第47話:九尾の舞と、燃やさない炎
『死に絶えよ! 【瘴気の嵐】!!』
魔人が四つの腕を振り下ろした瞬間、霊山の空を覆っていたどす黒い雲から、触れるもの全てを腐らせる死の灰と暴風が解き放たれた。
回避不能の広範囲殲滅魔法。木々が悲鳴を上げ、大地が黒く変色していく。
「くそっ、こんな質量……防ぎきれない!」
ゲイルが絶望に顔を歪め、大剣を盾にしようとしたその時。
凛とした鈴の音が、霊山に響き渡った。
『――恐れるな、青二才。魔法とは、力任せに振るうものではない。自然の理と対話し、編み上げるものだ』
私の背後から歩み出た九尾の妖狐――玉藻前が、九つの巨大な尾を扇のように大きく広げた。
その先端から、青白い『狐火』が灯る。
『第一の尾、幻。……さあ、愚かな泥棒猫よ。貴様はどこを見ている?』
玉藻前がふわりと尾を揺らした瞬間。
魔人が放った巨大な瘴気の嵐は、私たちを完全に通り抜け……いや、違う。魔人の目の前の空間がぐにゃりと歪み、嵐は霊山の頂ではなく、はるか上空の何もない虚空へ向けて吸い込まれるように放たれていったのだ。
『なっ……!? 空間が、歪んだだと!?』
「す、すげえ……幻術で、魔法の狙いそのものを狂わせたのか……!」
ゲイルが驚愕に目を剥く。
だが、玉藻前の演舞はここからが本番だった。
『第二から第八の尾、清浄。……我が霊山を穢すこと、断じて許さん』
玉藻前の七つの尾から、数え切れないほどの青白い狐火が空へ向けて放たれた。
それはまるで、意志を持った蛍の群れのように宙を舞い、魔人が展開していた分厚い瘴気の雲へと取り付いていく。
ボッ、ボボボッ!
狐火が瘴気に触れた瞬間、爆発音は鳴らず、ただ静かに、そして劇的な速度で黒い雲が「浄化」されていく。
「……信じられない」
ゲイルが大剣を取り落としそうになるほど、震える声で呟いた。
「あれだけの熱量と魔力を持っているのに、狐火は……山の木々や葉っぱを、一枚たりとも燃やしていない!」
「それが極東の、お稲荷様の魔法だ」
私は鍋を肩に担ぎながら、ゲイルに言った。
「お前は敵を倒すために、山も川も全部まとめて焼き払ってきた。だが、彼女の狐火は『魔の穢れ』だけを的確に見極め、それ以外の自然には一切の被害を出さない。……魔法ってのは本来、護るべきものを護るための技術なんだよ」
『おのれぇぇぇっ! 妖狐風情が、私の魔力をぉぉぉっ!!』
己の魔法を完全に無力化された魔人が、激昂して玉藻前へと突進してくる。
だが、玉藻前は余裕の笑みを浮かべ、最後に残った一番巨大な『第九の尾』を天高く突き上げた。
『第九の尾、縛。……地に這え、下郎』
ズゥゥゥンッ!!
魔人の足元の地面が突如として発光し、霊脈から引き出された強大な『地の魔力』が、幾重もの光の鎖となって魔人の四つの腕と巨体を地面に縫い付けた。
『ガ、アアアアッ!? 動け、ぬ……っ!?』
極大のデバフと、霊脈を利用した完全なる拘束。
これこそが、何百年もこの土地の理を視てきた神使の、圧倒的な「制圧力」だった。
玉藻前は青白い狐火を周囲に漂わせたまま、神々しい姿で伏せ伏せた魔人を見下ろし、そして……ゲイルへと視線を向けた。
『さあ、人間の勇者よ』
彼女の凛とした声が響く。
『黒鍋の戦士が、相手の力をいなす「物理の理」を教えた。
我が、護るべきものを護る「魔法の理」を見せた。
舞台は整えてやったぞ。……今度こそ、貴様自身の目で「護るべきもの」を見極め、その剣で決着をつけるが良い』
玉藻前の言葉に、ゲイルはハッとして自分の両手を見た。
力任せの破壊しか知らなかった彼の中に、確かな「技術」と「護るための知恵」が芽生え始めている。
「……ああ。やってやる!」




