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魔王討伐から半年。勇者パーティの荷物持ちだった僕は、亡き仲間の手紙を届ける旅に出る  作者: 海鳴雫


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8/8

第8話 おかえりなさい

朝日が、王都の町並みを照らしていた。


僕は宿の窓辺に置いていた三束の花を手に取り、鞄を背負った。


白い花。


青い花。


そして、黄色い花。


昨日、みんなのために選んだものだ。


水に挿しておいたおかげで、花弁はまだ綺麗に開いている。


「……よし」


小さく息を吐く。


右脚には、いつもの鈍い痛みが残っていた。


けれど、今日は不思議と気にならなかった。


僕は花束を抱え、宿の扉を開いた。


王都の朝は、まだ静かだった。


商人たちが店を開く準備を始め、通りには焼きたてのパンの香りが漂っている。


どこかの家から、子供を起こす母親の声が聞こえた。


そんな何気ない光景を眺めながら、僕は町の北側へと歩いていく。


昨日、途中で引き返してしまった道。


墓地へ続く、小高い丘。


今朝も、怖くないわけではなかった。


あの坂を上れば、本当にみんなの旅が終わってしまうような気がする。


その思いは、今も胸に残っている。


けれど。


「……もう、逃げませんから」


小さく呟いた。


僕は鞄の肩紐を握り直し、坂道を上り始めた。


石畳の上を、一歩ずつ進む。


木々の間から差し込む陽光が、足元を照らしていた。


やがて、丘の上に墓地が見えてきた。


白い石碑が、静かに並んでいる。


その奥に、三つの墓石があった。


僕は、ゆっくりと近づいた。


リラ・フェイル。


セシリア・ルーン。


ナーグ・タロスト。


三人の名前が、石に刻まれていた。


その下には、王国が贈った称号や功績が記されている。


魔王討伐に命を捧げた英雄。


世界を救った偉大なる功労者。


立派な言葉が、いくつも並んでいた。


けれど、僕には。


三人の名前以外、あまり目に入らなかった。


「……みんな」


声が、少しだけ掠れた。


「ただいま……と言うのは、変ですかね」


小さく笑ってみる。


当然、返事はなかった。


僕は墓石の前にしゃがみ込み、花束を一つずつ供えた。


リラさんには、白い花。


セシリアさんには、青い花。


ナーグさんには、黄色い花。


「……遅くなって、ごめんなさい」


花の向きを整える。


「ようやく、帰ってきました」


三人の名前を、もう一度見つめた。


何から話せばいいのだろう。


道中のこと。


手紙を届けたときのこと。


みんなの大切な人たちのこと。


伝えたいことは、山ほどあった。


なのに、いざ目の前にすると、うまく言葉が出てこなかった。


そのときだった。


「……テオ?」


背後から、聞き慣れた声がした。


僕は振り返った。


そこには、一人の青年が立っていた。


金色の髪。


見慣れた顔。


手には、小さな花束を持っている。


「……レインさん」


思わず、名前を呼んだ。


勇者レイン・ルクセリア。


魔王を討伐し、世界を救った英雄。


そして、僕たち五人の旅を率いていた、大切な仲間だった。


レインさんは、少し驚いたように僕を見つめていた。


「……帰ってきたんだな」


「……はい」


「そうか」


彼は、小さく笑った。


「無事でよかった」


その言葉に、僕は胸が温かくなるのを感じた。


「……ありがとうございます」


「脚の具合は?」


「まだ少し痛みますけど、前よりずっと歩けるようになりました」


「そうか。無理はするなよ」


「はい」


そんな、何気ない会話だった。


昔なら、旅の途中で何度も交わしていたような。


けれど、今はそれだけで懐かしかった。


レインさんは僕の隣にしゃがみ込み、持ってきた花束を供えた。


そして、三人の墓石へ静かに頭を下げる。


「……久しぶりだな、みんな」


その声は、とても穏やかだった。


けれど、どこか寂しそうでもあった。


僕は、そんな横顔を見つめる。


レインさんも、きっと何度もここへ来ていたのだろう。


僕が手紙を届けるために旅をしていた間も。


一人で、三人の前に立っていたのだ。


「……レインさん」


「ん?」


「よかったら、少しだけ僕の話を聞いてもらえませんか」


レインさんは、静かに頷いた。


「ああ。もちろんだ」


「……リラさん」


僕は白い花へ視線を向けた。


「ユリウスさんに、会ってきましたよ」


最初は、ずいぶん怒っていたこと。


姉を失った悲しみを、ずっと抱え込んでいたこと。


そして、リラさんの手紙を読んで、泣いていたこと。


僕は、一つずつ話していった。


「……それで、翌朝にパンを焼いてくれたんです」


少しだけ笑う。


「蜂蜜の入った、とても美味しいパンでした」


あの甘い香りを、今でも覚えている。


「少し焦げていましたけど……リラさんが好きだったのは、きっとあの味なんですね」


白い花が、風に揺れた。


「……僕も、好きになりました」


次に、青い花へ顔を向ける。


「セシリアさん」


星の形をした、小さな花弁。


「お父さんにも、会いましたよ」


最初は、手紙を受け取ってもらえなかった。


娘のことを聞きたくないと、帰るように言われた。


けれど、旅先でのセシリアさんの話をすると、少しずつ耳を傾けてくれた。


「……お父さん、あなたのことを本当に大切に思っていました」


僕は、あの古い時計工房を思い出す。


無数の時計の音。


震える手で手紙を読んでいたダリオさん。


そして、長い間止まっていた懐中時計。


「あの時計、ちゃんと直ったんです」


思わず微笑む。


「小さな針が動き始めたとき、お父さん、少しだけ嬉しそうでした」


でも、その後で泣いていた。


壊れた時計は直せても、娘に言ってしまった言葉は取り消せないと。


僕は、その言葉を忘れることができなかった。


「……セシリアさん。帰ったらお父さんと話したいって、言っていましたよね」


あの夜。


魔王城へ向かう前に見上げた、満天の星空。


「ちゃんと、伝えてきましたよ」


そして。


僕は黄色い花へ視線を向けた。


「……ナーグさん」


声が、少しだけ震えた。


「クララさんと、ミナちゃんにも会ってきました」


小さな村。


木製の柵に囲まれた家。


庭に咲いていた色とりどりの花。


そして、ナーグさんによく似た笑顔の少女。


「ミナちゃん、あなたのことをたくさん聞いてきました」


僕は、少しだけ笑った。


「どんなふうに笑っていたのかって聞かれたので、真似してみたんですけど……」


あのときのことを思い出す。


「全然似ていないって、笑われちゃいました」


隣で、レインさんが小さく笑った。


「……お前の真似じゃ、迫力が足りなかっただろうな」


「はい。ミナちゃんの方が、ずっと上手でした」


「ははっ。そうか」


僕たちは、ほんの少しだけ笑い合った。


あの大きな笑い声が、今にも聞こえてきそうだった。


「……それから」


僕は、黄色い花を見つめた。


「木馬を直しました」


ナーグさんが娘のために作った、小さな木馬。


片方の脚が折れていたけれど、今はもうちゃんと立っている。


「ミナちゃん、とても喜んでくれましたよ」


小さな少女が、空に向かって叫んだ言葉を思い出す。


『お父さん! お馬さん、直ったよ!』


「……でも」


僕は、少しだけ俯いた。


「本当なら、ナーグさんに直してほしかったんだと思います」


あの子は、ずっと待っていた。


父親が帰ってきて、木馬を直してくれる日を。


「……会ってほしかったです」


言葉が、喉につかえた。


「クララさんにも、ミナちゃんにも……」


僕は、ぎゅっと拳を握った。


「……帰って、ほしかったです」


隣で、レインさんが静かに頷いた。


「……ああ」


それだけだった。


けれど、今はその一言がありがたかった。


「……それと、みんな」


僕は鞄を下ろした。


中から、防水布に包んだ三通の封筒を取り出す。


「返事を、預かってきました」


レインさんが、驚いたように目を見開いた。


「……返事?」


「はい。みんなに伝えたいことがあるって」


僕は、三通の手紙を膝の上に並べた。


遺族たちからは、墓前で言葉にして届けてほしいと頼まれていた。


彼らがどんな思いで筆を執ったのか。


僕は、その姿を見てきた。


だからこそ、最後まで大切に届けたかった。


「……まずは、リラさんからですね」


僕は一通目の封筒を手に取った。


ユリウスさんから、姉へ宛てた手紙。


そっと封を開き、便箋を広げる。


そこには、丁寧な文字が並んでいた。


「姉さんへ」


声に出して、読み始めた。


「手紙、ありがとう。初めて焼いたパンが、本当は苦かったなんて。今さら言うなんて、ずるいよ」


僕は、思わず小さく笑ってしまった。


あのとき、ユリウスさんも同じことを言っていた。


「僕は、姉さんが美味しいって言ってくれたから、パン職人になろうと思ったんだ」


柔らかな風が吹く。


「今はもう、パンを焦がすことなんてほとんどないよ。でも、この前は久しぶりに少し焦がしちゃった」


僕は、あの日の蜂蜜パンを思い出した。


「姉さんの友達に食べてもらったら、美味しいって言ってくれたよ」


そこで、一度言葉を切る。


ユリウスさん。


あのパンは、本当に美味しかったですよ。


僕は心の中で呟き、続きを読み始めた。


「姉さん。僕はやっぱり、帰ってきてほしかった。これからも、きっと寂しいと思う」


便箋を持つ手に、少しだけ力が入った。


「でも、パン屋は続けるよ。いつか僕の焼いたパンを食べて、誰かが笑ってくれたら嬉しいから」


最後の一文。


「姉さん。僕のお姉ちゃんでいてくれて、ありがとう。ユリウスより」


僕は、ゆっくりと便箋を折り畳んだ。


「……リラさん」


白い花を見つめる。


「ユリウスさん、きっとこれからも美味しいパンを焼いてくれますよ」


あの人なら、大丈夫だと思った。


寂しい日は、これからもあるだろう。


姉のことを思い出して、泣く夜もあるかもしれない。


けれど、あのパン屋にはきっと、明日も焼きたてのパンの香りが漂う。


僕は、そう信じていた。


続いて、二通目の封筒を開く。


ダリオさんから、セシリアさんへの手紙だった。


そこに書かれていた文字は、少し角張っていた。


「セシリアへ」


僕は、静かに読み始めた。


「まずは、謝らせてくれ。あの日、二度と帰ってくるなと言ったことを、今でも後悔している」


時計工房で見た、あの人の姿がよみがえる。


「お前が魔道士になることに反対したのは、お前が帰ってこなくなるのが怖かったからだ」


言葉を選ぶように、ゆっくりと読む。


「だからといって、あんな言葉を口にしていい理由にはならない。すまなかった」


少しだけ、喉が詰まった。


「お前が自分の人生を幸せだったと言ってくれて、少しだけ救われたよ」


僕は青い花へ目を向ける。


「……あの時計を直した。今は、ちゃんと動いている」


あの小さな懐中時計。


止まっていた針が、再び時を刻み始めた瞬間。


ダリオさんは、泣いていた。


「お前が小さかった頃、よく一緒に星を見たな。今度、晴れた夜には、また空を見上げようと思う」


僕は、空を見上げた。


今は昼間だから、星は見えない。


けれど、あの星々はきっと、今も空にあるのだろう。


「父さんの娘に生まれてくれて、ありがとう。ダリオ・ルーンより」


僕は、便箋を丁寧に折り畳んだ。


「……セシリアさん」


小さく笑う。


「お父さん、今でもあなたと一緒に星を見たいそうですよ」


隣で、レインさんが静かに目を伏せた。


僕たちは、しばらく何も言わなかった。


風が吹き、青い花が揺れている。


やがて、僕は最後の封筒を手に取った。


「……ナーグさん」


妻クララさんと、娘ミナちゃんからの返事。


封を開くと、中には二枚の便箋が入っていた。


一枚は、綺麗に整った文字。


もう一枚は、大きくて、少し不揃いな文字。


僕は、まずクララさんの手紙を広げた。


「あなたへ」


読み始めた途端、あの温かな家の光景がよみがえった。


「お手紙、ありがとう。あなたが野菜のスープをそんなに好きだったなんて、初めて知りました」


少しだけ笑みがこぼれる。


「もっと早く言ってくれればよかったのに」


クララさんらしい言葉だった。


「あなたがいなくなってから、ミナと二人で食事をするようになりました」


僕は、食卓の端に置かれた大きな椅子を思い出す。


「あなたの椅子は、今もあの場所にあります」


声が、少しだけ震えた。


「ときどき、まだ帰ってきてくれるような気がするんです」


あの家には、今もナーグさんの暮らしていた痕跡が残っている。


頑丈に補強された椅子。


壁に飾られた家族の肖像画。


そして、娘のために作った木馬。


「あなたが守ってくれた世界で、私たちは生きていきます」


僕は、一度息を吸った。


「でも、寂しい日はきっと何度もあると思います。そんなときは、あなたのことを思い出して泣いてもいいと書いてくれたから」


クララさんは、夫の手紙を読んで泣いていた。


娘を抱きしめながら、帰ってきてほしかったと呟いていた。


「私も、無理に笑おうとするのはやめます」


僕は、静かに続きを読んだ。


「あなたと結婚できて、私は幸せでした。ありがとう。クララより」


そこで、言葉が止まった。


胸の奥が、ひどく苦しかった。


ナーグさん。


あなたが帰りたかった家には、今もあなたのことを大切に思っている人がいます。


あなたが座っていた椅子も。


あなたが作った木馬も。


何もかもが、あの家に残っています。


僕は、そっと便箋を折り畳んだ。


そして、最後の一枚を手に取る。


ミナちゃんが、一生懸命に書いた手紙。


大きな文字が、便箋いっぱいに並んでいた。


「おとうさんへ」


僕は、ゆっくりと読み始めた。


「おてがみ、ありがとう」


その文字を見ているだけで、ミナちゃんの声が聞こえてくるようだった。


「おとうさんが、かえりたかったの、わかったよ」


あの日。


ナーグさんの手紙を読んだ少女は、泣いていた。


父親に会いたいと。


帰ってきてほしかったと。


「わたしも、おとうさんにあいたかったです」


僕は、唇を噛んだ。


「おうまさん、テオおにいちゃんがなおしてくれたよ」


小さな木馬。


修理した後、ミナちゃんは空に向かって叫んでいた。


『お父さん! お馬さん、直ったよ!』


僕は、あの笑顔を思い出した。


「いまは、ちゃんとたってるよ」


そこで、少しだけ目元が熱くなった。


「テオおにいちゃんが、おとうさんのおはなしをいっぱいしてくれたよ」


読み続けようとした。


けれど、声がうまく出なかった。


僕は一度息を整え、もう一度便箋へ目を落とす。


「わたし、おとうさんのわらうこえ、わすれたくないです」


あの日、ミナちゃんは言っていた。


父親の笑い声を、忘れてしまいそうで怖いと。


僕たちは一緒に、ナーグさんの笑い方を真似した。


あの小さな身体から、精一杯の笑い声が響いた。


僕は、その光景を忘れないだろう。


「でも、わすれそうになったら、またテオおにいちゃんにきくね」


ぽたり。


便箋の端に、小さな雫が落ちた。


僕は慌てて手紙を離した。


けれど、目から溢れてくるものは止まらなかった。


「……あれ」


おかしいな。


まだ、最後まで読めていないのに。


僕は袖で目元を拭い、続きを読もうとした。


「おとうさん。わたしのおとうさんでいてくれて、ありがとう」


声が震えた。


「だいすきだよ」


そして。


最後の二行。


「……おてがみ、ちゃんととどいたよ」


僕は、息を詰まらせた。


「……おかえりなさい」


それが、ミナちゃんから父親へ宛てた、最後の言葉だった。


僕は、しばらく動けなかった。


ナーグさんは、帰ってこなかった。


あれほど帰りたがっていた家へ、二度と戻ることはできなかった。


妻の料理を食べることも。


娘を抱き上げることも。


壊れた木馬を直すことも。


もう、何ひとつできない。


それでも。


あの人の言葉だけは、確かに家族のもとへ帰ることができた。


ミナちゃんは、それを受け取った。


そして、父親に言ったのだ。


おかえりなさい、と。


「……ナーグさん」


僕は、震える手で便箋を持ち直した。


「……届きましたよ」


声が掠れる。


「ちゃんと、届きました……」


それ以上は、何も言えなかった。


「……テオ」


隣から、レインさんの声がした。


僕は顔を上げられなかった。


三通の手紙を、すべて届けた。


リラさんへ。


セシリアさんへ。


ナーグさんへ。


みんなの大切な人たちが書いた返事を、ちゃんと届けることができた。


それなのに。


どうしてだろう。


胸の奥にあったものが、急に溢れ出してきた。


「……レインさん」


「……ああ」


「僕……」


声が震えた。


「ちゃんと、届けられましたかね……」


レインさんは、静かに頷いた。


「ああ」


そして、優しい声で言った。


「よく頑張ったな、テオ」


その瞬間だった。


何かが、音を立てて崩れたような気がした。


「……でも」


僕は、唇を噛んだ。


「でも、僕……」


うまく言葉にならなかった。


それでも、胸の奥にあった思いを、どうしても伝えたかった。


「……みんなに、帰ってきてほしかったです」


ぽたり。


涙が、地面に落ちた。


「リラさんにも……セシリアさんにも……ナーグさんにも……」


次から次へと、涙が溢れてくる。


「……帰ってきて、ほしかったよ……」


もう、抑えられなかった。


「また、みんなでご飯を食べたかった……!」


声が、震える。


「もっと、いっぱい話したかった……!」


リラさんの優しい笑顔。


セシリアさんの呆れた顔。


ナーグさんの豪快な笑い声。


全部、覚えている。


今でも、昨日のことのように思い出せる。


なのに。


もう、会えない。


「……僕だけ、生き残って……!」


鞄の肩紐を握りしめる。


「剣も使えないし……魔法だって使えない……!」


僕は、ただの荷物持ちだった。


みんなの後ろを歩いて、食事を作って、道具を修理するだけの。


「何も……できなかったのに……!」


魔王城での光景がよみがえる。


血に濡れた床。


倒れた仲間たち。


そして、僕の前で盾を構えていたナーグさん。


『……生きろよ、テオ』


あの声が、今でも耳に残っている。


「なのに……ナーグさんは……!」


涙で視界が滲んだ。


「僕を守って……!」


あの人には、帰る場所があった。


待っている家族がいた。


約束を交わした娘がいた。


なのに。


「どうして……僕なんかのために……!」


声が、途切れた。


僕は、その場に膝をついた。


「……ごめんなさい……」


何度も謝った。


「助けられなくて……ごめんなさい……!」


魔王討伐から、半年以上が経っていた。


治療院で目を覚ましてからも、僕はずっと考えていた。


なぜ、自分だけが生き残ったのだろう。


なぜ、みんなは帰ってこなかったのだろう。


そんなことを考えても、何も変わらない。


分かっていた。


それでも、どうしても考えてしまった。


僕は、ずっと怖かったのだ。


みんながいない明日を生きることが。


自分だけが幸せになってしまうことが。


そして、みんなのことを少しずつ忘れてしまうかもしれないことが。


「……みんなに、会いたいよ……」


子供のような声が漏れた。


僕は、顔を覆った。


もう、何も言えなかった。


ただ、泣いた。


半年以上、ずっと胸の奥へ押し込めていたものが、止めどなく溢れ出していた。


そのとき。


肩に、温かい手が置かれた。


「……テオ」


レインさんだった。


彼は、僕の隣にしゃがみ込んでいた。


「……俺も、ずっと考えていた」


低い声だった。


「もっと強ければ、三人を守れたんじゃないかって」


僕は、ゆっくりと顔を上げた。


レインさんは、三人の墓を見つめていた。


「俺は勇者だった」


静かな声が続く。


「あいつらを率いて、魔王を倒すことが俺の役目だった」


その手が、少しだけ震えていた。


「なのに、三人を失った」


「……レインさん」


「みんな、俺を英雄と呼んでくれる。世界を救ってくれてありがとうって、何度も礼を言われた」


レインさんは、寂しそうに笑った。


「でも、俺は……そのたびに考えてしまうんだ」


彼は、墓石へ視線を落とした。


「どうして、あいつらを連れて帰れなかったんだろうって」


その言葉に、胸が痛んだ。


僕だけじゃなかった。


レインさんも、ずっと苦しんでいたのだ。


「……テオ」


レインさんが、僕の方を向いた。


「お前が治療院で目を覚ますまで、俺は怖かった」


「……え?」


「もう誰も、帰ってこないんじゃないかって」


彼の声が、少しだけ震えた。


「リラも、セシリアも、ナーグも……みんな死んだ。お前まで目を覚まさなかったら、俺は……」


そこで、言葉が止まった。


レインさんは、一度目を閉じた。


そして、ゆっくりと息を吐く。


「……だから、テオ」


彼は、僕の肩をしっかりと掴んだ。


「お前が生きていてくれて、本当によかった」


僕は、目を見開いた。


「……僕が?」


「ああ」


レインさんは、はっきりと頷いた。


「お前が生きていてくれたから、俺は一人にならずに済んだ」


その言葉が、胸の奥に落ちていく。


「お前が治療院で目を覚ましたと聞いたとき、本当に嬉しかったんだ」


「……レインさん」


「生き残ったことを、謝らなくていい」


彼の声は、優しかった。


「お前が無事でいてくれて、俺は嬉しかった。それだけは、忘れないでくれ」


また、涙が溢れた。


けれど、さっきまでとは少し違っていた。


僕が、生きていてよかった。


誰かが、そんなふうに思ってくれていた。


それだけのことなのに。


どうして、こんなにも胸が温かいのだろう。


「……僕も」


僕は、震える声で口を開いた。


「……僕も、レインさんが生きていてくれて、よかったです……」


レインさんの表情が、わずかに揺れた。


「……そうか」


「はい……」


僕は、涙を拭いながら頷いた。


「レインさんまでいなくなっていたら……僕、どうしたらいいか分からなかったと思います……」


その言葉に、レインさんは少しだけ笑った。


「……俺も、同じだよ」


そして、彼は僕の肩を抱き寄せた。


僕たちは、しばらくそのままでいた。


魔王を倒した勇者でもなく。


ただの荷物持ちでもなく。


三人の大切な仲間を失った、二人の生き残りとして。


何度も泣いた。


言葉にならない思いを、抱えたまま。


それでも。


隣には、確かに生きている仲間がいた。


どれくらい時間が経ったのだろう。


ようやく涙が落ち着いた頃、僕たちは三人の墓石の前に並んで立っていた。


風が吹いている。


白い花が揺れ、青い花が揺れ、黄色い花が揺れる。


僕は三通の返事を丁寧に折り畳み、封筒へ戻した。


そして、雨に濡れないよう防水布で包み直す。


墓石の脇にある供物用の石箱へ、一通ずつ納めた。


「……みんな」


僕は、三人の名前を見つめた。


「ありがとうございました」


深く頭を下げる。


「僕を、仲間にしてくれて」


あの日、レインさんに誘われて。


四人と出会って。


何もできないと思っていた僕に、居場所をくれた。


みんなと一緒に歩いた道。


食事を作った夜。


焚き火を囲んで笑い合った時間。


そのすべてが、僕の大切な宝物だった。


「……みんなと旅ができて、本当に幸せでした」


もう一度、頭を下げた。


涙は、まだ少しだけ残っていた。


きっと、これからも寂しい日はあるのだろう。


夜になれば、みんなの声を思い出すこともあるだろう。


また、どうしようもなく会いたくなる日もあるはずだ。


それでも。


僕は、顔を上げた。


「……また、会いに来ますね」


小さく微笑む。


「今度は、もっと楽しい話を持ってきますから」


隣で、レインさんが静かに頷いた。


「ああ。俺も、また来るよ」


僕たちは、しばらく墓石を見つめていた。


やがて、レインさんが口を開く。


「……ところで、テオ」


「はい?」


「これから、どうするつもりだ?」


その質問に、僕は少しだけ考えた。


以前なら、何も答えられなかったと思う。


手紙を届け終えた後、自分に何が残るのか分からなかったから。


けれど、今は。


「……実は、約束していることがあるんです」


「約束?」


「はい」


僕は、小さく笑った。


「ナーグさんの娘さんに、また会いに行くって」


ミナちゃんの笑顔が浮かぶ。


『また、お父さんのお話してくれる?』


『また来てね!』


あの子は、そう言ってくれた。


僕に、また来てほしいと。


「……まだ、ナーグさんの話をいっぱいしてあげたいんです」


僕は、黄色い花を見つめた。


「旅先での失敗談も、笑い話も。ミナちゃんが知らないナーグさんのこと、まだまだたくさんありますから」


レインさんは、少しだけ驚いた顔をした。


それから、優しく微笑んだ。


「……そうか」


「はい」


「だったら、その約束も守ってこい」


「……はい!」


僕は、力強く頷いた。


すると、レインさんがいつものように僕の肩を叩いた。


「それと、たまには俺のところにも顔を見せてくれよ」


「もちろんです」


「久しぶりに、お前の料理も食べたいしな」


その言葉に、思わず笑ってしまった。


「……レインさんも、食べることが好きですね」


「ナーグほどじゃないさ」


「それは、そうですね」


二人で、笑い合った。


久しぶりだった。


こんなふうに、心から笑えたのは。


僕は、もう一度だけ三人の墓へ目を向けた。


手紙を届ける仕事は、これで終わった。


みんなが僕に預けてくれたものは、すべて届けることができた。


けれど。


僕の明日まで、終わってしまったわけじゃない。


まだ、会いたい人がいる。


まだ、話したいことがある。


そして。


また会いたいと、言ってくれる人がいる。


「……行ってきます、みんな」


僕は、静かに呟いた。


風が、頬を撫でていく。


今度は、もう振り返らなかった。


それから、七日ほどが過ぎた。


僕は再び、エルナ村を訪れていた。


道中、雨に降られた日もあった。


右脚の古傷が疼いて、長めに休憩を取った日もあった。


それでも、不思議と足取りは軽かった。


今回は、誰かに頼まれた仕事ではない。


誰かから預かった手紙を運んでいるわけでもない。


ただ、僕が会いたいと思った人に、会いに行く。


そんな旅だった。


「……懐かしいな」


村の入り口に立ち、思わず呟く。


まだ、それほど時間が経っているわけではない。


それなのに、目の前の景色を見ていると、どこかほっとする気持ちになった。


小さな畑。


木造の家々。


遠くに見える森。


風に揺れる草花。


どれも、前に訪れたときと変わらない。


僕は、村の外れへと歩いていった。


やがて、見覚えのある家が見えてくる。


木製の柵に囲まれた、小さな家。


庭には、色とりどりの花が咲いていた。


そして。


その庭先には、一人の少女がいた。


茶色の髪を二つに結んだ、小さな女の子。


手には、木製の馬のおもちゃを抱えている。


僕は、思わず微笑んだ。


「……ミナちゃん」


小さく名前を呼ぶ。


すると、少女が顔を上げた。


大きな瞳が、僕を捉える。


「……あ!」


その顔が、ぱっと明るくなった。


「テオお兄ちゃん!」


元気な声が響いた。


ミナちゃんは木馬を抱えたまま、こちらへ駆け寄ってくる。


「テオお兄ちゃん!」


「こんにちは、ミナちゃん」


僕が笑うと、少女は嬉しそうに顔を輝かせた。


「ほんとに来てくれた!」


「うん。約束したからね」


「やったあ!」


ミナちゃんは、嬉しそうに跳びはねた。


それから、手に持っていた木馬を僕へ見せてくる。


「見て! お馬さん、まだちゃんと立つんだよ!」


「本当だ。大切にしてくれているんだね」


「うん!」


少女は、満面の笑みを浮かべた。


その笑顔が、少しだけナーグさんに似ていた。


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「……テオお兄ちゃん」


「なに?」


「お父さんに、お手紙届けてくれた?」


僕は、ゆっくりと頷いた。


「うん。ちゃんと届けてきたよ」


「ほんと?」


「本当だよ」


ミナちゃんは、嬉しそうに笑った。


「……よかった!」


その笑顔を見ていると、僕まで嬉しくなった。


「……それでね、ミナちゃん」


「なあに?」


「今日は、ナーグさんのお話をいっぱい持ってきたんだ」


少女の目が、大きくなる。


「ほんと!?」


「うん。前に話したのとは違う話も、たくさんあるよ」


「聞きたい!」


ミナちゃんは、ぱっと僕の手を握った。


小さな、温かい手だった。


「じゃあ、おうちで聞こう!」


「うん。クララさんにも、ご挨拶しないとね」


そう答えたとき。


ミナちゃんが、突然家の方へ向かって叫んだ。


「お母さーん!」


元気な声が、庭いっぱいに響く。


「お母さーん! 来てー!」


やがて、家の扉が開いた。


中から、クララさんが顔を出す。


「どうしたの、ミナ? そんなに大きな声を出して……」


そこで、彼女の目が僕を捉えた。


「あら……テオさん?」


「こんにちは、クララさん」


僕が頭を下げると、彼女は驚いたように目を丸くした。


それから、優しく微笑んだ。


「まあ。本当に来てくださったんですね」


「はい。ミナちゃんと約束していましたから」


「ふふっ。そうでしたね」


クララさんが、嬉しそうに笑う。


すると、ミナちゃんが僕の手を引っ張った。


「お母さん!」


「なあに?」


少女は、満面の笑みを浮かべた。


「テオお兄ちゃん、帰ってきた!」


その言葉に。


僕は、思わず動きを止めた。


帰ってきた。


ただ、それだけの言葉だった。


けれど。


どうしてだろう。


胸の奥が、不思議なくらい温かくなった。


今まで、僕はずっと帰る場所を探していた。


孤児院を出てから。


勇者パーティに加わって。


みんなと旅をして。


あの時間が、僕にとって一番大切な居場所だった。


けれど、みんながいなくなってからは、どこへ帰ればいいのか分からなくなっていた。


手紙を届ける旅が終われば、自分には何も残らないと思っていた。


でも。


目の前には、僕の帰りを喜んでくれる人がいる。


また会いに来てほしいと、言ってくれた人がいる。


そして今。


僕の手を握って、嬉しそうに笑っている少女がいる。


「……テオさん」


クララさんが、優しく声をかけてくれた。


「よかったら、今日は夕食をご一緒しませんか?」


「……僕も、いいんですか?」


「もちろんです」


クララさんは、穏やかに微笑んだ。


「ちょうど、野菜のスープを作ろうと思っていたところなんですよ」


その言葉に、僕は思わず目を見開いた。


野菜のスープ。


ナーグさんが、何度も食べたいと言っていた料理。


僕は、少しだけ笑った。


「……ぜひ、ご一緒させてください」


「ふふっ。では、たくさん作らないといけませんね」


クララさんは嬉しそうに頷いた。


その隣で、ミナちゃんがぴょんぴょんと跳びはねる。


「やったあ! テオお兄ちゃんと一緒にご飯だ!」


そして、僕の手をぎゅっと握り直した。


「ねえ、テオお兄ちゃん!」


「なに、ミナちゃん?」


「お父さんのお話、今日もしてくれる?」


僕は、ゆっくりと頷いた。


「……もちろん」


あの人の話なら、いくらでもできる。


少し食いしん坊で。


大きな声で笑って。


誰よりも家族を愛していた、優しい聖騎士の話。


これから先も、何度だって話してあげたい。


ミナちゃんが、父親の笑い声を忘れそうになったときには、一緒に笑い方を真似しよう。


寂しくなったときには、あの人がどれほど家族を愛していたのかを伝えよう。


そして、僕自身も。


みんなのことを、これからもずっと覚えていたい。


僕は、ミナちゃんの小さな手を握り返した。


すると少女は、嬉しそうに僕を見上げた。


「おかえりなさい、テオお兄ちゃん!」


その声が、まっすぐ胸に届いた。


ああ。


そうか。


帰る場所というのは、家や町のことだけではないのかもしれない。


自分が帰ってきたことを、喜んでくれる誰かがいる。


また会いたいと、願ってくれる誰かがいる。


それだけで、人は帰ってきたと思えるのだ。


僕は、ずっと探していた。


みんながいなくなった後、自分がどこへ向かえばいいのか。


何のために生きていけばいいのか。


その答えは、今でも全部分かったわけじゃない。


きっと、これからも迷うだろう。


寂しくなる日だって、何度もあるはずだ。


それでも。


今は、もう少しだけ歩いてみたいと思った。


新しい景色を見て。


新しい人と出会って。


美味しい料理を作って。


また、誰かと笑い合いたい。


そして、ここへ帰ってこよう。


僕が来ることを喜んでくれる、この温かな場所へ。


ミナちゃんが、僕の手を引く。


家の扉は、大きく開かれていた。


その向こうから、クララさんの優しい声が聞こえてくる。


「さあ、テオさん。どうぞ中へ」


僕は、微笑んだ。


今度は、心から。


そして、小さな少女の手を握ったまま、ゆっくりと答えた。


「……ただいま」

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