第50話:裏路地の包囲網と、剣を置く勇者
極上の刺身と天ぷらに舌鼓を打ち、極東の夜を満喫した翌朝。
宿代わりにとリンの飯屋の二階で雑魚寝していた私たちは、けたたましい金属音と、地響きのような無数の足音で叩き起こされた。
「……なんだ、朝っぱらから」
私が窓の隙間から細い裏路地を見下ろすと、そこは異様な光景に包まれていた。
黒塗りの鎧に身を包んだ帝都の近衛兵たちが、路地を幾重にも取り囲み、屋根の上には弩を構えた射手たちがズラリと並んで、この飯屋に狙いを定めていたのだ。
「逆賊ゲイル! ならびに魔王の手先の女! おとなしく神妙にしろ!!」
近衛兵の先頭に立っていたのは、豪奢な狩衣を着た、恰幅の良い役人だった。
霊山開発の利権を握っていた、伏魔殿の大物の一人だろう。その顔には、自分たちの悪事が露見する前に「不都合な真実」を消し去ろうとする、底意地の悪い笑みが張り付いている。
「おいおい、冗談だろ……」
目を擦りながら起きてきたゲイルが、窓の外を見て絶句した。
「尊き筆頭祈祷師様を暗殺し、魔の狐に魂を売った大罪人どもめ! 貴様らがこの帝都に災いをもたらす前に、ここで討ち取ってくれる!」
役人が扇子を振り下ろすと同時に、屋根の上の射手たちが一斉に矢を番えた。
魔人を倒した私たちを「魔王の手先」にでっち上げ、完全に口封じをする気だ。帝都の治安を守るための近衛兵たちも、役人の嘘を信じ込み、私たちに向けて殺気を放っている。
「……なるほど。これが『伏魔殿』のやり方か」
私は静かに息を吐き、壁に立てかけていた『黒片手鍋』と大ぶりの狩猟短剣を手に取った。
兵士の数は百や二百ではない。だが、本気でやり合えば、私一人でもこの包囲網を突破することは造作もない。ただ、無事では済まないだろう。
「ゲイル、私の背中から離れるな。一気に強行突破して……」
私が床を蹴ろうとした、その時だった。
「待ってくれ、アネさん」
ゲイルが、私の前にスッと立ち塞がった。
彼は白銀の大剣を抜かず、窓の外で槍を構えている若い近衛兵たちをじっと見つめていた。兵士たちの手は、未知の恐怖(魔王の手先)に対して微かに震えている。
「あいつらは、ただの兵士だ。自分の国を護るために、役人の嘘を信じて必死に槍を握ってる。……昨日までの俺と同じだ」
「ゲイル……」
「ここで俺たちが暴れて魔法や物理をぶっ放せば、あの若い兵士たちが死ぬ。リンの店も、周りの民家も全部吹き飛ぶ。……俺はもう、自分の正義で無関係なものを壊したくないんだ」
ゲイルの顔には、昨日までの性急で独りよがりな面影はなかった。
彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、静かな、しかし決して折れない覚悟を宿していた。
「あいつらの血を流して逃げるくらいなら……俺が泥を被る。俺が、きっちり落とし前をつける」
そう言ってゲイルは、白銀の大剣を床にコトリと置いた。
そして、両手を高く上げながら、ゆっくりと飯屋の入り口から路地へと歩み出たのだ。
「撃つな! 俺たちは抵抗しない! 剣も魔法も捨てる!!」
「ゲイルさん……っ!」
一階から悲痛な声を上げるリンを制し、ゲイルはその場に両膝をついた。
その背中を見て、私は小さく息を吐いた。
……馬鹿野郎。力でねじ伏せることしか知らなかった絵本の勇者が、護るために『剣を置く』ことを覚えたか。
「……仕方ない。舎弟の尻拭いに付き合ってやるか」
私は鍋を置き、ゲイルに倣って大人しく両手を上げた。
すぐさま近衛兵たちが雪崩れ込んきて、私たちに分厚い鉄の枷をはめ込む。
「ふん。魔に魅入られようと、数の暴力の前には無力よな。……連行しろ! 帝と巫女殿の御前で、即刻『斬首』にしてくれる!」
役人の勝ち誇った高笑いが、路地に響き渡る。
こうして私たちは、弁明の機会すら与えられないまま、帝都の地下深くに存在する冷たく暗い地下牢へと引き立てられていったのだった。




