローズは答える気力すら見せなかった。ケンは間を置き、柔らかいトーンで言い直した。


「ローズ……」


  彼女は天井を見つめたまま動かなかったが、一筋の涙が静かに目尻を伝っていった。


 そして今回は、それを隠そうとする素振りすら見せなかった。


「……出ていって」

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