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第46話:抜かない聖剣と、歴戦の黒鍋


 白い布が風に舞い、祈祷師の正体が露わになった。

 豪奢な着物を内側から引き裂いて現れたのは、どす黒い鱗に覆われ、四つの腕を持つ異形の魔人だった。霊山の清浄な空気が、一瞬にして吐き気を催すほどの濃密な瘴気に塗り潰されていく。

『ククク……無知な勇者に神使を殺させ、この山を魔の巣窟に作り変える計画だったが……まあよい。ここで貴様らを喰らい、私が直接霊脈を汚染してくれよう』

 圧倒的な魔力と殺気。霊山の木々が、瘴気にあてられて黒く枯れ始めていく。

 私は無意識に、背中に背負っている『白銀の布巻き』――三年間一度も抜いていない、両刃の聖剣へと手を伸ばしかけた。

 あの聖剣の封印を解き、魔王を討ち果たした全力の光の魔法を解放すれば、目の前の魔人など数秒で灰にできる。容易いことだ。

 ……だが。

「俺は……っ」

 隣で、白銀の勇者ゲイルが大剣を握りしめ、ギリッと血が滲むほど唇を噛み締めていた。

「俺は、こいつに騙されて……自分の手で、この国の護るべき神様を……人々の祈りを、焼き払おうとしていたのか……!」

 純粋な正義感ゆえの、激しい怒りと後悔。

 私は聖剣の柄に触れていた手を、ゆっくりと離した。

 もしここで私が聖剣を抜き、一人で全てを終わらせてしまえば、この若者は一生「失敗した鉄砲玉」のままだ。自分の無知を恥じる機会も、本当の戦い方も、何も学ぶことができない。

「ゲイル。よく見ておけ」

「え……?」

 私は背中の布巻きではなく、腰に提げていた『新生・黒片手鍋』を引き抜き、前に出た。

「料理も戦いも同じだ。ただ火力を最大にしてぶっ放せばいいってもんじゃない。素材あいての動きを見て、いなして、隙を突く。……『物理』ってのは、こうやるんだ」

『死ね、羽虫が!!』

 魔人が咆哮と共に地を蹴った。

 巨体からは想像もつかない速度で肉薄し、四つの腕から岩盤すら粉砕する剛腕の連撃が叩き込まれる。

 私は一歩も退かず、鍋を盾のように構えた。

 ――ガンッ!! ギィィィンッ!!

「なっ……!?」

 背後でゲイルが驚愕の声を上げる。

 私は魔人の拳を『正面から受け止めて』はいなかった。バルガスが打ち直した極厚のドワーフ鋼、その鍋底の絶妙な『カーブ』を利用し、拳の軌道を僅かにずらして威力を背後へ受け流しているのだ。パリィ(弾き返し)の連続。

『ちょこまかと……! ならば、これはどうだ!』

 物理攻撃が通じないと見た魔人が、至近距離から極大の漆黒の炎球ファイアボールを放ってきた。

 回避不能のタイミング。だが私は、鍋の中に少量の水と魔力を流し込み、蓋を盾にして炎球に思い切り叩きつけた。

 ドバァァァァァンッ!!

「ぐあぁっ!? な、何だこの高熱の蒸気は!?」

 鍋の中で発生した超高圧の水蒸気爆発が、魔人の炎球を相殺するどころか、白煙の熱波となって魔人の視界と呼吸を完全に奪った。

「馬鹿みたいに魔力を垂れ流すから、目隠しに使われるんだ」

 白煙の中、私は魔人の懐に潜り込んでいた。

 火竜の骨でできた鍋の柄を逆手に握り、魔人の膝裏の関節(アーマーの隙間)へ向けて、渾身の力で柄の先端を叩き込む。

『ガアアアアッ!?』

「まずは機動力を削ぐ。……いいかゲイル。力を一点に集中させれば、ただの鍋の柄でも鋼の鱗を砕けるんだよ」

 体勢を崩し、片膝をつく魔人。

 私は鍋をくるりと持ち直し、今度は最も分厚い鍋底を、魔人の顎めがけてカチ上げた。

 ゴギャンッ!! と鈍い音が響き、巨体が宙に浮く。

「……すげえ……」

 ゲイルが、大剣を握ったまま呆然と呟いていた。

 彼は今まで、自分の膨大な魔力に任せて、遠距離から広範囲魔法を撃ち込むだけの「作業」しかしてこなかったのだろう。

 相手の力を利用し、最小の力で最大の効果を生む。泥臭くも洗練された近接戦闘の解像度の高さに、彼は完全に目を奪われていた。

『おのれぇぇぇっ! 矮小な人間風情がぁぁぁっ!!』

 顎を砕かれながらも、魔人は凄まじい自己再生能力で傷を塞ぎ、四つの腕を天に掲げた。

 空がどす黒い雲に覆われ、霊山全体を死の灰に変えようとする、特大の『瘴気のカオス・ストーム』が練り上げられていく。

 物理攻撃や一点突破では防ぎきれない、面に対する絶望的な質量攻撃。

「……さて。あれは私の鍋じゃ防ぎきれないが」

 私がチラリと視線を向けると、背後で神気を纏った九尾の妖狐――玉藻前が、優雅に立ち上がっていた。

『ふふ。見事な立ち回りであったぞ、黒鍋の戦士よ。……さあ、ここから先は「魔法」の本当の美しさを、あの青二才に教えてやろうではないか』

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