五百九十四章 イェルマ軍帰還
五百九十四章 イェルマ軍帰還
その日の早朝、北の街道から約4000のイェルマ軍がコッペリ村に入った。
宿屋のヘクターはけたたましい蹄の音に気づいて、すぐに一階の奥の部屋に駆け込んだ。
「ルカ、イェルマの軍隊が帰って来たみたいだぞ!」
「おお、帰って来たか!」
また、キャシィズカフェの外で遊んでいたヘンリーたちはイェルマ軍を見て、キャシィズカフェに駆け込んだ。
「イェルマの兵隊さんたちが帰って来たよぉ〜〜っ!」
キャシィが叫んだ。
「よしゃあぁ〜〜っ!『キャシィ&ハインツ商会』の時代の幕開けだぁ〜〜っ‼︎」
ボタンの騎馬を先頭にして、イェルマの軍列は整然としてコッペリ村の大通りを進んだ。そして、通りの脇で赤ちゃんを抱いた二人の女性を見つけて駆け寄った。
ダフネはユノの右腕を右手で持って仕切りに振っていた。ルカは寝ている赤ちゃんを抱いて自慢げにイェルマの軍列に見せていた。
ボタンはルカに言った。
「おお、産まれたのか。可愛い子だな、おめでとう。…で?」
「…男の子だった。」
「…そうか。」
ルカは少し迷ったが、意を決してボタンに言った。
「ボタン様、コッペリ村にイェルマ軍を常駐させるって聞いたんだが…」
「…そのつもりだ。」
「私を駐留軍の隊長に任命してくれないだろうか?」
「ん…それって…?」
ルカは顔を伏せて…赤ちゃんの寝顔を愛おしそうに見ていた。
「まぁ…考えておくよ。」
オリヴィアはコッペリ村に入るやキャシィズカフェに駆け付けると、馬から飛び降りて中に入った。
「セドリックゥ〜〜ッ!今帰ったわよぉ〜〜っ‼︎」
キャシィが言った。
「セドリックさんはケントさんと一緒に機織り機を買いにティアーク城下町に行ったよ。」
それを聞いた途端…オリヴィアは顔面蒼白となり、よろめいてキャシィズカフェの壁にもたれかかった。
「く…苦しい…」
「どしたぁ〜〜、オリヴィア姉ぇっ⁉︎」
「た…体内のセドリックが不足してる…」
「…こいつ、アホや。」
イェルマ軍はコッペリ村の大通りを通り、イェルマ橋を渡り、イェルマ回廊を抜けた。イェルマ城門前広場に到着すると、そこには「居留守組」のイェルメイドたちがいてイェルマ軍を拍手で盛大に出迎えた。
「お帰りなさいませ、ボタン様。」
「チェルシーさん、留守番ご苦労!」
「無事のご帰還、嬉しく思います、ボタン女王陛下。」
「やぁ、アナ殿。今、帰ったよ。」
「お帰りなさいませ、ご無事で何よりです、マーゴット様…!」
「おお、久しぶりだねぇ…元気だったかい、ベロニカ。」
「ボタン殿、お帰りなさい。首尾はいかがでした?」
「セレスティシア殿、首尾は上々だ。上手く行ったよ。これも全てセレスティシア殿のお蔭だ。これから祝勝会と…死んでいった仲間の葬儀をやろうと思う。…出席してくれるだろう?」
「はい、謹んで出席させていただきます。」
すると、イェルマ軍の殿から一騎の騎馬がヴィオレッタに駆け寄ってきた。
「ヴィオレッタァ〜〜ッ!」
「あれれ、ジャクリーヌさん?どうしてここに⁉︎」
「ヴィオレッタがリーンへ帰る時の護衛をルドから仰せつかった。」
「そうかぁ〜〜!出発は三日後にしましょう。ゆっくり体を休めてちょうだいね。」
「おうっ!祝勝会のご馳走を持ってきてくれよぉ〜〜っ‼︎」
ジャクリーヌ率いる風神軽騎兵たちは城門前広場に幕屋を設置し始めた。
ボタンたちイェルマ軍は半分出来上がったイェルマ城門を通って、城塞都市イェルマへと凱旋した。
ここからチェルシーは祝勝会の準備で大忙しとなった。季節は晩秋、田畑からの収穫で祝勝会で振る舞う食料は充分にあった。チェルシーがテキパキと生産部の食堂部門に指示を出し、その日の夜には盛大なご馳走が南の一段目の「祭事館」に並んだ。
この戦で千人近い仲間が死んでいる。ボタンは祝勝会を一日だけとし、二日後には死んだ仲間の遺骨を集めて南の斜面にある共同墓地で葬儀を行う予定にしていた。
イェルマ城門前広場とコッペリ村でも大々的な炊き出しが行われ、コッペリ村の住人や復旧作業にあたっていたエステリックの元義勇兵たちも祝勝会のおこぼれに預かった。
祭事館では、「四獣」のボタン、マーゴット、ライヤと「食客」のセレスティシア、エヴェレット、そしてアナが一等席を占め、美味しい料理とお酒を堪能していた。チェルシーは祝勝会の進行と管理をするため、祭事館ではなく南の斜面の管理事務所にいてひとり裏方で頑張ってくれていた。
祭事館のセッティングが間に合わず、祭事館での催しに参加した中堅以上のイェルメイドたちは適当に床の上に座って飲み食いをした。
突然の祝勝会だったので催しの出し物も間に合わず、ステージでは誰とも判らないイェルメイドたちが何やらお遊戯のような踊りを披露していた。多分…「居留守組」だった十二歳班のイェルメイドたちだ。
ステージでロミナが歌い始めると、その歌に合わせて会場の中堅たちはその場で肩を組んで踊り始め、お酒をひっくり返し、料理を蹴飛ばした。その踊りの輪の中にはオリヴィアやタビサの姿もあった。
ヴィオレッタはローストチキンを静かに食べていた。その横で、エヴェレットは豚汁を啜りながら…
「…ワインはないんですかねぇ?」
と、不満を漏らしていた。
宴もたけなわに差し掛かった時、アナのそばにひとりの槍手房のイェルメイドがコップを片手に近づいてきた。
「アナ様ぁ〜〜…ちょっと、相談したいことがあるんですがぁ…」
「何でしょう?」
「実は…月のものが、もう三ヶ月も遅れてるんだけどぉ…何でかなぁ?」
「…え?」
「私の友達の中にも、遅れてる連中が六人もいるんですよぉ…これって病気か何か?」
「病気だったら大変じゃないですか!伝染病の可能性が大ですよ…こんなところでお酒飲んでいる場合じゃないですよ‼︎」
とりあえず、アナはそのイェルメイドの脈を診てみた。
コロン…コロロン…
「ん…んんん?…これって…」
そこにボタンがやって来た。
「アナ殿、どうした?」
「月のものが遅れてるって相談を受けたんですけど…どうもこれは、妊娠のようですね。」
「何ぃっ⁉︎」
それを聞いたボタンはギクリとして思わず声が出た。月のもの…私も遅れている!もしこれが妊娠だったら…父親はアルフォンスだ。アルフォンスが忘れ形見を残していってくれたという嬉しさの反面、出産という今までに経験したことのない人生の大イベントに不安も感じた。そして…ふと、コッペリ村で会ったルカの憂いた顔が頭をよぎった。
「そ…それで?」
「他にも六人もいるそうです…これはきっと、セレスティシア様の歓迎会の時の…」
コッペリ村で炊き出しの豚汁を食べていたトムソンがくしゃみをした。それを見てヒラリーが言った。
「どうした、トムソン?」
「…誰かが俺の噂をしている。」
祭事館の中堅魔道士のグループ。セシルはセイラムと一緒にご馳走を食べていた。久しぶりの肉料理に、セシルは祝勝会の余興など気にも留めずひたすらお酒とご馳走に舌鼓を打っていた。
「これ、美味しいわねぇ。セイラムちゃんも食べる?」
「こっちを食べるぅ〜〜。」
セイラムは肉料理の付け合わせの野菜を口に運んだ。
するとそこに、ひとりの魔導師が胡座のままどんどんずれて来てセシルの横に座った。ベロニカだった。
ベロニカはセシルたちの前のご馳走を食べながら言った。
「やぁ、おっとりうっかりのセシル。」
「どうも…お帰りなさい、ベロニカ師範。」
「あんた、師範室を使ってるわよね?」
「ああ…はい。」
「あそこは私の部屋だから…すぐに立ち退いてちょうだいね。」
「えええ…⁉︎」
祭事館が野戦病院の役割を終えてセシルたちは一旦鳳凰宮の部屋に戻ったが、すぐにイェルマ全軍がエステリックに出征したため、鳳凰宮はすぐに空っぽになった。それで、セシルたちは自分たちの世話をしてくれる人…構ってくれる人を求めて魔導士房に戻ってきていた。
その日の夕方、アナは祝勝会の席を抜けて北の三段目の食堂を目指していた。
(多分、食堂に行けばジェニに会える…。)
食堂には祭事館に入れなかった十二歳班から十八歳班のイェルメイドたちがいて、剣士房のグループや戦士房のグループに別れて普段は食べることができないご馳走を食べていた。
アナは食堂を見回して、射手房のグループを探したが分からなかった。そもそも、射手房で顔見知りといえば、ジェニ、サリー、それからアルテミス師範とタチアナ師範くらいだ。中堅のイェルメイドはみんな祭事館にいる。
すると、十三歳くらいの少女がカウンターテーブルの上の焼き菓子をごっそり両手に抱えて食堂を出ていくのを見掛けた。
(あっ…あの子見覚えがあるわ!)
ターニャという射手房の少女が城壁から落ちて祭事館に運び込まれた時、ジェニと一緒にお見舞いに来た少女だ。それは射手房の十五歳班のクレアだった。
アナは少女に声を掛けた。
「あなた、アーチャーでしょ⁉︎」
「あ…はい。そうですけど…あれ、神官房のアナ様?」
「ジェニはどこにいるか知ってる?」
「ジェニ姉さんなら、射手房の集団寮にいますよ。」
「ジェニに用事があるの、連れて行ってくれる?」
「いいですよ。」
アナはクレアの後を着いていった。クレアが小走りで進んでいくものだから、体力のないアナはどんどん遅れていって、終いにはクレアが見えなくなってしまった。
「ちょっ、ちょっとぉ〜〜っ…!」
「ああ…すいません、すいません。」
クレアは戻ってきてくれた。
(…馬で来れば良かった…。)
アナが射手房の集団寮に入ると、十数人のアーチャーたちが一階の寝台の上でゴロゴロしていた。アナは寝台の上で大の字になっているジェニを見つけた。
「ジェニファ〜〜ッ!」
「あら…アナスタシア…?」
「まぁ、なんて格好をしてるのよ…!」
「…疲れてるのよぉ…。馬が言う事聞かなくてねぇ…旅の道中、もう大変で大変で…」
「ああ、あの馬か…。」
「で…どうして射手房に?」
アナはニンマリと笑って、懐から小さな箱を取り出して言った。
「ふふふ…これをユグリウシアさんから預かっててね、早くあなたに渡したくって…。」
「ああ、ミスリルコインね?」
ジェニは小さな箱を受け取って箱の蓋を開けると、中には二つの小さなイヤリングが入っていた。そばにクレアがやって来て、一緒に箱を覗き込んでいた。
「ほうほう…あの二枚のミスリルコインがこんなになっちゃったのね?」
「きれいな耳飾りですねぇ〜〜。ジェニ姉さん、誰のプレゼントですかぁ?」
アナは言った。
「早く付けて見せてよ。」
アナに急かされて、ジェニはイヤリングのS字型の金具を自分の耳たぶの穴に差し込んだ。貴族令嬢のジェニは社交界デビューの折に、すでに両耳にイヤリングの穴を開けていた。
ジェニがイヤリングを付けた瞬間…スキルの発動を感じた。
「…ええっ⁉︎」
ジェニが持っていたアーチャーの深度2の「イーグルアイ」のスキルが…深度3になった。
「ウソッ!し…信じられないっ‼︎」
「ふふふふ…ジェニ、イヤリングはもうひとつ残っているわよ?」
「ま…まさか…⁉︎」
ジェニは…怖る怖るもうひとつのイヤリングも耳に付けてみた。「イーグルアイ」が深度4になった。
ジェニの視界は明るくなり、全ての風景がくっきりと見えた。そして、空中を飛び交う風の精霊シルフィの姿もはっきりと捉えることができた。以前、ユグリウシアが言った…あなたの目がよく見えないのは風の精霊のシルフィが朧げながら見えていて、それが視野の邪魔をしているのではないか…と。ジェニの「妖精の眼」は深度4の「イーグルアイ」を得て…風の精霊シルフィすら明瞭に映し出し、その他の全ての物にも焦点が合った。集団寮の天井板の年輪の一本一本が数えられるほどに…!
ジェニの顔は紅潮し、ジェニの心臓は早鐘のように打ち響いた。そして、ジェニはいつも細めてシバシバさせていた目を大きく見開き、初めて見る景色の虜になっていた。
「ジェニ、どお?」
「う…ううう…見えるっ!全部…見えるぅ〜〜っ…‼︎」
ジェニはアナに抱きついて声を上げて泣き出した。
「アナァ〜〜…ありがとう、ありがとう…!」
アナはジェニの背中をポンポンと叩きながら…
「お礼を言うのは私にじゃなくて、ユグリウシアさんでしょう?」
「うん…うんっ!」
「ユグリウシアさんが言ってたわ。『イーグルアイ』が深度5になるまで頑張ってください…って。あとひとつだね。」
「うん…うんっ!」
「…それと、ほんのちょっとだけミスリルを頂きました、ごめんなさい…って。」
「うん…うんっ!」
横にいたクレアは、ジェニ姉さんはよほどイヤリングが欲しかったんだなぁ…と思ってぼぉ〜〜っと見ていた。




