第8話:折れた車軸と、世界で一番贅沢な添え木
「あああ……おしまいだぁ。車軸が見事にへし折れとる……」
傾いた馬車の前で、恰幅の良い商人が頭を抱えて泣き崩れていた。
響岩狼の襲撃を受けた際、岩に乗り上げた衝撃で、後輪を支える太い木の車軸が真っ二つに割れてしまっている。
三人の若い護衛たちも、絶望的な顔でへたり込んでいた。
「どうするんだよ、これ。スペアの車軸なんて積んでないぞ」
「日が暮れる……。暗くなったら、さっきの狼の群れが必ず戻ってくる。こんな見晴らしの悪い峡谷で夜襲を受けたら、俺たち今度こそ全滅だ……っ!」
パニックに陥りかける若者たちをよそに、私は折れた車軸の断面をじっと観察していた。
完全に折れてはいるが、車輪自体は無事だ。強度の高い『芯』を当ててロープで縛り上げれば、騙し騙しでも次の街までは持つだろう。
「……ちょうどいい『棒』があるな」
私が呟くと、護衛の剣士がハッとして顔を上げた。
「ぼ、棒? アンタ、まさか……戦うのか!?」
私が背中の布巻きに手をかけたのを見て、若者たちの目に期待の光が宿った。
鍋と水筒であの魔獣を退けた謎の凄腕冒険者。彼女がついに、隠し持っていた真の『武器』を抜くのだ、と。
シュルリ、と布を解く。
夕暮れの峡谷に、曇りのない純白の光が煌めいた。柄には美しい宝玉が埋め込まれ、刀身には神々の加護を示すルーン文字が刻まれている。
誰もがひと目で「伝説の業物」と分かる、教会より授かりし『聖剣』。
「す、すげえ……! まるで伝説の勇者の剣みたいだ……!」
若者たちが息を呑む。
私は無言のまま、その美しく輝く聖剣を両手で構え――。
ズガンッ!!
折れた馬車の木枠と車軸の隙間に、聖剣の刀身を容赦なくブチ込んだ。
「「「…………は?」」」
商人と若者たちの顔から、表情がすっぽりと抜け落ちた。
「おい、麻縄を持ってこい。馬を繋ぐ用の、一番太くて頑丈なやつだ」
「えっ……? あ、はい……って、ええええええええええっ!?」
護衛の剣士が、素っ頓狂な悲鳴を上げて飛び退いた。
「ア、アンタ何やってんだ!? そ、それメチャクチャ高そうな剣だろ!? なんで車軸の隙間にぶっ刺して……!?」
「添え木だ。ただの木の枝じゃ、馬車の重みに耐えきれずにすぐ折れる。だが、これはオリハルコンと神聖銀の合金だからな。絶対に曲がらないし、絶対に折れない。車軸の補強には最高の素材だ」
私は受け取った麻縄を使い、泥だらけの車軸と純白の聖剣を、ぐるぐると強固に縛り上げていく。神聖なルーン文字が刻まれた刀身は、あっという間に泥と油にまみれて見えなくなった。
「い、いやいやいや! 最高の素材って、いくらなんでも雑すぎんだろ!? 神罰下るぞ!?」
「問題ない。……それに比べれば、私なんかまだまだ『丁寧』な方だからな」
呆然とする彼らをよそにロープを結びながら、私は遠い目をした。
――あの日。魔王の住む火山地帯での野営のことだ。
『よっしゃ、今日は豪勢にいくぞ!』
アルトは巨大な飛竜の霜降り肉のブロックを満面の笑みで掲げると、私の横から『聖剣』をひったくった。
『ああっ! なにするんですか!』
『バカ、よく見ろ。この肉のデカさだ、普通の木の串じゃ燃え落ちちまう。だが、この聖剣なら燃えないし、オリハルコンは熱伝導率が最高だから、中までふっくら火が通るんだよ!』
そう言って彼は、躊躇いもなく飛竜の生肉に聖剣を突き刺し、そのまま業火の焚き火の上にまたがせたのだ。
脂が滴り落ち、神聖なルーン文字が肉汁でギトギトに汚れていく光景を見て、私は泣きながら教会の神父様に謝ったものだ。
だが、悔しいことに、聖剣で焼いた飛竜の肉は、外はカリッと中はジューシーで、これまでの人生で一番美味しかった。
『いいかルミナ。剣が立派でも、腹が減れば死ぬ。美味い肉を焼けない剣なんざ、ただの邪魔な鉄の棒だ』
口の周りを脂だらけにしたアルトの言葉に、当時の私は反論できなかったのだ。
「……よし、これで応急処置は完了だ。乗ってみてくれ」
私がロープを縛り終えて声をかけると、商人が恐る恐る馬車に乗り込んだ。ギシッ、と軋む音はしたが、聖剣を芯にした車軸は完璧に馬車の重量を支え切っていた。
「お、おおっ……! まったく歪まない! これなら明日の朝、街まで余裕でたどり着けるぞ!」
「……剣の持ち主がそれでいいなら、俺たちは何も言えねえけどよ……」
剣士の若者が、泥だらけになった聖剣の柄を見つめながら複雑な顔でこぼした。
「だが、出発は明日の朝だ。暗闇の峡谷をこの状態で進むのは危険すぎる。今夜はここで野営とする」
私が宣言すると、護衛の若者たちは再び暗い顔になり、焚き火の準備を始めた。
夜。岩陰で揺れる焚き火を囲みながら、護衛のリーダー格である剣士が、ポツリと口を開いた。
「……アンタがいなかったら、俺たち今日、間違いなく全滅してた。俺の剣、あいつらにかすりもしなかったよ」
彼は自分の大剣を膝に置き、悔しそうに俯いた。
「俺たち、故郷の村じゃ一番腕っ節が強くてさ。剣さえあれば、なんだって護れると思ってたんだ。でも、実際はただ振り回してただけだ。……俺たちじゃ、誰も護れやしない」
その言葉に、他の二人も沈痛な面持ちで頷く。
彼らの挫折感は、痛いほどよく分かった。かつて「聖剣があるから世界を救える」と本気で信じていた、一六歳の私と同じだからだ。
「……なあ。君たちは今日、逃げ出さなかった」
私が静かに口を開くと、三人が顔を上げた。
「剣が当たらないと分かっても、恐怖で足が震えても、君たちは決して商人の前から退かなかった。ただ剣を振るうことと、『護る』ためにその場に立ち続けることは、全く違う強さだ」
「立ち続ける……」
「剣が通じないなら、鍋を叩けばいい。車軸が折れたら、剣を添え木にすればいい。護るための方法なんて、不格好でいいんだよ」
私の言葉に、若者たちの瞳に少しだけ、小さな火が灯ったように見えた。
その時だった。
――ピチャリ。
焚き火の光の届かない峡谷の奥から、湿ったような足音が響いた。
それと同時に、夕方に遭遇した群れとは比べ物にならないほど巨大で、重圧感のある『殺気』が、風に乗って押し寄せてきた。
「……チッ。やはり、ただでは帰してくれないか」
私は焚き火から立ち上がり、手元にある『片手鍋』を強く握りしめた。
暗闇の奥で、無数の鈍い光が不気味に揺らめいていた。




