第40話:黒い灰の村と、死に絶えた水源
宿場町から馬と物資の荷馬車を飛ばすこと半日。
極東の豊かな穀倉地帯の風景は、ある境界線を越えた途端に唐突に終わりを告げた。
「……酷いな、これは」
思わず馬の手綱を引き、私は眼前の惨状に息を呑んだ。
空には季節外れの雪のように、パラパラと黒い灰が舞っている。谷間に位置するその村は、信じられないほど無残な姿を晒していた。
村を襲ったという巨大な魔物――おそらく山をも砕くと言われる『岩甲殻の巨獣』の残骸が、村の入り口付近で原型をとどめないほど黒焦げになって転がっている。
だが、問題は魔物ではない。
「見ろ、ルミナ。あれが『勇者様』の正義の痕だ」
隣で馬を下りた自警団リーダーのゲンが、ギリッと歯を食いしばって谷の奥を指差した。
魔物にトドメを刺すために放たれたであろう、超高火力の爆裂魔法。そのすさまじい熱量と衝撃は、巨獣を粉砕しただけでなく、背後にそびえていた岩山の中腹を丸ごと抉り取っていた。
崩落した膨大な土砂と、魔法の熱で一度ドロドロに融解し、再び冷え固まった巨大な岩盤。
それが、村の命綱である清らかな川を、堰のように完全に塞いでしまっているのだ。
「くそっ……! 刃が滑る! 勇者様の魔法の熱のせいで、表面が鉄みたいにツルツルになっちまってる!」
川の跡地である干上がった泥の上で、村の男たちが必死にツルハシを振るっていた。だが、ガラスのように滑らかに変質した岩盤の表面は、火花を散らすだけで小石ひとつ欠けようとしない。
「……これが、力でねじ伏せた結果か」
私は魔物を倒すためだけにインフラを破壊した無軌道な暴力に苛立ちながら、巨大な岩盤の前に立った。
「ルミナさん……。あんたも魔法使いなのか? 頼む、魔法でこの岩を吹き飛ばしてくれ!」
すがるような村長の声に、私は静かに首を振った。
「駄目だ。魔法で外から吹き飛ばせば、その衝撃で今度こそ村の家屋が全壊する。物理で『内側から割る』しかない」
私は腰から大ぶりの狩猟短剣を引き抜き、岩盤の表面をコンコンと叩いた。
「岩盤に深く細い穴をいくつか穿ち、そこに水を流し込んで私の『鍋』で局所的な水蒸気爆発を起こす。……だが、これだけ表面が滑らかだと、ツルハシの狙いが定まらないな。まずは私が起点となる溝を……」
私が狩猟短剣を岩肌に突き立てようとした、その時だった。
「待たんか、小娘!!」
群衆の中から進み出てきたのは、腰の曲がった小柄な老翁だった。その手には、使い込まれて柄が黒ずんだ石工用の小槌が握られている。
「村の石工の、タツ爺さん……」
「これだけ巨大で、しかも魔法の熱で歪に固まった岩だ。無闇矢鱈に穴を開けても、力が逃げて割れやせんわい! 石にはな、『目』があるんじゃ。どんなに硬く結ばれた岩にも、必ず自然が作った亀裂の道筋がある」
タツ爺さんと呼ばれた老石工は、岩盤の表面を小槌で叩き、音を聴き分けると、白い石墨でジグザグとした不規則な線を引いた。
「ここじゃ。この『石の目』に沿って穴を穿てば、一気に岩は裂ける。……じゃが、さっき若衆が言った通り、表面がガラスのように硬くてツルツルじゃ。これでは儂らのツルハシが滑って、穴を開け始めるための『目立て(溝)』が作れん」
老石工が忌々しそうに舌打ちをした、次の瞬間。
「ふん! 石叩きばかりに、良い格好はさせんぞ!」
背後の荷馬車から、ドサリと音を立ててもう一人の老人が飛び降りてきた。
それは、私たちが宿場町を出る直前、「あの無精髭の弟子の顔を拝んでやる」と強引についてきた、ゲンの祖父である極東一の刀鍛冶だった。
「爺ちゃん!? あんた、腰が悪いんだから引っ込んでろよ!」
「うるさいわい! いいかタツ、お主の石の目は完璧じゃ。だが、道具が足りん。……おい、小娘」
刀鍛冶の爺さんは、着物の懐から、白木の鞘に収まった一本の『小刀(短刀)』を取り出し、私に放り投げた。
「銘は打っておらんが、儂が若い頃に打った超業物の小刀じゃ。魔法で固まった岩石だろうと、儂の鋼なら薄紙のように斬り裂ける。それで、タツの引いた線の上をなぞって『目立て』をしてやれ!」
「……いいのか? アンタの最高傑作かもしれない刀を、岩を削るノコギリ代わりに使っても」
「あのふざけた無精髭の男に、ドワーフの『鍋』の凄さを見せつけられた時からな。武器ってのは人を斬るためだけじゃなく、明日を生き抜くために振るってもいいんだと、そう思うようになったんじゃ。……やれ!」
刀鍛冶の爺さんの熱い言葉に、私は思わず口元をほころばせた。
鞘を払うと、凄まじい冷気をまとったような、美しく澄んだ刃が現れる。
「……恐れ入ったよ、親方たち。極東の職人の意地、しかと見届けた」
私は短刀を逆手に構え、タツ爺さんが引いた『石の目』のラインに沿って、渾身の力で刃を押し当て、引き切った。
ギギギィィィッ!!
ガラスのような岩の表面が、まるでバターのように切り裂かれ、ツルハシの先端が引っ掛かるのに十分な『深い溝』が刻み込まれる。
「よぉし! 小娘が道を作ってくれたぞ!」
「ただ絶望して死を待つのはやめだ! ツルハシを持て! 杭を打て! 俺たちの知恵と泥臭い力で、俺たちの水を取り戻すぞ!!」
ゲンの怒声と共に、絶望に沈んでいた村の男たちの目に確かな火が灯った。
彼らは一丸となって岩盤に取り付き、私が作った溝にツルハシの先端を叩き込み、必死に穴を掘り進め始めた。カンッ! カンッ! と、不格好だが力強い鉄の音が谷間に響く。
私は泥だらけになって働く彼らの背中を見つめながら、傍らの地面に『新生・黒片手鍋』をドンッと置いた。
力任せの正義が残した絶望を、村人たちの知恵と職人の意地、そして泥臭い物理の力で抉じ開ける。
明日を生きるための大発破作業の準備が、今、整いつつあった。




