表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/52

第37話:泥の包囲網と蓄熱の準備


「ほら、手を止めないでくれ! 霜枯らしが群がっている区画を囲むように、泥の壁を高く積み上げるんだ!」

 膝まで田んぼの泥水に浸かりながら、私は使い込まれた大きなスコップを振るっていた。

 ズブッ、バシャァッ! という重たい音と共に、水気を含んだ粘土質の土を掘り起こし、あぜ道に沿って積み上げていく。

「た、旅人さん……本当にこんな泥の壁で、あの化け物虫が退治できるのか?」

「退治はしない。さっきも言った通り、追い払うだけだ。……そのための『サウナ』を作る」

 私が顔の泥を拭いながら答えると、恐る恐る泥を運んでいた農民たちは、顔を見合わせて首を傾げた。

「サウナ……って、あの熱い蒸気の風呂のことか?」

「ああ。霜枯らしは体内に極低温のガスを圧縮している。だから物理的に殻を割れば爆発して稲が枯れる。だが、外側から『高温の蒸気』でジワジワと温めてやれば、熱交換の法則で奴らの体内のガスは中和され、自爆できなくなる。熱に耐えきれなくなった虫どもは、必ずこの場から逃げ出すはずだ」

 私は積み上げた泥の壁に、昨年の収穫で余っていた乾燥したわらを混ぜ込んでいく。

「土に藁を混ぜて踏み固めれば、強固な断熱材になる。この泥壁で虫の群生地帯をぐるりと囲み、蒸気を逃がさない『熱のドーム』を作るんだ。稲には少し熱い思いをさせるが、直火で焼かれるよりはずっとマシだろう?」

「断熱材……熱交換……」

 農民たちは私の言っている理屈が半分も理解できていないようだった。

 だが、彼らの目の前には、見ず知らずの旅人の少女が、自分の革鎧が泥まみれになるのも構わず、彼らの「明日の飯」のために必死にスコップを振るう姿がある。

「……なぁ、旅人さん」

 最初に私に声をかけた初老の農民が、泥だらけの手で藁の束を抱えながらポツリとこぼした。

「あんたみたいに強い人なら、本当はこんな泥仕事しなくても、もっと派手なやり方で戦えるんだろう? ……噂に聞く『東の勇者様』みたいに、魔法一発で解決したほうが、あんたも楽なんじゃないのか?」

 その問いに、私はスコップを土に突き立てて手を止めた。

 黄金に輝く稲穂と、それを侵食する白い冷気を見つめる。

「……楽だろうな。魔法一発で焼き払えば、一瞬で終わる」

 私は、かつて自分が同じように聖剣を振り回し、世界を焼き尽くそうとしていた過去を思い出しながら、ゆっくりと首を振った。

「でも、魔法の炎で焼かれた土は死ぬんだ。灰になった田んぼは、来年、あんたたちに米を育ててはくれない。力任せの破壊で今日を生き延びても、明日食う飯がなくなっちまったら、何の意味もないだろう」

「っ……」

 農民の目が、小さく見開かれた。

 私が護りたいのは、名声でも見栄でもない。彼らが明日も笑って、この美味い米を食えるという『日常』なのだ。

「それに、私は一人じゃない」

 私は腰から『新生・黒片手鍋』を引き抜き、ドンッと泥の壁の上に置いた。

「ドワーフの伝説の鍛冶師が叩き直してくれた、最高の相棒がいる。こいつの力を見せてやるよ」

 私の言葉と、泥だらけの笑顔を見た農民たちは、しばらく呆然としていたが……やがて、誰からともなく、自分たちの顔を覆っていた泥を乱暴に拭い去った。

「……聞いたかお前ら! 余所者の娘っ子が、俺たちの田んぼのためにここまで泥水すすってくれてるんだぞ!」

「東の勇者だの魔法だの、そんなモンにすがろうとした俺たちが馬鹿だった! 俺たちの田んぼは、俺たちの泥仕事で護るぞ!!」

「おおおおっ!!」

 農民たちの目に、先ほどの絶望はもう無かった。

 彼らは手に手にクワやスコップを握り直し、凄まじい勢いで泥の壁を積み上げ始めた。

 泥臭い熱気が、冷え切っていた田んぼの空気を少しずつ変えていく。

   * * *

 数時間後。

 霜枯らしが群がる区画を完全に囲い込む、即席の『泥と藁のドーム』が完成した。

 私はドームの中央、わずかに開けておいた天井の穴から、中に『黒い片手鍋』を慎重にセットした。

「おじさんたち、ドームから離れて伏せろ。いくぞ」

 私は鍋の中にたっぷりの水と、熱反応を爆発的に高める『火吹き茸』の粉末を入れ、分厚い鉄の蓋をしっかりとロックする。

 そして、鍋の底の一点に向けて、極限まで圧縮した『極炎』の魔法を放った。

 ――ガンッ!!

 金属が熱膨張する、甲高い悲鳴のような音が響いた。

 バルガスが打ち直した特殊な合金層が、私の魔法の熱を一切逃さず、一瞬で鍋全体へと伝播させる。

 異常な密閉性により、鍋の中の圧力は瞬く間に限界点へと達し、小刻みな振動が足元の泥を揺らし始めた。

 ピーーーッ! と、蓋の隙間から、まるで沸騰したヤカンのような高周波の音が漏れ出し始める。

「……耐えろよ、相棒。ドワーフの親方の仕事ぶり、見せてもらうぞ」

 私は限界まで高まった鍋の圧力エネルギーを感じ取りながら、蓋の留め具にそっと指をかけた。

 次の瞬間、この極上の鍋が生み出す『超高温の水蒸気爆発』が、絶望の冷気を完全に駆逐する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ