第49話:愚直な謝罪と、極東の生魚
霊山での激闘を終え、私たちは帝都へと帰還した。
大通りの広場は、討伐を終えた『東の勇者』の凱旋を一目見ようと集まった群衆で溢れ返っていた。誰もがゲイルを称え、魔物(とされていた妖狐)の討伐を喜ぼうとしている。
だが、ゲイルは歓声に応えることなく、広場の中央で立ち止まると、いきなり冷たい石畳の上に両膝をつき、深く頭を下げた。
「帝都の皆! 俺は……取り返しのつかない過ちを犯すところだった!!」
広場が、水を打ったように静まり返った。
ゲイルは血を吐くような声で真実を告げた。霊山にいた妖狐が土地を護るお稲荷様の使いであったこと。筆頭祈祷師の正体が魔人であり、極東を死の大地にする陰謀だったこと。
泥だらけの白銀の鎧のまま、地に頭を擦り付けて謝罪する勇者の姿に、民衆は言葉を失っていた。
「俺は、自分の目で真実を確かめもしなかった! 本当の勇者は俺じゃない。……だが、これから必ず、壊してしまったものを直して回る! だから……どうか、もう一度俺に『やり直す機会』をくれないか!!」
嘘偽りのない、愚直な謝罪。
物質的な豊かさに溺れ、信仰を忘れかけていた帝都の人々の心に、その言葉は冷や水のような衝撃を与えていた。
「……大した若僧だ。プライドをへし折られて、あれだけ素直に頭を下げられる奴はそういないぜ」
群衆の端で腕を組んでいたゲンが、ニヤリと笑った。
「さて、勇者様が立派に泥を被ってくれたんだ。俺たち大人は、大人の『尻拭い』をしてやるとするか。伏魔殿の役人が魔人と結託してたって噂を、裏社会の連中を使って大々的に吹聴してやる。これで連中もしばらくは身動きが取れねえだろうさ」
ゲンは頼もしく背中を叩くと、「さあて、一仕事してくるぜ」と、人混みの中へ消えていった。
* * *
その夜。
大通りの喧騒から少し離れた裏路地にある、リンの小さな飯屋。
そこは今、かつてないほどの熱気と笑い声に包まれていた。
「リンちゃん! お稲荷様を護ってくれた勇者様たちが来てるって本当かい!?」
「ウチの新鮮な魚、持ってきたよ! 腹いっぱい食ってくれ!」
ゲイルの真摯な謝罪を聞いたご近所の魚屋や八百屋たちが、「お稲荷様を今でも大事にしているリンの店」に、次々と極上の食材を持ち寄ってきたのだ。
「みなさん、ありがとうございます! さあルミナさん、ゲイルさん、どんどん食べてくださいね!」
厨房で袖を捲り上げたリンが、満面の笑みで次々と大皿を運んでくる。
テーブルには、差し入れられた『極東の山の幸(山菜やキノコ)』に衣をつけてサクサクに揚げた『天ぷら』が山盛りにされ、香ばしい匂いを漂わせていた。
「おおっ! この草を揚げたやつ、塩をつけると無限に食えるな!」
私が天ぷらにかぶりついていると、リンが「本日のメインです!」と、ひときわ大きな木の舟のような器をドンッとテーブルに置いた。
「…………リン。これは、なんだ?」
私は、その器の上でツヤツヤと輝く『それ』を見て、思わず箸を止めた。
綺麗に切り分けられた魚の切り身。だが、焼かれても煮られてもいない。完全に『生』の肉だった。西の大陸では、魚は干すか火を通すのが常識だ。生の魚を食べる習慣などない。
「『刺身』ですよ。さっき魚屋の親方が持ってきてくれた、今日一番の大当たりです。冷たいうちに、お醤油とワサビでどうぞ!」
「い、いや……しかし、生肉だぞ……?」
魔王の瘴気にも、巨大な魔人の拳にも一切怯まなかった私が、皿の上の生魚を前にして完全に固まっていると。
「あれれ〜? どうしたんですかい、アネさん」
隣から、ニヤニヤと笑う声が聞こえた。
すっかり泥を落とし、なぜか頭に手ぬぐいを巻いて完全に『舎弟』のポジションに収まっているゲイルだった。彼は慣れた手つきで刺身を醤油につけ、美味そうに白飯と一緒に頬張っている。
「もしかしてアネさん、魔王を倒した本物の勇者様なのに、『生の魚』が怖いんですかい?」
「なっ……!? 誰が怖いと言った! 私はただ、食中毒の心配をだな……!」
「へへっ、極東の魚の鮮度と職人の包丁さばきを舐めちゃいけませんぜ。ほら、騙されたと思って食ってみなせえって!」
三時間前まで「灰に還れ!」と叫んでいた絵本の勇者はどこへ行ったのか。
私は完全に調子に乗っている舎弟のドヤ顔にイラッとしつつ、恐る恐る箸を伸ばした。
脂の乗った白い切り身を、黒い醤油にちょんとつけ、緑色の薬味を少し乗せて、思い切って口に放り込む。
「…………!!」
生臭さなど、微塵もなかった。
ひんやりとした滑らかな舌触り。噛むほどに、上質な脂の甘みが口の中の温度でトロリと溶け出していく。そこに醤油の深いコクと、ワサビのツンとした爽やかな辛味が合わさり、魚の旨味を極限まで引き上げている。
「……美味い。なんだこれ、火を通さないことでしか味わえない食感と甘み……!」
「だろ? 極東の海と職人に感謝しなきゃな、アネさん!」
「誰がアネさんだ、馬鹿野郎」
私は文句を言いながらも、箸を止めることができなかった。
サクサクの天ぷらと、とろける刺身。極東の海と山、そして人々の温かい持ち寄りの心が詰まった最高の宴会。
気がつけば、私の隣で、姿を消して小さな子狐の姿に化けた玉藻前も、幸せそうに油揚げをかじっていた。
「……悪くないな」
私は冷や酒をあおりながら、賑やかな飯屋の風景を見渡した。
こうして、極東の霊山を巡る騒動は、甘辛く、そして最高に美味い形で幕を下ろしたのだった。




