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魔王討伐から半年。勇者パーティの荷物持ちだった僕は、亡き仲間の手紙を届ける旅に出る  作者: 海鳴雫


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第1話 三通の手紙

魔王が討伐されてから、半年が過ぎた。


僕は今日、ようやく自分の足で治療院を出ることになった。


「テオさん、本当にお疲れ様でした。傷口も塞がっていますし、もう日常生活に支障はないと思います」


「ありがとうございます。先生には、本当にお世話になりました」


「ただし、無理は禁物ですよ。特に右脚は、まだ完全に元通りとは言えませんから」


「はい。気をつけます」


担当してくれた医師に頭を下げ、僕は病室へと戻った。


半年間、すっかり見慣れてしまった部屋。


窓際には小さな花瓶が置かれ、柔らかな陽光が白い寝具を照らしている。


もう、ここへ戻ってくることはないのだろう。


そう思うと、少しだけ感慨深かった。


ベッドの脇には、僕の持ち物がまとめられている。


着替えに財布、使い込まれた革の鞄。


そのどれもが、魔王討伐の旅で使っていたものだった。


「……ずいぶん、ぼろぼろになっちゃったな」


革の鞄を持ち上げる。


あちこちに傷があり、肩紐には何度も縫い直した跡が残っていた。


それでも、僕にとっては大切な相棒だった。


勇者パーティの荷物持ち。


それが、僕の役割だったから。


剣の腕が立つわけでもない。


強力な魔法が使えるわけでもない。


聖剣に選ばれた勇者でもなければ、神の奇跡を起こせる神官でもない。


僕にできたのは、仲間たちの荷物を運ぶこと。


料理を作り、道具を修理し、野営の準備をすること。


そんな小さな仕事ばかりだった。


けれど、僕はあの旅が好きだった。


五人で焚き火を囲んで、くだらないことで笑い合って。


明日はどんな場所へ行こうかと話しながら眠りにつく。


そんな毎日が、何よりも楽しかった。


「……五人、か」


思わず零れた言葉に、胸の奥が小さく痛んだ。


もう、五人で旅をすることはできない。


その事実だけは、半年経った今でも変わらなかった。


鞄の内側に手を伸ばす。


すると、指先が布に包まれた何かに触れた。


僕はそれを慎重に取り出す。


三通の手紙。


どれも封は切られておらず、少しだけ皺がついていた。


差出人の名前が、それぞれの封筒に記されている。


リラ・フェイル。


セシリア・ルーン。


ナーグ・タロスト。


僕の、大切な仲間たちの名前だった。


あれは、魔王城へ突入する前夜のことだ。


僕たちは魔王城から少し離れた廃砦で、最後の野営をしていた。


空には満天の星が広がっていたけれど、遠くに見える魔王城の周囲だけは、黒い雲に覆われていた。


誰もが、明日の戦いが簡単なものではないと理解していた。


それでも、食事の時間だけは普段と変わらなかった。


「おおっ! 今日の飯も美味そうだな!」


鍋を覗き込んだナーグさんが、豪快に笑った。


大きな身体に似合わず、食事の時間になると子供のようにはしゃぐ人だった。


「ナーグ、あなた、毎日同じことを言っていない?」


呆れたように言ったのはセシリアさんだ。


銀色の髪を耳にかけながら、器に盛られたスープを受け取っている。


「美味いもんを美味いと言って何が悪い!」


「誰も悪いとは言っていないでしょう。もう少し語彙を増やしたらどうかと言っているのよ」


「がはは! 細かいことを気にするな!」


「まったく、この男は……」


二人のやり取りに、リラさんがくすくすと笑う。


「でも、本当に美味しいですよね。テオ君、いつもありがとう」


「いえ。皆さんに比べたら、僕なんて料理くらいしかできませんから」


「またそんなこと言って」


リラさんは困ったように微笑んだ。


「テオ君がいなかったら、私たち、とっくに野垂れ死んでいるわよ?」


「それは大袈裟ですよ」


「大袈裟じゃないわよ。特にナーグなんて、放っておいたら三日で食料を使い切ってしまうもの」


「おいおい! 俺だってそのくらい考えて食うぞ!」


「この間、翌朝の分まで干し肉を食べたのは誰だったかしら?」


「……ありゃあ、腹が減ってたんだ」


その返答に、みんなが笑った。


焚き火の向こうでは、勇者レイン・ルクセリアが穏やかな表情で僕たちを見ていた。


彼はいつだって、僕たちの中心にいた。


強くて、優しくて、誰よりも責任感のある人だった。


そんなレインさんが、食事を終えた頃に口を開いた。


「明日は、いよいよ魔王城だ」


自然と、全員の視線が集まる。


「何が起こるか分からない。だが、必ず全員で帰ろう」


「当たり前だ!」


ナーグさんが胸を張った。


「俺には嫁さんと娘が待ってるからな! こんなところで死んでられるか!」


「私だって、まだ故郷に帰っていないもの」


セシリアさんが静かに続ける。


「今度こそ、父さんとちゃんと話さないと」


「私も弟のパンを食べたいわ。あの子、少しは上手になったかしら」


リラさんも、懐かしそうに笑った。


みんな、帰りたい場所があった。


会いたい人がいた。


だからこそ、僕も笑って頷いた。


「帰ったら、僕がご馳走を作りますよ」


「おっ! そりゃ楽しみだ!」


ナーグさんが嬉しそうに笑う。


けれど、その直後だった。


「そうだ。テオ、ちょっと頼みがあるんだが」


「何ですか?」


ナーグさんは懐から、一通の封筒を取り出した。


「これを預かってくれねえか?」


「手紙、ですか?」


「ああ。嫁さんと娘に宛てたもんだ」


僕が首を傾げると、ナーグさんは少しだけ照れくさそうに頬をかいた。


「もし、俺が帰れなかったらさ。代わりに届けてほしいんだ」


「……何を言ってるんですか」


思わず眉をひそめた。


「みんなで帰るって、今言ったばかりじゃないですか」


「そりゃそうなんだが、念のためってやつだよ」


ナーグさんは笑っていた。


けれど、その目は真剣だった。


「……分かりました。でも、使わないで済むようにしてくださいね」


「おう! 任せとけ!」


封筒を受け取ると、今度はリラさんが手を挙げた。


「あら、それなら私もお願いしていいかしら?」


「リラさんまで?」


「ふふっ。大事な弟に、伝えておきたいことがあるの」


差し出された二通目の封筒。


そして。


「……仕方ないわね。私も預けておこうかしら」


セシリアさんまで、一通の手紙を取り出した。


「別に死ぬつもりはないわよ。ただ、こういうことは備えておくべきでしょう?」


「……皆さん、本当に縁起でもないですよ」


僕がそう言うと、三人は顔を見合わせて笑った。


「安心しろって!」


ナーグさんが僕の背中を叩く。


「帰ったら俺たちが自分で届けるさ!」


「ええ。テオ君には、ちょっと持っていてもらうだけよ」


「失くしたら承知しないわよ?」


「失くしませんよ!」


僕は三通の手紙を、大切に鞄へとしまった。


そのときは、信じていた。


きっと、みんなで帰れるのだと。


また五人で食卓を囲めるのだと。


だから、笑って約束した。


「分かりました。皆さんが帰るまで、ちゃんと預かっておきますね」


それが、三人と交わした最後の約束になった。


「……嘘つき」


誰もいない病室で、僕は小さく呟いた。


返事はない。


ただ、窓から入り込んだ風が、封筒の端を揺らした。


僕は三通の手紙を防水布に包み直し、鞄の一番奥へとしまった。


もう、彼らが自分の手で届けることはできない。


だったら。


だったら、僕が届けなければならない。


そう思った。


治療院の正門を出ると、眩しい陽光が目に飛び込んできた。


王都の大通りは、以前よりもずっと賑やかだった。


露店には色鮮やかな果物が並び、商人たちの威勢のいい声が響いている。


子供たちは木の棒を振り回しながら、勇者ごっこに夢中になっていた。


「僕が勇者レインだ!」


「じゃあ、僕は魔王!」


楽しそうな笑い声。


魔王がいなくなった世界。


あの戦いの後も、人々の生活は続いている。


それが嬉しかった。


同時に、少しだけ寂しかった。


「……テオ?」


不意に名前を呼ばれた。


振り向くと、見覚えのある金髪の青年が立っていた。


「レインさん!」


勇者レイン・ルクセリア。


世界を救った英雄。


そして、僕と同じ、あの戦いの生存者だった。


「今日が退院だと聞いてな。迎えに来たんだ」


「わざわざありがとうございます」


「気にするな。身体の調子はどうだ?」


「もう大丈夫です。少し右脚が痛むくらいで」


「そうか。無理はするなよ」


レインさんは安堵したように笑った。


けれど、以前より少し痩せたように見えた。


その笑顔にも、どこか疲れが滲んでいる。


きっと、僕だけじゃない。


レインさんも、あの日からずっと苦しんでいるのだろう。


「……レインさん」


「ん?」


「僕、旅に出ようと思います」


そう告げると、彼は驚いたように瞬きをした。


「旅?」


「はい。届けたいものがあるんです」


僕は鞄から三通の手紙を取り出した。


レインさんの表情が変わる。


「……あいつらの、手紙か」


「はい」


しばらく、沈黙が落ちた。


「僕、考えたんです。みんなのために、何かできることはないかなって」


「テオ……」


「僕は、戦いではほとんど役に立てませんでした。みんなが必死に戦っている間も、僕は何もできなくて……」


言葉が詰まる。


あのとき、もっと強ければ。


僕にも戦う力があれば。


何度、そう思ったことだろう。


「それは違う」


レインさんが静かに言った。


「お前は、十分に俺たちを支えてくれた」


「……でも」


「テオがいなかったら、俺たちは魔王城まで辿り着けなかった。それだけは忘れないでくれ」


その言葉が、胸に染み込んでくる。


けれど、まだ素直に受け入れることはできなかった。


僕は少しだけ俯き、それから手紙を見つめた。


「……ありがとうございます。でも、だからこそ、届けたいんです」


ゆっくりと言葉を続ける。


「僕、荷物持ちですから」


「……ああ」


「みんなから預かった大切な荷物を、最後まで届けたいんです」


レインさんは、しばらく何も言わなかった。


やがて、小さく息を吐いて笑った。


「そうだな。お前は、俺たちの荷物持ちだったもんな」


「はい」


「……分かった。なら、頼んだぞ」


その声には、確かな信頼があった。


「もしよかったら、俺も一緒に行こうか?」


「いえ。これは僕に任せてください」


「そうか」


レインさんは少し寂しそうに笑った。


「なら、道中で困ったときは遠慮なく頼ってくれ」


そう言って、王国の通行証を差し出してくれる。


「ありがとうございます」


「……それと、テオ」


「はい?」


「必ず、無事に帰ってこいよ」


その言葉に、胸が小さく締めつけられた。


帰ってこい。


半年前、僕たちも同じ言葉を交わしていた。


けれど、誰もが帰ってこられたわけじゃない。


だからこそ。


「……はい。必ず帰ってきます」


今度こそ、その約束を守ろうと思った。


王都の門を抜けると、目の前には懐かしい街道が広がっていた。


遠くには緑の丘陵が続き、青い空には白い雲が浮かんでいる。


半年ぶりの旅路だった。


以前は五人で歩いていた道。


今は、僕一人。


それでも、不思議と寂しいだけではなかった。


鞄には、三人から預かった手紙が入っている。


僕はそのうちの一通を取り出した。


差出人、リラ・フェイル。


宛先、ユリウス・フェイル。


リラさんの大切な弟で、故郷でパン屋を営んでいる青年だ。


「……リラさん」


僕は空を見上げた。


「まずは、あなたの手紙から届けますね」


風が吹く。


どこかで、あの人の優しい笑い声が聞こえた気がした。


もちろん、気のせいだ。


それでも、僕は少しだけ笑った。


手紙を鞄に戻し、肩紐を握り直す。


さあ、行こう。


みんなの大切な人たちが、待っている。


僕は荷物持ちだ。


剣も魔法も使えない、ただの荷物持ち。


だけど。


僕の荷物持ちとしての仕事は、まだ終わっていない。

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