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第38話:豊穣の白煙と極上の銀シャリ


 ピーーーッ!!

 金属の軋むような高周波が頂点に達した瞬間、私は分厚い鉄の蓋の留め具を勢いよく弾き飛ばした。

 ドバァァァァァッ!!

 すさまじい爆発音と共に、超高温の水蒸気が『新生・黒片手鍋』から間欠泉のように噴き上がった。

 火吹き茸の成分を含んだむせ返るような熱波。それが、泥と藁で作られた即席のドームの天井にぶつかり、逃げ場を失ってドーム内部の空間を猛烈な勢いで満たしていく。

「あ、熱っ……!? た、旅人さん、大丈夫なのか!?」

「伏せていろ! まだ近づくな!」

 泥壁の外で伏せている農民たちに叫びながら、私は熱気の中で目を凝らした。

 サウナ状態となったドームの中では、劇的な物理変化が起きていた。

 霜枯らし(フロスト・ブライト)たちは、自らの体内に極低温の冷気ガスを圧縮している。だが、外部からの圧倒的な『熱量』にさらされたことで、熱交換の法則が働き、奴らの体内のガスは急速に中和され始めていた。

「ギチッ、ギチチチチッ……!」

 爆発させるほどの冷気を保てなくなった魔虫たちは、苦し紛れにカチカチと甲殻を鳴らしながら、次々と稲穂の茎からポロポロと剥がれ落ちていく。

 そして、耐えきれなくなったように泥水の中へと潜り込み、命からがらドームの外側、湿地の奥深くへと逃げ去っていった。

 数分後。

 鍋の圧力が完全に抜けきり、蒸気が薄れたのを確認して、私は泥壁の一部を蹴り崩した。

「……終わったぞ。入っていい」

「お、おお……っ!」

 おそるおそる中を覗き込んだ農民たちが、一斉に息を呑んだ。

 そこに広がっていたのは、黒焦げの灰でも、凍りついた死の畑でもない。

 蒸気の熱で少しだけしっとりと濡れ、黄金色の輝きを一層増した、豊穣の『稲穂』の姿だった。

「す、すごい……! 稲が一本も燃えてねえ! 虫だけが、全部いなくなってる!」

「一瞬の魔法じゃねえ、俺たちの作った泥の壁が、本当に田んぼを護ったんだ……!」

 初老の農民が、泥だらけの顔のままポロポロと涙をこぼし、私に向かって深く、深く頭を下げた。

「旅人さん……いや、ルミナさん。あんた、本物の勇者様だ。力任せに全てを吹き飛ばすのなんかじゃない、俺たちの『明日』を護ってくれる、本当の……」

「よせ。私は勇者じゃない。ただの腹を空かせた、二十歳を過ぎた小娘さ」

 私は農民の言葉を遮り、肩をすくめて笑った。

 そして、まだ熱い片手鍋の柄をトントンと叩く。

「そんなことより、約束の報酬をもらおうか。……その黄金色の米を、腹いっぱい食いたい」

   * * *

 その日の夕暮れ。

 村の広場には、今年一番に収穫された『新米』を精米する心地よい音が響いていた。

 私は竈の前に座り、ドワーフの親方に打ち直してもらった黒い片手鍋に、透き通るような白い米と、慎重に計量した地下水を張った。

「いいか、米を炊くってのはな、魔法の詠唱より繊細なんだ。火加減と蒸らしで全てが決まる」

 かつて、アラフォーの不精髭の男が、焚き火の前で偉そうに語っていた言葉を思い出しながら、私は竈の火力を調整する。

 最初は強火。バルガスの打った極厚の鉄が、瞬時に熱を全体へ均等に伝える。

 沸騰し始めたら弱火にし、じっくりと米の芯まで熱を通す。そして最後は火から下ろし、鍋の異常な蓄熱性を利用して『蒸らし』の工程に入る。

「……よし、頃合いだ」

 村人たちが固唾を飲んで見守る中、私は分厚い鉄の蓋を開けた。

 パァァァァッ! と。

 立ち昇る真っ白な湯気と共に、鍋の中から現れたのは――一粒一粒が真珠のように自立し、神々しいほどの艶を放つ『極上の銀シャリ』だった。

「おおおぉぉ……っ!」

 私は木のしゃもじで底からふんわりと米を返し、自分の椀にこんもりとよそった。

 おかずは要らない。ほんの少しの粗塩をパラリと振るだけだ。

 熱々の米を一口、口に運ぶ。

「…………っ!」

 途端に、口いっぱいに広がる強烈な『甘み』。

 パンにはない、もっちりとした弾力のある食感。噛めば噛むほど、穀物本来の暴力的な旨味が唾液と混ざり合い、脳の奥をガンガンと揺さぶってくる。

「……美味い。なんだこれ、本当に米だけでメインディッシュじゃないか」

 私が無心になって椀を空にしていると、先ほどの初老の農民が、小鉢を二つ持って近づいてきた。

「ルミナさん。米は単体でも美味いが、こいつを合わせるともっと美味くなる。ウチの婆さんが漬けた『青菜の塩漬け』と『大根の糠漬け(ぬかづけ)』だ。こっちの風習でね」

「漬物……?」

 勧められるまま、その塩気の効いた青菜を米に乗せてかき込む。

 ――美味い! 塩漬けのシャキシャキとした食感と適度な酸味が、米の甘みをさらに引き立て、無限に箸が進んでしまう。

 肉や魚がなくとも、この『保存食の知恵』が組み合わさるだけで、これほどまでに食卓が豊かになるのか。

「すごいな、これは。いくらでも食えるぞ」

「ははは、気に入ってくれて何よりだ。そうだ、ルミナさん。旅を続けるなら、これを持って行きな」

 農民が差し出したのは、塩を振った手で米を固く握り、海苔と呼ばれる黒い海草で巻いたものだった。

「『おにぎり』っていうんだ。冷めても美味いし、これなら馬に乗りながらでも食える立派な携帯食になる」

「……おにぎり。なるほど、干し肉よりよっぽど力がつきそうだ」

 私は温かいおにぎりを両手で受け取り、そのずっしりとした重みと、村人たちの感謝の気持ちをしっかりと噛み締めた。

 彼らはもう、自分たちの運命を他人の破壊の力に委ねようとはしないだろう。

 ――力任せに吹き飛ばす『東の勇者』。

 私は、もらったおにぎりを見つめながら、これから向かう極東の地に思いを馳せた。

 アルトが私に教えてくれた、泥臭くて温かい、明日を護るための力。そして、この村の人々から教わった、米を握るという『生きるための知恵』。

 それが、ただの破壊と暴力に負けるはずがない。

「待っていろよ、極東」

 私は熱いお茶をすすりながら、新しく生まれ変わった相棒(黒片手鍋)の縁を優しく撫でた。

 極上の白飯と、譲れない矜持を胸に。私の終わらない旅は、さらに東へと続いていく。

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