五百九十三章 ルカの出産
五百九十三章 ルカの出産
その日の夜、ルカはヘクターが持ってきた炊き出しのタマネギスープとおにぎりを食べていた。凄い食欲で、ひとり分を食べた後でヘクターの分まで食べていた。
「…もう予定日だってのに、まだ陣痛ってのがやって来ないな…。」
ヘクターの心配をよそに、ルカはあっという間にヘクターの分も平らげて…
「ん…ちょっと、腰の下辺りが痛くなってきたかな…うう、痛い…。」
それを聞いたヘクターは驚いた。
「…食べ過ぎか?」
「いや…多分違う…」
「おおっ…陣痛が来たかっ⁉︎」
その後、時間を置いてルカが痛みを訴えたので、ヘクターは陣痛だと確信した。
「おぉ〜〜い、ジョルジュ、ヘラ…キャシィズカフェと雑貨屋に走ってくれっ!ルカに陣痛が来たって言えば分かるっ‼︎」
「おうっ!」
「はい、すぐに!」
ジョルジュとヘラは暗くなったコッペリ村の大通りを走って、まずヘラがキャシィズカフェのグレイスを連れてきた。
「ヘクターさん、陣痛が始まったって?」
「ど…どうしたら良いのか、俺は男だからさっぱり判らなくて…」
「必要な物はオーレリィさんが持ってきてくれると思う。とりあえず、お湯を沸かしてください。サムに『念話』を頼んできたから、おっつけアナもやって来るでしょう。」
しばらくして、ジョルジュがオーレリィを連れて来た。オーレリィは両手一杯に木綿の手拭いやリネンのシーツを持ってきてくれた。
「やぁ、ルカ…あんたが母親になる日が来るなんて、想像もしてなかったよ。」
「うははは…オ、オーレリィさん…私自身も信じられないんだから…痛っ、あたたた…!」
オーレリィはイェルメイドOGである。オーレリィは戦士房で、ルカは槍手房だが、「トマホークのオーレリィ」と言うオーレリィの高名をイェルメイドで知らぬ者はいない。
陣痛の間隔は少しずつ短くなって、夜十二時を過ぎる頃には…いつ産まれてもおかしくない状況となった。この頃にはアナと神官見習いのメイも到着して、男たちは部屋から追い出された。
「うう…!」
「どうした、ルカ?」
「ウ…ウ○コがしたい…」
「…えっ⁉︎…今かい?今なのかい⁉︎」
「…出産と同時にクソを撒き散らすってのは…私の沽券にかかわる…!」
「そんな事を言ってる場合じゃないでしょっ!…お産の時に赤ちゃんと一緒に排泄をしてしまう女の人は少なくない…気にしないで!」
「んんん、ヘクター…ヘクター、私を厠へ連れていけっ!」
部屋の扉のすぐ外にいたヘクターはルカの言葉に反応して、慌てて扉をドンドンと叩いた。
「ルカ、どうした⁉︎…よく聞こえないっ‼︎」
ドンドンドンドンドンドン…
部屋の中の女たちはルカとヘクターのしつこさに辟易して、ルカを立たせ部屋の外に出した。
ルカはヘクターに言った。
「…か、厠へ…!」
「分かった!」
ヘクターとジョルジュはルカに肩を貸して、宿屋の端っこにある共同トイレにルカを連れて行った。
オーレリィはよろよろと歩いていくルカの背中を見て思った。
(ルカは骨盤が大きい。典型的な安産型だね…。)
オーレリィはルカの背中に向かって叫んだ。
「ルカ、厠に赤ちゃんを落とすんじゃないよっ!」
ルカは返した。
「…そんな事、する訳ないだろぉ〜〜っ!」
ルカは厠に入ると、額に脂汗をかきながら、痛みに耐えながら…中腰になって踏ん張った。
「…ふんっ‼︎」
ボトッ…ギャ…フギャァ〜〜フギャァ〜〜…!
外にいたヘクターとジョルジュは一瞬…何が起きたか判らなかった。
すぐにルカが厠が出てきて言った。
「…すまんっ!ウ…ウ○コと一緒に赤ちゃんも出てしまった…誰か、拾ってきてくれないかっ⁉︎」
その言葉を聞いたヘクターは…ジョルジュに言った。
「ジョルジュ…俺は足が悪いから、お前行って来い!」
「ええええええ〜〜っ…⁉︎」
そこに異変に気づいた女たちが駆けつけて来て、すぐに厠に飛び込んでいったのは…アナだった。果敢に肥溜めのようなタコ壺に飛び込んだアナは…しばらくして、腰までを汚物でドロドロにしながらも赤ちゃんを抱きかかえて厠から出てきた。すぐにオーレリィが赤ちゃんを受け取って手拭いで汚物を拭い、グレイスは産湯を取りに走った。
ルカは大変恐縮して言った。
「アナ…アナ殿、も…申し訳なかった…」
アナはオーレリィから手拭いをもらって体を拭いながら言った。
「ふふふ、チラッと見えました…オチンチンが付いていましたよ。」
ルカとヘクターの顔がパッと明るくなった。
「お…男の子か⁉︎」
そう叫んだ次の瞬間…ルカは腰が抜けたようにヘナヘナとしゃがみ込んでしまった。ルカの麻の寝巻きの股間部分は後産のせいで真っ赤に染まっていた。
ルカは着替えをして、寝台の上に寝た。そこに、産湯できれいになった赤子が母親のそばに寝かされた。ルカは自分の赤ちゃんと初めて対面して…ピクピクと唇を動かすその可愛らしさに血が逆流するのを覚え、そして…母となった。
ルカの寝台の周りにはヘクター、ジョルジュ、ヘラ、そしてアナ、メイ、オーレリィ、グレイスがいて、ルカを祝福した。
「ルカ、おめでとう。」
「おめでとう、ルカ!」
「おめでとうございます、ルカ師範。ご希望の男の子でしたね。」
ルカは答えた。
「みんな、ありがとう…。それでだな…悪いんだが、厠での出来事は他の者には内緒にしてはくれないかな…?」
アナが答えた。
「分かってますよ。絶対に内緒にします、ベネトネリス様に誓います!」
「アナ殿ぉ〜〜…ありがとう。本当に…クソまみれにしてしまって…済まなかったなぁ〜〜…赤ちゃんをクソの中から拾い上げてくれた事…一生恩に着るぅ〜〜…」
これ以降、ルカはアナに頭が上がらなくなった。
オーレリィが言った。
「思いの外、安産だったねぇ…ルカ、早く赤ちゃんに初乳を飲ませてあげな。」
オーレリィやグレイスの指示に従って、壊れそうな赤子を両腕に抱き、大きくなった左の乳房を出してその乳首を赤ちゃんに含ませると、赤ちゃんはもの凄い勢いでルカの乳を吸った。
「うひゃ…何か、不思議な感じがするなぁ…。本当にこいつは私の中から出て来たんだなぁ…。」
ルカは思った…こいつのためなら、千人の敵でも相手にできそうだっ!
ヘクターが言った。
「元気が良いところは母親に似てるな。きっと、強い男に成長するな!」
オーレリィは言った。
「まぁ、ひと月くらいは赤ちゃんと一緒にいられるが、ルカ、その後はどうするんだい?ヘクターが引き取って育てるのかい?…となると、雌ヤギを一頭飼っておいた方が良いね。」
ヘクターはうんうんと頷いていた。しかし、ルカの顔は暗かった。城塞都市イェルマは男子禁制の女だけの国だ。赤ちゃんでも男の子をイェルマで育てる事はできない。オーレリィが言ったひと月後には、この愛おしい赤ちゃんと別れなくてはいけない。
(ううう…この子と別れるのか?…そんな事、できない…できそうにない…!)
次の日の朝、宿屋にキャシィとユノを抱いたダフネがやって来て一階の奥の部屋を訪れた。部屋の中では、ルカが赤ちゃんに乳を与えていた。
「ルカ師範、おめでとうございまぁ〜〜す!」
「ルカ師範、おめでとう。男の子だって?」
「…ありがとう。」
ルカはダフネが抱いているユノを見ながら…言った。
「ダフネの子供は女の子だったな…。ダフネはその子をイェルマで育てるんだな…?」
「私はサムと結婚してるからねぇ。父親のサムと一緒に育てるつもりだ。」
「…そんな事ができるのか?」
「私は『魚璽』を持ってる。だから、時々ユノを連れてコッペリ村にやって来て、サムと一緒に過ごすつもりだ。ユノにはしっかり父親の顔を覚えておいて欲しいからな。」
「…そうかぁ、お前は『魚璽』を持ってるのかぁ…」
キャシィが言った。
「詳細な事は判らないけど…コッペリ村はイェルマの領土になって、ボタン様はコッペリ村にイェルマの兵隊を常駐させるらしいよ。今までは、イェルマ橋駐屯地のイェルメイドがイェルマ橋を守っていたけど、これからはコッペリ村まで出張って行って、村の入り口を守るようになるのかもしれない。もしかしたら…コッペリ村までなら、『魚璽』がなくても自由に行き来ができるようになるかも…?」
「おおっ!もしそうなったら…」
もしそうなったら…いつでもこの男の子に会いに来ることができる!キャシィの言葉がルカにとって一筋の希望となった。
そこにジョルジュが部屋に入って来た。
「ルカ師匠、具合はどお、元気になったかぁ〜〜?」
「お、ジョルジュ…また来たのか。体は元気になったが、赤ちゃんに三時間に一度乳を飲ませているから眠いんだ…」
「えええぇ〜〜…」
ジョルジュはルカに稽古を催促している。それで、堪らずにルカが言った。
「ジョルジュ、このお姉ちゃんが代わりに稽古をつけてくれるぞ。ダフネ、頼んだ。」
「えっ…『鬼殺し』を持って来てないんだけど…?」
「私の方天戟を使え。お前、槍手房で少し修行をしたから使えるだろう?」
ジョルジュが興奮して言った。
「この姉ちゃん、強いのか?」
すかさずルカは言った。
「強いぞぉ〜〜…ひとりでトロルやオーガゾンビをぶっ倒してるからな。」
「トロル、オーガ…って、怪物だろ?…す、凄いなぁ…!ダフネ姉ちゃん、稽古をつけてくれよ!」
仕方なく、ダフネはユノをキャシィに預け、方天戟を持ってジョルジュと一緒に宿屋の外に出た。外では元義勇兵の男たちが復旧作業をしながら、何が始まるのだろうと手を止めて見ていた。
ジョルジュは自前のラウンドシールドとショートソードを持って構えて、そして、剣士のスキル「護刃」を発動させた。
「お、坊主…スキル持ちか。」
以前のジョルジュであれば、スキルを発動させるだけで目眩を感じるほどに軟弱であったが、訓練を積んだのだろう…それなりの体力を獲得するに至っていた。
ダフネは戦斧「鬼殺し」を持ってきていなかったので、戦士のスキル「パワードマッスル」を発動させた。ダフネのスキル発動を感じたジョルジュは用心して、ジリジリとダフネににじり寄っていった。
手加減を知らないダフネは方天戟の尻でジョルジュのラウンドシールドを思い切り突いた。ジョルジュは盾ごと後ろに吹っ飛んだ。
「あ…しまった。…軽い。」
ジョルジュは十五歳の少年だ。軽いに決まっている。
「痛ててててぇ〜〜っ!」
「悪い、こんなに軽いとは思わなかった…もっと腰に力を入れて踏ん張らなきゃダメだぞ。」
「も…もう一回、お願いしゃぁ〜〜っす!」
ダフネとジョルジュは何度も何度も立ち合い、三十分ほどでジョルジュはへとへとになった。
「よし、ここまでだな。」
「あ…ありゃぁしたっ!」
これ以降…朝になるとジョルジュはなぜかダンの雑貨屋に現れるようになった。
「ダフネ師匠はいますかっ⁉︎ダフネ師匠、稽古をつけてくださいっ‼︎」
「ええ…またか、良いけど…。」
ジュルジュに三人目の師匠が増えた。




