第48話:絵本の勇者と、一点に詰めた正義
玉藻前の光の鎖に縫い付けられ、身動きが取れなくなった魔人。
その目前に立ち、白銀の大剣を構えたゲイルの脳裏には、これまでの自分の旅の記憶が走馬灯のように駆け巡っていた。
南の港町で海竜を倒した時のことだ。
歓喜する人々の背後で、湾内の海は煮え立ち、無数の魚が腹を見せて死に絶えていた。
山賊を討伐した時のことだ。
山ごと悪党を吹き飛ばした結果、街道は完全に土砂で塞がれ、行商人たちが絶望の声を上げていた。
『――お前が焼き払おうとしたのは、大豆を育て、出汁を引き、祈りを捧げてきた人間の営みそのものだ』
ルミナの言葉が、胸に突き刺さる。
自分は『絵本の中の勇者』だと思っていた。悪を派手に打ち倒せば、それで世界は平和になるのだと信じて疑わなかった。
だが現実は違う。自分の放ってきた魔法は、人々の生活基盤を焼き尽くす、ただの『災害』でしかなかったのだ。
「俺は……馬鹿野郎だ。何も見ていなかった……っ!」
ゲイルはギリッと奥歯を噛み締め、大剣の柄を握る手に力を込めた。
後悔の念が、とめどなく溢れ出す。だが、下を向いている暇はない。魔王を倒した本物の勇者と、何百年も土地を護ってきた神使が、自分のために最高の『舞台』を整えてくれたのだから。
「もう、何も壊さない。……護るべきものを、この手で護る!!」
ゲイルの全身から、凄まじい炎と雷の魔力が立ち昇る。
いつもなら、そのまま周囲を巻き込む爆発として解き放っていた暴力的なエネルギー。だが今の彼は、それを外へ逃がさなかった。
ルミナが鍋で見せた、力をいなす繊細なコントロール。
玉藻前が見せた、標的だけを的確に浄化する魔法の理。
そして何より――あの小さな『いなり寿司』の中に、極上の旨味と祈りが、隙間なくぎっしりと詰め込まれていたように。
「集え……! 圧縮しろ……!!」
ゲイルは自身の膨大な魔力を、大剣の『刃先』の一点のみへと極限まで押し込めていく。
白銀の剣身が、超高熱を帯びて赤く、いや、青白く発光し始めた。周囲の空気がビリビリと震えるが、熱波は一切外へと漏れ出していない。
完璧な魔力制御だ。
『や、やめろ……! 貴様、私を討てば帝都の伏魔殿が黙ってはおらんぞ!!』
魔人が恐怖に顔を引き攣らせ、見苦しい命乞いを叫ぶ。
だが、ゲイルの瞳に迷いはなかった。
「黙れ。俺の正義はもう、誰かに操られたりはしない!」
ゲイルが地を蹴った。
一切の無駄がない、洗練された踏み込み。そして、極限まで魔力を圧縮した大剣が、魔人の分厚い鱗に覆われた胸の『核』へと真っ直ぐに突き出された。
「喰らえぇぇぇっ!! 【雷炎・一点突破】!!」
――ズガァァァァァンッ!!!
刃先から解放された魔力が、魔人の体内のみを貫通し、内側から爆発を引き起こした。
周囲の木々の葉一枚、霊山の土一粒すら揺らさない、究極に研ぎ澄まされた一撃。
断末魔の叫びすら上げる間もなく、魔人の巨体は内側から光に飲み込まれ、どす黒い灰となって完全に霧散した。
「…………やった、のか」
ゲイルが荒い息を吐きながら、灰に還った魔人の跡を見つめる。
周囲を覆っていた瘴気は完全に晴れ、霊山には再び清らかな神気と、木漏れ日が差し込み始めていた。
彼はそのまま、糸が切れたように大の字になって地面に倒れ込んだ。泥ひとつ跳ねていなかった白銀の鎧は、煤と泥で汚れきっている。だが、その顔は不思議と晴れやかだった。
「見事な火加減だったぞ、ゲイル」
私が歩み寄り、彼を見下ろしてクスリと笑うと、ゲイルは照れくさそうに笑い返した。
「……すまなかった。俺は、正義のつもりで取り返しのつかないことを……」
「気にするな。誰だって最初は、焦って火加減を間違えるもんだ。……だが、これで終わりじゃないぞ。お前が壊した街道や海を直す『尻拭い』は、これからたっぷりと手伝ってもらうからな」
「……ああ。俺にできることなら、何でもする」
『ふふ。誠に、見事な包丁さばきであったぞ、人間の勇者よ』
玉藻前がゲイルの顔を覗き込み、その巨大な舌で彼の煤けた頬をペロリと舐めた。
ゲイルは「ひゃっ」と情けない声を上げながらも、神使の温かい体温に触れ、ポロポロと涙を流し始めた。自分の手で壊すかもしれなかった命の温もりを、ようやく実感したのだろう。
霊山を吹き抜ける風が、心地よかった。
背中の聖剣は抜かなかった。だが、この極東の地に、また一つ確かな「繋がり」と「明日を護る知恵」を残すことができた。
遠くから、私たちを追って山を登ってきたゲンやリンたちの声が聞こえる。泥臭い共闘を終えた私たちの腹の虫が、示し合わせたように、グゥゥゥと盛大に鳴り響いた。




