第39話:極東の宿場町と、背中を追う浪人
黄金の稲穂が揺れる穀倉地帯を抜け、さらに東へ。
私の目の前に現れたのは、これまで旅してきた石造りの街並みとは全く異なる、木と紙、そして瓦で造られた独特な建築が立ち並ぶ『極東の宿場町』だった。
軒先に揺れる赤い提灯。行き交う人々は、ゆったりとした着物のような衣服を纏い、腰には反りのある刀を差している。
「……いい匂いだ」
私は鼻をひくつかせた。
通りに漂っているのは、肉を焼く獣脂の匂いだけではない。先日農村で嗅いだ『漬物』のような発酵臭と、大豆を焦がしたような、甘辛くも暴力的な食欲をそそる香りが混ざり合っている。
私は迷わず、一番活気のある大きな飯屋の暖簾をくぐった。
店内は、地元のアウトローや冒険者たちでごった返していた。
なんとか空いている丸太の椅子を見つけ、腰を下ろして黒い片手鍋を横に置く。
「……相席、構わねえか? 他は全部埋まっちまっててな」
不意に頭上から声をかけられた。
見上げると、無精髭を生やした三十代前半くらいの男が立っていた。
和洋折衷といった風体の使い込まれた革鎧を着流しの上に纏い、腰には無骨な打刀。その目は酷く疲労しているが、芯のある鋭い光を宿している。
「構わないぞ。座ってくれ」
「恩に着る」
男はドカッと向かいに座ると、店員に向かって「いつもの煮込みと飯、それと冷や酒だ」と注文した。私も彼に倣って同じものを頼む。
「見ない顔だな。異国の旅人か?」
「ああ。美味い飯を探して、西から来た。……あんたは、地元の自警団か何かか? 酷く疲れているようだが」
私の問いに、男は自嘲気味に笑って首の後ろを掻いた。
「俺はゲン。この辺りのはぐれ者の浪人連中をまとめてる、リーダーみたいなもんだ。疲れてるってのは当たりだ。ここ数日、うちの若い衆と出ずっぱりで『勇者様』の尻拭いをしてたんでな」
「……尻拭い?」
「ああ。あんたも旅人なら噂くらい聞いてるだろ。『今代の東の勇者』のよ」
ゲンの言葉に、私はピクリと眉を動かした。
農村で聞いた、強力な魔法で全てを吹き飛ばすという勇者。
「そいつが、この先の村で強大な魔物を討伐したんだ」
運ばれてきた酒をあおりながら、ゲンはギリッと奥歯を噛み締めた。
「確かに、魔物は恐ろしかった。村の衆の命を救ってくれたことには感謝してる。だがな、あの馬鹿野郎は、魔物にトドメを刺すために『山を一つ吹き飛ばすような爆裂魔法』を撃ち込みやがったんだ。おかげで魔物は消し飛んだが、山の斜面が崩落して、村の命綱である水源の川が、巨大な岩と土砂で完全に塞がれちまった」
私は息を呑んだ。
魔物は倒したが、村のインフラを物理的に破壊したというのか。
「……その勇者は、何と?」
「『魔物は消し去ってやったぞ。水が止まった? なに、命があるだけ儲けものだろう。土砂くらいお前たちで退かせばいい』……そう言って、意気揚々と次の街へ向かいやがった。ふざけんなって話だ。残されたのは、人力じゃ動かせないような巨大な岩盤と、数日後には干上がる村だぜ」
ゲンはドンッ、と乱暴に酒の器をテーブルに置いた。
怒り。それは、力なき民の生活を踏みにじる「行き過ぎた正義」に対する、地元の男としての強烈な憤りだった。
「勇者ってのは、悪を倒せばそれでいいのかよ。……俺はガキの頃、この街で一番の刀鍛冶だった爺さんから『本当の勇者』の話を聞いて育った。だから、余計に今の勇者が許せねえんだ」
「本当の勇者の話?」
「ああ。何十年も前、爺さんが人生の全てを懸けて、一人の異国の剣士に『最高傑作の刀』を打ってやったんだ。……で、数年後にその剣士がふらりと街に戻ってきた。爺さんはさぞかし名声を得ているだろうと期待したんだが……」
運ばれてきた『煮込み(モツと大根を黒い汁で煮込んだもの)』をつまみながら、ゲンはふっと笑った。
「その無精髭の剣士は、笑いながらこう言ったんだ。『親父の刀は最高に斬れるが、飛竜の肉を刺して焼いたら脂でギトギトになるし、何よりスープが煮込めない。だから、西のドワーフの親方にこれを打たせた』……そう言って、背中から『真っ黒な片手鍋』を取り出しやがった」
「…………」
「極東一の刀鍛冶のプライドをへし折るような言葉に、爺さんは当然キレた。だが、その鍋を手にとって度肝を抜かれたらしい。鍋底には星隕石が練り込まれ、柄は火竜の骨。……伝説級のドワーフの鍛冶師が、武器ではなく『飯を炊くためだけ』に、持てる技術の全てを注ぎ込んだ神具だったんだ」
ゲンは、どこか眩しいものを見るように目を細めた。
「爺さんは、鍛冶師として完全に降参したって言ってたよ。同時に、その不格好な剣士を心底認めたんだとさ。どれだけ鋭い剣があっても、腹が減れば人は死ぬ。破壊する力よりも、どんな絶望の中でも『明日を生き抜くための飯』を優先する。……俺は、その顔も知らない鍋の剣士こそが、本当の勇者だと思ってる」
ゲンはそこまで言って、ふと私の横の長椅子へ視線を落とした。
彼がこれまでただの調理器具だと思っていた『黒い片手鍋』。だが、その柄に使われている異様な骨の質感と、黒光りする鍋底の鈍い反射に気づいたのだろう。ゲンの目が、限界まで見開かれた。
「おい、待て……。その鍋の柄、火竜の骨か? 鉄の色も普通じゃねえ。……まさか」
ゲンは私の顔と、背中に背負っている白銀の布巻き(両刃の聖剣)を交互に見比べた。
「三年前に魔王を倒した勇者は、両刃の聖剣を背負った若い女だったと聞く。あんた、まさかあの『鍋の剣士』の……!」
「……その節は、私の師匠がアンタの爺さんに迷惑をかけたな、ゲン」
私がニヤリと笑うと、ゲンの口がポカンと開き、持っていた箸がカランと音を立ててテーブルに落ちた。
「アンタの爺さんが打った極東の刀は、今頃どこかの空の下で、あの無精髭の男が泥だらけにして振り回しているはずだ。だが、この鍋は魔王城へ向かう直前に、私が託された」
私は煮込みの皿を空にし、ドンッとテーブルに置いた。
「腹は膨れた。ゲン、私をその『水源が塞がれた村』に案内してくれ」
「あ、あんた、まさかあの岩盤をどうにかする気か!? いくら魔王を倒した勇者でも、魔法で吹き飛ばせば村まで被害が及ぶんだぞ!」
「馬鹿を言え。魔法に頼る気なんかない。ただの『物理』と『発破作業』だ」
私は黒い片手鍋を背中に背負い、立ち上がった。
「その『今代の東の勇者』とやらに、教えてやらなきゃならないからな。悪を倒すだけが勇者じゃない。民の明日を泥臭く護るのが、本当の勇者の仕事だってことを」




